第6話
◇
テレビがうるさい。一人の家に恐怖はなくとも、静まり返った場所に生活の影が薄くなっていくのがどうにも思わしくなく、家庭的な音を求めて賑やかなテレビをつける習慣があった。見ているわけではないので内容など分からない。バラエティーなのか、ニュースなのか。流れる音の違いは、その程度の情報しか拾わない。
それでも今日は少し違った。終焉までの時間がないのだと囃し立てていたのだ。日に日に近づいていくその日だが、場所によってはお祭り騒ぎにもなりかねない盛り上がりを見せているようだ。
楽しいことなど一つもないけれど、最後の時を最高潮で迎えたいという願い自体は感心する。意図的に前向きに生きている感じがして、どうにも人間臭い気がしてならないからだ。
世間的に“おわりの能力者”の存在は、おとぎ話になってしまったようだ。彼女は僕と遭遇したのちも、僕について公言することはなかった。もちろん、僕自身も世間に名を出すことなどしていない。
けれども、世の中は通常通りにつつがない。当然だ。本当に襲来するかもわからない終焉を真に受けて、公共が危機感を覚えることなどあり得ない。一人一人が信じていようとも、集団に信じ込ませることなどできない。
なによりも、終焉が夢物語で終わったとき、僕らが同じように暮らしてゆけるように。一時の感情に、生活を揺るがされるわけにはいかないのだから。
テレビには『“はじまりの能力者”が告げる最後の三日間』という見出しの元、歴史を振り返る特集が組まれていた。消えてなくなってしまうことなど、僕らには想像もできないことなのだ。
彼女が感じ取った時間は、残り三日。
……僕には関係ない時間だ。
平日に変わりはない。彼女が、テレビがどう騒ごうが、娯楽の一種である認識のままならば、やはり日常風景が変わるなんてことはない。決められた時間に決められた場所に、決められた時間を過ごして、今日も過ぎていく。変わったことと言えば同級生の話題くらいであり、情報が錯乱している現状を楽しんでいるかのようにも思えた。
面白半分に信じる若者と、相手にすらしない大人と、食い扶持に持ち上げる人々と、真面目に信じ込んで終焉を待つ人々と。
僕と彼女は、そのどれにも属さない。渦中にいるのは全員のように思えても、そんなことはなかった。
今この世界で、一番神さまに近いのは――僕?
……くだらない。
世界が終わってしまったら。そんな話題は飽き飽きし始めているようだ。無理もない、一年以上もチクリチクリと情報を小出しにされるたびに同じ話ばかりをすれば、いい加減に堪忍袋も限界にさらされるというものだろう。
彼女が救世主となることはない。下手をすれば、彼女は社会に破壊者と呼ばれてしまうこともあり得る。そんな名前が浸透するほどの時間はないのかもしれないが、彼女の望んだ結末はずっと先。
僕だけが破壊者であれば、彼女は救われるのだろうか?
「世界はあと三日ですって。どうしましょうか」
いつもと変わらずに机にくっついている友人に声をかけると、彼はスマートフォンを触りながら、無気力な返事を返してくれた。
「どうしようもねぇよな。結局“おわりの能力者”はいなかったってことなんだろ? よく知らんけどさ」
「終焉を迎えるのならば、そうなのでしょうね」
「いもしない能力者で俺たちに生き残れるかもーって思わせたの、ひどい話だよなぁ。元ネタは神話だったっけ」
歴史の教科書、奥付にひっそりと掲載されている神話。真面目に読んだことなどはない。真実であれ虚実であれ、僕らの目の前に起こっている現実とリンクしない物語ならば、今の僕には必要ない。
過去の能力者の話が、現実であったとも思えない。何度も終焉の危機を乗り越えた世界であるようには思えないからだ。
終焉を迎えずに今日まで生きてきたのならば、今の僕らに終焉を左右する必要がどこにあるのか? 過去でも今でも、消しされた程度の世界であったならば、僕でなければならない理由はなかったはずだ。
神さまが数字の中で生きていたなら、それが僕であったことにも限りなく無に近くとも、理由があったと思えたのに。残念なことに、そんな都合の良い神さまでもなさそうなのだ。
神話は虚実、僕らは初めての能力者。
そうでなければ、僕も彼女も、なんのために苦しんでいる?
