キニャカヤッカの雌

 テーブルの上に突っ伏したまま眠っていたラナクは、かねが断続的に叩かれるような音で覚醒し、重たい瞼をわずかに開いて視界が暗いのを確認すると再び目を閉じた。


「起きな、坊やッ! いつまで寝てんだいッ!」


 ラナクはメイナの怒声で文字通り飛び起きると、椅子から転げ落ちて床上へと横ざまに倒れ、「ってぇ……」とぼやきながら上半身を起こして周囲を見回した。暗い室内に彼女の姿はなく、窓の外には明け方前の薄まりかけた群青の空が見える。


「とっとと支度しなッ! 出発の時間だよッ!」


 外から聴こえる声に立ち上がったラナクは、扉を開くなりメイナの上からの鋭い眼光に射竦いすくめられ、上目遣いで「おはよう、ございます。あの」とおそるおそる挨拶をした。


「遅いッ!」


「す、すいません!」


「ったく、昨晩せっかく用意してやった飯も食わないで」


「そのことも、すいません!」とラナクはもう一度謝り、「案内してもらった後にすぐ寝ちゃったらしくて」と言い訳を口にした。


「そんなことはどうだっていいんだよ。それより、アンタたち。テロンに乗ってきたんだろう?」


「え? そうですけど、それがなにか」


「あいつらの脚なら今から出れば明るいうちに帰ってこられる。さっさと嬢ちゃん起こして出発しな。ほら、なにをもたもたしてんだい」


 しどろもどろに「え、あ……はい!」と返事をしたラナクは、足をもつれさせながら慌てて奥の部屋へと向かい、「シャンティ、メイナさんが」と言いつつ扉を押し開いた。


 ラナクは「支度……」と声に出したところで、上半身が裸になったシャンティの後ろ姿を目にし、予想だにしていなかった光景に思わず目を見開いた。


 扉の開く音で振り返ったシャンティが、ラナクの姿を認めるなり「きゃああッ!」と甲高い悲鳴を上げ、「早く出てってよッ!」と手元の物体を彼に向かって投げつけた。


「ごめ」と踵を返そうとするラナクに、「扉閉めてッ!」と叫んだシャンティは、彼と再び目が合うや「見ないでッ!」と追加の怒声を浴びせかけた。




 明るさの抑えられたスピリテアを通り抜け、店内とほとんど暗さの変わらない店先の路地裏へと出たラナクとシャンティは、メイナの「こいつがそうかい」という声のほうへ顔を向けて何のことかと目を細めた。


「えッ⁉︎ もしかして、そこにいるのイブツか?」


 ラナクが驚きの声を上げると、イブツが「はい、そうです。お待ちしてました」と慇懃いんぎんに答えた。


「お待ちって、一晩中ここで? なんで、そんな」


「待っているように言われたので待っていました」


「あ……忘れてた」


 徐々に空が白みはじめるなか、二人のやり取りを見ていたメイナが「なぁ、アンタ」とイブツへ声を掛け、「コイツらをタイメルケルの遺跡まで案内してやってくれないか?」と言い、「もちろん、タダでとは言わないさ」と長い髪の間から不敵な笑みを覗かせた。


「構いませんよ」


「アンタ、見たところ相当ガタがきているようだねぇ」


「ええ。わたくしは本日、廃棄処分となる予定ですから」


 躊躇なく言ってのけるイブツに、メイナが「そうかい。なら、その日をもうちょっと先へ延ばしてやろうじゃないか」と事もなげに言った。


「それは限りなく不可能に近いです。廃棄処分と言いましても、そもそもわたくしの」


「大丈夫、みなまで言わなくてもわかってるさ。続きはアンタたちが材料を採集して帰ってきてからだ」


 そう言うとメイナはラナクとシャンティへ向き直り、「さぁ、話は終わりだ。門の役人に再入境許可証をもらうのを忘れるんじゃあないよ」と言い、「ほら、空が明るくなる前に早く行きなッ!」と三人を追い立てた。




