第24話 幼馴染たちは嵐を前に立ちすくむ

 学期末の試験も終わり、あとは調整のような授業を残すのみ。学園はもうすでに休暇ムードだった。みんなが待ちに待った大きな休みを前に浮かれていた。昼休みともなれば多くの生徒が中庭に繰り出し、いつになく賑やかな雰囲気に包まれたのだ。誰もがリラックスしておしゃべりになり、時には羽目を外して大騒ぎしたり。そんな脇をエマはさっと離れて奥へと進む。ミッシェルがいない最後の週、ランチタイムは一人だ。


 苦しげなテオのつぶやきを聞いてしまってから、エマはずっと上の空だった。試験さえどうなったか覚えていない。テオに問いただす勇気などあるわけもなく、己に向けて吐き出されたとしか思えないあのつぶやきが、エマの心を真っ暗に閉ざしつつあった。

 どうしていいのかわからない。どこかに逃げ込んでしまいたかった。今はとにかく夏休みに一日でも早く入ってくれることを願うだけだ。

 ミッシェルには「大丈夫だ、ちゃんとわかっている」と咄嗟に言ってしまったけれど、それは嘘だった。これでもかというほどに打ちのめされ、起こったことを理解しようとすれば心がそれを激しく拒絶した。ただただ、テオのつぶやきが心の中に繰り返されて、その度鋭い痛みが走る。見えないナイフで切り刻まれていくようだったのだ。


 食べきれず残してしまったサンドウィッチをバッグに戻し、エマは少し早めに教室へと戻ることにした。帰りの支度をしておけば、下校の鐘の音と共に誰よりも早く学園をあとにできるだろう。そう思って急ぎ足になった時、わあと歓声が上がった。エマは思わず足を止めて振り返る。

 そこにはクラスの女の子たちに囲まれたテオの姿があった。彼女たちはテオの手の平を覗き込んでいる。せがまれていつものように双葉を出したようだ。テオの双葉は成長こそしていなかったけれど、テオが思う時に出せるようにはなっていたのだ。


「なんで? もういらないって……」


 あんなに憎々しげに握りつぶした双葉をまた見せているテオ。疑問を感じたエマはもう一歩、茂みに隠れてテオたちに近づいた。


「ここまでしかできないんだよね。ずっとやってるんだけど無理なんだ」


 すいぶんと平坦な声でテオがそう言うのが聞こえた。そういう時のテオは少し怒っているのだ。イライラしている。それを隠すように振る舞えば振る舞うほど、テオは鉄仮面のようになっていく。いや、笑顔を見せ続ける。誰もが惚れ惚れするような笑顔を見せながらも、その言葉は冷ややかでとりつくしまもない。だからそれに対峙した人はそれ以上踏み込める気がしなくなるのだ。テオならではの処世術というか……でも、エマはそんな時のテオがあまり好きではなかった。


「テオ、怒ってる。やっぱり双葉なんか嫌なんだわ」


 ため息とともにエマが踵を返そうとした時、また歓声が上がった。顔を上げたエマは信じられないものを見た。テオの双葉がそのまん中から新たな芽が吹いたのだ。「テオくん、すごいよ」「できるじゃない、進んでるよ」「これってもう発動なんじゃない?」女の子たちは大騒ぎだ。さすがのテオもぽかんとしている。


「エマと一緒にやった時は全然だったのに……」


 テオがぽつりともらせば、誰かがすかさず言った。「それって、エマちゃんのせいじゃないの?」そこからさきはもう言いたい放題だった。

 エマの力が強いからテオの力がずっと押さえ込まれていたんだとか、邪魔されていたんだとか。テオの能力は本当はもうとっくに発動していたのに、エマのせいでこんなことになってしまっていたのだと一人が言えば、それはエマがテオの片割れじゃないってことだと誰かが言う。本当にバランスを取ってくれる人ならばそんなことありえないからだと声を揚げた一人に全員が大きく頷いた。


「ということはよ、今ここにいる私たちの方がずっとずっといいってことじゃない。だって、テオくんの能力が動き始めているもん。きっと、ここしばらくエマちゃんと一緒にいなかったからよ。それでよかったのよ。エマちゃんはクロエちゃんの代わりにはなれなかったってことよね」


 エマは足元が崩れ出して真っ逆さまに落ちていくのではないかと思った。目眩がして呼吸が早くなった。


(私のせい? 私がテオの能力を邪魔してたの? あんなにテオが苦しんだのはみんな私のせい……)


 この場から早く立ち去らなければとエマは思った。けれど足がもつれて動けない。そんなエマの耳に最終宣告とも思えるような言葉が飛び込んできた。


「エマは関係ないよ」


 そう、テオが冷たく言い放ったのだ。

 

「ほらね、やっぱり、テオくんはエマちゃんにうんざりなんだ。エマちゃんじゃクロエちゃんにはなれないのよ。双子の片割れなんて無理なんだよ」


 テオの前で勝手なことを言い続けるクラスメイトにテオは頭が痛くなってきた。双葉が成長したことに気をとられていたらこのざまだ。彼女たちは青い月の日の双子の怖さを知らない。

 

(俺がどれだけ、愛する人を傷つけるかもしれない可能性におびえているかなんて、ちっとも知らないくせに……)

 

 だけど説明する気にもなれなかった。そんなテオの前で彼女たちは相変わらず騒ぎ続けている。テオは段々イライラしてきた。


(エマがクロエになれないってなんだよ。エマはクロエなんかじゃない、エマなんだよ!)


 テオはついに声をあげてしまう。


「だから違うんだよ。エマはクロエなんかじゃない」


 大きなため息とともにそう言ったとき、テオは茂みの向こう、揺れる花の隣りにエマがいるのを見た。大きな目がこぼれんばかりに見開かれていた。テオは慌てた。何と言えばいいのだろう。「違うんだ。エマはクロエじゃないんだよ。違うんだ」もう一度そう口走ったとき、エマの目から涙がこぼれ落ちた。クラスメイトたちは依然騒ぎ続けている。走り去るエマに気がついた子はいなかった。テオは追いかけることもできず立ちすくんだままだった。


 けれどすぐにテオは自分の失敗に気づかされる。追いかけるべきだったのだ。その日を境に、テオは自分が完全にエマから切り離されたことを思い知らされる。エマが何かを考えて、距離をとっていることには気がついていた。けれどここまで露骨なことはなかったのだ。それは明らかに今までとは違うものだった。拒絶しか感じられなかった。

 それでもテオにはエマの涙の理由が今一つわからなかった。どうしてあんなに傷ついた顔をした? ジリジリと胸の底からいやなものがしみ出してきて塗りつぶされそうだった。やり場のない気持ちがどろどろとあふれ出して足元に絡みつくようだとテオは思った。


(エマ。エマ……どうすればいいんだ。クロエの代わりにしようなんて思ったことはない。エマだから大事だったんだ。だから伝えたかったのに……。エマはクロエじゃないって、そう伝えたかったのに……)


 心がばらばらになりそうな痛みに、テオはただ耐えるしかなかった。


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