第5話
◇
彼女の姿は知っている。メディアで取り上げられていたからだ。終焉の予告から久しいが、見間違えるはずもない。
はじまりの能力者の少女は、凛と立っていた。僕と同じように、どこか世界から浮いているような気がした。黒い髪は長く垂れさがって、熱っぽい風に煽られている。右に左に揺れるたびに邪魔そうに払って、彼女は僕を見た。
「きみが“おわりの能力者”だね。初めまして、ごきげんよう」
「ごきげんよう、貴方のことは存じていますよ、”はじまりの能力者”。貴方はご機嫌斜めのようで、なによりの知らせです」
冗談混じりに挨拶を返すと、彼女はムッと口元をゆがめた。彼女の願いは知っていて、それでも悠長に構える僕の姿が気に入らなかったに違いない。
彼女は“はじまり”。世界の救世主である。
僕は“おわり”。世界の破壊者である。
相容れないような僕らの存在でも、目的は等しく一つである。彼女は力を肯定し、僕は力を否定した。違いといえば、ただそれだけ。
「……お墓参りに来たのね」
色褪せた赤い煉瓦を見つめて、彼女は呟いた。この場所の存在を認知できる人間は少ない。大抵の人にとってこの場所はなんてことない場所であるはずなのだ。
神さまが、そのようになさったのだから。僕らには運命としか名前のつけようがない、抗いようなどない。
この違和感を悼む彼女は、きっと、良い人なのだろう。
「手を合わせることのできる場所があったら、救われるのでしょうに」
神妙な面持ちを崩さない彼女に笑いかけると、目を逸らされた。
僕が知っていることは少ない。けれど、あれほど情報が露出すれば、集めようと思わずともある程度の情報は集約する。
彼女は、僕と同じ経験を持っている。自分だけの世界を、否応なしに神さまに切り取られた。取り残されて、孤独になって、それが世界にとっては当然のことで、丸裸で世界のすべてを握らされて、放り出された。疑問に思われない世界の違和感に苛まれ、圧し潰されて。それでも希望を捨てなかった彼女と、憎しみを抱いてしまった僕と。
起こった文字列は同じなのに、僕らの結論は真逆だった。
「ああ、ごめんなさいね、世間話をしに来たわけじゃないの」
「ええ、存じています。僕のことを探していたのでしょう」
正しく彼女が探していたのは、世界を救う“おわりの能力者”だ。
けれど、今はまだ僕だけが知っている。彼女にとっての僕は、まるで無意味であることを。世界を救わんとする意思を持たない能力者など、持ち腐れと呼ぶのも甚だしい。
けれど、神さまは残酷な存在で、彼女一人に世界の命運を決定する力を与えなかった。
結論として、はじまりもおわりも、僕の手の中。
――愚かな神さま。それが僕の大嫌いな神さまなのだ。
「世界を新たな“はじまり”へと導くことが、貴方の願い……ですよね」
「分かっていて、今まで名乗り出ることも、役目を果たすこともしていないのね。何故なのか、理由が聞きたいの」
僕らが互いに役目を自覚してれば、出会う必要などない。互いを知る由もなく、ただ淡々と行使し、破壊し、救済すればいい。力と役目に名前があるから、僕らは出会わなければならないように思えても、その実、出会う理由はないのだ。
彼女にとっても僕にとっても、それは言葉が要るような行動ではなかったのだから。
彼女にとって救済は当然のこと。僕にとって当然ではないのは何故なのか。聞きたいことはそういうことだ。
けれど、言葉を巧みに使ったところで、彼女には届かないだろう。
彼女がどれほど熱を入れて語ろうとも、僕に届かないように。
「さて、どのようにお話したところで、貴方の意思は変わらない。ならば、僕が語る意味などありませんでしょう?」
「誰に何を語ることもなく、理由も分からず、疑問を抱いたまま死ねというの? 私だけじゃないわ、世界、丸ごと。そんなの、絶対に嫌」
ああ、貴方も、僕にその死を背負わせる。
与えられた力は、人々のためにならなければ。そんなものは理想、偽善。ならば何故、僕に人を愛するように運命付けてくださらなかったのか。僕に世界を憎ませたのか。