 イブツに案内されて自分たちが入境した門までやってきたラナクは、突然「あぁッ!」と叫び、少数ではあるが早くも往来を行き交っている人々から奇異の目を向けられた。


 着替えを見られたことをまだ怒っているのか、シャンティが「今度はなんなの?」と呆れたような声を上げてラナクに訝しげな視線を向ける。


「ガルのこと忘れてた」


「ガルがどうかしたの?」


 ラナクは「実は昨日」と言い掛け、話したとてガルと再会するすべも探している時間もないと思い直し、「いや、なんでもない。行こう」と口にするやハッとした表情で足を止めるとシャンティを振り返った。


「なぁ、シャンティ。さっきは……あの、その」


 もごもごと言い淀むラナクを無視したシャンティは、「ねぇ、イブツ。これから向かう遺跡にはどんないわれがあるの?」と前を歩くイブツに話し掛けつつ、彼に追いついて横へ並ぶとさっさと先へと行ってしまった。


 門のところにいた役人から再入境許可証を受け取り、世話小屋に預けていたテロンを連れ出したラナクとシャンティは、イブツのまたがるテロンの後に続いてエレムネスの町を出発した。


「イブツ。あの透明な管の中で動いてるのってさ、動力車だっけ? あれも魔力で動いているわけ?」


 先頭を走るイブツに追いついたラナクが、視界の両端に伸びる交易路の一方を指差しながら問うと、「いえ、動力車はダジレオが発している力で動いています」と簡潔な答えが返ってきた。


「そうなると、ダジレオの力は他の五塔にまで届いているのか。ニルベルの塔とは比べ物にならないな」


「そうではありません。確かに強大ではありますが、それでもやはり効力の及ぶ範囲には限りがあります。ですので、密閉された透明な交易路内に力を……そうですね。これまでエレムネス周辺という面で使っていた力を交易路という線の形に集約した、と考えてみるとわかりやすいかもしれません。どうです?」


「まぁ……なんとなく」とラナクは己の左手側に見える交易路へ視線を投げ、再びイブツへと顔を戻すと「ところでさ、今向かってる遺跡で採れる材料のことなんだけど。実は名前をさ、その、忘れたっていうか。一度聴いただけじゃ覚えられなかったっていうか」と煮え切らない言い方をした。


「なにに使われる材料ですか?」


「あー、えっと……なんとかって秘薬で、ギラン? ギリガ?」


 困惑するラナクにイブツが「材料や調合法まで文献に記されている秘薬は十三種あり、そのうちタイメルケル遺跡で採集可能な素材から作られるものは、ギレメセセリガの秘薬と呼ばれる一種のみです」とそつなく答えた。


「それだ!」


「ギレメセセリガの秘薬の調合に必要とされる素材は全部で二十九種あり、そのうちタイメルケル遺跡で採集可能なものは、クレヘリマの未熟果みじゅくか、ニセメリメラに寄生されたデビモバドの卵、キニャカヤッカの雌の三種です」


 ラナクは即答したイブツに「凄い知識量だなぁ」と感嘆の声を上げ、「何年かけてどれほど大量の本を読めばそうなれるんだ?」と訊ねた。


「自発的に本を読んだのとは違います。書き込まれた、もしくは入力されたという表現が近いです」


「ニュウリョク? それに、書き込むって、情報を知るために書いてあるものを読むんじゃなくて、逆にどこかへ書き記すって意味か?」


おおむね合っています。ただ、入力という単語に関しては、代替の単語を持ち合わせていませんし、例えを用いた説明も許可されていません」


「よくわからないけど、それは別にいいよ」とイブツの説明を聞き流したものの、ラナクは彼の許可という言い方にどこか引っ掛かりを覚えつつ、「それで、遺跡まではまだ遠いわけ?」と周囲を見渡してそれらしき場所がないのを確認してから訊ねた。


「いえ、もう見えています」


 イブツの言葉でラナクがもう一度首を回して周りを確認する。視界の両側に延々と続く交易路の透明な管を除けば、草木一つ生えていない赤茶けた大地に人工物の類は見当たらない。あるのはラトカルト周辺に点在しているような高台や岩だけだ。


「イブツは目が良いのか? 俺にはなにも……」


「人間と比較した場合、遠くまで見通せるという意味ではそうです。ですが、わたくしと同じような自動人形の次世代機と比較した場合、その性能は格段に落ちるかと予測されます。着きました」


