第27話 幼馴染の決断

 エマにとって初めての夏だった。六歳の時からずっと一緒だったテオがいない夏。テオの誕生日が来ても祝えない夏。それがどれほど大きなことなのか、エマは身を以て知った。

 そんな中、ミッシェルは大きな存在だった。忙しさも一段落した彼女は、約束通りエマを誘い出してくれた。ところが大体が仕事がらみで、エマは苦笑を漏らさずにはいられない。しかしそれがエマにはありがたい時間となった。精力的に動くミッシェルに同行すれば、正義感の強いエマにも責任感が沸き起こり、ため息をついている暇などなくなったからだ。


「ミッシェル、私、傷心なんだよ。ちょっとは優しくしてよ~」


 そう言って泣きつくエマにミッシェルは不敵に笑った。


「私はいつだってエマのベストを考えてるつもりよ。これが優しさでなくて何かしら! さあ、もうひと頑張りいくわよ!」


 セレンティアの申し子のような親友は、これらの仕事を今まで一人で仕切っていたのか。エマは今更ながらにミッシェルの能力に驚かされる。「どういったことないわよ! 私のおばさんなんてね、もっとすごいんだから。そうそう、彼女の息子がもうすぐこっちに来るの。来たら紹介するわね」とミッシェルはこともなげに答え、嬉々としてエマを連れ回した。

 

 その夏、ミッシェルが企画した親子ワークショップは、綺麗に色が残ったセレンティアのドライフラワーを使ってのキャンドル作り。場所はもちろん中央公園、石の広場。公園に咲く他の花たちも混ぜながら、参加者たちは思い思いに仕上げていく。その最後にエマたちスタッフが熱い蝋を流し込む。

 色とりどりの花の華やかさやはしゃぐ子どもたちの声や笑顔。この作業風景を通してエマは癒された。悲しみや苦しみは時間が解決してくれるかもしれないけれど、こうやって外に出て、美しいものに触れたり喜びを感じたりしたからこそ、前向きになれたのだと思った。

 夜の研究室でミッシェルはエマに、セレンティアを嫌いにならないでほしいと言った。テオとあんなことがあった後、そのままだったらきっとセレンティアを見るのも嫌になっただろうとエマは思うのだ。綺麗すぎる思い出に苦しめられ、目の前の現実を受けとめることができず、心がすべてを拒絶して、セレンティアは自分にとって毒のような、不幸の象徴のような、そんな花になってしまっていただろうと。だからこそ、ミッシェルは自分に働きかけているのだ。好きでいてほしいと繰り返すことはなかったけれど、この一連の行動の中にはそんな彼女の心が凝縮されているのだとエマは感じた。


 キャンドルが固まる間、エマたちはセレンティアのお茶を参加者に振る舞った。アイスティーにしてもその香りは健在で、誰もが驚きの声を上げていた。

 それは次回ワークショップの宣伝でもあった。「もっとセレンティアを身近に」常にセレンティアのことを考えているミッシェルの発想はどこまでも柔軟で自由で、まずは生活に溶け込んでいく形からだと、公園でのワークショップを定期的に開催しているのだ。

 花ばかりではない。花が終わってしまっていた今、木は緑に覆われている。ミッシェルはその葉っぱさえも利用した。小さな子どもたちのレースにおける勝者の冠だったり、時には「夏のミノムシ大会」などと銘打ってコスチュームショーをやったり。特別じゃない、けれど特別なもの。心地よくないわけがない。参加した誰もが満足そうだった。


「でもこんなに使っちゃったら……伝説の神木イメージがなんか軽くなったりしない?」


 エマが聞けばミッシェルが鼻で笑った。


「全然! 発想の転換よ、エマ。ここはね、何よりも万能なところを見せるべきなのよ。どれだけ使ったって減ることのない力! よりそのすごさを感じない? 隠すことなく示せば一目瞭然でしょ?」


 なるほど、そんなものかとエマは思った。セレンティアと比べてしまうのはおこがましいけれど、自分の過去を振り返らずにはいられない。有り余る力を受け入れてもらえないことを厭い、隠そうとしてきた日々。開き直って堂々としていれば、みんなが納得してくれたのだろうか……エマは遠い日に想いを馳せる。

 でも……誰もが友好的だなんてなかなか思えないと呟けば、それさえもミッシェルは、当たって砕けろ的回数の問題なのだと言い切った。好意的な人もそうでない人も、多くの人に会ってみないと本当のところはわからないと言うことだ。確かにそうかもしれない。それに……エマはミッシェルと行動を共にして知ったのだ。味方になってくれる人は数だけの問題ではない。ミッシェルのように一人で百人かと思うほどの人だっている。

 ミッシェルの働きぶりや考え方を通して、エマは多くを学ぶことになった。選択肢をいくつも与えてくれて、けれど最後は自分でしっかりと撰び取るべきだと背中を押してくれる。ミッシェルらしい励まし方にエマは感謝しかなかった。

 

 気がつけば夏はあっという間で、秋の気配が迫る中、エマたちは中等科二年へと進んだ。テオのいない夏はテオのいない秋になり、やがてテオのいない冬に雪は降り積もり、新しい年を迎えた。自信がないうちは会ってはダメだとミッシェルに釘を刺されていたエマは、その冬中、自分なりに考え続けた。


