第11話 幼馴染たちは再び花の中

「ちょっといい?」


 エマから手紙を受け取り、テオは最初の部分を食い入るように読み始めた。


「う〜ん……ああ、そうか、うん、そうだな。うん、間違いない。連作だよ。気に入った人は誰でも使っていいって書いてあるのはわかってたんだけど、その後の説明はこれからだったから……でもここにほら、最初の曲はって単語があるんだ。最初の曲ということは、次もあるってことだろう。エマの言う通り、これは連作なんだよ。手紙の続き、急いで読まないとな」

「……テオ……なんか私たち、すごいもの見つけちゃった? わあ……これはミッシェルがうるさそう……」

「セシルもな」


 二人は同時に吹き出した。エマは手元の楽譜を見る。じわじわと喜びが込み上げてきた。オリジナルの曲が聴きたいとミッシェルが言った時、なんて素敵なアイデアだろうと思ったのだ。それに続きがあっただなんて……まるで夢のようだ。

 あの教会から始まった自分たちの物語が、予想もしなかったページをめくっていくのをエマは感じていた。頬が緩んで仕方がない。

 エマはなんだか歌い出したいような気分だった。そんな気持ちになったのはいつぶりだろう。小さい頃のエマは、気分が盛り上がるとよく歌った。「もっと練習したほうがいいんじゃない?」と何度テオに言われてもちっとも気にならなかった。「だって嬉しいんだもん!」そう言ってエマが歌えば、呆れたようなそぶりを見せていたテオも、最後はエマと一緒に歌ってくれたことを思い出す。

 エマは楽譜を胸に抱いて、一歩踏み出した。途端、気持ちがはじけて楽しくなって、エマはくるりと回った。

 エマの中に、古のセレンティアの花を初めてテオと一緒に見た日が蘇ってくる。自分たちに降り注ぐ花を見上げながら、あの日もこんな気分だったのだ。窓から差し込む金色はまさに絶頂で、目を瞑っても、まぶたの裏にまだまだ光を感じた。無数の金色が瞬いている。花が降ってくるようだと感じたエマは、大きく息を吸い込んだ。甘い香りを振りまきながら、花が尽きることなく降ってくる……。目を瞑ったまま、エマはふわりふわりと回り始めた。


「ちょっ、エマ! 何やってるんだよ。危ない!」


 慌てるテオの声が聞こえてきたけれど、エマは御構い無しだった。けれど最後にはさすがによろけてバランスを崩した。ところが続く衝撃はなく、その代わり温かくてしっかりとしたものに抱きこまれているのを感じた。エマがそっと目を開けばそこにはテオがいた。


「勘弁してよ……。ホント危ないから。エマ……」


 いつになく真面目な顔をして自分に注意するテオを見たエマは、小さくクスクスと笑った。


「エマ? 聞いてるの?」

「テオ、大好き」


 思わずエマがこぼせば、テオが大きく目を見開いた。その瞳の青が金色に染まっていて、その中に笑っている自分がいるのをエマは見つけた。金色をまとう自分の姿に、並んで腰掛けて笑いあう、天使と精霊の姿が重なる。たまらなく幸せな気分だった。

 その微笑みをさらに深くした時、エマは唇に温かいものが触れるのを感じた。青く輝く瞳がエマの目の前にあって、その色の中に自分が飲み込まれていくような気がした。温かい。温かい……。


「ん? ……っ!」


 エマはようやく自分の唇に触れているものが、テオの唇だということに気がついた。その顔が一瞬で真っ赤に染まる。その時、ぱあーんと何かが弾けた。セレンティアだった。二人の上に投げかけられた金色の光の中に、それは次々と現れて、あっという間に、床に座り込んでいる二人を覆っていく。

 何が起きたのか、エマは全く分かっていなかった。パチパチとただ瞬きを繰り返す。そんな様子にクスリと笑ったテオが、驚きのあまり薄く開いエマの唇に、もう一度自分の熱を重ね合わせた。今度はさっきよりも長く強く、けれどどこまでも優しく。エマはもう瞬きさえできず、その大きな目を見開いたままだ。花が嘘のように降り注ぐ。もはや金色の雨だった。


「エマ、こういう時は目を瞑るものだよ」


 猛烈至近距離のまま、テオに囁かれたエマはコクコクと頷いた。


「いい子だ」

「おっ、お兄さん面しないで!」


 言い返せたのはそれだけだった。今度こそ目を閉じたエマの唇をテオが再びそっと塞げば、エマの手がおずおずとテオの背中に回された。


「エマ……もっとぎゅってして」


 切なげな懇願に、エマは握ったままだった楽譜を潰さないように気をつけながら、回した腕に力を込めてテオの胸にすり寄った。

 温かくて心から安心できた。エマが目を瞑ってテオの胸にもたれかかれば、花の降り方が変わった。今度は緩やかに、ふわりふわりと、さっき踊ったエマのように、金色の光の中に舞い始める。


「また、やっちゃった?」

「大丈夫、俺らの周りだけ。問題ないよ。いくらでも降らせればいい」

「……今日のテオ、なんか優しい」

「今日のエマが、とっても素直だからだよ」


 やがて太陽は沈み、差し込んでいた光が消えて、図書館の中に灯りがつき始める。あれだけ降った花たちも、最後の光と一緒に消えてしまった。テオがそっとエマを支えて立たせる。ワゴンを書棚の隣に移動させ、そっと手を差し出した。

 昔、エマが疲れてしまったとき、テオはよく手を握ってくれた。「さあ、もうちょっとだよ、元気を出して家に帰ろう」そう励まされて何度頑張ったことか。今またテオの温もりを感じるエマは、押し寄せてくる喜びに胸が一杯になっていた。

 遠い日の自分たちに戻ったみたいだと感じたのだ。なに一つ疑うことなく、幸せな毎日は繰り返されるのだと思っていた頃。無邪気になにもかも言い合って、空っぽにした心にお互いの笑顔だけを詰め込んだ日々。それはもう帰ってはこないけれど、いつまでも自分たちの心の中に息づいていて、明日への勇気を与えてくれるのだとエマは思った。ほんの少し前まで、そんな喜びを手放そうとしていたのだ。エマは自分をそこから救い出してくれた人たちに心から感謝せずにはいられなかった。


 その後二人は一緒に図書館を出て、公園前のバス停へと向かった。閉じられた公園の黒いフェンスには大きなセレンティアの花が浮かび上がっている。いつだっただろうか、それに気がついた二人は嬉しくて、公園にくるたびわざわざフェンスに近づいて見上げたものだ。

 それを思い出し、エマは思わず微笑んだ。見上げれば、テオの顔にも信じられないほど優しい微笑みが広がっている。それはエマが求め続けてきたもの。ステンドグラスの中の天使も顔負けの麗しさの奥に、いたずらっ子のピエロの顔が潜んでいることを知っているのは自分だけなのだと思うと、エマの微笑みはさらに深くなった。そんなエマに気がついたテオが目を細めて、「なんか悪いこと考えてるでしょ」とエマの鼻先を指でつつく。


「ちょっと。テオ、やめて。まさか私の鼻が、精霊並みに低いなんて思ってないでしょうね」


 昔のようにエマが軽口をたたけば、テオがぷっと噴き出した。そんなことが互いに嬉しくてたまらない。二人はまた顔を見合わせて笑いあう。そして、小さい頃みたいにたわいもない話をしあってじゃれあって、家への道を一緒にバスに揺られた。

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