 イブツは急にテロンを止めて地面へと降り立ち、背の高い細長い岩が四つ並んだ場所へと近づいていくと、右端の最も大きなものの陰へと回り込んで姿を消した。


「え? イブツ?」


 近くの岩にテロンの手綱を結わえたラナクは、イブツを追って彼の消えた岩陰を覗き込んでみた。そこにはイブツの姿も岩肌もなく、あったのは岩の輪郭に沿うようにぽっかりと口を開けた大きな穴で、明かりもないのに地下へと伸びる階段が暗闇の中にぼんやりと浮かび上がっていた。


「ねぇ、イブツは?」とシャンティが姿を現し、岩に開いた穴を見るなり「なにこれ⁉︎」と驚きの声を上げ、「もしかして、これって階段自体が光ってるの?」と目を丸くした。


「凄い! どうなってるのかしら」


 シャンティは独り言にも問い掛けにも聴こえるように言うと、ラナクを背後に残して階段を下りていってしまった。




「嘘でしょ……これって一体どういうことなの」


 シャンティに続いて階段を下りていたラナクは、最下部の光の漏れている戸口に立つ彼女の驚嘆したような声を耳にし、何が起きたのかと残りの踏み段を一つ飛ばしに駆け下りると背後から声を掛けようとした。


「なにがあ」


 ラナクはそこまで口に出して残りの言葉を飲み込み、想像とはおおいに異なる遺跡の姿に目をみはった。


 眼前に広がっていたのは岩肌が剥き出しの、そこらじゅうに瓦礫が転がる狭苦しい洞窟のような光景ではなく、光で満たされた天井の高い空間に、多種多様な植物が生い繁る自然溢れるものだった。奥からは鳥のさえずりや、動物の鳴き声らしきものも聴こえている。


「なんだよ……ここ」


「タイメルケル遺跡です」


 イブツの声がしたほうへラナクとシャンティが顔を向ける。


 シャンティは「ちょ、なによそれぇ」と、イブツの頭や肩にとまった小鳥たちや、彼の身体に巻きついている植物を見て吹き出した。


「ここに生息している動植物たちは人懐っこいのです」


「懐くのは動物だけなんじゃ……って、え?」


 イブツの言葉を訂正しようとしたラナクは、左の足首に違和感を覚えて足元を見るなり、己のすねの辺りにまで絡みついている植物を目にして「うわッ!」と驚きの声を上げた。


「いつの間に、こんな」


「きゃあッ! 今なにかがお尻を」


 騒ぐ二人とは対照的に、イブツは一定の場所で円を描くようにゆるゆると足を運びながら、落ち着き払った様子で「ちょっとでも動かないでいると懐かれてしまうんです」と言い、「長い間ジッとしていると、身体中に巻きつかれた植物によって遺跡に取り込まれ、最終的にはこれら動植物たちの餌や肥料にされてしまいます」と恐ろしいことを口にした。


 それを聴いたラナクとシャンティは、自分たちの身体に絡みついた植物を慌てて剥ぎ取るや、今にも走り出しそうな勢いでそれぞれに足踏みを始めた。


「なぁ、イブツ。早いとこ材料を採集してここから出よう。まずはどうすればいいんだ?」


「そうですね。では、採集のしやすい順番でいきましょう」と小鳥たちがとまったままのイブツが円を描くように歩きながら提案する。


「じゃあ、なんとかの実からか?」


「いえ、最初はキニャカヤッカの雌です」


「ちょっと待ってくれ。それって生き物だろ? いくら採集がしやすいったって、そんな奴を最初に捕まえたら管理が大変なんじゃないのか?」


「心配いりません。キニャカヤッカは身体の大きい雄が獰猛なことで有名ですが、雌は身体も小さく繁殖期以外の時間のほとんどを休眠状態で過ごす、とても扱いやすい生き物なのです」


「そうか。つまり、繁殖期じゃない今は採集も管理もしやすいってわけか」


「そうです。ただし、採集の際に注意すべき点があります」


「注意? 起こさないように激しく揺らすなとか、強い刺激を与えるなとか、そういうことか?」


「いえ、そうではありません。雌たちは伴侶である獰猛な雄の腹部に付着して休眠しているのです」




「それにしても、地面の下にあるっていうのに、この明るさはどうなっているんだ? 蝋燭や松明も見当たらないし、そもそも明かりの色が外のようだなんて」


 顔に当たる草葉を払いけながら、ラナクが誰にともなくそう言うと、前に立って歩くイブツが「遺跡が自発的に生み出す力が照明器具を介して放出されているのです」と説明した。


