特殊職/肩代わり屋 ep1「望月善子 前編」

体が、重い。足が地面に根を張ってしまったようだった。

体が動かない。うまく手を動かすことすらままならない。


「位置について」


ああ、息が詰まる。


「ようい」


ああ、鳴ってしまう──


破裂音。


と同時に世界が暗転して、体が地面に叩きつけられる。


「よっしー!大丈夫!?」


ともだちのこえがきこえるけど、わたしはそのままうごけなかった。


/


肩代わり屋さん、肩代わり屋さん。私の重荷、変わってください──



「……なんて、来るわけないか」

「あら、来るものよ、意外とね」

「うわぁっ!?」


それは、春も麗かな皐月の季節のことだった。


私は、ほんの気の迷いで、ある「おまじない」にすがった。そのおまじないは、手に人という字を三回書いて飲む、程度の信憑性だと思っていたから。


「ふふ、肩代わり屋さん、おいでになったわよ。あなたの重荷、教えてくれる?」

「え、あの、えっと……」


──茶の髪を肩より長く伸ばした、重そうなかばんを背負った女性。それが、私の彼女への第一印象だった。


「っと、ごめんなさい。説明が先だった。私は『肩代わり屋さん』。あなたの心の重荷を肩代わりするお仕事を生業にしています。報酬はあなたの大事なものひとつ。後払いです。あなたが納得いかなければ──つまり心の重荷が取り払わなかったら──報酬はいただきません。この条件でかまわないかしら?」

「はっ、はい!わざわざありがとうございます……?」

「いーのよ、こういう決まりだからね。では改めて、私は『肩代わり屋』。ワガタ──正確には和肩わがた三槻みつき。この名において、契約を遵守すると誓いましょう。……さて、あなたの名前は?」

「あ、は、はい……えっと、私、望月もちづき善子よしこです……」

「オーケイ、善子ちゃんね。それじゃあ、これからよろしくね」

「よ、よろしくお願いします」


──肩代わり屋さん、肩代わり屋さん。私の重荷、変わってください。

それは、中高生を中心に流行しているおまじない。精神的に追い込まれた時、小さな重荷なら即座に、大きな重荷なら時間をかけて、『肩代わり屋』と呼ばれる女性が取り払ってくれるという、中ば都市伝説、あるいは七不思議じみた呪文、。

たいていの人は、肩代わり屋に会えることはない。なぜならばその重荷はコンタクトを取るまでもなく簡単な手順だけで取り除かれるものだから。

そういう時は、いつもお財布や筆箱、化粧ポーチなんかからすこしだけ何かがなくなっている。だけれども、肩代わり屋を利用した子たちは決まってこういうのだ。


「楽になれるならちょっとモノが消えるぐらい、どうってことない」──と。


……長々と考えてしまったけれど、要するに、私の抱える重荷は、その「ちょっと」じゃ取り除かれないものだと認定されてしまったということだ。

そんなつもりではないのにな──と、善子は、どうしたものかと深いため息を吐いた。


/


努力家のウサギの気持ちを考えたことがあるか?



一日目、夕方。

どうやら善子ちゃんの重荷というのは想像以上に根深いらしい。


「私はいつでも善子ちゃんのそばにいるけど、他の人からは見えないから安心してね」

「見えない……んですか」

「そういうものだからね。実態がないわけじゃ無いから触ったりはできるけど、そういうのはこっちで気をつけるから」


朝、彼女にそう告げて、その学校生活を見守ることにした。何事もまずは観察からだ。これは取り除いても取り除いても胸のうちから湧き立つ不安で、胸の内に染み付いて取れない気がかりだから。

善子ちゃんは女子高生だ。ブレザーのよく似合う、こげ茶の髪を肩で切りそろえた子。小動物のようなかわいらしい顔立ちと頼りなさげな表情からはなかなか察せられなかったが、高校三年生にして、


──この学校──強豪運動部揃いである「いわなが高校」の、陸上部のエースだ。


「根深い問題よねぇ」


──最初は、やっぱり高校三年生だってこともあって、受験のことだと思った。けれど違う。その次は友人関係。これは確かに、多少なりともそういう部分はあったけれど、決定打には欠けた。家庭は──見る限りは円満でしかなく。やはり、問題は部活にあると考えて間違い無いだろう。

丸一日観察してもやはり彼女の心の動きに一番の乱れがあったように感じたのは部活中だ。運動部だからとかそういうわけじゃない。例えば午前中の体育の時間なんかは、彼女はスポーツを楽しんでいるように見えたし。


