特殊職/被復讐屋 ep3 「池谷という少年の話」
夏の頭の、セミが鳴き始める季節の頃だった。
「子供料金って考えたことあるか」
「子供料金ん?」
「ぼくたちしゅうやみたいにお金とってるわけじゃないからなあ……」
「ちっ、役に立たねえ」
「あーしゅうやひどい!」
「事実だ!事実!じゃあ子供の頃に貰ってた小遣いの額でもいいから何かヒント寄越せ」
「お小遣い……お小遣い」
「ぼく確か月に2500円ぐらい貰ってました。中学生の頃かな。それより前は1000円ぐらいだったと思う」
「私は小学生の頃月3000円ぐらいだったかなー。文房具代込みで」
「ふーん……」
「子供相手に商売しようっていうんですか」
「ちょっとな」
「あ、しゅうやその顔やらしい。子供に見せちゃダメだよ」
「なんだよやらしい顔って」
/
俺の商売は、そもそもがワガタや道也のそれと違って子供相手に商売することを目的とした設計はしていない。
それがこんな気まぐれを起こしたのには当然理由がある。依頼者があまりに真剣にそれを願ったからだ。そういう頼みを無視できるほど俺は悪人じゃないし、そもそも
ただでさえ利用者が少なくて、俺は生きることさえ精一杯なんだから。
例えば、「肩代わり屋」のように利用者側にとって単純明快な仕事ならば良かったかもしれない。
例えば、「道案内屋」のように拡大解釈が容易な仕事ならば良かったのかもしれない。
だけれど、「被復讐屋」──あるいは「殴られ屋」、「殺され屋」?(最近の通称らしい、詳しくはよくわからないが言ってることは正しい)である俺にはそういう利用者側に都合の良い事実はない。
「……よう」
「あ、ふくしゅーやのお兄さん!来てくれたの」
「まあ。ふくしゅーやじゃなくって被・復讐屋な。この前は悪かったな。子供に依頼されるのが初めてだったもんだから面食らって」
「いーんだ、気にしないで。おれ、待つのはとく意な方だから」
年齢にそぐわない笑顔を浮かべる子供だった。
「それよりまた来てくれたってことは、おれ相手に商売してくれるってことだよね?」
「そういうこった。じゃあ契約内容の確認と行くか」
「けーやく?」
「あー、金が関わるだろ、そういうときにする約束事のことだ」
「なるほど!」
子供は素直で良いが、知識がないと契約がスムーズにいかないな。とはいえ、俺もこいつぐらいの時はこんなもんだったか。
「改めて、俺は一野讐夜。「被復讐屋」をやってる。この仕事は、おまえさんが殴ってやりたい、殺してやりたいと思っている相手の顔、姿、形、それから声を真似て、おまえさんに殴られてやる仕事だ。ここまではいいか?」
「うん」
「この仕事には注意事項がある。金さえ払うなら俺のことはどう扱っても良い、一度の利用の上限は俺が死ぬまで。利用後はできる範囲でいいから俺の怪我の手当て……あー、絆創膏でも貼ってくれりゃいい。わかるかな」
「だいじょうぶ。ばんそうこうならおれいつでも持ってるよ」
「そりゃよかった。それと……ああ、いや、これは言わなくてもいいか。どうせ縁のないことだ。まあ、俺が「やめろ」って言ったことはすぐにやめろ」
「うん」
「よし、いい返事だ。最後に、料金は先払い、ただし追加料金になるなら後払い。で、料金なんだが……」
少し目を泳がせる。
「子供料金で、上限額でも1万円だ。その代わり、下限は二千円。一発ぶっても十発ぶっても二千円。いいな?」
「はい」
今までにないしっかりした返事を聞いて、この子供の覚悟めいたものを再確認させられた。
「じゃあ、最後にお前の名前を教えてくれ」
「おれの?……
「駿河の駿か」
へえ、と一拍おいて、お決まりのセリフを一言吐く。
「悪くない名前だな」
「ありがとう」
感謝されると調子狂うな。
「じゃあこれで契約成立だ。教えてくれよ、お前のぶん殴ってやりたい相手のこと」
/
「……で」
詳しく依頼について尋ねて、それを実際にやってみたのはいいが。
「もう20分経つけど、まだかなー」
なかなか、最初の一発すら決まらないときた。
