第3話 幼馴染は音の力に助けられる

 テオと過ごすことがなくなってからのエマを助けたのは、ミッシェルだけではない。彼女によってずいぶんと力を取り戻したエマは、相変わらず忙しいスケジュールをこなすミッシェルに負担をかけないようにと、一人でできることに力を入れるようになったのだ。その一番がピアノレッスンだった。

 

 ピアノを弾き始めた初等科から、エマはずっと同じスタジオに通っている。基本のレッスンは週一だったけれど、自由にスケジュールを組んでいいスタイルだったため、都合がつけばその都度、足を運んでいた。特に音楽科を目指すわけでも、プロになりたいわけでもなかったけれど、エマはピアノが大好きだった。レッスンに通って弾ける曲が増えることは、エマにとって宝物のようなことなのだ。エマはどんな時もレッスンを怠らなかった。

 そんな努力が功を奏したのだろう。初等科の高学年から中等科にかけて、エマは学園でのコンサートに駆り出されることが多くなった。そのためレッスンにもそれまで以上に頻繁に通った。けれどそれはすべて、テオの予定を考慮した上でのことだ。エマにとって、ピアノを弾くことは楽しく有意義なものであったけれど、テオを笑顔にしたくて始めたのだ。何よりも優先したいことはテオと過ごすことだった。それ以上のものはなかった。

 だからあの夏の事件以来、エマはピアノを弾けなくなった。ピアノはテオの笑顔と結びつくもの。テオとの思い出を何よりも色濃く映し出すもの。テオの声を、その体温を、エマに余すことなく伝えるもの。弾くと涙がこぼれそうで、エマはピアノの蓋を開けることさえもできなくなってしまった。レッスンに行くなんてとんでもないことだった。

 

 数ヶ月もの間、エマはピアノから離れた生活を送った。もう二度とピアノを弾けないだろうとエマは思った。けれど、気がつけばピアノにふれていたのだ。泣きながらも鍵盤に向かっていた。

 テオが好きだと言ってくれた音、自分を心から笑顔にしてくれた音。それらを手放すことなどできなかったのだ。どんなに悲しみに打ちのめされようと、音と共に胸にあふれてくる思い出は、決して美しさを損なわなかった。たった一つの音が、やっぱり彼女を幸せにしてくれたのだ。ポロンポロンと重ねて鳴らせば、その音たちが深く深く胸に染み入って、涙も流れたけれど憂いも流れていくような、そんな気がした。

 想いが深かった分、その傷も相当なものだったけれど、自分がピアノから離れることはないのだとエマは確信した。ピアノだけはどんなことがあっても続けようと、テオを想って苦しい日々の中で、エマは心に誓った。


 その後、ミッシェルが色々と演奏の機会を作ってくれた事もあって、エマはまたピアノを通して表に出ることができるようになった。以前にも増して、精力的にレッスンに通い始めたのだ。スタジオは中央公園のすぐ近くにあるから、時間が合えば、レッスンの帰りにミッシェルに会いに行くこともできる。ミッシェルに会えなくても、マーケットを覗いたり公園を散策したりする楽しみがある。それになによりも、エマはトラヴィス先生が大好きだった。彼女はエマが心を許せる数少ない人。心から信頼できる人なのだ。

 

 先生はかなり高名なピアニストだというもっぱらの噂だった。先生が自分の経歴をひけらかすようなことは一度もなかったけれど、町には先生の華々しい過去を知る人が大勢いたのだ。世界的なコンクールで大きな賞を取ったとか、完全国費でピアノ留学していたとか。エマも、母エミリーが聞いてきた話をあれこれ教えてもらった。ちょっと興味がわいて図書館の新聞や雑誌などを調べてみれば、そこには今と変わらない無表情で、けれどショートカットで美貌の先生が、いくつも特集されていた。


「先生、こういうの嫌がりそうだなあ」


 エマは雑誌をめくりながら苦笑する。トラヴィス先生は冷静沈着を絵に描いたような人だ。さらに、まるで氷の仮面かと思うほどに無表情だったりするけれど、逆にそれが先生の美貌を冴え渡らせ、近寄りがたい雰囲気を醸し出す。それでもエマはその下に、誰よりも情熱的なものが流れていることを知っている。

 先生のピアノは一度聴いたら忘れられない。タッチは正確で超絶技法も揺るぎなく弾きこなす。まるで狂うことのない機械のように指は動くけれど、決して無機質ではない。それどころかその音の優しいこと、しなやかなこと。あふれてくる想いが形になったら、きっとこういうものじゃないだろうかと納得してしまうほどに、音という存在を間近で感じさせられる。

 先生の音は、立ち昇り、花開き、降り注ぎ、すべてを満していく。それなのに、しつこくない、うるさくない、つきまとわない。なに一つ飾ることなく純粋に届けられた音は、聴くものの心を攫って激しく揺り動かすというのに、最後にはためらうことなく、見事なまでに退いていくのだ。それはまさに、トラヴィス先生そのものなのだとエマは思っていた。


 個人レッスンだったから、エマが誰かと会うことは少なかったけれど、スタジオには多くの生徒たちが在籍していた。時々その中の誰かが近隣のコンクールで大きな賞を取ったりして、受け付け横に張り出されたりする。自主練習できる部屋もあり、先生とのレッスンのない日にも予約でいっぱいだった。

 よく顔を知られている有名な演奏家や作曲家が出入りする姿を見かけることもある。それは、現役を退いた今も、先生を慕う人たちが、その才能を認めている人たちが、たくさんいるという証拠だ。

 先生はエマの母よりも一回り以上は若いだろうと思われた。その年齢ならまだ十分現役で、世界を胯に掛けて活躍できるのではとエマは思うのだけれど、話によれば先生は、十数年ほど前に留学先から帰ってきてスタジオを開いて以降、個人的な演奏は一切していないらしい。

 その当時のインタビューに先生は、今はこれが自分の幸せ、これ以上のものはないと答えていた。誰もがもっと込み入った話を聞きたがり、その真相を知ろうとしたけれど、先生の凍りつくような美貌の前に、それ以上踏み込めなかったようだ。演奏をやめてしまった理由は、それ以上は明らかにされなかった。そしてそれ以来、先生が取材を受けることもなかった。


「エマ、ピアニストはなにを目指すのだと思う?」


 再びレッスンに通い始めた時、エマはトラヴィス先生に質問された。


「……色々だと思うんですけど、私の場合は自分が感じたことや思ったことを、偽りない純粋な音として相手に伝えることですね。この音は私です、って胸を張って言えるようになりたいです」


 遠い日のルカさんの受け売りだけれど、それが一番だと今もエマは思っている。

 ピアノを弾き続けたい一番の理由はテオだけれど、それ以外では、その曲に込められたものを読み解いて、次の誰かに手渡したいという気持ちがあったのだ。「私はこんな風に感じたの、あなたは?」と音を通して聞いてくれる人に語りかけること。それは心の対話なのだとエマは感じていた。自分が深いところで感じ取ったものを、まっすぐ相手に託す喜びだ。

 音はきみだから、とかつてルカさんは言った。言葉にする人、絵にする人、彫刻にする人、歌にする人、誰もが自分らしい手法を持つ。それがエマにとってはピアノの音、演奏だった。ルカさんに、ピアノに、巡り合えて本当によかったと、エマは弾くたびに感謝していた。

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