特殊職/肩代わり屋 ep3 「篠原観波 前編」

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 生きている限り人間なんていうのは後悔だらけだ。


 例えば、あの時誰かに手を差し伸べられたなら?


 例えば、あの時誰かの話を聞いていたのなら?


 例えば、自分に誰かが救えたとしたら?



 私たち人間はいつだって、たら、れば、という感情の中で生きている。

 これをわかりやすい言葉で「後悔」といい、後悔を飲み込んで生きていける、あるいは、後悔を教訓として受け取って生きていけなければ、そのうち耐えきれなくなって崩壊してしまう。


 人間はいつだって自分の感情と折り合いをつけて生きていかなくちゃいけない。


 でも、自分の感情に折り合いをつけきれなくて崩壊してしまった人はどうなるの?


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 1


 折り合いのつけられない感情自体、人の心には重すぎる。


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「肩代わり屋さん、肩代わり屋さん、あたしの……」


 呪文を唱えかけて、あたしは言葉を止めた。あたしに「重荷」なんて本当にあるのだろうか。言いかけた言葉があたしの心を縛って心臓をバクバク言わせて、喉の奥に息を張り詰めさせる。


 重荷なんてもの、あたしの方にはホントは乗っかってないのだ。

 それなのに、肩代わり屋さんに縋っていいのだろうか?


 ケーヤクを破るとひどい目に合うと聞いたことがあるし、それにあたしには肩代わり屋さんに頼れるような身分じゃない。


 結局、あたしは本来の呪文の代わりに、ちょっとだけ違う言葉を絞り出した。


「あたしを、助けてください……」


「ええ、ええ、もちろん。私はそのためにいるんですからね」

「えッ!?」


 あたしと同じぐらいの背の丈の女の人がそこには立っていた。つややかな茶髪をヘアピンで左側にまとめた、重そうな鞄を持った人だった。


「肩代わり屋さん、おいでになったわよ。助けて欲しい、って、素敵な呪文のアレンジね。私は結構好きよ」


 女の人はにっこりと笑った。以前聞いたことのある、「肩代わり屋さん」の特徴そのものだった。


「私は『肩代わり屋』。あなたの心の重荷を肩代わりする仕事を生業にしています。報酬はあなたの大事なもの一つ。後払いです。あなたが納得いかなければ──つまりは心の重荷が取り払われなかったならば──報酬は、いただきません。この条件でかまわないかしら?」

「あ、あ……えっと……その、違う、違うんです」

「違うの?」


 言葉に詰まる。助けて欲しいと思っているのはその通りだけど、そうじゃない。

 そもそも他者に助けてもらえるような立場でもない。自業自得だし、全部あたしのせいだから。


「……とりあえず、話だけでも聞かせてもらっていい?そんな顔してる子を放ってほど、私も薄情じゃないし」

「話、するだけなら……」


 あたしは思わず目を逸らす。肩代わり屋さんの目は真っ直ぐで、見つめ続けたらおかしくなってしまいそうだった。悪いことしたあたしの心を見透かすような真っ直ぐな目は、なんて恐ろしいんだろう。


「……あたし、クラスの子を……その……」


 言いにくい。

 善意の瞳が恐ろしすぎる。


「……無視……してるんだ」


 肩代わり屋さんの大きな目が、はっと見開かれた。そりゃあそうだ、驚くよね。

 あたしは悪いことをしてて、それによって生まれた罪悪感を人に押し付けようとしているんだから。


「……承ったわ。あなたの重荷、お受けしましょう。もちろん、あなたさえよければだけど。私は『肩代わり屋』、和肩三槻。この名において、契約を必ずや遵守すると誓いましょう。あなたの名前は?」

「あ……」


 あたしの気持ちとは裏腹に、肩代わり屋さんは力強く頷いた。きっと話したところで呆れられるか、怒られるかだと思ってたのに。あたしは……泣いていい立場でもないのに、ちょっと泣きそうになっていた。