「エマ、ピアノの伴奏お願いできるかな」


 去年、エマたちが参加した花冠作り。あの企画は大いに盛り上がって今年もどうだろうかという話が出ていたけれど、同じものではつまらないからと会議を重ねた結果、花冠をつけた少女たちがバレエを踊ることになったのだ。

 セレンティア物語はバレエの中にももちろん取り入れられている。少女たちにも大人気の演目なのだ。抽選で当たった少女たちが花冠を被ってエマの伴奏で踊る。見に来てくれた子どもたちにももちろんミニブーケのプレゼント。

 せっせと花冠を作り続けるミッシェルたちの傍らで、エマはピアノのアレンジを考えたりイメージトレーニングをしたりした。ふと、遠くなった嵐の日を思いだす。


 あの日、落雷によって倒れた木で校門に被害が出た。けれど夏休み前日。生徒はほとんど残っていなかったし、激しい雨の中で急ぎ下校していくイベントスタッフたちは、自分の足元が大変でそれどころではなかった。校門は誰もいない休みの間に修復され、新学年頭の大きなイベントとして、バルデュールが新しい木を何本も移植した。学園前の通りは以前よりも緑豊かになり、校門の工事もその一環だと言わんばかりだった。


 あの嵐の中で何が起きたのか知る者はいない。そう、テオとエマ以外には。あれは夢だったのではないかと当のエマさえ思うのだ。けれど目覚めたエマが見たものは、枯れ果てた花冠だった。自分たちの時間はついに切り裂かれたのだとエマは思った。それは、もう二度と修復できない自分たち。全て現実なのだ。エマはテオを傷つけ、その心の悲痛な叫びがテオの能力を暴走させた。彼を鞭打ち血を流させた。


「行かないで、エマ!」


 テオの声がエマの中に今もこだまする。エマにはどうすることもできないテオの力。大きな大きな力。発動しなければ彼を傷つけることはないというならば、答えが見つからない今、確かなことはもう二度とテオとは関わらないと言うことだ。やはりそれが自分にできる最大のことなのだとエマは答えを出した。

 ぐずぐずとこれ以上決断を長引かせても、何も変わらない。小さな希望にすがりついているだけで、何一つ解決には繋がらないのだ。スッパリと線引きをして初めて、自分たちは歩き出せるのではないかとエマは思った。

 何よりもエマは、自分自身が許せなかった。駆け寄って抱きしめてあげるどころか、泣きながら後ずさった自分を苦々しく思う。それを見てテオはどれだけ悲しかっただろう。もし本当の片割れなら、自分が傷つくことなどためらわず、テオが呼ぶ声に応えてあげられただろうと思うのだ。それなのにエマが思いついたことは、その場から逃げることだけだった。それがテオを助けるためだったとしても、その選択はあまりにあまりだ。


(自信ができたらなんて、そんな日は来ないわ……。誓いを破ったのは私なんだから。決してテオを傷つけないって心の中に刻んだはずなのに。それなのに……)


「ミッシェル、私ね、テオとはもう会わない」

「え?」


 花冠を作る手を止めてミッシェルが目を見開いた。


「何言ってるの? 自信ができたらまた始めればいいんだよ。そうだよ、もう半年以上だよ、そろそろ踏み出してみてもいいんじゃない? エマは変わったよ。強くなった、冷静になった。なのに……ねえ、本気でそんなこと言ってるの? テオくんのこと、そんな簡単に諦められるの?」


 ミッシェルは珍しく怒っているようだった。エマに詰め寄ってそう早口にまくし立てた後、俯いて口の中でブツブツと何かを言っては飲み込んでいたけれど、ついに顔を上げた。


「確かに青い月の呪いとか、まだ何かわからない能力とか、エマが怖がるのも無理ないけど……エマはテオくんを守ってあげたいんでしょ。だったら。テオくんの方がもっともっと怖いんだよ。なのにエマはそこから手を引くの?」

 

 エマは薄く笑った。


「違うよ、テオが抱えているものが怖いわけじゃない。テオを苦しめるのが嫌なの。これは私の問題なの。私がテオの望む本当の片割れになれなかったのがすべてなんだよ。まだわからない? そうかもね。いつかそうなれるかもしれないって私も思ってきた。だけどこの一年、何一つ見出せなかった。それが答えじゃない? 自分の意地だけで、これ以上テオを縛り付けたくない、傷つけたくないの……。テオだってきっと失望してる。あの日の私……。私がいない方がずっとテオは平穏に生きていける。だから……」


 そう言ったきりエマは唇を噛み締めた。涙が後から後からその頬を濡らしていく。ミッシェルにはそれがエマの本心だなんて思えなかった。テオのために一生懸命考えて、自分ができることはそれしかないと思ったエマの必死の強がりだ。


「どうして……。どうしてあなたたちはいつもそうなの。バカよ。バカよ、エマ。未来なんてわからないんだからね、何が起きるかなんて絶対にわからないんだから! 今できないことだって明日にはできるかもしれない! ダメだって自分が決めてしまったら、もうそれまでなんだよ。なのに……どうして……」


 気がつけばミッシェルも泣いていた。いつの間にか休憩時間になっていて、誰もいなくなった研究室の片隅で二人は抱き合って泣いた。少し前にテオに会っていたミッシェルは、同じようなことを言った彼に怒ったばかりだった。どうしてこうもすれ違ってしまうのか。ミッシェルは二人のために声を上げて泣いた。

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