第6話 幼馴染の告白に親友たちは驚かされる

「エマ、もちろんやるよね!」


 爛々と目を輝かしながらミッシェルがエマに迫った。来年の花祭りでのソリストを打診された一件だ。


「いや、それは……まだなんとも。だって、これすごく大きなイベントだよ、私じゃあ……」

「何言ってるの! 先生のお墨付きだよ? それにね、エマ。あなたはもう結構有名人なんだからね。今までうちのイベントに色々参加してくれたじゃない、だからエマのピアノのファンだって多いのよ。私、もらってるもんね、リクエストのレター」

「ちょ、なにそれ、まって、やだ」

「ということでお願いしますね、エマさん。バルデュールは諸手を上げて賛成です!」


 十年に一度の大花祭りは、バルデュールが総力を挙げて取り組む、フロシオンきってのイベントだ。古のセレンティアと周りの野原、奥へ続く遊歩道の一部を観客席として式典が開かれる。国外からの特別ゲスト、人数制限も年齢制限もある一般席。否が応でも神聖さが増すというものだ。いつか行ってみたい、誰もがそう願わずにはいられなくなる。

 もちろん、家族向けのイベントも目白押しだ。石の広場ではミニコンサートが開かれ、子どもたちの発表会もある。一日中音楽が尽きることはない。そして式典の最後が特別コンサート。誰もが聞けるようにと、公園中にスピーカーが配置される。最初の一音が始まる瞬間、公園中の人が、いや、町そのものが息を詰めて待ち望んでいるのではないかと思うほど、どこもかしこも静まり返る。流れ出す圧倒的な音に、フロシオンのすべてが魅了されるのだ。最後のソリストの演奏に、小さな自分がどれだけ夢中になって拍手をしたか、エマは思い出した。


(あれだよ! うそ)


 途端、萎縮しないではいられないほどのプレッシャーがエマを襲う。冷や汗がつつつ、と背筋を伝わり落ちる。


(どうしよう。無理、無理。先生の代わりとか、ありえないよ!)


 焦りまくるエマの隣りで、ミッシェルは浮かれっぱなしだった。彼女の中ではもうエマの出演は決定事項だ。このコンサートにあれこれ首を突っ込むだろうことは間違いない。


「あとはエマが返事をすればいいだけなんでしょ。ああ、親友とこんな大きなイベントができるなんて、私、幸せすぎるわ!」

「いや、まだ、あの、ほら」

「ああ~幸せ! 幸せ! 幸せ! 幸せすぎる!」


 頬を染め目を潤ませ、ミッシェルはエマの手を握りしめて叫ぶ。ご自慢の髪がそれに合わせてうねっているようにしか見えない。いや、実際うねっていた。有無を言わさぬ迫力。そんなミッシェルにエマが叶うはずもない。最後には渋々頷くことになった。




「ということでエマがソリストだから。絶対聴きにきてくれるわよね」

「わあ、すごいじゃない。行くよな、テオ」


 いつものように午後の図書館でミッシェルとテオとクライブは話していた。今までと違うことと言えば、それが奥まったテーブルではなくて、階段踊り場にある休憩スペースだということだろうか。テオたちはもう一年ほど前から正式に図書館でアルバイトを始めていた。

 国で一番と言われるフロシオン図書館の巨大地下資料室。その整理のために、毎年のように夏のプロジェクトが組まれる。時代別に区分けされたブースにその専門家を中心とするスタッフが集められ、二ヶ月近くの大仕事だ。古代史ブースでの整理も去年から始まっていた。

 この仕事をスムースにするためには、古代フロシオン語がわかるメンバーが必要だった。けれどかなり特殊な分野。図書館勤務のスタッフだけでは人数が足りず、近隣の大学や大学院、さらには高等科の古代フロシオン語クラスにも声がかかった。教師からの推薦はもちろんクライブとテオ。あの日館長が二人のところにやって来たのはそのためだったのだ。


 申し出に二人は一も二もなく飛びついた。結構肉体労働だよと苦笑する館長に、それでも二人は快諾したのだ。

 その夏、埃だらけになって資料と格闘し、運び出し、選別し、ファイリングし、毎日ヘトヘトになるまで頑張った。それでも、こんな機会そうあるものではないと、二人は内心にやけっぱなしだった。

 彼らがそこまでのめり込んだのには訳がある。運び出した資料が整理期間中は読み放題だったのだ。それらは重要文献として、夏以降はややこしい手続きを踏まなければ読めない代物となる。貸し出しなどむろん無理な話。それをその期間だけは好きなだけ読める、奇跡のような話だ。

 もちろん読めればだが、二人にはわけもないことだった。かなり大規模なプロジェクトチームだったけれど、大人たちが舌を巻くほどに彼らは優秀だったのだ。そのタイトルだけでも胸をときめかすことが多く、本棚に並んだらぜひあれも読んでみようこれも読んでみようと、二人で詳細なメモまで起こしていた。そんなわけで二人は、今年も夏休みに入るが早いか、地下の資料整理に突入していたのだ。


