三章(7)
ガチャリと鍵のかけられる音がした。コツコツとかすかに聞こえる足音はひとつだけ。やはり扉の前にいる護衛は動いていないらしい。
はあ、とため息をつき、アデライドはぽすりとベッドに寝転がった。外出用のドレスから市民風ドレスに着替えさせられたため、締めつけられる苦しさとかはない。けれどどうしようもなく胸が苦しくて、気分がどんどん落ち込んでいく。
――あのあとどうにかして逃げ出そうと抵抗したものの、結局連行され、アデライドは屋敷の一室に閉じ込められることになった。しかもご丁寧なことにわざわざ二階の部屋だ。おそらく一階だった場合、窓から脱走するとでも思ったのだろう。
実際アデライドもそうするつもりだったのだが、さすがに二階では脱走はできない。
しかも扉の外には常に護衛が控えており、メイドが出ていく際にも一切の隙がなく、もう打つ手がなかった。
(どうしよう……)
胸がざわざわとして落ち着かず、ベッドの上をゴロゴロと転がった。
このままここにいるのはよくない。それはわかっている。わかっているけれど、これからどうすればいいのだろう?
(もう一度お兄さまを説得したいのよね……)
そっと目を伏せる。
ファルシェーヌ卿が部屋に入ってきたとき、アデライドのことを責めなかったフィリップ。連行されるときだって嘲笑うことはせず、ただ黙ってうつむいていた。そのことが少しだけ引っかかるのだ。
もしかしたら少しくらいは彼に言葉が届いていたのでは、と。
(まあ、家族の情からなにも言わなかっただけかもしれないけど……)
それでも、少しでも可能性があるのなら。
アデライドは反革命派を止めるため、それにすがりついてフィリップを説得したい。
そのために彼と会いたかった。しかし閉じ込められている今、どうすれば彼に会えるのだろう? それに――
『もう遅いのですよ。計画実行はすぐそこに来ていますから』
ファルシェーヌ卿の言葉を
説得に失敗する可能性もあると考えると、この情報は誰かに伝えたい。
そのとき頭の中に浮かんだのはエリクだった。
(どうやって会いに行くべきかしら……?)
彼が普段どこで過ごしているのかなんて、アデライドは知らない。それなりの時間をともに過ごしていたけれど、お互いのことはほとんど知らなかった。
相手の立場に気づいてしまいたくなかったから、意識して触れないように心がけていたのだ。
今回はそのことが
(軍人だってことはわかるけれど……。詰所っていうところに行けば会えるのかしら?)
だが四六時中そこにいるわけではないだろう。事実街の巡回をしているときに顔を合わせることだってあったし。
うーんと悩んでいると、耳にかすかな音が聞こえてきた。ぽつぽつと窓を叩く、その音は。
勢いよく体を起こして窓のそばに近寄る。黒い雲から透明な雫が落ちてきていて、世界を少しずつ色濃く染めていく。
(雨……)
わずか数秒後には本降りとなり、街並みが薄いベールに覆われる。急な雨だったからだろうか、戸惑うような声が聞こえてきた。使用人たちがなにかしているのかもしれない。
そのときふと、この状況なら脱出できるのでは? という考えが浮かんできた。雨で見えづらいし、使用人たちはドタバタ。この混乱に乗じて逃げ出せる可能性も、少しくらいあるのではないだろうか?
(失敗してもここに戻されるだけだし、なんとかなる、はずよ。……たぶん)
こんな機会が今後巡ってくるとも限らないのだから、今のうちに行動を起こさなければ。
覚悟を決めるとアデライドは窓から離れ、ぐるりと部屋を見回した。扉から出るのはおそらく無理だろう。それならば残された道は一つだけ。
窓だ。けれどそのまま飛び降りるわけにはいかないから、なにかロープのようなものがほしい。
目についたのはベッドのシーツだった。それなりに大きなベッドだから、少しくらいはなんとかなる、はず。
(……迷ってる時間はないわね)
アデライドはベッドからシーツを
「……よ、予想より短い……!」
思わず声を漏らす。そう言ってしまいたくなるくらい、窓から垂れたシーツは短かった。まったく地面に届かないどころか、一階の天井に届いているのかすら怪しい。
(で、でも、ないよりはマシ!)
自らにそう言い聞かせ、アデライドは慎重に窓の外にへと足を出す。たぶんではあるが、木登りしたあとに降りるような感じで行けばいいのだろう。木登りは得意だからなんとかなる。と、思われる。
しかし。
「くっ……滑りそう……」
木とは違ってシーツはつるつるだし、雨が降っているのも相まって手が滑ってしまいそうだった。しかも木登りと違って頼りないシーツであるため、しっかりと握っていないと一気に落下してしまいそうである。
それでもなんとかして下へ降りていっていたのだが。
二十秒くらい経ったころ、ビリッと嫌な音がした。
おそるおそる上を向けば、シーツが途中で破れかかっていて。
「え……?」
呆然としている間にも裂け目は広がっていき。
少しして完全にシーツが破れた。
「ひっ――!?」
一瞬の浮遊感。きゅうっと心臓が縮こまり、なにもできないまま落ちていく。
そして。
そのまま痛みが消え去るまで
よろよろと起き上がると、アデライドは周囲を見回した。広大な敷地はぐるりと塀に囲まれている。門には誰か人がいるだろうから、さすがにそこから出ることはできないだろう。
それならば塀を乗り越えて脱出するしかない。
幸いにもすぐ近くに木が植えられている。それに登って塀の上に飛び移れば、なんとかなるだろう。
(……よし、やるわよ)
そのとき。
「こっちからだったよな?」
「ああ」
遠くからかすかな声が聞こえ、ひゅっと息を呑んだ。落ちてしまったときに音が立ってしまったのだろう、それを怪しんで確認しに来たに違いない。
慌てて木の上にのぼり、息を潜ませる。このまま気づかれてしまうのではと思うと気が気ではなくて、心臓がバクバクとやかましい。
(気づかないで……!)
口元を押さえてじっとしていると。
「……なにもないな」
「だな。早く戻るぞ。明日は移動するんだっけ?」
「ああ。まったく、めんどうだ……」
(移動……?)
護衛たちの言葉にアデライドは内心で首を傾げる。移動だなんて、いったいどういうことだろう? ……もしかして、それも反革命派の計画のうちなのだろうか?
(移動して……そこでなにかことを起こすのかもしれないわね)
思わぬところで情報を仕入れられた。これもエリクに伝えないと。
そんなことを思っていると、しばらくして去っていく気配がした。ほっと息をつき、周囲に誰もいないことを確認して枝から塀に飛び移る。
ガサガサと葉のこすれる音がした。気づかれてしまうかもしれないと思い、塀の上から高さを確認する。……これくらいなら大丈夫、な、はず。
(大丈夫、大丈夫よ、きっと)
煩わしい心臓をなだめつつ、アデライドは両手に力を込め、一度塀にぶら下がるようにする。そしてぱっと手を離して落下した。
バシャリと水が跳ねる。雨の降っている中、着の身着のまま飛び出したからだろう、全身ぐっしょりと濡れていてドレスや髪の毛が肌にはりついていた。
ふっと笑う。
(こんなんじゃ、誰もわたしが〝女王〟だとは思わないわよね)
フィリップが見たら大目玉をくらいそうだ。
そんなことを思いつつ、アデライドは目にかかった前髪を払うと、駆け出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます