短編集

津麦ツグム

第1話 純白

真っ白な部屋だ。

白いリノニウムの床には塵1つ見当たらない。天井一面にLEDの板状ライトが組み込まれていて時間に合わせて微妙に明度を自動で変更する。人間というのは目に入る光があまりにも自然から遠ざかり過ぎると変調をきたしてしまうものなのだと、そんなことを「先生」が言っていた。こんなにも、人間は結局自然から完全に独立して生きていけないように何者かにプログラムされているような気がする。森や海を自分勝手に開発して、自分たちの生きやすいように、やりやすいように捻じ曲げて、そうやって生存してきた癖に。

それは、大いなる創造主の悪趣味な悪戯や皮肉のように僕には思えた。

もしくは昔、メディアで見た家族劇の中の若い男の子の駄々を捏ねた姿と重なって見える。彼は、「反抗期」という十代半ばあたりに良く見られた精神的成熟を得る為に通過しなければいけない精神的揺らぎを抱えていた。親にその身と生活を保障されながら、その事実から目を逸らして親に反抗するという姿がどうにも僕には滑稽に思える。

しかし、自然と人間の関係性もなんだかそんなものと類似して見える点があるような、ないような。

「反抗期」を本当に体験している人間はもう僕の周りにはいない。

最後の世代ももうとうの昔に寿命を迎えてしまっていて、今となってはメディアで見るだけになった。それは、もう架空のものと言っても差支えがない程に現実感の薄れた体験で、むしろ物語を発展させる為だけの装置にも等しい。

僕はメディアを、それも古いメディアを見るのが好きなので、画面の向こうで繰り広げられる精神的な活動をもっと生々しく実感や共感を持って鑑賞することができるのならば「反抗期」というものを一度くらいは体験してみたいものだったと思う。

そう思う僕はどうやら変わり者らしいけれど。

僕の、僕たちの周りには沢山の「先生」がいる。

主に知識や技能を担当する先生、身体の機能が正常か確認をして何かあれば適切な処置をする先生、足や手の動かし方を教える先生、人間同士の意思疎通の図り方を教える先生。

どの先生たちも僕と同じような歳の頃には僕と同じような生活をしていて、そこから適正のある分野を専門的に学び、適正があると判断された仕事を割り振られ、結果ここの先生になる。

ここの先生に適正が見出されなかった人はまた違うところで仕事をしていると、先生は言っていた。知識として外の世界がどういうものなのか、僕は知っているがそれはあくまで知識に過ぎなくて、僕にとってはメディアの向こう側とあまり変わらない。

それは架空との線引きが難しい程に現実感というものが無い。

毎日決められたスケジュールがあって、僕はその通りに日々をこなしている。

この真っ白な部屋は僕のプライベート空間と呼ばれていて、ここで眠ったり、1人でメディアを見たりして過ごす。時間になれば、僕はこの部屋を出て、少し広い身体を動かす為の場所で先生に身体を動かし方を教えてもらったり、僕の部屋より多少広い部屋で同じくらいの知能や技能進度の子供たちと「交流」という名前の意思疎通訓練を行ったりする。

部屋を出るタイミングでAIを搭載した個人用のヘルパーが部屋を片付けたりシーツの洗濯をしてくれる。個々人にあてがわれたヘルパーはその部屋の住人の性質に合わせて行動するのだと聞いたことがあるけれど、比較対象が無いので僕にはそれがどれほど違っているのかよくわからない。ただ、ヘルパーがシーツを洗う時に使う洗浄剤の匂いは嗅いでいると心地良くて落ち着く。先生は「これは薬効のある植物の香りだね」と教えてくれた。

僕はデスクに座った時に真正面に来る壁に嵌め込まれた液晶パネルを眺める。

見たかったメディアは粗方見終えてしまって、手慰みに手元のタッチパネルに触れた。

ぽこん、と液晶パネルの右端に蹲っていたアイコンが小さく点滅する。ネットワークを介して他人と意思疎通ができるアプリケーションのアイコンだが、僕はほとんど使うことがなかったことを初期設定のまま変わっていない通知音とリアクションで思い出す。

起動してコンマ1秒でそれは滑らかな動作で画面上に文字を浮かび上がらせた。見覚えのないURLだった。ロックがかかっていて僕は一瞬パネルを触れる指先を止める。わざわざ送っておいて、ロックをかけるとはどういうことなんだろう。見て欲しいのか、見て欲しくないのか。

差出人は登録されていない場所から飛ばしてきたのか、誰からなのか識別できないようになっていた。識別不能の差出人なんてものは今まで一度として見たことがない。そんなものは「受け取れない」ように設定されているはずだ。かなり強固なセキュリティが張り巡らされた、無菌室のような空間だと僕は思っていた。

危険なものや、有害なもの、それに準ずる全てのものはここに来る前に徹底的に精査されて、制御されている。だから僕たちは安全かつ健全に育成される権利が保たれているのだと、先生はそういっていた。


「面白いものが見たいって思わないか?」

ふと耳元で囁かれた言葉を思い出した。

先々週の「交流」の時間に珍しく声をかけられたのだった。

彼は、なんとなくメディアで見た「反抗期」の少年役に良く似た顔立ちをしていた。鋭い目付きの中に冷たい知性を感じて僕は肺の間を氷でできた掌で撫でられたような落ち着かない気持ちになる。ナオ、という名前で呼ばれていて、僕もナオと呼んでいる。短く刈った髪は薄茶色をしていて、骨ばった腕と頭ひとつ大きい身長は僕の体つきよりもずっと先生たちのような大人の体つきに近い印象を与える。

「なんだって?」

「答えてくれればそれでいい。どうだ?」

「君の面白いと僕の面白いが一緒だったらいいけど」

「面倒臭いこという奴だな。キーは俺のID逆読み、そのくらい覚えてんだろ。秀才」

それだけ言って、ナオはさっさとどこかへ行ってしまった。


ID:dlats-5679-kvbea-43。

ナオだという確信が薄いまま、僕は言われた通りにキーコードを打ち込む。数秒もしないうちにそのURLは正しく起動した。

飛行機が大きな建物に頭から突っ込み瓦礫が陽の光の中燃え光りながら地上へと降り注ぐ。数秒のブラックアウトの後画面が切り替わり、都市のような場所で血を流した人間が路上に倒れ込んで蠢く。大写しにされた若い女性は頭から血を流し、そのあとフォーカスの当たった年老いた男の右腕はどこかに行っていた。健と骨のようなもの、そして千切れた洋服がゆらゆらと男の覚束ない足取りと一緒に揺れている。また画面が変わる。何やら壮年の男が壇上で演説をしている。一瞬言葉が聞き取れず、良く聞いたらそれは僕が普段使う公用語ではない言葉だった。昔あった国の言葉で、メディアを見ながら勉強したお蔭でそのつもりになって聞けば意味が拾えた。

男は何度も何度も、繰り返し戦いを始める、と叫び、その合間に人々を鼓舞するような言葉を発していた。男が戦いを始める、という度に群集の叫び声が呼応するように大きくなる。

また画面が変わる。数秒、報道番組をザッピングして、無理やり繋げているようだった。

使われている言葉が絶えず変わり、出てくる人々の服装や顔も変わる。

視線はそこに縫い付けられてしまったように動かない。再生が終わり、液晶が暗転してようやく僕は瞬きさえも惜しんで夢中になってその映像を見ていた自分に気づいた。

静かになった部屋で、僕はしばらくそこから動けなくなった。

全速力で駆けた後のように心臓が脈打つ。

押し潰されそうな程無音なのに、鼓膜の奥では異国の言葉や僕の知っている言葉が絶えず木霊していた。僕は、映像の中で時折画面のどこかに浮かぶ数字を思い出す。

年と、日付と、時間。記録の為には必要不可欠だ。

それらは今日からそう遠くない時間を指していた。

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短編集 津麦ツグム @tsumugitsugumu

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