第3話 幼馴染は用意周到

 「よ〜し、企画に一番乗りだ!」


 自信たっぷりに言いながら、テオは石の広場の反対側にあるステージを目指した。残りのボンボンは肩から下げたバックのポケットにしまってある。帰り道でまたエマの口に放り込もうと考えるその顔は、これでもかと言わんばかりに輝いていて、すれ違う人が思わず二度見してしまうほどだ。けれど隣のエマの視線は目的地に釘付けで、テオを見上げる暇などありそうにない。でもそれはテオを大いに満足させた。これがエマの通常運転なのだ。


 ステージ前には大きなクロスが何枚も敷かれていた。すでに座っている人たちもいる。これは思った以上に人気が出る企画だったかも、早く来て正解だったとテオは胸を撫で下ろした。その脇でエマがそわそわし始める。


「大丈夫かなあ。私が今いっぱい使っちゃったら、あとの子たち困ったりしないかな?」


 テオが答えるよりも早く、明るい声が響いた。


「大丈夫よ! 安心して。びっくりするほどあるんだから。あっ、籠とか持ってる?」


 二人が振り返れば小柄な女の子が立っていた。緩やかなウエーブが可愛らしい髪は、緑がかった金色で印象的だ。大きめのメガネの奥の瞳は深い緑。同じ年くらいだろうか思いつつ、エマは素早く胸に下げたIDに視線を走らせた。

 そこには「ナーサリー研究員・ミッシェル・バルデュール」と書かれていた。エマがぎょっとしてテオを見上げれば、彼も目を見開いていた。二人がそこまで驚いたのには訳がある。パンフレットにこう書かれていたのだ。


「毎年、若木を移植に十分耐えうるまで成長させる過程で蕾の剪定が行われます。花を咲かせずみんな切るのです。その花は今まで全て肥料に回されていましたが、今年はそれを使って企画を立ててみました」

 そして最後に、責任者として「バルデュール・ナーサリー セレンティア特別室室長ミッシェル・バルデュール」のサインがあった。


(うそ……この子が室長? 中等科くらいにしか見えないんだけど……でもでもバルデュールのミッシェルって、他にいないよね?)


 驚きすぎてとっさに返事ができないエマに代わり、すぐに立ち直ったテオがニコニコしながら答えた。


「小さいのなら持ってきてるんだけど」


(え? なんですって? 今なんて言った?)


 エマはまたまたテオを仰ぎ見た。そんなこと何も考えていなかったのだ。けれどテオはちゃんと用意してあった。さすがだとエマは心の中で唸る。

 もちろん、エマがパンフレットを読んだのはバスの中だったし、事前に知らなければ手の打ちようがない。でももし先に見ていたとして……なかっただろうとエマは思わず遠い目になる。とにかく行く行くとそればっかりで、駆けつけることで頭がいっぱいになってしまっただろう自分が容易に想像できた。


(私ってば、相変わらずの猪突猛進ぶりだわね……)


 密かに苦笑していたエマだったけれど、さらに驚かされることになる。テオがバッグから取り出したのは、小さい頃エマが降らした花を、テオがせっせと集めた籠だったのだ。白いリボンが巻かれた綺麗なその籠は、エマにとって思い出がぎっしり詰まったものだ。

 あの頃よりも当然たくましくなったテオの手にはあまりに可愛らしすぎるサイズ。けれどテオが今もそれを大事にしていてくれるのだと知って、エマの胸がジンと熱くなる。二人はいつもいつも、この籠を花でいっぱいにした。


「あら、可愛い! でもそれじゃあ入りきらないわね。二人だしこれを使えばいいわ」


 そう言ってミッシェルが、蔦で編まれた大人っぽい籠を手渡してくれた。そこそこの大きさがある。けれどテオが持てばしっくりと馴染み、エマはなんだか猛烈な速さで時間が駆け抜けていくのを感じずにはいられなかった。全ては変わっていくし、それを受け止めるべきなんだ、ふとそんなことが胸をよぎったけれど、ミッシェルの明るい声で我に返る。


