特殊職/道案内屋 ep2 「東雲あすかの場合」
家出をしたことは、あるだろうか。
ぼくは、あった。よく覚えてはいないけれど、その日の宿に困ったこと、携帯電話を持っていたせいですぐ居場所がバレたこと、そしてそのせいで母さんに見つかってこっぴどく叱られたこと。記憶にあるのはそのぐらいだ。
もしかしたらきみはこれをじゅうぶん覚えている、と思うかもしれないけど、まぁ聞いて欲しい。
ぼく、どこの家からどう家出して、どこで母さんに見つかったのかも、母さんのぼくを泣きながら叱った声も、母さんの顔すら覚えていないんだ。
だからさ、ぼく、家出したときのこと、よく覚えてないんだよね。
/
「道案内屋さん、道案内屋さん。どうか帰り道を見つけてください」
「わ」
ぼくは唐突にパジャマ姿で道端に放り出された。
「えっ……」
と同時に依頼人の驚きの声が上がる。そりゃそうだ、いきなりパジャマ姿の男が現れたら誰だって驚く、ぼくだって驚く。
というかこんな時間に呼び出されるとは思わなかった。ぼくを呼ぶのは子供だけなんじゃないのか!
そう(非難の意も込めて)思って顔を上げると、やっぱりそこにいたのは子供だった。背丈からして14歳ぐらい。ベースボールキャップのサイズ調節用の穴につややかな黒髪のポニーテールを通した、はっきりした顔立ちの女の子だ。
「……えと、迷子なの?道案内屋のぼくを呼んだ、ってことは……」
「うん。あのね、家に帰りたいんだけど、困ってて。そういうのって解決してくれちゃったりする?」
なんで!?
ぼくは思わず心中でそう叫んだ。こういうのはワガタの仕事じゃないの!? 人生の迷子は受け付けておりませんが!?
「あたし、東雲あすか。よろしく、道案内屋さん?」
「あ、どうも……よろしく」
名前を聞いてしまったし、そもそも呼び出されてしまったからにはこの仕事は請け負わないわけにもいかない。そういう決まりだし。しょうがない。
ぼくは観念して、彼女を”家に返して”あげることにした。なんで来ちゃったかなぁ。
「……とりあえず聞いておくけども、どうして困ってるの?」
「聞いても笑ったりしないでくれる?」
「うん。そういうのは自信あるんだ」
「じゃあ、あのね。ママの彼氏と喧嘩したの。しかも今日だけじゃないの。先週ぐらいからずーーーーっと。夜になるとママの彼氏と喧嘩して、朝になってから帰るって毎日でさ。もういい加減最低だなっておもうし、なんとかしたくって」
最低だって言いたいのはこっちだよ! ぼくはまたしても心中でそう叫びを上げた。ママの彼氏とかどう考えても厄ネタじゃん! 道案内屋ってのはもっとこう、子供の相手をしながら明るい市街地をうろうろ歩いていれば終わる楽な仕事だったはずだ。……いや、それをイヤと言ったのはぼくだった。
くそう。イヤだと思わなければ平和だったかもしれないのに。
「ママの彼氏ねぇ。え? 浮気とかじゃない? 大丈夫?」
「……」
「なっ、なんか答えてよ! ぼくなんともいえないよ!」
「……アハハ。浮気とかじゃないよ、大丈夫。あたし私生児なの。パパはいなくって、ずっとママだけ。ママの彼氏は……まぁまぁいたけどね」
「あのね、人生の道を示してほしい系の相談ってぼく実は受け付けてなくて」
「でも、来てくれたじゃん、道案内屋さん」
あすかちゃんは安心したように含みのある微笑みを浮かべた。いたずらっぽい、子供っぽい笑顔だ。
……ぼくこういうのには弱いんだよなぁ。だからこんな仕事をする羽目になったんだろうけど。ぼくがしゅうやみたいな性格だったらいくらかマシだったのかなぁ。
「呼ばれたらこなくちゃいけないんだよ。仕事だからね」
「仕事熱心なんだね」
「熱心じゃなくて強制……いや、なんでもない」
ぼくは困ったように肩を竦めるしかなかった。……ともあれ、ぼくは彼女のためにできることをしてあげなくちゃならない。依頼人がいるのなら、その望みは最大限かなえてあげるのがぼくたちなのだから。
「さて。ぼくは道案内屋だ。わかると思うけど、歩かなくちゃ話は始まらないね。うまくいくかどうかはわからないけど、やるだけやってみるよ」
「ありがと、道案内屋さん」
「お礼は依頼が終わるまでとっといてよ」
とにかく、重たい一歩目を踏み出すことにした。そういうものを仕事に含むのであれば、おそらくだけど、ぼくはきっととにかく歩けば結論にたどり着けるはずなのだ。
「とりあえずさ、もっと聞かせてよ。きみのこと、お母さんのこと」
「もちろん!」
話を聞いてもらったら、もしかしたら馬鹿馬鹿しくなって喧嘩とかしなくなるかもしれないしね。
なんて言って、あすかちゃんはまたふつうの子供っぽく笑ったのだった。
