第10話 幼馴染たちはとんでもないものを手に入れる
楽譜が見つかったから図書館にきてほしいとテオから連絡があったのはその一週間後だった。夏の太陽が傾き始める時間だったけれど、ちょうどいいタイミングでバスがやってきて、エマは夕暮れ前の図書館に滑り込むことができた。
二階の大きな窓から西日が差し込んでいた。石造りの床に向かって投げかけられるその光は、まるで空から下ろされた金色の帯のようで、小さい頃にテオと見た教会の美しいステンドグラスを彷彿とさせた。すぐ前の大通りの喧噪も、分厚い窓ガラスに遮断されて届かない。静寂の中に放たれた金色の光は圧倒的で、エマは自分が外界から切り離されたような錯覚に陥った。
遠い記憶が結びついて、エマの目の前に再び現れる。教会の高い天井に響き渡るパイプオルガンの音が、光を帯びて浮かび上がるステンドグラスの登場人物たちに命を与えた日。フルートを奏でる天使やその脇で花束を捧げ持つ天使、踊る人たちや本を読む人たち。そのあふれるような色彩は辺りをも包み込み、まるで音と色で織りなされる壮大な物語を読んでいるかのようだと幼いエマは思ったのだ。
今、図書館の光の中、エマは思わず感嘆の吐息を洩らす。自分の中で高らかに鳴り響いていた音は遠ざかり、いつもの静寂さが再び戻ってきてはいたけれど、窓からもたらされる金色の輝きが世界を満たしていけばいくほど、教会のステングラスの中で笑っていた天使たちがその光の中に降り立ち溶け込んでいくような気がしてならない。深まる金色は、一斉に輝く天使たちの柔らかな衣だ。それはまるで光のベールをまとったかのようだった古のセレンティアをエマに思い起こさせた。
「そうか、金色の輝きは精霊だけじゃないんだわ。そこには天使も一緒で、だからより輝くっていうわけね」
エマは、ミッシェルの絵に描かれている精霊たちが、天使と仲良く並んで枝々に腰掛けている様子を想像した。それは愛し愛されるものたちの姿だった。どちらが欠けてもきっと成り立たない。エマはそこに自分とテオの姿を重ね合わせる。
(天使、天使、綺麗な天使……私にも天使が必要なの。そう)
「そう、天使が!」
心の中でつぶやいたはずが、思わず声に出てしまい、エマはとっさに口を押さえた。赤面しつつ、さっと左右に視線を走らせれば、幸いなことに人影はない。ほっと胸を撫で下ろしたとき、真後ろから声がかかった。
「天使がどうしたって?」
エマが飛び上がらんばかりに驚いて振り返ると、ワゴンを押したテオが立っていた。
「ごめんごめん。呼び出しといて遅くなった。で、天使がどうしたって?」
「ああっ、それは……そ、そう、ほら、見て。光が綺麗だったから、なんか教会のステンドグラスみたいだなあって思ったのよ」
「で、天使?」
「うん。教会と言えば天使でしょ、だから」
「まあね、確かにこの光はすごいよな。圧倒的っていうか。それに日没の一瞬だけだっていうところも意味深でいいよね」
ワゴンの一番上に積んでいた紙束を取り上げながらテオが言う。
「しかしまあ、ミッシェルには驚かされたよ。セシルを紹介されたかと思ったら、もう段取りが組んであって。手回しの良さもさすがだったけど、よくもまあ、こんな展開を思いついたよね。それで最終的にはしっかりバルデュールも噛んでる。恐るべしだな」
「うん、ミッシェルって企画に関しては百戦錬磨だから。一を聞いて十を知るどころじゃないよね、もう桁違い。今回だって……天才的なひらめきとしか言いようがないよ。で、セシルさんたちは?」
「帰った。連日残業しすぎて疲れたとか言ってたけど、またその辺でお茶でもして盛り上がってるんじゃないかな。任務第一弾完了! 次行くぞ! って何気に嬉しそうだったから」
あの日、エマに詰め寄った後のミッシェルは凄まじかった。あっという間にセシルと話をまとめ、掘り出された楽譜を回収して手元にキープしたのだ。もちろんそこにはセシルの一言があって、レーデンブロイから招かれている彼が興味を示せば、図書館側も喜んで協力してくれたというわけだ。
翌日、ミッシェルは意気揚々と図書館に乗り込んだ。テオとクライブをセシルに引き合わせ、楽譜をちらつかせる彼女は満面の笑みを浮かべていた。我らが天使ー暁の約束」の探索には、通常労働時間外の頑張りが必要になる、けれど、これはただただくたびれるだけの仕事ではないのだ。その成功が意味するものは、セシルにはバルデュール、テオにはエマ、はたまたクライブにはレアな資料コレクションという輝かしいもの。彼らがやる気にならないわけがない。