「神話は物語ですから。後世に伝えたかったことを、僕たちが間違って伝えてしまったということなのかもしれません」
「翻訳間違えた……とか?」
「さあ、解釈を間違えてしまったのかもしれない。そもそも架空のおとぎ話を信じ込まされてしまっているだけなのかも。考えたらキリのないことです」
誰が書いたかもわからない神話を、僕らが心から信じているのは不自然であるのに、違和感を殺ぎ落とされてしまった。教育に? 常識に? それとも、神さまに?
どう辻褄を合わせようとしても、僕には神さまにしか罪を擦り付けることが出来ない。嫌いだ、嫌いだ。神さまも、人間たる自分も。
世界が終わるというのなら、こんな僕でも、どうか誰かと同じように、平等に、消えてしまいたい。
「本当に終焉するのなら、というお話ですけれど」
彼はスマートフォンを手から滑り落とすように机の上に放って、額をぶつけた。骨の鈍い音が聞こえたけれど、彼から発せられる声はため息にも似た呻きだけだ。
「本当なのかなー。こうも変化ないと不安になるわ」
「こんなことならば、終焉など知る由もなく、ある時突然迎えた方がよかったのかもしれませんね。なまじ知っているばかりに不安を煽られているような気がしてなりません」
能力者を語る神話は歴史のどこかで淘汰されて、まるでなかったみたいに生きて、ある日突然意識を失って、誰も気が付かない。本当ならばそんな終焉が最も美しいのかもしれない。
今となっては、これ以上のホラ話は存在しなくなった。世界は終わることを明言している、救われる可能性があることも、その可能性が潰されてしまったことも、すべて知らされている情報だ。
信じていても、信じていなくても、結論は同じ。
その瞬間が来るまで、僕でさえ、どうなってしまうのかを知らないままなのだ。
三日という時間が正しいのかを知るのは、彼女――“はじまりの能力者”のみ。僕には終焉が分からない。
麻痺してしまったのか、もともとそのような性質であったのか。今更考えて結論を得たところで変わることはないのだろう。
もしや、僕が終焉を知ることはないのかもしれない。そうだったら、きっと幸せなのだろう。
僕は破壊者であっても、それを認知する間もなく消える。そんな結末が僕にとって最も望む姿であるならば、きっと神さまは叶えてくださらないに違いない。
「だんだん終わるってのも、追いつめられる感じがして嫌だけどな。その点は良心的なのかも? って錯覚するわ」
「そうですね。選別されないところは、有難いと思います。生き残れる人間を選んでいますなどと言われたら、僕なぞはすぐに殺されてしまうでしょうから」
「なんだかんだ、お前は生き残れそうな気もするけどな。俺と違って頭いいしさ」
それが基準になるのなら、生き残った人々はきっと勝手に殺し合っていなくなってしまいそうだ。人間の頭脳明晰なんて大概が幻想だ。テストの成績だけで決定出来たら、とっくにコンピューターが世界を書き換えている頃だろうに。
計り知れない何かが人間を演出するのなら、僕らが必死に打ち出している数字は、何の意味があったのか。考えたこともあったが、結局世の中がそう動いているのならば、僕も逃れられないのだと結論して、すっかり忘れていた。それを順応と呼べば、なんだか社会の一員であったような気にもなれたのだ。
「そんなわけがないでしょう。僕を殺しておかなければ、大変なことになってしまうかも」
「なんだよそれ、お前、世界征服でも企んでんの?」
「……もっと厄介な何かを企んでいます。神さまにでも知られたら、真っ先に僕を消してしまうに決まっています」
彼は笑った。
「お前がそんな冗談言うなんてな。勘弁しろよ、本当に三日しかないのかもって思えてきちゃうじゃん」
勘がいいのか、何の気もないのか。彼は笑っている。僕も小さく笑った。冗談でも何でもない、それを知るのは僕だけでいい。
本当は、それで神さまが僕だけを消し去って、それで終わってくれるのならば、一番いいのに。どれほど望んでも、神さまに願いが届くことはない。そんなものはあの日に嫌というほど理解した。