「う、うう……」
「……おまえさ。せめて殴れる相手を指定すればいいじゃん。別に今からでも変更受け付けるぜ」
とは言ってみたものの、反応ナシ。
こりゃ収穫もなさそうだな。あんまり長居しても意味がなさそうだ。
「おーい、あんまり何もしないなら帰っちまうぞー」
「あっ……ま!待って!じゃあ、じゃあかえる!かえる!」
「どう変えるんだ?」
「……じゃあ、おれにしてください」
「お前にか。いいのか?」
「うん……」
言われた通りにする──と言っても、俺の姿というのは主観的な見え方でしかなくて、「姿形を変えますよ」というフリを俺がして、それを依頼人の脳が受け取り、それを勝手に処理し変えてくれているだけなのだが。
とにかく、俺の姿は目の前の池谷駿の姿に変わった。
「やっぱりすごいなあ、まほうみたいだ」
「魔法ってほどいいもんでもねえよ」
それに、魔法と呼べるほど純粋で綺麗なものでもない。俺にも仕組みはよくわからないし。
「……で、おれになってやったわけだけど、おれはどうするつもりなの?」
「……!」
水をむけてやると、漸くその小さな手を拳の形に握りしめた。これでやっと仕事になるってもんだ。
……。
…………。
結論から言ってしまえば、こいつはとてもじゃないが人を傷つけられるようにはできていなかった。
きっと人を傷つけようとすればするほど、こいつの方が傷ついていく。
たとえば、最低限人間をフッ飛ばせるぐらいの腕力があれば。
あるいは、自らの力を自覚して刃物を持ち出すぐらいの勇気があれば。
そもそも、こんな商売を利用しなくても済んでいたかもしれない。
だがこいつにはそのどちらもないのだ。
今だって手を伸ばせば届く範囲にハサミがあるのに、それを使う様子だって見受けられないし(あるいは気付いてないのかもしれないが、それは能動的に使わないのと同じことだ)。
どう頑張っても人に痛みを与えることすらできないその筋力だって同年齢の平均から見ても下の下だろう。
「それじゃふくしゅーどころか、
「!! う……知ってる……知ってるよお……」
「しょーがないなあ」
駿の腕を掴む。もしかしたら昔の俺よりも細いかもしれないぐらい華奢な腕だ。
「まずはこの、えんぴつより重いものが持てそうにない手をどうにかしよっか」
柄じゃないが、お節介を焼かずにはいられなかった。どうやらワガタと道也の癖が移ったようだ。
(ほんとしょーがねえなあ)
ため息を吐く。金にもならない子供相手の商売で、どうしてここまで必死になってるんだか。自分に呆れて、いくらでもため息が出そうだった。
/
「……それで俺のところに来たのか?」
「見ての通り俺もヒョロでガリなんだよ。道也にもやしもやし言ってたが人のこと言えなかったな」
被復讐屋が伝手を持つ中でも唯一感覚が
「とはいうけど、俺も体鍛えてたのは高校出るまでで、人に教えられるほどの知識はないし……」
「役立たず」
「勝手に頼ってきて役立たずとかお前な」
「ハハハ冗談冗談。でもマジな話、ちょっとでいいからなんか聞蹴るって期待してたんだよ。まあ最近内臓脂肪の気になるオジサンには無理だったか」
「な、ば、誰がおじさんだって」
「アンタ以外にいるのかって」
「……」
暫し沈黙。
のちに、
「わかった、わかった……でも古い知識だから、今でも正しいのかはわかんないぞ」
「いーんだそれで。ないよりはマシだから」
被復讐屋は、何時もの耳障りな笑みとは打って変わって「かはは」と明るく笑い、寄越された紙束片手に彼の家を立ち去った。
「……人付き合いがいーんだか悪いんだか、わからないなあの子は」
嵐のように現れ、嵐のようにさっていった子供に一人取り残されたサラリーマンは、ぼやくようにそう呟いた。
/
「そういうわけだから、とっくんをはじめるぞ」
「なんでおれのカッコしてるの……?」
「自分にうち勝て!ってやつだ」
「えぇ……」
文句を無視して讐夜は言葉を続ける。手に先ほどの男から譲られた紙束があった。
