小さなキミへ

かざき

小さなキミへ

工房の奥に簡素な扉がひとつ。


ある静かな午後のこと。

主とその相棒以外が通ることなど滅多にないそれが、キィと音を立てた。


わずかに空いた隙間から顔を覗かせたのは不安や焦り、自信のなさをこれでもかと背負った幼い少年だった。


「あの、ここって……」

少年の問いに工房の主は少し言葉を選んでから

「惑星グラースタにある工房ナナシボシだよ」

と答える。

その答えに少年は明らかに落胆した様子で、小さく溜息をついた。


「迷子?」

「迷子じゃないんです……けど、目的地に行けないから迷子なのかなぁ」

工房の主の問いに答える少年の声はだんだんと小さくなり、うつむいてその表情が帽子のつばに隠れて見えなくなる。


工房に着いた時よりさらに一回り小さくなった少年にどう声をかけたものかと主は少しだけ悩んだが、それもほんの一瞬で、すぐに次の言葉を投げかけた。


「お急ぎ?」

その問いに少年が首を横に振るのを見ると、主はニコリと微笑んで工房の一角にある椅子に座るよう促した。

それから主はどこか楽しげな足取りで奥の部屋に姿を消し、次いで微かに聞こえる鼻歌をミキサーの回る音がかき消した。


しばらくして少年の元に戻ってきた主は、

「甘いもの、大事」

と、飲み物の入ったグラスを少年の目の前を置いた。

「お腹が空いてたら出来ることも上手くいかないし、いい考えも浮かばない。だからね、おやつタイム」


促されてグラスの中身をひとくち。

優しい甘さとバナナの香りが口いっぱいに広がる。


「僕、師匠に頼まれて買い出しに出たんです」

グラスの中身が半分くらい減ったところで、ずっと黙っていた少年がポツリと呟いた。


曰く、誰でも使える魔法の扉の様な物を使って目的地に行くはずだったが、何度やっても目的とは違う場所に出てしまう、と。

それが一度や二度の話ではないこと、さらには自分が魔法使いの弟子でありながら“当たり前”の魔法が使えないこと、そんな話を続けた。


「僕には足りないものがたくさんあるんです。もしかしたら、何もないのかもしれない……」

「でも、何もなかったキミにも手に入れたものはあるんだよね」


それまで話を聞くことに徹していた工房の主が、たまらずそう投げかける。


「新しい知識、新しい経験、一緒に過ごす仲間、心地のいい居場所、名前を呼んでくれる人。そういうの、ある?」

主の問いに、少年は自分の居場所となった場所を思い浮かべ「あります」とうなずいた。


「あのね、私たちの手はね、そんなに大きくないから、みんなと同じ物もみんなに無い物も全部持つのは難しいの思うの」


工房の主は自分の想いを伝える言葉を探しながら、静かに語り出した。


「でもね、キミはキミを作ってきた物をすでに持ってるし、これからも集めていくことはできると思う。……たぶん、何もないわけじゃない」


押しつけるわけではなく、素直に思ったことを。


「だから、キミにとって大切なものをその手からこぼさないようにすれば、それでいいんじゃないかな」


工房の主のその言葉を聞いて、少年はふと師の言葉を思い出した。

言わんとしていることが同じなのか、別のことなのかは分からない。

ただ、その言葉と共にポンポンと頭を叩く師は、今目の前にいる工房の主と同じような柔らかい表情をしていた。



グラスの中身を空にして丁寧にお礼を言う少年。その表情は扉を開けた時とは見違える様で、子供らしい明るさを取り戻していた。


「やっぱりおやつは大事。バナジュー、えらい」

「そこですか?」

主が満面の笑みを浮かべて発した言葉に少年は思わずツッコミを入れ、そして2人で顔を見合わせて笑った。


「うん、いい笑顔。きっともう大丈夫」

「はい。もうひと頑張りできそうな気がします」


それから少年は再びお礼を言うと、「そろそろ行きますね」と立ち上がった。

わずかな荷物を確認し、奥の扉に手をかける少年に主は


「おつかいの続き、いってらっしゃい。今度は迷子にならないようにね」


と、声をかけた。


それはかつて彼女がかけられた言葉のひとつ。

そして自分を作ったもののひとつ。

それを、あえて彼に向けた言葉に選んだ。




キィという音を立てて開いた扉の向こうに少年は歩き出す。

その小さくなる背中に向けて、工房の主は誰にも届かないような小さな声でこう呟いた。


「またね、小さな魔法使いさん。……私に始まりをくれるひと」

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小さなキミへ かざき @foo_kazaki

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