「……あたし、篠原しのはら観波みなみです」

「観波ちゃんね。これからよろしくね」


 差し伸べられた手を握る。温かい手だった。


「じゃあ、その、話しづらいかもしれないけど、詳しく話を聞かせてくれる?」


 微笑んだ顔はあたしに向けられちゃダメなぐらい暖かかった。肩代わり屋さんは優しい人なんだ、という評判は、確かなものなようだ。


「あの、ほんと、くだらないことなんですけどね……」


 あたしは、とりあえずなんでこんなことになったのかを思い出すことにした。


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 2


 魚は地上じゃ息できない。


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 その日の朝、教室は窒息しそうな空気だった。

 なんでそんなに雰囲気が悪いのかは知らなかったけど、何かがあったことだけは、俯いためがねの子と不機嫌そうな音衣子の顔だけでよくよくわかった。


 あたしは巻き込まれたくない一心でその日は大人しくしてようと思ったんだけど、もちろんそんな状態が長く続くわけもなく。音衣子は、トイレで手を洗ってるあたしに声をかけてきた。


「観波、今日から花菱と関わんないでね」


 その、肩代わり屋さんにもわかると思うんですけど、音衣子はすっごく怖いし、友達もたくさんいるんです。本当に友達かどうかは知りませんけど。あと、先生にもなんでか気に入られてるから、先生にいったってどうせ信じてもらえないし……。まぁ、ともかく。どうせ、クラスメイトはみんな、こう考えています。

 音衣子に逆らったら、ろくなことにならない。

 自分はそうならないように、花菱さんに身代わりになってもらおう……って。

 あたしもそうだから、これはわかります。関わりのない子が俯いて、傷ついてくれているうちは自分の心には決して傷がつかないわけだし。


 花菱さんはずっと孤立してたから、あたしにしてみても、みんなからみても、きっと都合がよかったんです。音衣子からしてもそれはきっとそう……。


 でも、本当は、あたしは、いやなんです。今のでわかると思いますけど、誰かを無視して得る平穏ってすっごく脆いじゃないですか。水に濡らした半紙でもこれより脆くないです。

 ……いつ「次」にターゲットが映るかわからない、その「次」が自分でないとは限らない、って意味です。


 これは保身ですよ。誰かに害されたくないから誰かを害したくないって言う保身でしかないんです。でも、今、あたしはもっと最低なことに、自分可愛さに花菱さんを無視していて……。それで、その罪悪感にすら耐えられなくなって、いま、肩代わり屋さんを呼んだんです。


 ごめんなさい。普通、こんなことで肩代わり屋さんを呼びませんよね……。自分で乗り越えなくちゃいけないことなのに……。


 /


 それきり、観波ちゃんは黙って俯いてしまった。


 罪悪感というのは、それだけで結構な重量の荷物であり、同時にきっと現代に生きるほとんどの人間が心のどこかに背負っている荷物だろう。蔓延率の高い病と言っても過言ではないかもしれない。いっぽうで、罪悪感というのは人を酔わせる最悪のアルコールでもある。自身の罪を認めているというふりをしながら、さながら自分が悲劇のヒロインであるように振る舞える代物だ。

 観波ちゃんが、罪悪感に酔っていないとは言えない。だけれど、それはあくまで観波ちゃんが自分の心を守るため無意識に防衛機制を働かせているだけであって、誰かが責められるようなものではない。


 当然、彼女だけが悪いわけでは決してない。もちろん、彼女に非がないというつもりもないけども。


「今まで、たしかにこういう用事で私を呼んだ……いえ、こういう用件で私に重荷を取り払ってもらえた人はいなかったわ。でも、今日、観波ちゃんは私を呼んで、そして……私は契約するって言ったの。肩代わり屋の契約は絶対よ。必ず履行されなければならないの」


