四章(4)
「お兄さま……」
フィリップの話に、アデライドは思わず声を漏らす。
彼にとって、父であるオブラン公爵は残された唯一の家族で尊敬する人、なのだろう。
だから――
と、そのとき馬車が徐々に速度を落としていき、やがて完全に停止した。もしかしたら目的地に着いたのかもしれないが、脱出防止のためか窓には木の板が打ちつけてあるため確認する
さてどうするべきか、と思っていると、再度馬車が動き出した。どうやらまだ到着していなかったらしい。
ガタゴトと揺れる馬車。静かな馬車の中とは対照的に、外からは賑やかな喧騒が聞こえてくるから、どこかの街に入ったのかもしれない。
(どこなのかしら?)
育ったシルスター王国はともかく、一ヶ月前まで来たことのなかったブランクール共和国の地理なんて把握していない。今現在首都からどのくらい離れた場所にいるのかなんてさっぱりわからなかった。
そんなことよりも。
アデライドはフィリップに視線をやった。彼は沈鬱な表情を浮かべて黙りこくっている。
彼を説得することが、今アデライドの成すべきことである。
「お兄さま――」
そう呼びかけた、まさにそのとき。
どこからか銃声が聞こえてきた。
遅れて悲鳴と怒号、そしてまた銃声。
「なに……?」
おそらく外は大混乱に陥っているだろう。
しかし馬車は止まらない。まるで何事もなかったかのようにどこかへ向かって進み続ける。
明らかな異常事態なのに。
「なんなの? なにが起こっているの?」
嫌な予感が胸中で渦巻く。
とりあえず外の状況を確認したいが、窓には木の板が打ちつけられている。
となると、多少危険だが扉を開けるしか方法はない。
そう判断して、アデライドは動く馬車の中で立ち上がり、扉に手をかけようとして――
「アデラ」
――フィリップが手首を掴んできた。
彼のほうを向けば、感情の読み取れない無機質な瞳がこちらを射抜いていて。
ゆっくりと、彼の唇が開かれる。
「大人しくしてて」
その言葉に、もしかしてという予感が膨れ上がっていく。不安が重たく絡みついてくる。
アデライドはおそるおそる尋ねた。
「……どうして?」
「危険だからだよ」
「っ、でも!」
「アデラ」
重たい響きの声。いつもその声を出されると、不満を抱きながらも彼の指示に従ってきた。彼のことを信頼していたから。彼のすることは正しいと思っていたから。
でも。
「いやよ」
フィリップの手を振り払うと、アデライドは馬車の扉を開いた。
途端、馬車のすぐそばにいた護衛がぎょっとしたようにこちらを向く。扉を閉めてこようとするが、それをなんとか阻止しつつ周囲を見回す。
首都と似た雰囲気の街並みがそこにはあった。大通りであるらしく店が軒を連ねており、多くの人々がいる。
しかし彼らはみな一様に恐慌状態に陥っているようだった。なにかから逃げ出すように馬車の進行とは反対の方向へと走っていく。
彼らの逃げ出す先に視線をやれば。
そこには浮浪者のような衣服を着た何人もの男たちがいて、彼らは小銃を持って脅すかのようになにかを叫んでいた。
「なによ、これ」
人々は逃げ出す。
しかしこの馬車は止まらない。男たちの元へと向かっていくし、男たちもこの馬車を狙ってはいないようだった。
それは、つまり――
そのとき馬車が速度を落としていく。急な変化に慌てて壁で体を支えると、その隙に扉が閉められた。
バタンと音を立てた扉を、アデライドは呆然と見つめる。
あまりのことになにもできないでいると、しばらくして馬車が完全に止まった。
先ほど閉められた扉がもう一度開かれる。
そこにいたのはファルシェーヌ卿だった。彼はアデライドを見るとにっこりと笑う。
「どうかしましたか、女王陛下?」
それはいつもと変わらない声だった。そのことがよりいっそう異質さを際立てる。
こんな状況なのに。
彼は笑みを浮かべる余裕さえあって。
「……あなたは、自分がなにをしているのかわかっているの?」
ぐるぐると渦巻く感情を押し殺し、尋ねる。
ファルシェーヌ卿は笑みを浮かべたまま小首を傾げた。
「……どういうことでしょう?」
彼の本心はわからない。心の底からそう思っているのか、自分のしていることを理解しつつも素知らぬふりをしているのか。
でも。
許せないことは確かで。
キッと、アデライドはファルシェーヌ卿を
感情に突き動かされるようにして口を開いた。
「あの男たちもあなたの差し金でしょう!? どうしてあんなふうに民を傷つけるようなことをするの!?」
「ああ、そのことでしたか」
ファルシェーヌ卿は淡々と頷く。
そしてなんてことないように言い放った。
「別にこれくらい普通でしょう? 臣民は貴族に従う存在なのですから。従わないやつらに生きる価値などありませんし」
「ふざけないで!」
「ふざけてなどおりません。女王陛下こそどうかなさったのですか?」
きょとんと不思議そうに尋ねてくるファルシェーヌ卿。この態度からしておそらく彼は心の底からそう思っているのだろう。庶民は貴族に従うべきだと、たとえ彼らにとって理不尽であれどもその要求をのまねばならないと。
どうして彼がそんなことを思えるのかわからなかった。理解できなかった。
彼らだって同じ人間なのに。
「なんで、そんなことを――」
ぐるぐると様々な感情が渦巻く。
その大部分を占めているのは、強烈な怒り。
「っ、今すぐにやめさせなさい!」
「それは無理です」
「命令よ!」
「女王陛下……」
「ファルシェーヌ卿!」
叫ぶ。なんとか止めさせたくて、アデライドは力の限り叫んだ。
けれど。
ファルシェーヌ卿はそっとため息をつく。
「――捕らえよ」
「どうして!?」
わからなかった。どうしてファルシェーヌ卿が、自身の行いが間違っていると思わないのか。王政に戻したいと思っているのに、どうしてアデライドを捕らえるのか。
ブランダン王国は絶対王政の国であったのだから、彼自身が「女王」と呼ぶアデライドには逆らうことはないはずなのに。
そう思っている間に護衛によってまたもや捕縛される。
アデライドはただ叫び続けることしかできなかった。
――アデライドが入れられたのは町の中心部二ほど近い、とある屋敷の二階にある一室だった。
それなりに上等な部屋ではあるものの、バルコニーに繋がる大きな窓にはどうやってか外側から鍵がかけられており、それ以外の小さな窓には格子がはめられていて逃げ出せそうにない。おそらくアデライドをここに捕らえるために改修をした部屋なのだろう。
時刻はすでに真夜中を過ぎており、周囲はひっそりと静まり返っていた。部屋で夜空を眺めながら、アデライドはそっとため息をつく。
銃を放つ男たちに追いやられ、ほかの街の人がどうなったのかは知らない。しかし日の沈み始める前から街は静かになっていたからだ。
どうか多くの人が無事でありますように。
そう願っていると。
コンコンと扉の叩かれる音がした。おそらく侍女だろうと思って「どうぞ」と答える。
しかし――
扉の開く音がしてそちらを向けば、一人の姿が目に入った。つい目をぱちくりさせる。
「お兄さま……」
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