二章(1)
侍女たちに手伝ってもらい、外出用のボリュームたっぷりなドレスに着替えていく。これからのことが楽しみでふんふんと鼻歌を歌っていれば、「なにか楽しみなことがあるのですか?」と侍女が尋ねてきた。
「ええ、そうなの。とっても楽しみなことがあるのよ!」
侍女の問いかけに、アデライドは満面の笑みで答える。
――エリクとの再会から一週間。その間毎日ほんの少しの時間は顔を合わせていたが、今日はなんと彼の仕事が休みであるため、いつもより長い時間一緒にいられるのだ。
今までも少しの時間なら会えていたとはいえ、やはり長くいられると思うだけで嬉しいし気分が高揚してくる。
早くエリクに会いたかった。
侍女の一人が、「それはようございます」と言って
彼女たちはシルスター王国から連れてきた、アデライド専属の侍女だ。この国に来てからもずっと、身の回りの世話は彼女たちがしてくれている。
そのためアデライドのこともよくわかっていて。
「では、本日はとびっきり可愛らしい髪型にしましょうか」
髪結い担当の侍女はそう言うと、アデライドを化粧台の前に導いて座らせる。鏡に映るのは蜂蜜色の髪に瑠璃の瞳の、幼い顔立ちをした少女。
「アデライド様はどんな髪型がいいですか?」
「うーん、そうね……」
侍女の質問に、アデライドは自らの顔を見つめて考える。できることならばエリクに可愛いと言ってもらえるような髪型がいい。けれど可愛すぎるのはこどもっぽ過ぎて嫌だ。もっとこう、女性らしい大人っぽい髪型がいい。
悩み、結局「子供っぽくない髪型」と、ふんわりとした要望を伝えた。侍女は「かしこまりました」と言い、テキパキと髪を結んでいく。
最終的に編み込みをいくつかしたハーフアップになった。動くたびに長い金髪がさらりと揺れる。髪飾りは少しだけ大人っぽく、白百合の形を模したものだ。
「ありがとう」
アデライドはお礼の言葉を口にし、椅子から立ち上がった。馬車を出してもらえるとはいえ、そろそろ屋敷を出ないと待ち合わせの時間に間に合わないだろう。
エリクと一緒にいられる。そのことを楽しみにしつつ、屋敷のエントランスへ向かって歩いていく。
アデライドが借りているのは屋敷の一階にある客間だ。フィリップもすぐ近くの部屋を借りており、エントランスへ向かうためには彼の部屋の前を通ることになる。
(そういえばお兄さま、最近特に忙しそうよね……)
元々フィリップはいろいろなことに手を出していて忙しそうにしていたが、この国に来てからはよりいっそうドタバタしている気がする。最近では夕食も一人で
そんなに追い詰められていて、はたして体調とかは大丈夫なのだろうか。彼のことだからきちんと管理をしているのだろうが、不安なものは不安で。
そんなことを思いながらフィリップの部屋の前を通り過ぎようとした、まさにそのとき。
ちょうど彼の部屋の扉が内側から開かれた。出てきたのは四十代ほどの男性で、彼は部屋の中へ向かって
いったいどうしてそんなに慌てているのだろう? そんなことを思っていると、「アデラ?」と声をかけられた。
扉を閉めようとしたのだろう、フィリップがすぐ近くまで来ていて。
「あら、お兄さま。……
よくよく見れば、フィリップの目の下にはうっすらと隈ができていて。思わずそう呟けば、彼は苦笑いを浮かべる。
「ああ、うん、今が正念場だからね」
「そう。あまり無理しないでね」
「――ああ、ありがとう」
フィリップはふわりと笑う。そこには確かに疲れが見えるけれど、まだ大丈夫そうだった。
ほっと安堵の息をつきつつ、アデライドはその場を去ろうとする。エリクとの約束の時間まであと少し、早く行かなければ。
「――アデラ」
そのときフィリップに声をかけられた。彼のほうを向けば、見たことないくらい真剣な瞳がこちらを射抜いていて、ゴクリと唾を飲み込む。いったいどうしたのだろう?
