第2章
第1話 幼馴染はクラゲが好き
「エマ、セレンティア特別室、副室長のタイトルあげようか?」
「なにそれ。いらない、そんなもの」
「そんなものだなんてひどい、私、室長なのに」
「はいはい、泣きまねはいいから。ねえ、クラゲサラダ、オーダーしていい?」
「またあ? 本当に好きだね、クラゲ」
彼女たちがお気に入りのカフェでは、クラゲサラダは人気メニューの一つだ。一般的な玉ねぎではなく細切りのキュウリが入っているから、たくさん食べても臭いを気にすることもない。それをいいことにエマはいつだってクラゲサラダをオーダーする。さらに今週は、夏の新作としていつもよりもふんだんにシトラスが使われたものが出されていた。それも期間限定の水色クラゲだ。
「新作クラゲサラダ、ダブルでお願いします。レモンピール多めで」
「いやいや、それもう入ってるから。お~いエマちゃ~ん……って聞いてないね。水色のクラゲにどれだけ夢中なの。まあ、クラゲが好きというかテオくんが好きなんだもんね、仕方がないか。ホント……健気だわあ」
ミッシェルは頬杖をついて、嬉しそうにメニュー表の写真を見直すエマを見た。
初等科の二年の夏休み、エマとテオは水族館に出かけた。どこか水辺へ行きたいとねだった結果だ。小さい頃は公園の水場で遊んでいたけれど、さすがに大きくなりすぎた。少し遠出すれば湖もあるものの、なかなかそこまで出掛ける人もいない。そんな折り、水族館がリニューアルしたとのニュースが入ったのだ。
海がないフロシオンでは水族館は人気スポット。目にも鮮やかな色をまとって泳ぐ魚たちは異国情緒たっぷりだったし、大きなドームの下に潜り込めばまるで水の世界に紛れ込んだようで子どもたちは大騒ぎだ。けれど、すでに何度も訪れているそこに目新しさはなく、しばらく足は遠のいていた。果たしてリニューアルされた水族館には何があるのだろう。テオとエマは久々に胸をときめかした。
薄暗かった館内が明るくモダンな印象になっていた。進んでいくと大きなガラスの扉に「クラゲ」のプレートがかかっており、なんだか妙に芝居じみている。
「クラゲ?」
確か以前にも見た覚えはあるけれど、海の仲間たちとタイトルがかかったコーナーに小さな水槽が一つあったようななかったような……エマにはおぼろげな記憶しか残っていなかった。
「ドア作って締め切る必要があるわけ?」
エマがテオを見上げれば、テオは「ああ」と何かを察したようだった。
「エマ、これ、意外といいかもよ」
そう言いながらドアを開けたテオ。エマはその腕の下をかいくぐって室内へと足を踏み入れたものの、振り返ってテオに腕にしがみついた。前方に巨大な光が立ち上がっていたからだ。
「大丈夫、大丈夫」
テオに連れられて恐る恐る進めば、すぐにそれは水槽だとわかった。光っていたのはクラゲだ。発光するクラゲが巨大な水槽の中で無数に揺れている。そのまたたきを見つめたエマは、まるで深海に潜り込んだような気持ちになった。
初めて見るその光の玉のような物体にエマは夢中になった。深い深い海の中。ゆらゆらと美しいクラゲたち! 白に緑にオレンジに。まるでおとぎ話のようだと思った。
「テオ! 見て、すごい、すごい。ものすごく綺麗」
光の柱のように設置された水槽の間を、エマはあっちへ行ったりこっちへ行ったり大興奮だ。
「エマ、ダメだからね、花は禁止。光っちゃうとクラゲが台無しになる」
テオに囁かれエマは真顔で頷き返す。辺りにはエマと同じようにクラゲに夢中になってはしゃいでいる子どもたちの姿もたくさん見えた。花はダメ、花はダメ。エマが慎重な足取りで奥まで進むとそこには青いクラゲの水槽があった。
それは夢のような光景だった。視界いっぱいに青く発光するクラゲが揺れている。今まで見た中で一番大きなクラゲだった。まん丸で、びっくりするほど青く輝いている。それもエマの頭上はるか上だ。思わずエマは「わあ、これ、青い月みたいじゃない?」と声をあげた。
次の瞬間、エマは自分の言葉にはっと気づき、どうしていいのか戸惑ってしまう。青い月だなんて……エマは唇を噛み締めたけれど、一度出てしまったものはもう元には戻せない。けれどテオはなんでもない風に答えた。
「本当だ、すごいね。ねえ、エマ。知ってた? クラゲって食べられるんだよ。タフトの名物なんだ。でも俺は食べないけどね。小さい頃刺されたんだよね。あの痛みだけは忘れられない!」
大げさに眉をしかめてみせるテオにエマは大きな声で言った。
「大丈夫、私が食べてあげるよ。テオの分まで全部私が食べるから、心配しないで」
「おいおい、エマ。まだ食べたこともないのにそれってどうなの?」
苦笑するテオにエマは、好き嫌いはないから絶対に大丈夫だと繰り返した。クラゲが青い月ならば自分が食べてしまえばいい。そうすればテオの心の中の憂いもみんななくなってしまうんじゃないか、そう思ったのだ。
水槽に漂う色とりどりのクラゲを振り返りながら「色によって味が違うのかしら?」とエマが首を傾げれば、テオが言った。その瞳は目の前の青いクラゲの水槽にひたと向けられていて、青い瞳がより青く輝くような不思議な感覚にエマはとらわれた。
「一緒だと思うよ。ただ、幾つかのクラゲは食べられない。この青いクラゲもそう。こいつらは毒を持ってるんだ。俺を刺したのもこれ。綺麗な色なのに凄まじく危険。食べるなんて絶対無理」