けれど、心のどこかで願ってしまうのは、致し方のないことだ。僕は冷徹でも非道でもない。ただの人だ。強がって、諦めたふりをしているだけの人なのだ。
諦めきれない思いがあって、悪いことなどあるものか。
「あと三日、何をしましょうか」
見事に平日に重なって、残された時間のほとんどがこの学校にいることになる。それも僕の日常の一つの風景なのだから、僕はそれでも構わない。
けれど、彼らはどうなのだろう。真実味があるにせよないにせよ、彼らにとっての最期の三日間はどのようなものにしたいのだろう。
想像もできない、寄り添ったことがないから。
「三日って、意外と短いよな。旅行とか出来るわけでもないしさ。普通に寝過ごしそう」
「それも良いじゃありませんか。普段できないと言えば、できません」
明日を生きるためには、今日すべきことがある。だから本当に一日を無為に過ごすことは容易ではない。先のことを不安に思うほど、今日を生きないわけにはいかない。どんな些細なことでも、僕らは明日のために生きる時間が必ずあるのだ。
最後の三日には、それが必要ない。たくさんの人が信じていないから、こんなにも平穏なのだろう。明日のために生きていくのだろう。
「お前だったら何する?」
背中を曲げて、彼は問いかけてくる。
「そうですね……僕もずっと家にいそうです」
姿はなくとも、あの家には家族がいるのだ。どんな力を与えられたのだとしても、僕が親から生まれてきた人だということを証明してくれる時間。僕が神さまの言いなりになるだけの“おわりの能力者”でないことを教えてくれる唯一の場所なのだ。
僕が誰とも変わりないことを、孤独の中でただひたすらに、自分に言い聞かせて信じ込ませられる。
「最後の三日と言われても、いつものように過ごす他はありません」
「そうだよな。普段できないことを、突然できるようになるとは思えないわけだし。結局いつも通りになるよな、多分」
眠そうに大あくびをして、彼は窓の外を見た。太陽に陰ったクリーム色のコンクリートが壁になって、景色も空もその雄大さを広げることはない。渡り廊下の向こう側はグラウンドが広々と見えるが、いささか緑が少なくて景色としては物足りない。
感動だのなんだの、している暇などない。生活の景色に特殊な感情を抱けるほどのエネルギーは、僕らにはないのだ。
「まあでも、こうして悩んでいる間にも時間は過ぎていくわけで。何にもできずに終わるなあ。今日も眠いしさぁ」
「遅くまでゲームしていたのでしょう。その眠気は自業自得です」
「三日じゃクリアできねえよー。もう一週間はくれっつーの。なぁ?」
僕の返事は決まっている。
「そうですね、もっと時間があると良いのですが」
思ってもいないくせにと、自分で嫌気がさす。彼は優しい人だから、僕がこんなに嫌な人間であることは知らないだろう。気のいい笑顔で「だよな」なんて言葉が返ってきた。
彼の手元にあるゲームにとって、三日の時間は短いようだ。僕にはこんなにも長くて退屈な時間なのに、彼にとってはかけがえのない大切な時間であるらしい。
ああ、こんなにも違うのに、僕らは平等じゃないのに。
「まだまだ死にたくねぇよな」
「……そうですね」
同じ思いでいられたらなんて、とんでもないことを願うのだ。
「だってやっと高校に入ったってのにさ。やりたいこともたくさんあるんだぜ。なんにもさせてくれないなんて、不公平だよな」
「……そうですね」
そうして今日も過ぎてゆく。彼の話も僕の話も、あるようでなかったことになって、確かに言葉を交わしたのに、お互いに曖昧な記憶になっていって。太陽は今日も沈んでいく。
今日も終わっていく。三日なんて言ったけれど、本当はもっともっと瞬きのような時間で、流星のように過ぎればいいのに。
終焉を嫌う彼女の顔が離れない。
たくさん考えたつもりだけれど、いつまでたっても僕の結論が変わらない。彼女のために僕ができることは、どうにも一つしかない。
一つしか、ない。
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