第29話 幼馴染はついに自分の気持ちを認める
エマからは見えない席にするからというミッシェルに押し切られて、テオはクライブと一緒に花祭りに出かけた。たった一年前だ。二人で花冠を作ったというのに、それはもう遠い昔のようだった。クライブがテオの背中を叩く。
「ため息、ため息。せっかくの晴れ舞台に水をさしたらダメだよ」
見渡せば金色のチュチュをつけた可愛らしい少女たちが本番前の準備体操などに大忙しだ。ミッシェルがこだわって、少女たちの役を精霊にしたのだと言っていたことをテオは思い出した。少女たちはお揃いのセレンティアの花冠をかぶり、とても嬉しそうだ。精霊かあ。テオは目を細める。あの日のエマの笑顔が重なって見えた。
「ここ、本当にエマから見えない?」
あまりにもピアノがよく見える位置にテオは不安が隠せない。
「大丈夫、大丈夫。今日はね、お客さんたちも舞台に参加なの。踊れない子たちが残念がっちゃって大変だったから、最後のシーンは一緒に踊っていいことにしたの。だからほら舞台前にスペースがあるでしょ。それで、精霊以外にも天使とか妖精とか色々ね。はいこれ、二人の分」
そう言ってミッシェルが差し出したのは金色の仮面だった。クライブが眉をしかめてミッシェルを見る。
「なにこれ? 何役? 魔人?」
「もう、そんなわけないでしょ。そんな禍々しいものは出てきません。天使よ、天使。二人は天使役なの」
「天使が仮面? 見たことないけど」
まだまだ納得しないクライブが反論しても、ミッシェルは笑ってどこ吹く風だ。
「頭が固いわよ! もっと想像力を働かせて。みんなが自由になるっていう意味での仮面舞踏会なの。変装するいたずら好きの天使とかね、いいじゃない。天使が嫌なら精霊のパーティーに紛れ込んでみたかった人とかでもいいわよ。なんだっていいのよ。なりたいものになれるんだから。最後はみんなで踊るのよ。ちゃんと参加してね」
渋々金色の仮面をつけた少年たちは、けれどあっという間に観客の中に溶け込んでしまった。覗き込めばその瞳が何色であるかわかるだろうけれど、こうしてみんなが右往左往している中では絶対にわからない。テオは大きく息を吐き出した。
エマを近くで見られる。エマのピアノを近くで聴ける。でもエマには気づかれない。それはミッシェルの悪巧みというか好意というか……テオはそんな彼女がエマのそばにいて支えてくれていることに心から感謝した。
開演十分前。観客席は仮面をつけた人や羽を背負った人、思い思いのコスチュームに身を包んだ人たちで熱気に溢れていた。小さな妖精たちはしっかりバレエシューズを履いている。金色の仮面をつけたクライブもいつになくそわそわしている。子どもたちの発表会というよりは、町の人たち総出のパーティーのようだ。
かすかな足音に気がついたテオが舞台袖を見れば、花冠をつけたエマが歩いてくるところだった。精霊役の少女たちと同じものをかぶっている。いや、もしかしたらそれよりもずっと手の込んだものかもしれない。あの日テオが作ったような小さな花が何連にもなって揺れていた。
あの日と違うのはそこに編み込まれたリボンが金色だということだろうか。ミッシェルがこの日のために手ずから用意したものだろうとテオは思った。それはエマによく似合っていた。
テオの記憶の中のエマよりもほっそりと見える。金色の巻き毛はさらに長くなり、それが春風にあおられれば、白く華奢な首筋が見え隠れした。エマはあんなに儚げだっただろうか。細くて小さかっただろうか。テオはエマを見つめ続けた。
やがて静かに幕は上がった。テオとエマが何度も読んで夢中になったセレンティア物語。それは、二人の輝いていた時間そのものだったようにテオには思えた。ピアノを弾くエマはあの頃のように笑っていた。花は降ってこなかったけれど、公園は風に舞うセレンティアに包まれているかのようだ。テオにはそれがすべて、喜んでいるエマの力のように思えてならなかった。
エマの能力「開花」。テオは一度としてそれに嫉妬したことはない。初めて見た日からずっと、テオの心の中には花が降り続けている。エマが微笑めば満開の花が、エマが泣けば歪な花が。どんな花もテオの宝物だった。その能力がただ花を咲かすだけでなく、どれほど心地よいものなのか、そばにいるテオにはつぶさに伝わってきた。
心の奥の固く閉じてしまった場所に、そっと触れて開き導いていてくれるような、優しくて温かい力。花を咲かせているのではなくて、花が咲きたいと感じてしまうのだとテオは思っていた。そしてそれはテオも同じだった。決して癒されることはないだろうと思われた傷口を、エマの温かさが幾重にも包んで守ってくれたのだ。
自分の手の平の双葉、発動しない悔しさにテオが泣いたのは本当だ。けれどそれはエマの力とは全く関係ないとテオは思っている。いや、思ったことも考えたこともなかった。周りの多くが騒ぎ立てたあの日だって、テオは何を言っているのか信じられない気持ちでいっぱいだったのだ。
クライブが、テオの能力はエマに反応していると言ってくれたとき、テオはたまらなく嬉しかった。それは、自分も知りえない、潜在意識というか本能というか、そんな深い部分が、自分にとってエマがかけがえのないもの、特別な人なのだと感じている証拠なのだと、そう思ったからだ。
演目の間中、テオはエマしか見ていなかった。彼女の奏でる音にずっと心を奪われていた。エマのピアノは一段と上達したようだと思った。テオは二人で並んで鍵盤を鳴らした日に想いを馳せた。何の憂いもなかった。ただただ毎日が楽しかった。ずっとそんな日が続くと思っていた。
「エマ……」
自分はエマのことを手放せないのだとテオはついに認めた。強がっても、意地を張っても、もう隠せそうにない。正しい片割れかどうかなんか関係ないと思った。たとえ自分だけの一方通行であっても、この気持ちは変えられないだろうと思うのだ。
青い月の日の双子は、もし思う相手がその片割れでないとわかったならば、潔く身を引いた。そう、それは相手への強い想いなのだとテオは気づいた。その人を守ろうとする決意なのだ。その気持ちが痛いほどわかった。
(上等だ。望むところだ! エマを守れるならなんだってするさ!)
それは強がりだ。けれどまたテオの本音でもあった。自分の心を開き、この世界の美しさを教えてくれたエマ。彼女に出会い、彼女に恋をして、テオは幸せな時間を得ることができた。だから、この先もう二度とそんな時間を持つことができなくても十分だと、そう思えた。寂しい、そばにいないことはとんでもなく寂しい、それでも……。
「エマ、大好きだよ」
優しく微笑みながらピアノを弾くエマをテオは見守り続けた。セレンティアの花の冠は、誰よりもエマに似合うと心から思った。
春がゆき夏を越え、やがて始まった中等科三年目も特に大きな出来事はなく、それまでと同じように穏やかに過ぎていった。テオはクライブと一緒に古代フロシオン語にさらなる知識を求めて没頭していったし、エマはミッシェルのよきパートナーとなって精力的に多くのイベントをこなした。そしてまた一つ、違う花祭りを超えて、彼らはいよいよ高等科へと進級したのだ。
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