「……陸上っていろいろ競技があるけど、あなたはスプリンターなのね」


ふと興味を持って、クールダウン中の彼女に声をかけてみた。


「あ、はい……100m走が一番好きで。駆け抜ける感じが気持ちいいですよ。走ってみます?」

「そ、それは遠慮しておくわ。私スカート以外の服とか持ってないし……」

「そうですか……」


誘いを断ると露骨にしょげられた。どうやら本当に走るのが楽しいようだ。……これはしゅうやみたいなタイプが見たら「理解できない」とかいう感じみたい。運動が心から楽しくて仕方ない、自分を体力的に追い込めば追い込むほど力がつく子。


すごいなぁ、と思った。


「それじゃ、ぶつかっても危ないんで。あのへんなら人来ないんで、あっちから見ててください」

「ええ、お言葉に甘えて:


この学校はスプリントのためのレーンが運動場の一番端っこにある。私はその端っこのさらに隅、目隠しのための樹林で日除けをしながら彼女の走るのを眺めることにした。


「位置について、ようい」


──破裂音、と同時に、彼女は弾丸のように走り出した。すっごくはやい。韋駄天のごとくってこういうことね。姿勢の崩れも少ないし、まさに完璧──


「11秒55!」

「はやっ!?」


日本の女子高生の最速タイムに迫っている──この時私は感嘆して、同時にやはりなと確信した。


彼女の心の重荷は、間違いなくこれが原因だと。


/


うさぎに篭れる甲羅はない。



一日目、夜。


「……あの、ワガタさん、もしかして私の部屋で寝たり、します?」

「いや、寝ないわ。あっ、もし寝顔とか見られたくなかったら出ていくけど」

「それは大丈夫ですけど……その、寝ないんですか?」

「うん。そういうふうに出来てるからね。昼は観察、夜は整理。そうして何度も見直して、考えて、見直して、考えて、言葉を投げかけ、重荷を取り除く。そういう仕事なのよ、これ」

「思ったより……なんていうか、足で稼ぐ感じっていうか。地道なんですね」

「まあね。とはいえ、こういうのは特別よ。普段は重荷をえーいって取り除いてあげれば済むの。それじゃ済まない時だけね」


──やっぱり、感嘆にはいかないってそういう意味なのかなあ。

私の『重荷』は、想像以上に難しいものらしい。


「ホントはね、自分だけの力で乗り越えられる方がいいの」

「自分だけの力で……」

「でもね、難しいでしょ。だから人間、自分の重荷、つらいこととか悲しいことを誰かに共有することでその肩の荷を少しずつおろしていくの。それができるような精神の設計をしているからね。できるはずなの」

「……でも、誰かに話してもどうにもならないことってありますよね」

「うん。だから、そういう『どうにもならない』をこっそり取り除いてあげるのが私の仕事。でもね、どうにかなることはちゃんと喋った方がいいと思うな、肩代わり屋さん」

「……」

「ふふ。難しい話をしちゃってごめんなさい。寝不足も重荷の原因になるから、早めに寝た方がいいわよ」

「あ、はい。おやすみなさい……」

「おやすみ」


──問題は根深い。彼女は部長で、しかも部のエースだ。部員、同級生、それどころか先生、むしろ学校全体からのきつい重圧を背負っている。

この重荷は彼女だけのものではない。周囲から押し付けられた重荷だ。

一時的に取り除こうが、すぐに新たなそれを背負わされる。そして押し付ける側も無意識にやっているものだからたちが悪い。


「あなたも運が悪かったわね」


せめて眠っている間ぐらいは肩の荷を降ろして安らかに眠ってほしい。ワガタは善子の頭をそっと撫で、手段の構築に立ち返った。


……肉体的な負担など、精神的な負担に比べれば大したことはないのだ。


/


趣味と実益は切り分けるべきだ、例え手段が同じでも。



彼女の観察を始めて、一週間が経過した。カレンダーは五月の末から六月に捲られ、夏の足音、梅雨の訪れが近付く──と同時に、善子にとって目下一番の大きな重荷の下ろしどころであり、その重荷がさらに重圧を増す時期である。


そう、インターハイの地区予選が目前に迫っているのだ。


「…………」


善子はぼんやりと窓の外を眺めていることが多くなった。授業にも集中できず、きっと、いつも陸上のことばかり考えているのだろう。

授業中も、昼食の間もぼんやりとしていたし、もっと言えば、今、部活を抜けて保健室にきていることが何よりの証拠だ。というより、今日でもう2回目だし、保健室。


──本来。こういう、ストレスを感じて一時的に避難する、なんていうのも、私がすっと心から重荷を取り除いてあげれば、発生しない問題だ。だけど、それを避けてでも私には彼女を観察しなくちゃいけない。


