(2)アウトローぎみ細川君

「ねぇ坂下さん。掃除当番変わってくれない? 坂下さんのとき、一回変わるからさぁ。今日彼氏に会えることになって……大学生だから、日程合わすの難しいんだよね。むこうバイトとかあるしぃ」


 六時間目が終わり、クラスの派手な女子に話しかけられた。特に仲がいいとは言えない人だ。少し離れた場所にいる彼女の友達たちは、薄く笑ってこちらを見ている。こういう場合、だいたいにして、私の当番日は変わってくれないことを知っている。


「ごめんね。図書委員の受付当番があるから、無理」

「ええ~? 二十分くらい大丈夫なんじゃないの?」

 はなから私が引き受けると思っている顔だ。

「ううん。私が遅れたくないから」

 きっぱり言うと、彼女は顔をむっとした。少々媚びていた顔が、可愛らしくなくなる。

「……坂下さんって、意外と言うよね」

「そうかなぁ」


 クラスで埋没した存在がいい。でも、都合よく使われる存在はまっぴらである。

 これ以上言われる前に教室を出た。図書委員の受付は嘘ではないが、そこに向かう歩みはのろい。


 私は男子となるべく距離をおいている。あまり良い思い出がないからだ。何故か――そう、何故か、少し厄介な人に好かれる。好いてもらうこと自体はとても光栄なことだ。それは分かっているけれど、愛情表現が迷惑……困ったケースが多い。

 小学校のときは、髪の毛を引っ張られたり、上履きを隠されたり、下校中追いかけられたり、蛙を突然手渡されたり……。嫌われていると思っていたのに、卒業式のとき「好きだったから意地悪していた、ごめん」と謝られ、好きだったからだとは信じられなかったが事実らしい。


 中学校のときは迷惑さが強まる。日中、移動教室のときなどべったり張り付くようについてくる。または、部活帰りに待ち伏せしていたようなタイミングで現れ、「バイバイ」と言っても一緒に帰ろうとついてくる。そのほか、皆がいる教室で、長期休暇中のお土産だと、プレゼントのアクセサリーを押し付けていく。そのとき全身を覆った鳥肌と、クラスメイトからの冷やかしの視線は忘れない。付き合ってもないのに彼氏のように振る舞う……など、断っても付きまとわれるパターンが多かった。ある男子に言われたのは「坂下さんには何だか許してくれそうで、惹きつけられるものがある」であるが、何が許してくれそうなのかさっぱり分からない。それらの日々を横で見てきた友人からは「ややこしい奴に好かれるフェロモンが出ているとしか思えない。気をつけろ」と評され、一緒に警戒してくれたのだ。

 君子危うきに近寄らず。あれから男子と極力かかわらないように努めたのだ。




「坂下さぁん。そろそろ連絡先ぐらい教えてくれてもいいんじゃね~?」

「いや、あの……スマホあんまり使わなくて。ごめんなさい」

「ははは。そんな訳ないじゃん」


 週一でやってくる図書委員業務の受付が辛くなったのは、ここ最近のことである。本を借りるわけでもないのに、カウンターに張り付いている彼は粘着質の似非イケメンで有名な細川君。先月まではとある上級生を追いかけ、とうとう他校の彼氏が登場して追い払われたという。


「ねぇねぇ坂下さんって案外お高くとまってんね? 遊びに誘っても頷いてくれないし~」

 だったら私に構わないでください。

「雫ー? 貸出する人いないんなら、こっち手伝って?」

「はい! じゃあね細川君」


 名前を呼んで助け船を出してくれたのは隣のクラスの美緒ちゃんだ。今日は当番日でないはずだけれど、おそらく私を心配して来てくれたのだろう。ガラスの向こうの司書室にそそくさと逃げ込む。細川君の顔は見ていないが、うしろで小さな舌打ちの音が聞こえた。


「美緒ちゃん……ありがとう。助かりました」

「おつ。雫、とうとう見つかっちゃったよねぇ……」

「見つかる……」

「厄介な奴にばかり気に入られるからさぁ~細川もいつかは、とは思ってたよ」

「ぐぅ」

「まともな奴に惚れられて、壁になってくれたらいいのにさぁ。まともな奴が寄ってこないし、雫は男に及び腰だし」


 日向君はまともそうだ。むしろ女子人気も高い。問題なのは、そんな彼が、どうして私を、というところである。自分自身を卑下している訳ではなく、これまで言い寄ってくれた男子が皆アウトロー気味なので、もしや日向君もソッチ側なのではないか……と若干疑ってしまうのだ。まことに失礼である。

 日向君に近寄られて嫌な気はしない。肌がぞくぞくする。それが緊張によるものか、違うものかは分からない。


「細川に気に入られる要素はあったとして、キッカケは何なのさ。クラスも別でしょ?」

「英語の学力別移動教室でさ、細川君がいま私の机を使ってるみたいでね。教科書置き忘れててから届けたの……それが初めましてなんだけど、それからかな……」

「親切心がこんなことに。ちょうど追いかける相手がいなかったから、ロックオンされたんだねぇ」


 そこに「私」という中身はないのだ。彼らは何らかの匂いを嗅いで近寄ってきている。私はマゾだか依存症だかに目覚める素質でもあって、それを本能的に感じているのだろうか。私は感じない。


「まともな人かぁ」

「好きな人でも見つければ? それが難しいんだけどさ」


 司書室のテーブルには補修待ちの本が積まれている。ページが取れてしまったものについては、司書の先生からお許しを受けた生徒が直しても良い。取れたページの綴じる側に糊をさっとつけて、慎重に貼り付ける。そっと表紙を閉じ、大きなクリップでとめておいた。

 青春と恋を描いた装丁を指でなぞる。夏を思わせる青色と緑色、それに桃色。

 胸のうちがこのように色づいたら、恋の合図だと思っていいのかな。

 男子を苦手に感じてきたせいで、よく分からない。

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