特殊職/被復讐屋 ep1「代田という男の話」
「よう、そこのアンタ。ははは、惨めな面構えだな。嫌なことでもあったのか?おっと、そんな顔すんなよ。悪いな、笑ったりして」
暗い路地で、暗い目がニタニタと笑ったかと思えば、路地の影からぬっと男の姿が現れた。影からこぼれたような男は、またニタニタととても上品とはいえない笑みを浮かべていた。
「お……お前、誰だ」
「おっとまて、見るからに怪しいと思うだろうが怪しいものじゃないんだ、警察は呼ばないでくれ。犯罪者じゃあないが、ややこしいことになる。……俺はアンタの味方だぜ。鬱憤、晴らしたいだろ?」
男はおどけたように見せたり、ニタニタと笑ったり、まるで道化のようなしぐさをする。──俺の味方?鬱憤を晴らす?どういう意味だ?犯罪者じゃないなんていうのもとてもじゃないが信じがたい。
俺に彼を信じる動機がない。
「ハハハハ。疑いの目だな。まぁ慣れてるよ。なに、お前に犯罪を犯させようなんてわけじゃないし、俺だって貴重な
「――お前、何なんだ」
「おっと、そうだった、名乗ってなかったな。俺は『被復讐屋』、ま、通りがいいのは『殴られ屋』あたりか?ま、そんなもんだ。どうぞよろしく」
「……殴られ屋」
聞いたことがあった。このあたりには異常に丈夫なやつが住み着いてて、金とって殴られてんだ、とかなんとか。
曰く、嫌な事があった日にふと現れて。
曰く、好きなように痛めつけさせて、文句のひとつも言わないんだとか。
金さえ払えばストップといわれるまでやり放題、勿論金額に応じて止められるまでの時間は、或いは殴っていい回数は増えると。
「……金払って男殴って、何が楽しいんだか」
「お、サディストだなさては」
「お――んな殴っても、楽しくなんかないだろ!」
割と真面目にキレてしまった。恥ずかしい。一体何相手にキレ散らかしてるんだか。
「とにかく、お断りだ。他の連中はともかく、俺には誰かを殴る趣味は無い」
「あ、そう。ま、こんな事もあるか。……ほんとーに誰でもいいから殴りたくなったら呼べよな、アンタ、今にも人を殺してきそうな顔してたぜ」
「な──」
何かを言い返そうとした時、そこにもう男は居なかった。まるで影に溶けたように消えていた。一体なんだったんだ?
「……殴られ屋、か」
都市伝説だと思っていたが、本当に居るとは思わなかった。
嘘でも詭弁でもなさそうだし、何よりそんな嘘をつくメリットは彼には無いだろう。俺はぼんやりと実在した都市伝説に思いを馳せながら、0時を過ぎて暗くなった夜道をぼんやりと歩いて帰宅した。
/
「あのさ、お前さ、男を殴る趣味ってある?」
「なんだよ藪から棒に……普段はそんな趣味ねえよ」
「普段は?」
「あー……なんてーのかな。ホラ代田、お前も分かると思うけど、日々理不尽にさらされるとこう……だんだん精神が耐えられなくなるだろ。そしたら誰でもいいから殴りたくなるわけで、そういう時なら別に……」
「…………」
近い話を最近聞いた。
代田は耳を塞ぎたくなるのをぐっと堪え、声を低くして同僚……
「……殴られ屋って使ったことあるか」
「お、いよいよお前も遭ったんだな?アレに」
「遭ったんだな、ってのは」
「そりゃもう、あの口の悪いいけ好かない野郎だろ」
「まあ……」
阪川は声を殺して笑った。むかつくヤツだ。
「あいつ、口下手だからオプションとか教えてくれなかっただろ?使う気あるなら教えてやるよ」
「いいよ別に……知りたくも無い」
「でも、聞かなかっただろ?あいつが、お前が殴ってやりたいと望んでやまない誰かの姿になれること」
「んん?それどういう意味だよ。変装がうまいとかそんなところか?」
「違うね。変装なんてレベルじゃない、ありゃ魔法だよ」
悪魔の如く同僚が笑う。まるで愉快なおもちゃについて話しているようで気に障るが、これは有益な情報のようだったから、罵りたくなるのを抑えて続きを促した。
「何しろ目の前で姿がぱっと変わるんだ。声も変わるし、もっと言えば性別まで変わるぜ。なんかくどくど説明してたけど詳しいことは覚えてないな。ま、顔くらい変えられなきゃ『被復讐屋』なんて名乗れないだろうけど……お、興味の出てきた顔じゃないか。今日にでも呼んでみたらどうだ?お勧めは3万コース、手軽に試せてたいした罪悪感も残らない」