 だから、私はやり遂げなければならない。


「それに、ある意味で……これは、私の命題のようなものだから。遅かれ早かれ、いつかは担当する案件だった。だから、あなたのお手伝いは必ず、最後までさせてもらうわ」


 命題と言うとあまりにも彼女にとっても重くのしかかりすぎる言葉かもしれない、とワガタは少し考えた。

 けれど、同じ過ちを犯したもの同士だ。代理と言うわけではないけれど、同じぐらいの重みがあるということぐらい受け止めてもらわなくちゃ困る。


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 とはいえ、被害者ではなくて消極的加害者の側の視点からこういう案件を解決しようとするのは初めてなので、正直どうすべきかは悩んでしまう。


「まずは作戦を立てましょう」

「作戦……ですか」


 観波ちゃんの自分の部屋でお話ししようと提案したら、観波ちゃんは「自分の部屋はない」と言うので、仕方なく場所を変えず寂れた屋上で作戦会議を始めることにした。

 それにしても、中学二年生なんてお年頃なのに自分の部屋がないのってちょっと大変そうだ。このぐらいだと家族と一緒にいたくないとか、ただ独りになりたいとかそういうこともあるだろうに、家の中にいたらそれが許されないなんて。

 脱線してしまった。ともあれ、私たちには作戦が必要だった。


「どういう作戦ですか?」

「現状を一瞬で打破する最強の作戦!……うそうそ、冗談よ。そんなものあるわけないでしょ」


 あったらとっくに全国各地のいじめ問題は解決してるって。


「あのね。まず前提条件として、あなたは加害者であるという自覚をもってもらう必要があるの」

「……加害者」


 観波ちゃんは考え込むように黙り込んだ。実際、彼女は『花菱さん』という人に対しては完全に加害者だ。同時に、言うまでもなく、『音衣子』さんという人に対しては被害者でもあるわけなんだけど。


「その上で一つ質問。あなた以外で、自分と対等の立場で『加害者』であるといいきれる人はいる?」

「ね……いや。対等の立場で、ですか」

「そう。音衣子さんって子は対等じゃないように感じてるのね」

「当たり前ですよ!だってあたしたち、いつだって音衣子に抑圧されてきた。やりたくもないことを音衣子が怖いからやってたんだ」

「そのあたし『たち』っていうのは、誰?」

「あ、それは……。あたしの友達とか、ほかのグループの子、とか。音衣子と完全に同じグループってわけじゃない子たちは、みんな、だいたい、そう考えていると思います」

「そっか」


 心当たりがあるならそこまで難しい話にもならないかもしれない。何より私には、預かった重荷の中身を覗くっていう反則的な技だって、扱おうと思えば扱えるのだから。


「じゃぁ……その子たちに、私の噂を広めてくれる?」

 え……ええぇ?」


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 3


 向き変えて見方を変えて、味方を変えて。


 /


 一週間後の放課後、図書室にて。


 花菱さんは相変わらず無視されていて、音衣子は相変わらず傲慢に笑っていた。

 男子はそんなのどこ吹く風で、何にも気付いてないみたいに花菱さんにも音衣子にも声をかけていた。……もちろん、そんなものがあたしの救いになるわけじゃない。花菱さんの救いになっているとも思い難い。

 そもそも、元から孤立していた花菱さんが、今の状況を苦に思っているかどうかもあんまりよくわからないわけなんだけれど。


 あたしは帰宅部なので、特に放課後に学校に残る用事もないのだけど、ママには「ちょっと勉強してから帰る」なんて殊勝なメールを送って、でも別にあたしは勉強をするでもなくラノベをぼんやりと読みながらワガタさんが戻ってくるのを待っていた。



 この街にいる中高生なら誰でも知っている噂話を、改めて広めろと肩代わり屋さん……ワガタさんは言った。

 半信半疑の、だけど当然の都市伝説を今更みんなに広めたところで、効果なんてあるのか?とあたしは思っていたのだけど、思いの外効果は絶大だった。



 肩代わり屋さんはといえば、忙しそうにあっちへいったりこっちへいったりしながらその合間にあたしの様子を見にきてくれていた。


「忙しそうですね」

「冬休みと夏休みの次に忙しいわね!」


 肩代わり屋さんはにっこり笑ってそう答えてくれた。肩代わり屋さんにも繁忙期ってあるんだ……。あ、インターハイと受験かなぁ。


「でも、こんなことして何か意味があるんですか?」

「私が今重荷を肩代わりしている子たちには、特に意味はないわ。なにしろ、罪悪感っていうのはすくってもすくっても絶え間なく湧き立つものだから。でも、私には意味があるの。この鞄は私が『重荷を肩代わりするもの』を示すっていう記号としての意味もあるけど、実務的に実際にこの鞄に形而上のものをしまっていたりもするのよ」