「なあに? お兄さま」
「――相談があるんだけど、今時間は大丈夫?」
相談。フィリップが、自分に。
今までなかったことに驚きつつ、できることならばその希望に応えたかったのだが。
アデライドは顔を歪める。
「ごめんなさい、お兄さま。これから約束があるの」
「……そっか。じゃあ行ってらっしゃい。楽しんでね」
フィリップは笑って送り出してくる。
その、どことなく寂しげな表情に後ろ髪を引かれたものの、エリクとの約束の時間に間に合わなくなってしまうため、アデライドは足早にエントランスへと向かった。
フィリップのことはもう頭の隅に追いやられていた。
屋敷を出てすぐのところに停めてあった馬車に乗り込むと、ややあって馬車が動き出す。
(間に合う、かしら?)
きゅっと手を握りしめる。
エリクなら遅れても笑って許してくれる気がする。でも彼と会う時間が減るのは嫌だし、万が一にでも嫌われる可能性があるのは嫌だった。
ゆっくりと進む馬車にじれったさを感じてしばらく、ようやっといつも乗り降りする場所に着くと、アデライドは扉が開けられるのを待たずに飛び出した。淑女としてあるまじき行為だが、そろそろ時間だったのだ。急がなければならない。
(お兄さまがいなくてよかったわ!)
フィリップが見てたらおそらく「アデラ!」と大声で怒鳴ってくるだろう。
そうならなかったことに安堵していると、どこからか鐘の音が聞こえてきた。一回。つまりは午後一時。待ち合わせの時間だった。
「あ〜、もう、もうっ!」
可動性のあるものとはいえボリュームたっぷりのドレスだし、しかもヒールのある靴だ。早く行きたいのに思ったように走れなくてもどかしい。
そんなこんなでできる限り早く走り続けていると、やがて待ち合わせ場所であるパティスリーへたどり着いた。息をつく暇もなく店内に入り、あたりを見回す。
エリクはすぐに見つけた。女性客の多いこの店で、男性一人はかなり目立つ。
「エリク!」
声をかければ、彼は勢いよくこちらを振り返った。そしてへにゃりと頬を緩める。
「アデラ。あっ、水飲む?」
「え、ええ」
エリクが店員に水を頼む。すぐにコップに入った水が出てきて、アデライドはそれをごくごくと飲み干した。淑女らしくないかもしれないが、気にしていられる余裕はなかった。
ふう、と息をつくと、アデライドはエリクの対面に腰掛けた。
「ごめんなさい、遅くなっちゃって」
「そんなの大丈夫だって。俺だって今来たばっかだし」
エリクはそう言ってカラリと笑うが、おそらくそうではないだろう。
シュンとうなだれていると、「それよりも、」とエリクが口を開く。
「今日はどれを食べるんだ? 休憩している間に買ってくるけど」
「え、大丈夫よ。自分で行くわ」
「いいからいいから」
エリクに押し切られ、結局彼にケーキを運んでもらうことになった。
彼は素早く買ってくると、そのままアデライドの対面に座る。
「はい」
「ありがと」
お礼を言って渡されたトレーを受け取る。乗っていたケーキを口にすれば、相変わらず美味しくて疲れも吹き飛んだ。
「ん〜!」
思わず頬を押さえれば、エリクがくすくすと笑い出して。
アデライドはムッと顔を
「なによ」
「い、いや、別に……ふふっ」
「ちょっとエリク!」
それでもエリクは笑い続ける。なにがそんなにおかしいのかよくわからないけれど、彼の笑顔を見ているとアデライドもなんだか変な気分になってきて、いつの間にか揃って笑っていた。
嫌われてしまうのでは、という不安なんて、そのときには吹き飛んでしまっていた。
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