「ああ、行くよ。それだけ大規模なら、変装しなくても問題ないだろうし」

「もう、本当強情ね。自分の能力が何かって、見通しも立ってるんでしょ。だったらもっと前向きに色々考えてみたら?」


 ミッシェルの容赦ない指摘に苦笑しながら、テオは気になっていることを切り出した。


「エマは喜んでるのか? やりたがってる?」

「半々ね。まだ自信はないみたい。花が咲かないからねえ、感情をのせられるかどうか、心配なのよ」

「え? 花が咲かないって、それエマちゃんにとって……」

「……」

「テオくん? 知ってたの?」

「ああ……」


 顔を見合わせるミッシェルとクライブに、テオは軽く肩をすくめてみせた。


「なに、それ。会ってもないのにどうして知ってるの?」


 ミッシェルが眉をひそめて詰め寄る。


「あっ、あれか!」


 クライブが納得したように声をあげた。


「こいつさ、毎回帰る時に公園に寄って行くんだよね。僕も何度か一緒に行ったんだけど……」

「行ったんだけど?」


 食らいつくミッシェルを片手で制し、なだめながらクライブは続けた。


「レッスン帰りのエマちゃんを見かけたんだよ」

「そうよ。公園にはいつも行ってるって言ってたわ。時々、家にもきてくれるもん」

「だろ。だから行くたびエマちゃんはいるわけだ」

「行くたびって……え? もしかしてエマの行動、全部把握してるの?」

「いや、そこまでじゃないと思うけど……でもほら、週にいつ来るとかさ、何回か遭遇すれば見当つくじゃない」

「……でもそれって、エマがいないときも行ってたってことよね。テオくん、変なところで頑張るね……」

「そうなんだよ、こいつ、本当健気なんだから」


 本人そっちのけで親友たちは盛り上がっている。テオは明後日の方向を向いたままだ。


「で、僕たち見ちゃったわけ」

「なにを? え? なにを!」

「エマちゃんがお使いでマーケットに行って、お店の人と親しげに話して笑ってるところとか、ピアノスタジオの奴と一緒に楽しげに歩いてるところとか」

「うそ……。それはすなわち、相手は異性ってことよね」

「そう。最初は僕も焦ったよ。テオ、蒼白でブルブル震えちゃって、どうしようかと思った。で、なんて言おうか迷ってたら急に普通に戻って。なんか一人で頷いて納得して。こっちは怖くて聞くにも聞けないのにだよ。でも機嫌も直ったし、いいかって思ったんだよね。二回目以降なんか、うっすら笑っちゃってて」

「怖い、確かに怖いわね。でも、それとエマの能力がどう関係あるわけ?」

「ごめん、そこはちょっとわかんないんだけど、エマちゃんに会ったっていうのはそういうこと」


 ミッシェルに答えを渡せとばかりに、クライブはテオを振り返って促した。ようやくテオが口を開く。


「花が降らなかったんだよ」

「「「え?」」


 ミッシェルとクライブ、二人の声が重なった。


「あいつ、ずいぶんコントロールはできるようになってるけど、本当に嬉しいと全然駄目なんだ。なのに花が一つも降らないんだ」

「それって、エマが心を動かしてないってこと?」

「ああ。誰といてもそうだった」


 そう言うと、テオはまたそっぽを向いてしまった。


「は~ん、なるほどね。テオくんとしてはエマが心変わりをしてないことが嬉しかったわけね」

「自分といるときは花が降りまくったって、いつも嬉しそうに話すもんな。そうか、そういうことか」

「でも、それ……たまたまなんじゃ」

「いや、ベビーカーの赤ん坊とか散歩中の犬とか小さな音楽会とか、好きそうなものでも全然だった。それでそんな時は寂しそうにしてるから、もしかしてって思ったんだ」


 まさかの告白にミッシェルは苦笑しかない。エマもエマだけど、テオも相当だ。


「……本当、よく見てたんだね」

「おいおい、まじかよ。どれだけ行ってたわけ公園。ストーカー扱いされなくて良かったよ」

「ストーカーって、それ……ただ、公園に寄ってただけだよ。たまたま見かけたんだ!」


 耳まで真っ赤になって照れるテオをミッシェルは初めて見た。


(なるほどね。いつもは俺様なのに、なにこの可愛さ。こういうギャップを見せられてたら、そりゃあテオくん一筋にもなるわよね)


 ミッシェルは、多分本人も気づいていないだろうポイントを的確に見抜いた。そして改めて、この二人はやっぱり似ていると思うのだった。


「それで、テオくん的にはどうなの? 花が降らないエマ。問題ありだと思わない?」

「……」

「ん? テオくん?」

「わかってるよ。問題だよ。でも……このままでもいいかなあって思っちゃったんだよ。俺以外に、花なんかもう降らなきゃいいのにって」


 ミッシェルは思わず天を仰いだ。クライブも首を振っている。


「気持ちはわかる、わかるよ、テオ。だけどどうなの、それ。僕が言った『覚悟と自信』からどれだけ離れてるんだよ」

「覚悟と自信? 何それ?」

「そろそろ腹くくれって言うこと。能力のことも目処がついたし、こいつもこいつなりに考えて、気持ちは傾いてきてるんだ。だから」

「そうなの? じゃあ……」

「ああ。本人もわかってるんだよ。な?」


 クライブが振れば、テオがちょっとうろたえて視線をさまよわせた。これまたレアなシーンだとミッシェルは驚く。テオもまた表情豊かになってきている。エマ同様、幼い頃の素直な自分に戻りつつあるのだ。


「なんて言うか、きっかけがあれば……」


 いつになく歯切れの悪いテオに、けれど親友たちは大喜びだった。もしかして花が降らない問題も、テオなら簡単にといてしまうのではないだろうか、ミッシェルはそんな気がしてならなかった。

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