「ねえ、善子ちゃん。あなたにとって陸上ってなあに」

「……人生、です。今までずっとこれ一本で生きてきました。褒められたのは、足の速さだけだったから」


──問題は根深い。


「だから、私、怖いんです。昔からあがり症で、本番では絶対に練習と同じだけの速度が出ない。11秒55なんてきっともう出せない。下手をしたら、もう予選で音を上げてしまうかもしれない……

いままで、うまくいっていたのがおかしいぐらいだったんです。多少なりともタイムは落ちてもうまく全国までいけてしまって、それで、なんか、一位なんてとっちゃって、中学生のころは、それでもよかったけれど……。

中学の、最後の、大会で、…………大きな、失敗を。して。私、本当は……走るのが怖い。人の前で、誰かに見られながら走るのって、怖い。誰にも。見られずに。ひとりで、気が済むまで、走れれば……それでいいのに」

「…………」


好きなことを楽しめないのは、とても辛いだろう。ワガタは、経験則でそれをよく知っている。


「……善子ちゃんは本当にいい子ね」

「……」

「でも、たまには悪い子になっていいの。わがままを言ってもいいのよ」

「わがままなんて、そんな」

「ほんとはから揚げとか、たくさん食べたいんじゃないの」

「ええっ、な、なんで、知ってるんですか」

「お弁当のから揚げ、いつも最後に食べるから」

「嫌いなものを最後に残すタイプかもしれないじゃないですか」

「宿題、数学からやって国語を最後に残してるし?」

「な、なんで…………」

「職業柄、ね。善子ちゃん、あなたはほんとうにいい子。だからね、こっそり……たくさん、食べにいかない?」

「でも……」


陸上部は体が資本だ。そして軽さが大事だというのは、ちゃんと知っていた。まだ中学に通えていた頃、同級生が食事制限をしていたのを覚えている。それに、本人の生活からしてもそれはよくわかる。

食事はできる限りカロリーを控えているし、間食もしない。夕食の時の彼女の皿には特別にキュウリが盛られているほどだ。これはたしか、キュウリは消化に使うエネルギーが、キュウリそのものに含まれているカロリーよりも多いからだっけか。それをまあ、よくも味付けもせずに齧って。正直、見ていられない。

というより、彼女の年齢に見合わない小柄さの原因はこれなのではなかろうか?


ストイック、といえば聞こえはいいが、無理をするのは体によくない。食事というのは生活に密接なものなのに、それすら『鍛錬』にしてしまうのはあまりに酷だ。


「じゃあ、こうしましょう。インターハイの地区予選が終わったら……本戦に進んでも進めなくっても、私と一緒に……フライドチキンを食べにいく!」

「フライドチキンっ」


善子ちゃんの笑顔が明るくなった。

うん、やっぱり俯いているより笑っている方が魅力的だ。

あ、そういえば、ご飯代足りるかしら。しゅうやにお願いしておかないと。


/


両手が使えない状態でにんじんを鼻先につるされたら、走るか走らないかでいったら走るだろう。届くかもしれないし。



それからさらに一週間が過ぎて、インターハイ予選はあと三日ともう目と鼻の先にいるようなものだった。善子ちゃんはといえば、声には出さないけれど少しだけ気分がうきうきしているようだった。

人は楽しみなことがあると多少なりとも気分が変わるものだ。もちろん、私が少しアシストしてる──その胸の重荷を、こっそりと少しずつ取り払ってあげている、というのもあるんだけれど。

本来、この力はこうやってこまめに使うようなものではない、けど、善子ちゃんの心の拠り所になってくれるような、寄りかからせてくれるような人がいない間は止むを得ない。

手段を選んでいたら、その前に彼女が壊れてしまう。


「望月さん。もうすぐ地区予選ね。今年もがんばってね」

「あ、は、はい」


──まあ、こういう人間のせいで、そうせざるを得ないのだ。

人というのは(無意識に)(無自覚に)(そんなつもりはなくっても)他社に勝手に期待を寄せて、勝手に重圧をかけて、勝手に失望する生き物だ。それは仕方ない。そういう性なのだから。自分だって、人のことは言えない。

