第8話
◇
さあ、待ちに待った世界の最終日だ。今日で本当に終焉するのかも怪しい話であるのに、仮想世界は大盛り上がり、現実世界は日常を淡々と流していく。おわろうが、はじまろうが、そんなものは僕らの認知の外の話であるのに、まるで自分事のようにそれらを感じ取ることが出来るのは一つの才能だ。
一番の当事者でありながら、いつまでも他人事のような僕とは大違いである。
当然のことながら、登校しても欠席者が目立つということもなく、いつもの通りにカリキュラムは進められていく。当然の話だ。明日がやってきて困るのは、世界中をもってしても僕くらいであろう。
ある意味では、僕は終焉を望んでいるともいえるわけだ。
「予言曰く、今日が最終日ですね。寄り道でもして帰りますか?」
昼食を前に箸を進める彼に問うと、咀嚼と同時に「うーん」と悩ましい声を上げた。
「まだクリアできてないんだよなー。ちょっとでも進めたい」
例の夜更かしの原因であるゲームのことが、どうしても気がかりなようだ。どのような内容なのかも知らないが、彼にとってそう興味を惹かれるというのならば、きっと面白いものなのだろう。
理解はできずとも、共感はできる。……嘘だ、共感しているフリはできているはずである、というだけだ。
他人に寄り添えない僕は、他人の中で生きていくことが苦痛だ。
「そうですか、残念です。どうか冒険頑張ってくださいね」
「おう、打倒魔王だぜ!」
箸を握りしめる彼は、とても楽しそうだ。そのままゲームの話へと会話はもつれ込んでいき、専門用語満載の長い話が始まってしまった。平気だ、彼の話を聞くのは嫌いではないから。
緩やかで、穏やかで、変わりない。刻一刻と変わりゆく世界で、いつこの平穏が脅かされるかもわからない場所に立って、変わらなければいいのにと願った。叶わない、幻想だ。僕らの世界は、どこか本当の現実とは異なる世界だ。
ゲームの物語は、伝説の勇者が世界を脅かす魔王を討伐すべく旅立つ冒険の物語であるらしい。剣に選ばれた勇者、勇者と共に旅立つ力あるもの、知恵のあるもの。成長し、長い道のりを苦難と共に旅して、やがて魔王を打ち倒し、世界に平和がもたらされる。そんなお話であるらしい。彼が言うには、ゲームとしては使い古された王道だという。
彼は勇者となって、世界を救うのだ。
「貴方が勇者ならば、僕は魔王ですね」
「えーっお前俺の味方じゃねえの!? お前が魔王じゃ、俺絶対勝てなさそうなんだけど! 詰むわ!」
思わず笑ってしまった。
僕も、貴方の味方でいたかったですよ。貴方は知らないけれど、僕は今まさにその【魔王】で、貴方が一番、勇者に近しい存在であるのです。画面の向こうの世界も、僕らの世界も、救われずに終わってしまいそうですね。
言えない言葉が多くて、僕は笑っている他になかった。
「せめて魔法使いとかさぁ、勇者サイドでいてほしいなぁ」
「貴方にとっての僕は、そんな殊勝な性格でしたか?」
「いやまあ、確かにお前にヒーローサイドは似合わない感じするけどさぁ。なんだかんだ言ってもお前、根は良い人なんだもん。どうにも魔王って感じはしねぇわ」
僕が良い人に見えているのは他でもなく、貴方が良い人だからなのだろう。誰に懐疑心を抱くでもなく、かといってすべてが悪人に思えているわけでもなく。誰しもに善意があり、誰しもに等しく領域があることを理解している。
だからこんなにも酷い僕を、良い人だなんて思えてしまう。
「そう、ダークヒーローってやつ?」
「大それた役名ですね。それこそ僕には似合いませんよ。せいぜい下っ端程度で精一杯です」
彼が口に運ぶのはお弁当、僕が口に運ぶのは惣菜。家族が彼を愛している証明とも言える気がして、僕はその光景が好きだった。彼にしてみれば、好き嫌い関わりなく詰め込まれるおかずに多少の文句はあるものの、舌に慣れた味は彼を裏切らないようだ。
僕は登校途中に購入した、コンビニのお弁当。大量生産の大多数に向けた、利益優先の色気のない食事だ。同じプラスチックの容器でも、こうも感じる縁に違いが出ようとは。感情とは難しい。
「こんな強そうな下っ端見たことねぇけど」
彼は不満そうに言う。僕に見方であってほしいというのは本当らしい。
「貴方には僕がどう見えているのでしょう……」
素朴な疑問だったが、彼には難義な問いであったかもしれない。返答を求めているわけではないことを感じたのか、彼は考えるそぶりもなく、食事を続ける。
それでいい。何気ない一日でいい。僕には十分なことだ。
「今日で終わりかー。本当かどうか知らんけど、今日の何時ごろになるんだろうな。とりあえず、昼まではきたけどさ」
「そうですね、真夜中かもしれないし、次の瞬間かもしれません」
時間について“はじまりの能力者”は明言していない。あるいは彼女にも細かな時間までは把握できなかったのか、把握していてなお口を閉ざしていたのか。明確な時間を知る機会を僕が奪ってしまったのか。
今更何を考えても遅い。彼女はもう、力なき一般人。誰が望む救世主でも救済者でもなくなった。僕が望んだこと、僕が正しいと信じたこと。
彼女は、涙しなかったろうか。