「いいかな、まず、おれはきんトレするためのきん肉が足りない、そういうじょうたいだ」
「キン肉が足りてない……?」
「自覚ないのかよ」
「いや……ごめん、ある」
「うん、だろうな」
筋トレをするための筋肉が足りないというのは、鍛えはじめる人間は大体直面する危機らしい。意外なことに、この資料をよこしたやつもそうだったようだ。
「いいか。まずおれたちに足りないものは体力だ。体力がつけばきん肉ってやつはおのずとついてくる。そういうわけだからまずは体力をつけるぞ」
「体力をつけるための運動がしんどい」
「もんくゆーなよ。やるって決めたんだろ」
「……うん」
讐夜は付き合わされる俺の身にもなれよな、と思いながらも、普段はしないタイプの仕事に実は少しだけ愉快な気持ちになっていた。
肉体労働は肉体労働でも、自分の体を傷つけることはしない。確かに体力は消耗するが、いつもの仕事ほど嫌な気持ちになるわけでもない。
もちろん、こんな仕事ばかりしていたら商売上がったりだろう。だが、非日常というのはこうも楽しいものなのか。
ワガタがいつも仕事の時楽しそうな理由が少し分かった気がする。
「きん力つけるのも、体力つけるのも時間がかかるし。もしほんとにしんどいなら、やめてもいいんだぞ」
準備運動をしながら、ふとそう投げかけた。しかして、帰ってきた返事は、
「ううん、やる。二千円、もったいないし」
というものだった。
「ははは。子どもには大金だもんな」
「そうだよ。おれ、はじめてお年玉くずしたんだから」
「そりゃわるいことしたね」
/
手っ取り早い体力づくりの手段というのは、ない。
が、簡単に手を出せる体力づくりというのは、ある。
「もーバテてんのかよ、ほんと体力ないなー」
「う、うるさい……ほんとは大人の人に言われたくない……」
一理あるが、それにしたって俺だって体力はないほうなんだが。
「まだ歩きはじめて十五分なんだけど?」
「十五分って長いじゃん……」
体力づくりを始めてから、一週間が経過した。讐夜は違和感なく池谷少年の隣を歩くため、自分の姿を
このはな町にはそこそこ大きい神社が存在する。池谷宅から歩いて十分ばかりの場所にあり、そこにある大階段を上り下りして体力をつけよう……というのが、当初の目的であったのだが。
初日は神社についた時点で、池谷少年が「むり」とギブアップした。
仕方がないので半ば引き摺るようにして家まで送り届けた。
割りに合わない仕事だ、と讐夜は思った。同じ「子ども」に利用してもらうのでも、年相応に体力がついている子供だったならこんなことにはならなかったかもしれないのに。
「わりに合わないなあ」
「ごめん……」
しかし、この子供を見捨てるつもりにもならないのが被復讐屋のお人好しなところだった。
「とにかく、神社と家をおうふくできるようにならないとな。それにしてもおまえ、学校が近くになかったら死んでたんじゃないのか」
「そうかも……いや、遠くにあったらもう少し体力あったかもね」
「一理ある」
他愛もない会話をしながら、讐夜は池谷少年に肩を貸す。
休み休み行けば一応家まで帰れるようになったのだから、これでも進歩しているのである。進歩してこれかよ、と思えばいいのか、一週間にしては目覚ましい進歩だと思えばいいのか、讐夜にはよくわからなかった。
「うでの力つけるのは神社まで行って階だんのぼっておりて、それで帰ってこられるようになってからだな」
「おれその前に死にそう……」
「死なれたらさすがにこまるなあ」
というのも、実際死にかねない案件があるからではあるのだが。
幸い、タイムリミットは長い。少年には無理のない範囲で無理をしてもらおう。
/
すっかり気温が上がりきって、蝉がうるさいぐらい鳴きわめく季節が訪れた頃、ようやく池谷少年は三十分掛けて家から神社、神社の階段を昇降し、そして神社から家まで帰っても体力が尽きるということがなくなった。
夏休みも残り三分の一といった風情の時期だ。
「ほら、スポドリ」
「んん……ありがとう」