「もしかして、ダジレオやニルベルの塔が発している力と同じものか?」


「そうですね」


「なぁ、その力ってさ。みんなはただ『動力』って呼んでるけど、特別な呼び名があったりするわけ?」


 初めて即答ではなく、イブツはほんの一瞬だけ躊躇うかのように間を置いてから、「シンドウ」と単語だけを口にした。


「え?」


「通称シンドウと呼ばれています」


「それは、なにから得られる力なんだ?」


「お答えできません」


「まぁたそれかよぉ。どうせ魔力が関わっていたりするんだろ? それで禁忌だから話せないとかってさ。なにがダメだって言うんだよ、まったく」


 ブツクサと文句を垂れるラナクに「魔力は関わっていません」とイブツが答え、突然「待ってください」と左腕を出して彼の行く手を阻むと、「あの白い樹木の根元にうずくまる、膝の高さほどの大きさがある緑と黄のまだら模様の物体が見えますか?」と右手の木立を指差した。


「ああ。じゃあ、あれが……カッチャナ」


「キニャカヤッカの雄です」


 表面に無数の細かいいぼが浮き出た、デコボコでぬめった質感の皮膚をしたキニャカヤッカの雄は、ラナクたちに毒々しい色合いの背中を向けた姿勢で樹木にべったりと貼りついており、未だ外敵の接近には気がついていないようでジッとしている。


「あれだと、雌は雄と樹木の間に挟まれて潰れたりしないのか?」


「潰れません。雄はゲル状の軟質な身体をしていますが、反対に雌は鉱物のような硬質な身体をしているのです」


「へぇ。それで、どうやって雌を捕まえるんだ?」


「そうですね。わたくしたちの安全を第一に考えるとすれば、遠距離からの火炎放射で雄だけを焼き払うのが最も迅速かつ確実な方法であると」


「ちょっと、イブツ! なに言ってるのよ。無益な殺生はしないで」


 シャンティに咎められたイブツは、「わかりました。では代替案として、雄を生かしたままという条件を最優先とした、最も迅速かつ確実な雌の捕獲方法を検索します。見つかりました。少々危険がともないますが、重傷を負ったり死亡したりする確率は極めて低いです」と言うと、周囲に生い繁る草叢くさむらをぐるりと見回し、とある一点で頭の動きを止めるとそちらへ向かって歩いていってしまった。


「あ、え? イブツ、どこへ」


 ラナクが見ているとイブツは草叢へ入る手前で急にしゃがみ込み、何やらごそごそとやっていると思ったらすぐに立ち上がって身体を反転させ、まっすぐシャンティの目の前まで戻ってくるなり彼女の鼻先へ向けて右手をゆっくりと突き出した。


「なに? イブ」


 シャンティが言葉を言い終わる前にイブツが右手を握り込んだ。と同時に、彼の指と指の隙間から深紅の粉末が噴出し、空中に一瞬だけ霧状に停滞した後に消失した。


にがッ! あなた、一体なにを」


「シャンティ。今すぐ走って逃げることを強くお勧めします」


「どういうこと?」とシャンティが憤怒と困惑が混在したような表情でイブツを睨む。


「先ほど掌中しょうちゅうで粉砕したのはアラメタケという、キニャカヤッカの雄が好む香りを放出するキノコです。このキノコの胞子は無機物とは反応しませんが、有機物に付着するとキニャカヤッカの雌が発する分泌物と非常に似た物質を生じさせるのです」


「長いッ! つまり、なんなの?」


「つまり、今のあなたはキニャカヤッカの雄にとって、とても魅力的な繁殖相手として映っているということです」


「イブツ、あ」


 イブツはシャンティの眼前に左のてのひらを翳して彼女の言葉を制すると、「緊急事態です。今すぐ走って逃げてください」と平板な調子で警告した。


「なにが緊急事態よ! そんなこと言って、ニャララカババンの雄はまだ」とシャンティは背伸びをしてイブツの背後を覗き、「あなたの後ろの木にしっかり貼りついてるわよ!」と言い放った。