「呼ばないって!」
「またまた……」
「そもそも、今の時期、決算前だからな、気が立ってるヤツなんていくらでもいるだろ。俺が金を払わなくても誰かが金を払う。いいんだ、それで」
「……ふーん」
同僚はなんだ、と言いたげに詰まらなさそうに肩を竦めた。
/
「──ストップ、ここまで、だ、続けるなら、追加料金」
「あー、いいや、追加いくらまでだっけ?」
「トータルで、五十万」
「じゃあと二十万追加しちゃおっと」
「毎度あり。さて、ちょっとまて……いま息が……ふぅ……うん、よし、いいぞ」
「んー」
軽い気持ちで、カッターナイフが振り下ろされる。もうとっくに破壊されきった倫理観はそのうち俺が消えたときこいつを犯罪に走らせるんだろう。知ったことではないが、そのとき被害に遭う誰かに同情しないわけではなかった。
──鈍い音に遅れて血しぶき。
二十万の追加分の料金の苦痛はなかなか訪れない。一人の客の下に無駄に長く居るのは結果的には損をするので、できることならば延長はして欲しくなかったが、仕方が無い。これも商売だ。
とはいえ、客に思うところはある。……こいつ、やっぱ刺すの下手だな。痛いのは当たり前だし出血するのも当たり前だが、そういう問題ではなく、人を傷つけるのがあまりに下手だ。たぶん誰かを殺すときには無駄に傷つけて苦しませて死なせるんだろう。我ながらとんでもない魔物を作り上げてしまった。
なにしろ、誰でもいいから傷つけたい、誰がどうとか関係ない、なんて言うやつを引っ掛けてしまったのだから。
(末路は通り魔かテロリストか……)
ぼんやりと考えながら、頭が胴から切り離されるなり、心臓を一突きされるなりを待った。──最高金額は、通常の生物の『死』までだ。
俺は死なない。
だから、文字通り体を切り売りしているのだ。
/
「ん……なんだ、アンタか。悪いけど今日は休業だ、ほか当たってくれ──っておい、何、何だ、なんて顔してんだアンタ」
「ど、どーしたんだ、その傷」
「いや、たちの悪い客に引っかかってね、ハハハ」
彼は皮肉めいて笑ったが、どーみても笑い事で済む傷ではない。いくら仕事だからとはいえ、ここまでするのは尋常じゃないだろう。
「『殴られ屋』、」
「讐夜」
「へっ」
「今はオフ。職種で呼ばれても困る。アンタもオフのときにサラリーマンとか呼ばれても困るだろ。いやそれは仕事中でも困るか。まぁだから名前で」
「あ、ハイ」
──この状況で言うことだろうか。いや、別にいいのだが。
「えーと、しゅうやくん」
「うわくすぐってえ、呼び捨てにしろ」
「注文が多い……」
「それで何の用だよ」
「おまえ、その傷は平気なのか?」
「痛いけど平気だ。そういう物だからな」
「そうじゃなくて……」
「ああ、なるほど」
何か合点が言ったように殴られ屋……「しゅうや」が呟いた。
そして、自嘲的な笑みを浮かべてこう続ける。
「──俺、死なねんだわ」
「死なない?」
うんうん、と頷く。
「死なない?」
「二度も言うな。そういうものなんだよ俺はね」
「そういうものって……」
「説明しても信じないだろうから何なのかは省くが、死なないし、他の連中に比べて治りも早いんだ。だからこういう仕事して稼いでるってわけだ」
「そんなことしなくってもいくらでも稼ぐ方法はあるだろうに」
「ない」
「なんで」
「俺たちは居ないものだからな」
「は?」
「…….ああクソ、面倒なヤツだな。声をかけるんじゃなかった。ここまでお人よしで気にしいだとは思わなかった。俺も客を見る目がない」
彼は『すごく面倒だ』、とでも言いたげな表情で頭を掻いた。
「俺はワガタほど口がうまいわけじゃないし、道也ほど饒舌じゃないんだ。説明は苦手なんだよ」
/
居場所をなくした子供たち、というのがいる。世界からつまはじきにされた、生きることを許されない、存在を認められない。たいていの子供はそういう状況になった時点で死んでしまうものだが、そうはいかなかった──或いは、死ねたほうが幸せだったのだろうか。
俺は、俺たちはそういうものだった。
生きることに執着した、必死にあがいた、この世に存在し続けることだけを考えた。
俺たちにはもう何もない、何か大事なものをなくしてしまって、ついでに人生もどっかいっちまった。……生きるための対価に差し出せるものなどこの身一つしかない。