だったらば、私にできるのはその期待の言葉に乗る重圧をなるべく取り払って、彼女の負担を減らしてあげることだけ。


「善子ちゃん、最近自分で調子はどう思う?ふだんっていうか、例年と比べて?」

「あ、あの、いつもよりとびっきりいいです……!毎年この時期ってうまく走れないのに……もしかして、肩代わり屋さんの力?」

「やだ、違うよ。これは善子ちゃんの力。楽しみがあると、人間、思ったより力が出るものよ」


実は一か八かだった、というのは黙っておくのが吉だろう。


善子ちゃんは自分を追い詰めた方が力がつくタイプではあるけど、力がつくのと結果が出せるのは別だ。努力の方向は鞭が適切でも、結果の出し方は飴のほうが適切かもしれない。もしこれでダメだったら、という際の代案は正直とりたくなかったから心底ほっとした。


そして何より、私も善子ちゃんと二人でフライドチキンを食べたいのだ。


「どう?今日はちゃんと走れそう?」

「はい!」


うん、この元気の良い返事。

楽しいことには楽しいことが重なった方がいいに決まってるのだ、私はニコニコしながら首肯した。


ちなみにこの日のタイムは11秒54だった。偶然かもしれないけど、別に本当に早くしなくていいのよ、善子ちゃん。


/


予選でも結果は結果だ。



──地区予選当日。善子ちゃんは「ぎりぎりまで調整したい」と言ったが、私が無理を言って前日は休みを取らせた。それもこれも、前日の善子ちゃんには誰にも声をかけさせないため。

家族は仕方がないが、それ以外から余計な重荷をかけられてはたまったものではない──特に、善子ちゃんの「中学時代」とやらを知っている人からは。


さて、地域最大の競技場のトラックはざわめいていた。油断すると誰かにぶつかって迷惑をかけそうだったので、今日は観戦席に座るのはあきらめて大人しく遠巻きに立ち見することにした。

競技開会式の終わりを告げるアナウンスが響き、善子ちゃんは緊張した面持ちでレーンへ向かった。


……。うん、緊張している。しているけれど……精神的な負担はそれだけ。これ以上私にすることはない。緊張感は、多少は持っているべきだしね。


なんて思いながら眺めていたら、3レーン目に立っている善子ちゃんがこっちを向いた。私がいるのに気づいたらしい。目がいいな。彼女はちらりと片手間にこちらに手を振って、クラウチングスタートの体制をとった。


「位置について、ようい──」


破裂音。と同時に一斉に駆け出す音。大きな歓声の中で、選手が飛び立つかのように走り出す。善子ちゃん、やっぱり頭一つ飛び抜けて早い。


姿勢崩さず、足取りもつれず。体は風を受けて、それでも確かに前へ進む。ゴールまで、まっすぐまっすぐ──誰よりも、早く。


「──」


走り終え、レーンから外れ、友人たちに迎えられる善子ちゃん。大きなモニターに表示されたのは善子ちゃんのタイムを称える「11.55」の文字。


最初に見た練習のタイムと同じだ。


そして会場に沸き起こったのは──沈黙、のちに喝采、そして歓声。


「──!────!!」

「────!──────!」

「──!!────」


級友たちが笑顔で口々に善子ちゃんに声をかけ、ハイタッチしている。きっと、善子ちゃんの健闘を称え、そして自分を鼓舞しているのだろう。


「よくがんばったね、善子ちゃん……」


私も一人、観戦席で彼女の健闘をせいいっぱい称えた。



結局。

その日、善子ちゃんより速いタイムが出ることはなく、私はひとまずいったん肩の荷を下ろせた様子の善子ちゃんを迎えた。本当はこのままフライドチキンを食べに行きたかったのだが、


「今日はみんなで外食に行くんです!」

「そうなの?」

「はい! 外食って久々だからテンションあがっちゃって、あ、でもちゃんとカロリー計算しなくちゃいけないんですけどね」

「それは大変ね……でも、楽しめそう?」

「はいっ!」

「ならよかった。うん、じゃあフライドチキンはまた来週の日曜日にしましょうか」

「そうします!あ……でも、大丈夫ですか?」

「? 何が?」

「あ、いえ。わ、ワガタさんが大丈夫なら、いいんです」

「ああ……私のことは気にしないでいいのよ」


心遣いのできるいい子だなあ。私はゆるりと微笑んだ。


さて。ご褒美のフライドチキンが終わってからが、彼女にとっても私にとっても本番。そう──さらに一ヶ月後には、彼女にはインターハイ本戦が待ち構えているのだ。


本来、肩の荷が一度全て下りた今の時点が仕事のやめ時なのだが、こんな中途半端なところで彼女を見捨てるわけにはいかない。もちろん、彼女が「コツをつかんだ」だろう、と言い切れるのならば契約はここまでにして、彼女に肩の荷が下りたかを問うのだけれど──いまはまだ、ぜんぜんそんなふうには思えないからね。