青い月が特別なように青いクラゲも特別だった。エマはとてつもなく悲しくなった。青い月は簡単な相手ではないのだと宣言されたようで、胸の内が重くなる。
「でも好きなんだよなあ、このクラゲ。痛い思いはさせられたけど、やっぱりいい色だよね。この青。よかったなあ、お前たち、毒があって。食いしん坊のエマに食べられなくてすんだ。よかった、よかった」
「ちょっと、失礼ね。それじゃあ、私が何でも食べるみたいじゃない。ちゃんと美味しいものしか食べませんよ~だ。テオったら、自分の瞳の色と同じだからって贔屓しすぎなんじゃない? 私だったら、美味しいって聞いたら緑のクラゲだって食べてみるけどね」
「ほら、やっぱり。結局みんな食べちゃう。まあ、エマなら毒が入っててもへっちゃらそうだし、青いクラゲもウカウカしてられないな」
「もお、なんかむかつく」
くだらないことを言い合っているうちに、さっきまでの嫌なムードは綺麗に消えて無くなって、最後は二人でゲラゲラ笑った。そうよ、毒が入っていたってへっちゃら、私がきっといつの日か、青いクラゲも全部食べてあげるから。エマは心の中で密かにそう誓ったのだ。
その日からエマはクラゲ料理を楽しみにしていた。そしてその機会は思いがけずやってきた。新年恒例の広場のマーケットに、タフトの特産物として並んだのだ。試食コーナーには多くの人が集っていた。エマもテオの手を引いて走っていく。
「やだよ、絶対食べないからね」
「わかってる。でも食べたいんだもん! お願い、一緒に来て」
テーブルには海辺の町らしいカラフルな大皿が並んでいた。
「いらっしゃいませ! クラゲのマリネですよ! お試しいかがですか?」
青いエプロンをしたアルバイトの女の子たちが明るい声を上げている。
「あの、これってみんな同じクラゲですか?」
「いえ、ここには四種類あります」
「青いのってありますか?」
「う~ん、本当に青いのは毒があるから使えないけど……水色というかほんのり青いのなら」
グレープフルーツ、レモンピール、スライスされた紫玉ねぎ、クレソン、その中に細切りにされた透明なものが混じっている。言われればほんのり青いような気もする。
「苦かったり、辛かったりしますか?」
ごくりと喉を鳴らしてエマが聞けば笑顔が返ってきた。
「全然。フルーツいっぱいでスッキリしているし、コリコリって食感が楽しいですよ! ぜひぜひ!」
お姉さんの笑顔に励まされてエマは頷いた。
「そっちの僕も?」
「いや、俺はいいです!」
慌てて答えるテオを笑いながら、エマは綺麗によそおわれたカップを受け取った。まずは一口、クラゲを口に入れれば、お姉さんが言ったようにコリコリとなんともいえない食感。シトラス風味のドレッシングが絡んでいてとっても美味しい。
「本当だ! とっても美味しい! 私、クラゲが大好きになりました!」
エマの元気な声にお姉さんたちが嬉しそうに笑った。エマは笑顔でもう一口頬張った。クラゲは嫌いだ、絶対に食べないと言いながらも、そんなエマを見てテオもやっぱり一緒に笑った。
その年の暮れあたりからだろうか、マーケットでの評判も良かったため、町のカフェでもクラゲのマリネはサラダの仲間入りを果たした。エマが飛びついたのは言うまでもない。呆れるテオを横目に見かけるたびに注文し、やがてそれはエマの好物の一つになっていった。
午後のカフェ、濃厚なチョコレートケーキを前にミッシェルは鼻歌を歌っていた。彼女は無類のチョコレート好きだ。四六時中研究に没頭していると脳が糖を欲するらしいけれど、ミッシェルの場合はチョコレート。そうじゃないと復活が難しいのだと力説するミッシェルに、ただの好みでは? とエマは思わなくもなかったけれど、確かにここまでカカオを摂取できる人は他にいないから、そういうことにしておこうと考えた。
カフェで人気のチョコレートケーキには週替わりでサプライズがつく。今日はフルーツコンポートだ。エマがじっと見つめているとお皿がさっと横にどかされた。
「あげないわよ」
「ミッシェルのけちんぼう」
「欲しければエマも頼めば? たまには変わったものを食べて気分転換が必要なんじゃない?」
「やだ。クラゲは絶対」
わかっていた返事にミシェルは苦笑しつつも、あっと目を輝かせた。
「そうよ、食べればいいのよ。思うだけ食べて、自信にすればいいんだわ!」
「はあ? クラゲ食べて自信とか、意味わかんない」
「でしょうね、でしょうね。わかるならもっと踏み出せてるわよねえ」
「え? なんのこと?」
「いいのいいの、こっちの話」
「気になる~。なに~? ねえ、なんなの、ミッシェル」
ミッシェルはふふふんと笑うとケーキを頬張った。満足げに目を細める。それを見ながらエマもシトラスがたっぷりのサラダにフォークを刺し入れる。
エマは高等科に進級して明るくなった。イベントに引っ張り出し続けて正解だったとミッシェルは思う。この調子なら、誰に対しても、本当の気持ちを素直に出してくれる日も近いのではないだろうか……。クラゲサラダに舌鼓を打つエマを見ながら、そうであってほしいとミッシェルは願うのだった。
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