/
足を向けた先は、古びた歓楽街だった。劣化を始めたネオン管が発する独特な音をBGMに、歌う小鳥のような声であすかちゃんは軽やかに語る。
「あたしのママはね、あたしのこと一人で産んだの。えっと、そうそう、19歳の時って行ってたかな。大学生だったママ、かわいそうに、誰にも相談できなくて、あたしのパパだった人とはもうとっくに別れててね。大学に進学した関係で実家とも絶縁状態で、本当に誰にも頼れなかった」
初手からあまりにも重い話をされたのでぼくは頭を抱えそうになったが、ギリギリ想定内だ。よくある話ではあるし。まぁ、その『よくある話』というのは、あくまでぼく以外のみんなのクライアントとしては、だ。
つまり、平々凡々たるぼくのクライアントとしては異質、そして異端。
「でもママには子供であるあたしを殺せなかった。殺せるような度胸がなかったのかもしれないし、あたしのことをかわいそうに思ったのかもしれない。かといって、もちろん捨てることもできなかったし、仕方がないからあたしのことをちゃんと育て始めたの」
歓楽街の看板の一つ一つが激しい主張を繰り広げているのが、いやでもぼくの視界に入った。あすかちゃんは慣れているのか、そんなことを意にも介さず喋り続ける。
「でもね、やっぱ一人だと限界があったみたいでさ。あたしが小さい頃はよく口をこぼされたのを覚えてるよ。男手が欲しいとか、お金がもうちょっとあればとか。
で、まあ、あたしが一人で留守番できるようになったっていうか……一人で留守番させても大丈夫になったっていうか、とにかく、分別がつくぐらいの年齢になったぐらいの頃だよ。たぶん8歳ぐらいだったかな?に、初めて彼氏を連れてきたの」
彼女が少し躊躇うように口を閉じたので、相槌にと「ずいぶん続いてるね」と声をかけようとした、瞬間に語られた次の言葉に、ぼくは思わず自分の口を塞いだ。
「最初の彼氏は子供が嫌いだったからそんなに経たずに別れた」
うーんなんて不躾な口!危うく地雷を踏むところだった気がする!
「次の彼氏はひどい人だったから、別れるのがすごく大変だった。ケーサツとか行ったんだよ。それよりあとの人は……あんまり覚えてないや」
語りながら、ふと、落書きだらけの自販機の前にあすかちゃんが立ち止まった。懐かしむように、憐むように、とっくの昔に生産終了したはずの乳酸菌飲料のボタンを押す。……何も起こらない。自販機はよく見ると点灯してすらいない。輝いているように見えたのは、周りの交換したばかりに見える、眩しすぎる真新しいネオンのせいだった。
あすかちゃんは悲しげに自販機の前を離れ、気を取り直すように声を紡いだ。
「とにかく、今の彼氏で12人目。あたしが生まれてからの14年間、8歳から数えれば6年目にして、ママの歴代彼氏でサッカーチームが組めるぐらいになってやっと、ママは一年以上長続きする彼氏を捕まえられたってわけ」
子供産んでるのに情けない話だよ、とあすかちゃんは困ったような顔で笑っている。
「でもね。あたし、14歳だよ。たぶん大人がいちばん嫌いなんじゃない?そんなときに、ママの彼氏になるような年齢の知らない大人とうまくやっていけるかって言われるとNOなわけじゃん」
「……わかるよ。ぼくもきみぐらいの頃、大人に反発していた覚えがあるし」
「あ、わかる? やりぃー。とにかくね、だから、あたし、ママの彼氏とずっと喧嘩してるけど、これはよくないってよくわかってるわけでさ」
あすかちゃんの声が徐々に勢いを弱めた。もしかしたら、彼女なりに強がってるだけなのかもしれない。
「だって、やっとできた、ちゃんとママと気が合う彼氏だよ、……あたし、ママには、あたしなんかより、ずっと、ママの人生を大事にして欲しいって思うから」
あすかちゃんは帽子を深く深く被り直した。影が顔に落ちて、眩しさに慣れた目がその表情を窺うことを許さない。
「ね。道案内屋さんは、どう思う?」
/
気づくと、景色はすっかり移り変わっていた。ぼくたちは夜の繁華街を抜け出して、すっかり寝った住宅街に足を踏み入れている。
彼女の話は、思っていたよりもずっと
つまり何が言いたいかというと、ぼくにできることは彼女の背を少し押してあげるだけだ。
うーんなるほど、ワガタ案件だとばかり思っていたけれど、話を聞いてみれば、思ったよりこれはワガタが扱うには少々荷が重い……じゃないや。荷の形が特殊、というべきだろうか。特殊すぎる。あれだよ。区分が違うんだよ。多分。
要は、ワガタみたいな、丁寧なやり方じゃなんともならないことだってあるってことだ。
それにしても、こんなこと、彼女にそのまま言っていいんだろうか?