そもそも誰かに認識されなきゃいつか消えてしまう。
そういう俺たちを知ってるやつは、俺たちのことを
──まぁ、ともかく、俺がなくしたのはパーソナリティ……違うな。アイデンティティだったか?まぁそういうヤツだ。実は外見がない。アンタらが俺だと思ってるものは俺じゃないし、正直俺にも見えてない。元の顔がどんなだったのかすら覚えてない。
ま、そのへんの事情が重なって、死なないどころかどんな傷を負っても一晩で治っちまうし、見える顔や発する声すらアンタらの希望に添うんだ。
ああ、でも、だったら、もしかしたら怪我、治ってないのかもしれねえな……。
/
「……」
結局、ぼんやりと彼の話を聞いて、簡単な手当てをしてやって、そのまま帰ってきてしまった。彼は、
「仲間以外に手当てされたのは久々かもしれない」
なんて笑っていたが、笑える状況じゃないと思う。
「はぁ……」
ため息。
同僚に興味本位で聞いたのが間違いだった気がするというか、最初に幻覚扱いして逃げておくべきだったというか。
俺は彼に一体何をしてやれるだろう。いや、何をしてやれる、なんて思うのは良くないだろうな。きっとこれは俺のエゴでしかないし、できることといえば「消滅したくない」なんて言っていたように見えた彼のことを忘れずにいるぐらいしかできない。
「……どうすりゃいいんだろうなあ」
/
「『殴られ屋』──」
興味本位だった。
「よぉ、アンタ、結局俺を呼んだのか」
興味本位だった。
「そうだ。なあ、お前、俺に一発殴られてくれるか」
「一発だと割高だぜ」
「いいんだ」
「……いいだろう、最低額は一万だ。一発でも一万だ。いいな?」
「勿論」
「じゃ、始めよう。──やっぱいんだな、アンタにも、一人や二人、殴りたいやつってのがさ」
──勿論、いる。
俺にもたった一人、どうしても殴ってやらなきゃ気がすまないやつがいる。
「──っっ」
勢いつけて殴ったのは、俺が憎んでやまない自分の顔だった。
興味本位で誰かを殴ろうなんてヤツは、殴られて当たり前なのだ。……いや、殴られたの、俺じゃないんだけどさ。
「はーっ、スッとした」
「そーかい……追加料金請求しても?」
「スマン、思ったより威力出た」
「アンタ、ボクサーにでも転向したほうがいいんじゃない?」
「はは……そうかもな」
「……」
「あのさ、手当て、義務にしたほうがいいと思うよ、俺」
「うん、俺もいまちょっと思ったわ」
/
「しばらく休業しようかねえ」
「えー、しゅうやがそんなこと言うなんて珍しいー」
「カロリー使うんだよなこの仕事……」
神をどこで見たかといわれれば、ファーストフード店で見たと言おうと思う。
……食事、ふつうに摂れるのか。
「道也も前に言ってたろ、めんどくさい客がついたらしばらく休めって」
「えー、そんなのついちゃったの?顔とか変えちゃえば?っていうか呼ばれても無視すればいいじゃん」
「フリーダムかおまえは。残念ながらお前ほど自由な仕事じゃないんでね、普通に休業告知出して休んだほうが安全なんだよ」
恐らくはシェイクを啜って、もう片手でポテトを食べて。ああしているのを見ると、まるで年頃の少年のようだな。
殴られ屋、だなんて名乗って、あんな痛々しい商売をしているとは思えない。
「うーん、まあ、しゅうや、大変な目にあったんだねえ」
「ぼくたちの中じゃ一番大変な仕事してますからね」
「そう思うなら手伝うか?モヤシ」
「いーや!ぼくは讐夜みたいに痛いのに強くないからね!」
「ハハハハ、意気地なし」
(話の内容はともかく)彼らはずいぶんと仲が良さそうで、案外、俺が何もしてやらなくても彼は平気なのかもしれない。
──というか、当然なのだ。勝手に『俺が何かしなくちゃ』なんて思っていただけで、彼は俺に会う前もずっと自分で生きてきたんだから。
「子供ってヤツは、たくましいな」
社会の理不尽なんて、彼らに降って沸いた不幸に比べればどうってことないのに──今にもくたびれそうな俺に比べて、彼らはなんて溌剌に笑っているのだろうか──
なんだか眩しく見えて、俺はそっと目を細めた。
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