そうはいっても、その数は膨大だ。丁寧な解読が必要なこの作業にはしばらく時間がかかるだろうと、さすがのミッシェルも思った。けれど彼らはあっという間に目的を達成したのだ。
「何という早業! これだから古代語オタクは〜、怖いわね〜」と耳打ちしてくるミッシェルにエマは盛大に顔を引きつらせた。なんとも散々な言われようである。けれどどうやら本人的には大満足だったようで、「あら、いやね、エマ。褒め言葉よ、褒め言葉。人間業とは思えない、怖いほどに切れ者ねってことなんだから!」などと言うものだから、エマはもう苦笑するしかなかった。さらに、そんな鬼畜な従妹に振り回されているというのに、嬉々として作業を続けるセシルを見、バルデュールの研究者魂がいかに常人からかけ離れたものなのかを嫌という程教えられたのだ。
それにしても興味深かったのが、セシルたち三人の意気投合具合だ。まったく目的は違っていたけれど、古代フロシオン語という共通点を持っているせいか、彼らは急速に仲を深めていった。初日の帰りにはもう、弱音も泣き言も言えるような間柄になっていて、テオを迎えにいったエマは驚かされた。楽譜探しに集中しているはずの彼らに、そんなプライベートなことを話している時間なんかあったのだろうかと首を傾げれば、クライブが嬉々として切り出した。
「僕たちまだ特に何を話したわけじゃないけど……この相手にはなんでも話して大丈夫なんだって、お互いが本能的に感じちゃったっていうか……なんだか色々分かり合えるんだよ、不思議なことに、説明なんかなくてもね」
セシルがフロシオン語を不自由なく操れるということも大きかっただろうけれど、壮大な意味を抱く言語を追いかけている人たちというのは感覚がより鋭いのかもしれない。言葉にせずとも、お互いが相手の気持ちを敏感に読み取って、尚且つ気兼ねせずに接することができるなんて、なんとも理想的な間柄ではないか。彼らにとってこの結びつきは、相当に居心地がいいものなのだろうとエマは深く納得したのだ。
「はい、これ。お待ちかねの楽譜。コピーなんだけど、確かめてみて」
そんな彼らの頑張りで得られた結果を、エマは厳かな気持ちで受け取る。一番上はいわゆる表紙だった。エマには読めない不思議な文字が並んでいる。
「これ……」
「ああ、古代フロシオン語で『我らが天使』ってちゃんと書いてある。初稿っていう字も見えるから多分間違いない」
テオの説明に頷きながらも、エマはその量に違和感を覚えた。一曲のはずだ。一体、何枚あるのだろうかと訝しげにテオを見上げれば、彼は指で唇をポンポンと叩いていた。それはテオが何かを一生懸命考えている時の仕草だ。
「それ、楽譜と……多分、手紙」
「手紙?」
「そう。書いたのは作曲家だと思うんだ。曲に対する説明書っていうか……一緒にまとめてあったから、きっとそうだと思うんだよね。詳しくはこれから解読してみないとなんとも言えないけど、見ての通りかなり長い手紙なんだ。それも古代フロシオン語の。まあ、まずは楽譜をチェックしてみて」
確かにずいぶんな量だと思いつつ、エマは表紙をめくった。並ぶ五線譜に安堵する。これなら問題なく読み取れる。さっと目を通せば、間違いなく「我らが天使ー暁の約束」だった。それもルカさんが弾いていたよりも、ずっと難しいもの。いや、難しいと言うと語弊があるかもしれない。とにかく細かな指の動きが特徴的だった。丁寧に丁寧に弾かれるべきものなのだと、エマは作曲家の深い想いを感じたような気がした。
確認のために最後の一枚をめくったエマははっと手を止めた。次からは手紙だと思っていたのに、その後ろにまだ楽譜が続いていたのだ。慌ててそれに目を通すエマの目が大きく見開かれた。
(これ、何? 聞いたことない……)
エマは、胸がとんでもなく早鐘を打ち始めるのを感じた。
「エマ? どうした? 大丈夫か?」
楽譜を手に小さくわななき始めたエマを見て、心配になったテオが彼女を覗き込む。勢いよく顔を上げたエマは、ぶつかりそうなところにテオの顔があることに驚きつつも、もう、それどころではなかった。
「テオ……二部目がある」
「え?」
「知らない曲が続いてるの。多分これ、二部目だよ!」
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