朝方のまだ気温が低いうちを狙って歩いているとはいえ、暑いものは暑い。
よくも音を上げずにここまで続いたものだ。正直、その根気には感心した。
「体力なくても根性あるな」
「お金……」
「がめついだけかよ」
讐夜はハハハと笑って、じゃあ、と次の話題を示す。
「もう十分休けいできたって感じるか?」
「え?まぁ……もっかい行ってきてもだいじょうぶかなって思うぐらいには」
「んじゃ、そろそろもっかいおれのことなぐってみるか」
「……え?」
「言葉通りだよ。ほら、やってみなって」
池谷少年が驚いている間に、讐夜の姿は池谷駿の姿そのものになっていた。
「ちょっと体力ついて体の動かし方分かっただけでも違うもんだよ」
と言われて、思わず流されるままに少年は当初の目的である「被復讐屋」への、個人的な憂さ晴らしをした。
「おー痛え痛え。こうじゃないとな」
「あ……」
「でもまだ足りないな。わかってるだろ」
「うん……」
/
まだ足りない、と言ったしゅうやのことばは正しい。おれが本当におもいっきりぶってやりたいのは、ほんとはぼくじゃなくって、こうきのやつなんだから。
わん力をつけたいならうでたてふせだ、としゅうやは言った。おれもその通りだと思った。
本当はよけいなほねによけいな力がかからないように、ゴムひもみたいなものをひっぱるトレーニングがいいらしいけれど、こっそりきたえたいんだからそういうものを用意しているよゆうはない。
というわけで、おれとしゅうやの「うでたてふせ」のトレーニングがはじまった。
それにしても、なんでしゅうやはいっしょに運動してくれるんだろう?気になってしつ問してみたら、
「まあ、おれも思うところがあるんだよ」
と、ごまかされてしまった。しゅうやは大人だけど、大人のすがたのときもおれに合わせて子どものすがたのときも(そういえばこれ、どういうしくみなんだろう。おれと同じすがたになるのとおんなじなのかな)すっごくほそくて、キン肉がついているようには見えないし、おれを見ててキン肉をつけなきゃとおもったのかな。
とにかく、おれはのこりの夏休みぜんぶ、毎日同じことをした。
毎日生活するのにししょうをきたさない?(むりのないようにって意味らしい)、ぐらいにうでたてして、あとやらないとしゅうやがおこるから(おかあさんみたいだよなあ)しゅくだいもちゃんとやった。
しゅうやはしきりに「まじめだなあ」と言っていたけど、おれはそうは思わない。これが本当はふつうにできて当たり前のことだって、おれは知ってるし。
ツクツクボウシの鳴き声が聞こえる。
夏休みの終わりは、目前だった。
/
「きん肉痛にはなってないか?」
「うん、だいじょうぶ」
「……ちゃんとやれるか?」
「へいきだって。心配しょうだなあ」
「よし、じゃあがんばってこい。ダメだと思ったらおれをよべよ、たすけ船ぐらい出してやるからさ」
「ありがとう。でも、おれ、その……」
「いや、気にすんなよ。一発はもらった、代金ももらった。おれはそれで十分だよ」
「……ありがと」
/
「ありがとう、ひふくしゅう屋さん」
「はいはい。結局、お前の言った通り『復讐屋』になっちまったな」
「これ、えーっと、ちょーかりょー金!これで足りる?」
「……おう」
受け取ったポチ袋の中身には、4分の1に折られた一万円札がたった一枚だけ入っていた。
彼が受け取ってきた報酬の金額の中で最低額の報酬だ。正確には、前回預かった二千円も合わせて一万二千円。
小学生が出すには覚悟が必要な大金だった。
「じゃ、これ、俺からの餞別だ。家に帰ってから開けろよ、絶対だからな」
讐夜はお返しに、とばかりに薄い茶封筒を一枚、池谷の背負ったランドセルに滑り込ませた。
「……今まで受けてきた仕事ん中で、一番割に合わない仕事だったな……拘束時間も、報酬額も」
だが、被復讐屋の顔には今までにない満足げな笑顔が浮かんでいた。
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