僕の本当の敵は、神さま。
「僕らを殺すのは、僕ではありません」
神さまを信じる味方は、全部が僕の敵。
「僕らを殺すのは、神さまです」
あるがままに、人の手が加わらぬ世界に。
正しい姿がなんであったとしても、僕は、神さまになど加担してやるものか。
「そんなの屁理屈よ、納得できないわ」
「誤解です。貴方の理解は必要としていません」
僕は僕の正しい道を進むだけ。道の上に誰が転がっても、何人が倒れても関係ない。崩れかけた橋を渡る勇気は、とっくに神さまが与えてくれた。すべてを奪った代わりに与えてくれた。
誰に憎まれても結果は変わらない。もう新しい“おわりの能力者”を待つ時間はない。僕と彼女が最後の能力者で、最後を見届ける人間だ。誰にも伝えることなく消えてしまうのかもしれないけれど、僕らは確かにそこにいたのだと、神さまだけが知っている。
僕は、僕らがそこにいたことを、どうしても知らしめてやりたい。簡単に消してしまった僕らが、どんな思いで存在していたのか。
ちっぽけだろう、どうにも無意味になるだろう。
それでも、僕が憎んだことを、忘れさせない。
「神さまに僕らを尊い犠牲であったなどと言わせないために、僕はこの選択をしたのです」
誰に恨まれても、神さまだけを憎み続けることを。
僕らは大いなる犠牲だ、救えた命だったのだ。神さまが見放した世界で、運命だけが僕らに委ねられた。それだけの話で、そんなものは誰も望んでいない。
力だけが、僕らと神さまを浮き彫りにしていく。
「そんなの、貴方の自己満足じゃない……!」
「貴方の救済も、体のいい自己満足のように思えますけれどね」
単純に二極化したのならば、双方に意志があるのも自然なことだ。彼女が正しさを語った救済も、僕にとっては彼女の押し付けもいいところなのだ。
彼女は悔しそうに顔を歪めている。幸せばかりの最期を望んでいられるほど、僕は善人ではない。けれども、認知の範囲にいるならば、笑っていてほしいと願うことは、僕の人間としての性なのだろう。だから苦しいのに、辛いのに。
人であることを忘れられたら、とっとと世界から消えられたのに。
「貴方にとって、世界が在り続けることや、役目を果たすことが正しいことなのだということは、重々承知しているつもりです」
神さまに意志があったら、どちらを望むのだろうか?
「この選択が僕にとって最も正しかったのだと、信じているのです」
歩き出した僕の背中へ、彼女の制止の声が聞こえる。
「待って、本当に時間がないの! 私は……私は救世主でなければならないのよ!」
彼女の背負う期待と羨望は、計り知れない圧力であろう。その多くが本気にしていない終焉だけれど、彼女にとっては確かに訪れるもので、信じてくれる人も少なくないのかもしれない。
焦りに頭を悩ませて、なおも姿を見せない“おわりの能力者”に、彼女はどんな感情を抱いていたのだろうか。
「貴方を救世主にするのは、貴方であるべき。貴方でない誰かに押し付けられた役目と名前は忘れてしまうのが良いでしょう」
どうしても、先立って名前を付けたがるのは悪い癖だ。勇気ある行動と正しい成果に賛美が与えられるというのなら納得もいくというのに、結局何もできない彼女に、名前だけが押し付けられている。
僕なしに、彼女の賛美はない。それこそ神さまが与えた現実。頭がいいばかりに先のことを見通した気になって、彼女を追い込んでいる。
神さまが悪いのか? 人々が悪いのか?
「忘れられた頃に僕らが出会えたならば、その時にお話ししましょう」
彼女の声が届くことはなにだろうけれど。スニーカーが蹴ったアスファルトは黄色く太陽の光を照り返して、南に昇りきったことを喜ぶように暖かかった。
足がもつれる彼女は、僕に追いつくことはなかった。
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