「どうなるんだろうな、俺たち」
「ええ、分からないということは不安です」
考える生き物である僕らは、分からないことが恐怖だ。分かってしまったらより恐怖になることもあるし、分かったことで恐怖心が取り除かれることもある。そんなもの、中身の分からない玉手箱を開けるようなものだ。開けてしまうその瞬間まで、僕らはその身に起こる予兆と好奇心の狭間で、感情に揺すられている。
いかような未来もあり得るかもしれない、未来が決定されたとて、このような未来もあったかもしれない。そんな事ばかりを思っていても仕方がないのに、どうにも考えてしまう。思考することから、僕らは逃れられない。
本当に脳もなく、葉っぱみたいに生きられたら、それが僕らの最大の幸福なのかもしれない。
「想像も出来ねぇもん、終焉とか言われたってさぁ」
「誰も経験したことありませんから、当然ではありますね」
「そうだよな……」
彼の不安はもっともである。けれど、それも終焉が非現実的で、彼の日常を脅かすものでないからこその感情だろう。本当にその身に降りかかるとなれば、大抵の人間は必死になる。
僕のように、彼女のように。
他人事ではいられなくなったとき、僕らは本性が出る。
「いっそ今すぐ帰って、布団に入ろうかなー。寝てた方が不安じゃなくなる気がする」
「それは不安を感じないだけです。いつの間にか終焉していたというのは、納得いかないと話されていたじゃあありませんか」
「そんな話した気がするな……。どう終わろうと、俺の冒険が終わらないうちは納得いくもんかよー」
一つの冒険を終えれば、貴方はまた次の冒険へと旅立つことでしょう。渡り鳥のように、自らのもっとも好む場所へ、次へ、次へと。
だから、貴方はいつ終焉を迎えても、きっと納得しないだろう。不公平だと、不満げに話をすることだろう。
聞きたい話だけれど、それは叶わない。ふと見た空は夏の様相を挺して大きな雲が立ち上っていた。風のない空は、鳥たちが羽ばたくには苦労しそうである。
こんなにいい日もなかなかない。僕の本日は実に穏やかだ。
「逆に、早々に終焉を望む人もいることでしょう。誰にとってもタイミングよく、誰にとっても最良であることなんてできませんよ」
「そりゃあ確かにそうだけどーぉ」
もっともな意見ばかりがまかり通りなら、もっと単純な世の中になっていたことだろう。彼が納得いかないのも、一つの正しさなのだ。
僕ばかりが正しい世界など、あっていいはずがない。
「こんなのって、ないよ」
ああ、もっと長く続いていたらいいですね。
世界の始まりを告げる物語は多い。世界は歴史も長い。けれど、それが本当にあったことだったのか、実は僕らは知ることが出来ない。歴史も遺物も文化も、別の場所にあったものを複製して移植して、そこに僕らを放り込んだのかもしれない。僕らが本物の歴史なのか、偽物の歴史の上に投げ出されたのか、知ることなどない。
消えてしまう世界なのだから、僕らは偽物だったのかもしれない。神さまにとって、惜しむべきものではなかったのだろう。
ならば、世界にしがみつく僕らは、なんて滑稽なのか。
神さまは残酷だ。
「何事もなく、早く放課後になるといいですね」
真昼の真ん中にある太陽は燦燦と輝いていて、僕らの背中に温かい光をもたらしている。長袖が蒸れる季節になって、薄曇りを喜んでいた空が、今日に限っては快晴であることが喜ばしい。
昼食を終え、気だるく会話を続けたら、あっという間に次へ次へと時間が進んでゆく。流されるままに身を任せていたら、足が着くころにはすっかり日が傾いていた。彼は冒険の旅路へと気忙しく戻っていき、僕には変わらない孤独が訪れる。
眠って目が覚めて、そしてまた、明日が続いていく。それを信じられたら良かったのに。
最後の晩餐は派手に、なんて思いはしたものの、普段手にしない食材の扱い方など知る由もない。スーパーへの買い出しはいつものまま、何日も食べられるように買い置きもした。明日が来ようが無くなろうが、生きていけるようにと。そんなお芝居のような気持ちで。
玄関の鍵を手に取るころには辺りはすっかり暗くなっていて、濃い紫色に名残惜しむ西日をよそに、遠慮がちな月が東に顔を出す。空は、うちゅういろ。昔見た夢のよう。
テレビをつけると、相も変わらない特集ばかりが目に入る。今日が最終日だと騒ぎ立てて、その割に、ベランダの外は静まり返っていて気味が悪いほど。
空想と現実との格差が、僕の不安を煽っていく。
ご仏前を供えて、手を合わせれば家族の食卓だ。一人ぼっちじゃない、みんながそこにいるはずだった。写真の中は木漏れ日揺れる笑顔。緑の庭も、みんなが集まった家屋も、全部全部あの日のまま。
消えてなくなってしまっても、僕の中には広がったまま。
その記憶が消えないから、僕は今日という日を生きて行ける。
食卓を終えるために手を合わせ、少しだけ祈る。感謝ほど重たい感情ではなくとも、僕の糧となったものに対する最低限の礼儀だ。
ふと目を開けると、――暗闇に座っていた。
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