第2話 幼馴染は画策する

 中等科は、四つの初等科が一つに集まるため学校の規模がぐんと大きくなる。知らない同級生も一気に増える。テオが初日にちらりと見かけたエマは、今まで周りにはいなかったような行動的で感情豊かな女の子たちに囲まれて所在なげだった。

 最初の頃は調整期間だから、割と自由になる時間がある。クラスは違ってしまったけれど、テオがエマの様子を見にいくことも多少ならば可能だった。らしくないエマの様子が心配だったテオは、時間の許す限り彼女の姿を追いかけた。しかし、いつ見てもエマはなんだか居心地が悪そうで、それは日を追って顕著になっていったのだ。


 明らかに何かがおかしい。学園への行き帰り、テオは一生懸命話を振る。ところがエマは弱々しく微笑むばかりで何も言わない。絶対に何かあるとテオは気を揉んだ。それでもエマが心を開いてくれなければ話にならない。エマの見かけによらない強情さはテオが一番よく知っている。エマが言わないのなら、無理矢理その心をこじ開けてはいけないのだ。

 それがテオの行動にブレーキをかけた。けれど、それからしばらくして、テオは自分の失敗を思い知ることになる。エマに避けられ始めたのだ。小さな言い訳が重ねられ、まずは登下校の時間がずらされた。そのうち学園内で顔を合わせても、エマは困ったような表情を見せてさっと身を翻すようになったのだ。悩みを聞き出すどころではなくなってしまった。

 いつだって一緒だったエマの、想像もしなかった変わり様に、テオはひどく戸惑った。今まで当たり前だと思ってきた自分たちの時間が覆されていくのを感じずにはいられなかった。エマから明確な理由が告げられないまま、じりじりと時間だけが過ぎていく。


(聞きたい、聞きたい、問いただしたい。エマ……)


 いつも隣にいるはずのエマがいない時間はなんとも奇妙で寒々しく、テオはペースを乱されぱなしだった。考えるよりも先に口から言葉が溢れ出すようだとエマに揶揄されていたテオが言葉に詰まり、二の足を踏むばかりの日々が続いたのだ。


(なにがいけなかったんだ? なにが起きたんだ……)


 答えを出せないまま、焦りばかりが募っていく。それでも、今エマを追いつめると、さらに事態は悪化するだろうとテオには感じられた。ここはじっと我慢で様子を見るしかないとテオは唇を噛み締めたのだ。

 しかし、一度つまずけば、歯車が噛み合わなくなるように、あれもこれもと調子が狂い始める。ついには言葉だけでなく、得意の強引さにも戸惑いが覆いかぶさって、テオはできないことだらけになってしまった。

 

 テオは声にならない叫びをあげた。小さい頃から裏表なく、いつだってテオには無邪気に接してくれたエマ。その彼女の、自分への拒絶としか思えない態度は思った以上に衝撃的でいっぱいいっぱいだった。完全にお手上げ状態で困り果てた。そんな時、この企画を見つけたのだ。

 

 エマが大好きな花祭り。その花祭りで催されるイベントは、誰もが想像もしなかったようなものだった。そして誰もが夢中になること間違いなしの。これを利用しない手はないだろうとテオは思った。ようやく心の中に、小さな希望の火が灯されたような気がした。


 テオは俄然力を取り戻し、入念に作戦を練った。そして、ここしばらくのことなどおくびにも出さず、今まで通りしらっとエマを誘い出すことにしたのだ。なんやかんや言っても、エマはテオの強引さに弱い。と言って攻めてはだめだ。気づかぬうちに巻き込むのだ。その延長線上でグイグイと事を進めれば、きっと大人しくついてくるはず。テオは確信していた。二人は、小さい頃からそうやって過ごしてきたのだ。そうなれば、エマはまた心を開いてくれるかもしれないとテオは期待を込めた。

 

 


 通い慣れた公園へのバスの中で、大きな瞳を潤ませてパンフレットを読んでいるエマの姿に、テオの頬が緩み始める。作戦は、今のところうまくいっていると言えるだろう。「平静平静、冷静冷静」そう呟きながらテオが頬をさすっていると、ふとエマが顔を上げた。


「ねえ、テオ。シロヤギのパン屋さんがきてたら、アプリコットツイスト買ってくれる?」


 お気に入りのパンの名前がエマの唇から飛び出した。それはテオのよく知るエマの姿だ。テオは泣きたいほど嬉しかった。だから満面の笑顔で即答する。


「ああ、いいよ。今年はトリプルアプリコットっていう新作もあるみたいだからそれも買おう!」


 その返事に、エマは目を輝かせて頷き、またパンフレットに目を落とした。鼻歌まじりだということに本人は気づいていない。テオは心に巣くっていた憂いが霧散していく喜びを噛み締めながら、エマの横顔をじっと見つめた。


 公園に着けば人はまばらだった。それはそうだ、まだ朝一番と言っていいほどの時間だったのだ。けれど、じわじわと高まってくる熱気をテオは感じていた。準備中の出展者も、集まり始めた町の人たちも、みんなこの日を待っていたのだ。盛り上がらないわけがない。もちろんテオも。そして隣りのエマはそれ以上だろうと思うと、テオはもう頬が緩むのを抑えられそうになかった。


 今回の企画は、丸一日続く大掛かりなものだが、割と小さな子ども向けだ。それゆえに、参加者もそんなに早くからは集まらないだろうとテオは考えた。二人にはとっては好都合だ。人の少ない時間帯なら、エマはきっと遠慮せずに楽しめるはずだと、この時間を選んだ。

 

 奥に進めば、石の広場ではシロヤギのパン屋がちょうど商品を並べ終えたところだった。企画が始まるまでまだ二十分ある。まずは腹ごしらえだとテオは約束通りアプリコットツイストとトリプルツイストを二つずつ、さらにおまけのアプリコットボンボンの小袋を買った。


「やだ、テオ。そんなに食べられないよ」


 得意げに両手を掲げてみせるテオにエマは目を丸くしたけれど、芝生の上に並んで座り、頬張り始めればあっという間に完食だ。


「やっぱりね。エマは食い意地が張ってるから楽勝だと思った」

「なにそれ! ちょっと失礼じゃない?」


 ほっぺたを膨らませるエマはすっかりテオの知るエマだ。さらに抗議しようとするエマの口にテオは笑顔でアプリコットボンボンを押し込んだ。目で不満を訴えながらも素直に口を動かすエマ。一生懸命怒ったふりをしようとしているけれど、その表情はすぐに崩れた。


「美味しい……! テオ、これすごく美味しい!」


 満足げに頷いたテオは立ち上がり、ためらうことなくエマの手を握って歩き始めた。


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