 よいしょっと、と、ワガタさんは大きな鞄を床に下ろす。床がみしりと悲鳴をあげたのを聞いて、あたしは思わずワガタさんの肩を見つめてしまった。


「……まず、あなたに了承をとる必要があるわ」

「え、なにを」

「この鞄を開くこと」


 カバンぐらい好きに開けばいいのに、と言おうとしたところで、ワガタさんがそっと口を開いた。


「あのね。この鞄を開けたら、この中にいっぱいいっぱいに入ってる、私がこの学校で集めた重荷が全部……あなたの肩にのし掛かるわ」

「え?それって」

「大事な重要な必要な情報だけを絞って見るのはできないの。それに、私にはこの中身を見ることはできない。あなたの仲間になってくれる人を探すのは、あなた自身にしかできないの」

「でも……それってつまりこの……これだけ重い、いろんな気持ちが全部あたしにのしかかってくるってことですよね」

「そういうことになるわ。耐えきれるかどうかも、わからない」

「他に方法は……」

「あなたは一人ひとりに危険を冒して『音衣子に反感を持っていますか』って聞くつもりなの?それが嫌だから、私に頼ったんじゃないの」

「う……」


 図星だった。まるで自分のことであるかのようにワガタさんは私の心境を見透かしていく。


「……そう、でした」


 あたしは顔を上げる。ワガタさんの目を真っ直ぐに見た。

 きっと、あたしの背負った重荷があたしを苦しめているよりもずっと、花菱さんのほうが苦しいはずだ。だったら……あたしが、このぐらい耐えられなくてどうするっていうの。


「やります。お願いします、ワガタさん」

「……ええ。もちろん」


 ワガタさんは『その答えを待っていた』とばかりに、にっこりを微笑んだ。


 それから、そっと鞄の留め具を外して──。


 /


 幕間、または3.5


 酸欠の水槽と、溺死の魚。


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「みのりせんせ」

「……三槻」


 保健室の扉を開くと、期待した通りの女性ひとがやっぱり養護教諭の席に座っていた。


「生きた人間を相手に商売してるなんて思わなかったよ、零さん?」

「もう御法礼屋は廃業したからな。死んだものを相手にする商売はやっぱり割りに合わない」

「はいはい。あのね、この子お願いしていい?」

「うちの生徒だからな、当然だろ。……どうしたんだ」

「鞄開けたの」

「はぁ……お前はまたそういう無茶をして」

「この子なら多分大丈夫だと思ったからね」

「どうなっても知らんぞ」

「私も知らないよ」


 悪びれないようにワガタがいう。見法零──元・失われた子供たちロスト・チャイルドの一人は、困ったように肩を竦めた。


「コーヒーでも?」

「砂糖はたっぷりね」


 まるで、ロスト・チャイルドになったばかりの頃のようだった。零は、無理もないことではあるが、こうも荒れていると仕事にならんだろうに、と余計な老婆心を膨らませていた。


「客に自分を投影するのはよしておけよ、私たちに限ってはろくなことにならないんだからな」

「わかってますよ、それでもう、痛いほど、痛い目にあったんだから」


 膝に乗せたぺたんこの鞄を眺めた。この鞄がからっぽになるなんていつぶりだろうか。ワガタがなってからずっと持っていた鞄だが、それが中身を全部吐き出すなんて久しぶりのことだった。


「……今回は大丈夫だって、ちゃんと確信してやってますから。平気ですよ、平気」


 シニカルに笑ったワガタの顔を見て、零は「じゃあお前は確信犯だな」とだけ言ってコーヒーを注いだ。

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