第23話 幼馴染は図書館で語り合う

 図書館の奥まったスペースにある古代言語エリア。テオがその巨大な書架の脇にあるテーブルの端にそっと腰を下ろしたとき、対角線上に座っていた少年がふと顔を上げた。


「へえ、珍しい。こんなところにお客さんだ」

「あ、ごめん、邪魔したかな」

「いや、問題ないよ。初めてだったからちょっと驚いただけ」


 テオの手元をちらっと見て少年が続けた。


「古代フロシオン語に興味があるの?」

「興味っていうか、成り行きっていうか、ちょっと必要に迫られてて」

「ふ~ん。ま、なんかあったら声かけて。多少知識はあるからさ」

 

 そう言うと少年はまた分厚い本のページ上に視線を戻した。手元のノートにはびっしりと何かが書かれている。テオはそっと彼を観察した。同じ制服を着ているから学園の生徒だろう。ちらりと見えた襟元のバッジは自分と同じ色だ。見かけない顔だけど、同じ中等科の一年に違いない。それなら声もかけやすいか、そう思ってテオは自分も運んできた本を広げた。

 その後しばらくして、どうしても行き詰まったテオが声をかければ、多少なんてものではない少年の知識が明らかになる。クライブと名乗った少年はテオの予想通り同じ一年で別のクラスだった。その名字を聞いてテオは首をひねった。聞き覚えがあるような、ないような……。そんなテオにクライブは肩をすくめて見せた。


「両親がちょっと露出多めの言語学者でね、その洗礼を受けまくりの僕は、見ての通り古代フロシオン語オタクってわけ」


 なんでもないことのようにクライブは言ってのけたけれど、テオは仰天した。それは、中等科のテオでも知っている、かなり有名な翻訳家であり研究家夫妻だったからだ。「ちょっとって、それ、どうなんだよ……」テオは思わずつぶやいてしまった。これはまた、かなりの世間知らずかもしれない。

 一方クライブと言うと、古代語仲間が出来たことがかなり嬉しかったようだ。「で、きみの名前は?」と上機嫌で聞いてきた。テオが恐る恐る名乗ると「テオか、今日からよろしく!」と勢いよく手を差し出してくる。それだけだった。なんやかんや言われるに違いないと身構えていたテオは拍子抜けしてしまった。けれどおかげでなんだかものすごく愉快な気持ちになったのだ。


 クライブはテオの質問に律儀に答えてくれる。細かな説明をドンドンしてくれる。けれど、どうしてテオがそんなことに首を突っ込んでいるかなんて言うことは一切聞いたりしなかった。彼の興味は純粋に古代語にあって、その知識をシェアし深めていくことだけに向けられているのだ。頑張っているテオをただただ好ましく思ってくれている。テオは久しぶりに張りつめていたものが解けていくのを感じた。


 それからというもの、テオは時間を見つけては図書館を訪れ、クライブの定位置になっているテーブルを目指した。やらなければいけないと自分を励ましつつも、どこか憂鬱だった調べもの。一人では雲を掴むようだった解読作業。クライブという頼もしい味方を得て、それらはテオが思う以上にはかどっていった。休憩時間には時折プライベートなことも話すようになり、気がつけばテオは、あんなにも嫌だと思っていた「青い月の日の双子」のことをクライブにすべて打ち明けていたのだ。


「タフトの闇かあ……」


 またえらいものに好かれちゃったねえ、と苦笑しながらもクライブの目は真剣だった。


「でも伝承がいつも正しいものとは限らないんだよ。いや、間違ってしまってるものの方がもしかしたら多いかも。言葉はつたなくて勘違いされやすい。想いを伝えるためにあるのに、どこかでねじ曲がってしまう。それが悲劇の始まりさ。青い月の日の双子にはもちろん多くの真実が刻まれてると思うよ。だけど僕はこうも思う。そこには同じ数だけの誤解も結びつけられているってね」


 クライブがまっすぐにテオを見て深く頷く。そしてまたそっと口を開いた。


「だからこそ僕は、言葉に、それももう、ついえてしまった古い言葉に興味があるんだ。無念を晴らしてやろうと思うんだよ。せっかく残された気持ちが、勝手にねじ曲げられてしまったら、残した本人だってがっかりするだろ?」


 テオは大きく息を吐き出した。救われた気分だった。まだなにも見つかってはいないけれど、少しでも行き先が掴めたような気がしたのだ。まずは今取り組んでいる「能力」についてとことん進めてみよう。テオは昨日までとは全然違う自分に驚きつつも、そう心に誓った。

 それにはまだまだ古代フロシオン語を読み解く必要があった。けれど「僕でよければ力になるよ、遠慮なんてするなよ」とクライブが言ってくれたのだ。「だってそれ、僕にも大いに糧になるんだからさ」そう言って目を輝かせる彼に、テオの心はいつになく温かくなった。