「違います」


「わかってるわよ! そんな気持ちの悪い生き物の名前なんて、どうだっていいでしょッ!」


「そうじゃない……」と二人のやり取りを見ていたラナクが呟き、「シャンティ、キミの後ろから別な奴らが迫ってきてるんだッ!」と声を張り上げた。


 ラナクの顔を一瞥したシャンティは、首を反対側へ回して己の背後の地面に迫っている無数のキニャカヤッカの雄を確認するなり、「ちょ! こんな大量にどこから出てきたのよぉッ!」と叫びながら草叢の中へと一目散に走っていってしまった。


「イブツ……おまえ、なんてことするんだよ」


「なにがですか?」


「だって、酷いじゃないか。シャンティをおとりに使うだなんて」


「わたくしは彼女の要望通り、キニャカヤッカの雄を生かしたままにせよという条件を考慮した上で、数ある候補の中から最適な方法を選択したまでです。代替案への変更は彼女の要望でしたので、彼女に危険を負担してもらうのが妥当だと判断しました。少々危険が伴うとも事前に警告しましたし、なんら問題はないと思われますが、どこかいけませんでしたか?」


 眉一つ動かさずに己の正当性を訴えたイブツの主張を吟味し、それのどこにも反論の余地がないことを知ったラナクは、降参とばかりに長い溜め息を吐き出してから「わかったよ。考えもせずに酷いって言ったのは謝る。イブツが問題ないって言うなら、きっとそうなんだろ」と言った。


「いえ、人間は間違えるのが当たり前であり、それが機能上の欠陥でないことは承知しているので謝る必要はありません」


 ラナクはイブツの言い方にどこか釈然としない気持ちが残りながらも、「そっか。なら、いいんだけど」と言い、「それで……ニャッカラッカの雌は結局どうやって捕まえるんだよ? シャンティが引き連れていった雄の腹にくっついているんじゃないのか?」と訊ねた。


「キニャカヤッカです。心配いりません。キニャカヤッカの雌は、自分以外の雌が発する分泌物を感知すると、自分が貼りついている雄を盗られまいと身を縮めて臨戦態勢となります。ですが、身を縮めることによって手足が体内に収納されるため、雄に貼りついているのが困難となり、最終的には地面へと落下してしまうのです」


「えっと、それじゃあ」


「地面に近づいてよく見てみてください」


 イブツに言われるまま膝を折ったラナクは、赤茶けた地面へそろそろと顔を近づけつつ「生き物なんてどこにもいないじゃないか」と呟いていたが、無数に散らばる地面と同色の極小の石が突然もぞもぞと動き出したのを目にし、「えッ?」と声を上げるなり身体を若干後ろへと引いた。


「臨戦態勢を解きはじめたようです」


「まさか……こんな小っちゃいのがアレの雌⁉︎ なんか、こう、色々と」


「早く捕獲することをお勧めします。完全に覚醒すると逃げ足が速いので捕獲が困難となります」


「わかった」と地面へ手を伸ばそうとしたラナクは、「あ、でも、他の雌の分泌物で臨戦態勢になるなら、同じ容器へ一緒に入れちゃマズイのか」と自問するように言った。


「大丈夫です。臨戦態勢とは言葉だけで、実際にはただの防御に過ぎません。ですので、接触者に危害を加えてきたり、雌の個体同士で争ったりする恐れもないので、同じ容器内で管理をしてもなんら問題はありません」


 ラナクは「そうか」と答えると、メイナに持たされた荷物の中から緑色の硝子ガラス瓶を取り出し、蠢くキニャカヤッカの雌を次々とつまんでは容器へと落として言った。


「なぁ、こいつらどれぐらい捕獲す」


「何者かがここへ接近しています」


「は? シャンティだろ?」


「違います」


 そうイブツが言うが早いか、シャンティが姿を消した辺りの草叢が音を立てて揺れ出し、ゆっくりと立ち上がったラナクが緊張の面持ちのまま素早くそちらへ視線を向けると、何かが二度くうを裂いて草葉が宙に舞い、その背後から片手に刀剣をたずさえた人影が姿を現した。

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