「ここで作ってもいいし、芝生の広場でのんびり作ってもいいわよ。籠はあとで返してもらえればOKだから」


 ミッシェルに促されてクロスの上に進めば、丁度まん中にコンテナが運ばれてくるところだった。大きな四つのコンテナにはセレンティアの花がぎっしり入っている。覗き込んだエマは思わず感嘆の吐息を洩らした。こんなにたくさんの花を見たことがなかった。


(すごい、すごすぎる。光の宝石箱みたい!)


 エマは、高鳴り始めた胸の前で、両手をきつく握りしめる。興奮のあまり体が震え出しそうだ。「セレンティア、ああ、セレンティア」エマは思わず呟いた。そう、これはセレンティアの花冠を作るという企画なのだ。

 

 町のシンボルツリーとして、町の紋章として、町中に植えられているセレンティア。その金色の花びらはこの季節、風に乗って町を舞う。

 毎年開かれる花祭りの前後には、公園の入り口で配ってくれる枝を持ち帰って花を楽しむこともできた。けれど花だけがどっさり運ばれてくるなんて、エマは今まで一度も見たことことも聞いたこともない。

 町の人たちは誰もがセレンティアを大切にしていたから、落ちた花を拾うことはあっても、まだ綺麗な花を枝から取るなんてことはありえなかったからだ。しかしそれは一方で、大いなる憧れでもあった。

 特別な花、セレンティア。それを冠にしてかぶるなんて、まるで神話の女神のようだ。女の子なら誰もが一度はそんな自分の姿を想い描いたことがあるだろう。今それが実現するのだと思うと、エマの胸はますます高鳴った。


 同時に、たくさんあるから遠慮せずに使って欲しいと言うミッシェルの言葉に、エマはほっとしていた。どんなに憧れていても、自分より小さな子どもたちに残さず作ってしまうなどありえないことだ。だから、花の数が限られているのならできるだけ節約しなければと思ったのだ。けれどそうしたらそうしたできっと、心のどこかでは残念だと思ってしまう自分がいるだろうことも本当だ。

 思う存分できる。じわじわと喜びが湧き上がってきてどうしようもなくなったエマは無意識にテオを見上げた。エマにとって、いつだって最初に想いをぶつける相手はテオなのだ。そのテオがぷっと噴き出した。


「なに?」


 せっかく素敵な気分だったのに、とエマが眉をひそめれば「ごめんごめん、思い出しちゃって。クッキー作りすぎたから今日は好きなだけ食べていいわよって、おばさんが言った日をさ。あの時のエマの顔と今のエマの顔がそっくりだったから、つい」と謝りつつも、テオは肩を震わせ続ける。


「もう……」


 それでもエマは口を閉じるしかなかった。下手なことを言って、これ以上笑われてはたまらない。

 

(でもね、それって当然だから! 好きなものを遠慮せず、好きなだけ手に取れるなんて、まさに子どもの夢! ロマンじゃない。誰だってそんな顔になっちゃうよ。テオだって。それなのに……本当、失礼しちゃうわね)


 仕方なく心の中でそう言って、エマは小さい頃よくやったように、眉をうんと下げて目を細め、鼻に皺を寄せ、唇をとがらせた。自分は怒っているのだと言うアピールだ。

 その顔を見たテオが一瞬はっとして、けれどすぐに弾けるように笑った。それは底抜けに明るい笑顔だった。そんなものを前にしたら、エマも拗ねているわけにはいかなくなる。いつしか一緒になって笑っていた。


「やっぱりエマは笑ってる方がいい」


 ふとこぼされたテオの言葉に、エマは胸の奥がぎゅっと掴まれたような気がした。しばらくこんな風に笑っていなかったのだと気づかされる。今だけは、なにもかも忘れて小さい頃のように楽しもう。エマは改めてそう思うのだった。

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