 テオは自分の中途半端な能力について悩む中で、フロシオンについてなにも知らなかったことに気づいた。だから図書館に通い、まずはその歴史を調べ始めたのだ。そして、残された古い詩に能力を歌っているものがあるのを見つけた。多くが古代フロシオン語でよくわからない。けれどそこに求める何かがあるような気がしてならなかった。

 そびえ立つ山のような資料の中から何を見つけられるのか、途方もないものを抱え込んでしまったのはわかっていたけれど、その時のテオはとにかく見つけたものに縋りたかった。まずは詩の解読を進めてみよう、そう思ったのだ。幸運なことにクライブに出会い、テオの作業は格段にスピードを上げた。


「生まれ変わる力を導くもの、それは巨大な炎、大きな熱。運命を切り開く痛みに立ち向かい、その手に光をもつとき……」


 広げたノートに写し取られた言葉をテオは見つめた。少し前に取り掛かった章。それは明らかに「促進」でも「開花」でもない能力を指しているような気がした。まだ見ぬ何か。


 テオはその日、初めてクライブに手の平の双葉を見せた。言語以外にはテンションの低いクライブが珍しく身を乗り出した。あっちからこっちから、恐ろしく真剣な顔をして観察を続ける。予想外の展開に驚いたテオが、「え? なに、趣旨替え?」などと揶揄っても、クライブの様子はかわらなかった。じれたテオがクライブを覗き込めば、思わぬ言葉が返ってきた。


「テオ、これって、何かに反応したりする?」

「え?」


 反応……テオは双葉を見た日のこれまでを思い返す。ただそこにあるだけだった。誰かに驚かれても、なあんだと失望されても、ダメだねと笑われても、何の変化も現れない。その度テオの心は、顔には出さないものの、これでもかといわんばかりに激しく揺さぶられていたというのに、双葉は微動だにしなかった。いや時折、そよそよと揺れてはいた。けれど他人の評価などどこ吹く風だったのだ。「俺のものなのに、俺の気持ちなんてお構いなしだったなあ……」自分の双葉の愛想のなさにテオは苦笑するしかない。


「それって、きみによく似てるってことだよね。ポーカーフェイスがお得意のテオくん。だったらエマちゃんは?」

「え? エマ? エマは、これはもうすぐ成長するって言うんだけ」

「違う違う! エマちゃんが見たときはどうだったかってこと?」

「特には……あ!」


 それは正確にはエマが双葉を見ているときではなかった。エマが何かに感動して花を降らせている最中のことだ。急に手の平がむず痒くなったと思ったら双葉が立ち上がったのだ。いつになく性急で何かを必死に求めているような気がしたのを思い出す。降ってくる花に応えんと、一生懸命そっちに向こうとしているような気さえした。思いがけないときに現れてくる双葉が意味することはわからなかった。だけどその時ばかりはテオにも感じられたのだ。双葉はエマの「開花」に反応している。

 次に確かめようと思っても、まだそれをコントロールする術はテオにはなかったから、いつのまにかすっかり忘れてしまっていた。ただそう思って振り返れば、あの頃のかすかな発動は、大体がエマと一緒にいるときで、エマが嬉しそうにしているときだったような気がする。


「能力が能力に呼びかけてるって事もあるよね。お互いの力を引き出し合って高めるっていうかさ。まあ、エマちゃんの場合は特別すぎるからそれと同等となると相当な力だよね。普通ならびびって顔を出さないかもしれない場面で、果敢にも出て来るって……もしかしてテオの双葉は本当、予期せぬ何かかもしれないよ」

「だけど、反応してるって感じたのはそれっきりで、その後確かめたこともないし。なんか俺の希望というか願望かもしれないから……」

「そういうところで遠慮するなよ。何のために僕たち頑張ってるんだよ。手がかりはいくらあってもいいじゃないか。まずはこんなもの、見たことがないというだけでも大きなことだと僕は思うけど?」

「見たことない?」

「ああ、そうさ。こんなの見たことないよ。『促進』ではないことは間違いないね。誰も言わなかった?」

「あ、うん、わあ、すごいとか、不思議とか……でも最後には結局、テオは半分だからこんなことしかできないんだって、そうは言われたけど……」

「なんだ、それ。やっかみかな。『促進』でこんなことできる奴、僕は知らないけどね」


 クライブの言葉にテオはじっと自分の双葉を見つめ直した。こんなものいらないと、つい先日悪態をついたばっかりだったけれど、もしかしたらそこにはクライブの言う通り、なにか手がかりになるかもしれない。フロシオンの能力の謎が解けたら、青い月の日の双子のことももう少し、強い気持ちで受けとめられるかもしれないとテオは思った。

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