……というか、肩の荷の下ろし方の下手な子は今までたくさん見てきたけれど、彼女ほどその肩の荷の下ろしどころを教えてもらえなかった、教えてもらわなかった子をほとんど見たことがない。

インターハイ本戦が終わっても、彼女のことをまだ見続ける必要がある可能性はなくもないのだ。


この『実感』を、善子ちゃんが忘れませんように。


/


一時の休息/閑話休題。



「おいし〜!フライドチキンなんて食べたの、何年ぶりだろ……おいしい……」

「幸せそうでなによりだけど、それだけでいいの?」

「あ、は、はい。これ以上食べられる気がしなくって。その、胃がびっくりするかもなので。すみません。なんか……たくさん気を使ってもらったのに」

「いいのいいの。仕事だからね。それにしてもほんとに美味しいわ、チキン」

「ですよね〜。おいしいものは脂肪と糖で出来ている、なんてよく言いますけど、実際おいしい……そしてカロリーが……すごい……」


善子ちゃんが購入したのは、4つの鶏肉の部位がランダムに封入されているボックスで、その上ひとつは私がもらった。しかも善子ちゃんが食べているのは胸や手羽みたいな、すこし食べにくい部位ばかり。そして私がもらった最後の一つはモモ肉の部分、つまりは一番食べやすくて美味しい部分だ。

まあ、もちろん、当然、カロリーを多少なりとも気にしてのことなんだろうけどね。たぶん。


「……デザートも、食べていいですか?」


前言撤回。カロリーの気にし方の方向性が違った。

心配すべきなのかそうでもないのかよくわからなくなってきたけど……まあ、いいか。


「どうぞどうぞ。お金のことは気にしないでね、今日は私のおごりだから」

「やったあ!」


善子ちゃんは目を輝かせてレジカウンターへ急いだ。ここのメープルがけスコーンは絶品だとよくCMでやっているし、仕方ないよね。


「えへへ……」


商品を受け取って帰ってきた善子ちゃんは、頬がおもいっきり緩んでいた。まあそうよね、きっと久々か、あるいは初めて食べるんだろうし。


ここのスコーンはポイントが三つある。

絶妙にサクサクに仕立て上げられた生地。焦がさず、白焼きでもなく、焼きすぎではないが濃く入れられた香ばしい焼き目。そして──それに合うように調整された、最高のメープルシロップ。


「いただきます!」


おおきなスコーンをフォークで4分の1程度に切り分ける。すでに香ばしい芳香が漂い始めている。そしてそれにメープルの甘い香りがまざって、実に食欲をそそる。──善子ちゃんはその物欲的なひとかけに豪快にかぶりついた。サクサクと軽快な音がこちらまで伝わってくる。


「んんっ……!あまい!おいし〜!」


スコーンはみるみるうちに食べ進められ、あっという間に皿から姿を消した。恐るべし、育ち盛り。年頃の少女がスイーツを食べる速度を舐めてはいけない。特に、普段そういうものを食べない子ほど、意外なほどに食べるのが早かったりする。

そして私はといえば、実はこの後スコーンを頼もうかとおもっていたのだけれど、この姿を見ていたらなんだか見ているだけでお腹いっぱいになってしまった。


「あの、ごちそうさまでした、ワガタさん」

「いえいえ。いいのよ。まだね、のために何をするのかがきまってなくって、不甲斐ないぐらいだし」

「そんな、でも私もうすっかり心が楽になった感じがして、もういいとも思って」

「ダメ。そんなこと言わないで。私はまだあなたのことを見放せないの。ごめんね。それとも、本当はもういやだったりする?それなら別にいいけれど、」

「あ!いや!そんなこと、ぜんぜんないです。断じて!でも、ただ、あんまり、私にばかり、かまってもらうのもって」

「気にしないで。たいていの、ちょっとした心の重荷なら、片手間でも取り除いてあげられるし。でも、善子ちゃんのはそうじゃなかった。ただ、それだけのこと。それこそ、私がこうしたいだけであって、善子ちゃんが気に病むようなことじゃないのよ」

「そう……ですか?」


善子ちゃんは、伺うようにこちらを見た。


「そうよ」


だから私は、にっこり笑ってそう返してあげた。


「ありがとぅ、ございます……」


それは消え入りそうな声だけれど、確かな声だった。

問題は根深いけれど、もうじき一番深いところまでたどり着くだろう。私はぼんやりと確信に触れ始めている、そんな実感を持った。

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