彼女の顔色を窺い見る。……目があってしまった。
あすかちゃんの目は、ぼくを真っ直ぐに見据えている。苦手な目だ。ぼくはどこかで、こういう目と似たような目を知っている。わかり切った答えを待つ目と言うのは、得意な人は少ないと思う。
「ねえ。ばかばかしい話だよ」
「……」
「だって、そう思わない?実の父親でさえ、意味もなく嫌いになるような年頃だろ」
彼女の歩みが止まった。
重い沈黙が、閑静な夜の住宅街に立ち込める。
ぼくは足を止めない。止めるわけには行かない。
「君の悩みは誰にでもあるものだよ」
「じゃあなんであたしばっかりこんな苦しいの」
「みんなだって同じように苦しいよ、いや同じようには言い過ぎかな。誰だって自分だけの苦しみと自分だけの重さを抱えて生きているはずだよ」
「でもみんな楽しそうだ。あたしばっかり暗い顔をして、あたしばっかり泣いて、あたしばっかりが……寂しい思いをしている!」
知っている。
「ねえ教えてよ!どうして──あたしばっかり、我慢しなくちゃいけないの!?」
「……ぼくは、その答えを教えられないよ、でもその答えはここにあると思う。ここにしか、ないと思う」
東雲と彫られた木製の表札が掛かった小さな借家が目に入る。
「え……どうして、ここに」
「やっと言えたね」
「やっと、って……何を言って……」
あすかちゃんは恐る恐る顔を上げる。その視線の先、借家の玄関前には、少しくたびれた感じの青年がたばこの煙を燻らせたまま気まずそうに立っていた。
「
「……やあ、あすかちゃん」
/
「……帰ってこられてよかったよ」
「ばかみたい、あたしが悪いのに」
「そんなこと言わないでくれ。それこそ、俺がかなたに殺される」
「ママはいま関係ないでしょ」
「きみが死んだらかなたは悲しむよ」
「いっそ、死んでしまえばよかった」
「我慢するより、その方がマシだって?」
「そんなこと、一言も言ってないじゃん」
「言ってるよ。そう言ってるのと同じだ」
「それは、そうかもしれないけど」
「ごめんな。俺だって昔は
「なんで治幸さんが謝るの。あたしが謝らなくちゃいけないのに」
「だって、きみぐらいの歳の子が大人を警戒するのは当たり前だろ」
「警戒じゃないよ。嫌悪」
「うーん辛いこと言ってくれるね」
「あたし、治幸さんのこと嫌いなの。だって治幸さんの話してる時のママ、今までで一番楽しそうなんだもん」
「そうなの?」
「そうだよ!治幸さんと付き合い始めてからのママが今までの人生で一番楽しそうなの!あたしが物心ついた頃からずっと暗い顔をしてたママが、笑ってるんだもん。あたしのために我慢し続けてきたママが、あたしがいたばっかりに自由がなかったママが、ずっと、笑えなかったママが……」
「そっか」
「だからあたし、治幸さんが、私のママを知らない人にしちゃったって思ったし、治幸さんにママを取られたって思って、あたし、……さみしかったの!」
「ごめん、あすかちゃん。俺はほんとにきみのこと、全然見てなくて……」
/
(この様子なら、もう大丈夫かな)
結局のところ、ぼくに出来ることはあんまりないと感じていたのはそんなに間違いでもなかった。
どういうことかっていうと、誰か一人でもいいから|彼女の話を聞いてくれれば、そしてそれに肯いてくれ《コール・アンド・レスポンス》さえすればそれでもよかったのだから。
要は、ぼくが呼ばれた必要はほとんどなかった。ワガタでもよかったし、あるいはきっとしゅうやでもよかったはずだ。
それなのに彼女の『おまじない』が不発に終わらなかったのは、彼女がぼくを呼ぶことを選択したのは、やっぱり彼女が心のどこかで「家に帰りたい」と思っていたからだろう。
それにしても、カウンセリングなんて初めてだったし、ぼくは友人(だと思っている)しゅうやの話すらよく考えたらまともに聞いてやったことがないけれど(結構ひどい人間だな、ぼくは!)、案外、人には誰かの話を聞く能力というのが備わっているんだな。ぼくはちょっとだけ自分に感心した。
「うまくいってよかった」
結局。
泣いていた子供を一人家に送り届けて、ぼくは報酬──「家に帰る道程」、という、概念的なものでしかないのだけど──を受け取った。ぼくがやった仕事はいつもとあんまり変わらなかったな。
終わってみれば、話す内容の重みが少しばかり違っただけだ。
まぁ、同じようなことをもう一度やれと言われたらまっぴらごめんだけどね。
「あ!道案内屋さん、ありがとー!」
「依頼は終了だね。あ、よかったら、ぼくの名前広めといてくれない?」
「もちろん!すっごくお世話になったもん!」
「それじゃあ、早く家におかえり。『治幸さん』が待ってるよ」
「うん。じゃあ、さようなら」
深々とお辞儀。
ぼくもつられて会釈して、玄関口で不思議そうな顔をしていた『治幸さん』とあすかちゃんを見送った。
/
「誰かと話してたの?」
「道案内屋さんって聞いたことない?」
「全然知らないな、よかったら教えてくれるかい」
「勿論!頼まれちゃったし、治幸さんも広めてくれる?『道案内屋さん、道案内屋さん。どうか帰り道を教えてください』、っておまじないがあってね──」
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