4-5 目覚め、願う



 ぱちり。と瞼を開いた先に在ったのは、見なれた白の天蓋だった。

 【妹】であるダリアから贈られたダリアの花を象った指輪。左手の薬指に嵌るソレをなぞり上げながら身体を起こし、ベッドの淵に座る黒い男に顔を向ける。


「目が覚められたようですね、おはようございますマリア様」

「おはようジル……それで、今見せられたコレがこの世界の事実なの?」


 私の中にインストールされ、自動再生された私自身の記録。その中にあったすべてを指してそう問えば、ジルは「ええ、そうですよ」と一つ頷いた。


「この仮想現実は貴女が貴女のために創り出した、貴女のためだけの贋造の箱庭であり、復讐の蠱毒。そして何一つとして結果の変わらない八百長の殺人ゲームの真相です」


 「贋造の箱庭」「復讐の蠱毒」そして「八百長」。私がこの白鳳邸へやって来た時に言っていたジルのその言葉が、今なら理解出来る。

 この世界は私が私のエゴで創り出した、私のためだけの復讐の箱庭。

 その事実を改めて理解しながら、私はぽつりとジルに向けて言葉を零す。


「ねぇ……ジル。貴方はこの世界に、飽いていますか? 私が、憎いですか?」


 この延々と繰り返し続ける贋造の箱庭に縛られた貴方は。

 愚かにも全てを忘れた私を見続けた貴方は。


「ええ、創られたその時分からとうに飽きてしまっていますよ。ですがわたくしはこの世界に飽いているだけであり、貴女を憎悪しているわけではありませんから。そこは重々ご承知いただければ――」


 恭しく返されるジルの薄っぺらな言葉。それを遮り、私は「だから貴方は、ダリアを殺したの?」と彼に問うた。

 延々と私が繰り返していたこのゲームの中で、殺され続けていたダリア。ベッドの上で縊り殺され死んでいた彼女は、きっと誰しもが殺せた可能性があるだろう。けれど、この白鳳邸の中に居る人物において、彼女が私以外に気を許していたのは彼だけだから。それに彼であれば各部屋への侵入も可能だから。

 勿論、彼はこのゲームの審判役、ひいては進行役ではあるだろう。だが、そもそも此処がゲームとしての場ではないことを考えれば、そんな役割が名ばかりであることは容易に判断がつく。

 此処は、ただ私が私のためだけに創った世界。故に審判役という中立立場における勝敗の不干渉を強いる制約は無く――彼は、ジル・ド・アントの名を持ったNPCは、ダリアを殺せた。

 その判断が、予測が。私の空事であればどれほど良いかと期待しながらジルの言葉を待っていれば、彼は「嗚呼」と何かを思い出したように声を漏らした。


「それは何代目のダリア様のことでしょうか? わたくしがマリア様に創られて以降のことを問うておられるのであれば、わたくしが自らの手ですべからく殺しました。と正直に答えましょう」


 例え今、此処に居るジルが私の記憶から創られたNPCであろうとも。例え現実の世界においてジルとダリアとの間に血の繋がりがなくとも。彼にとって彼女は家族であり、庇護せねばならない子供であったはずだ。

 しかし彼は、彼女を殺したことを肯定した。それも何度も殺したのだとも添えて。


「……っ、どうして、殺したのですか」

「どうして殺したのか? ソレは至極単純なことですよ」


 私の問いにそう答え、彼は笑う。

 それこそ「私たち」を廃棄処分した時と同じように。

 ダリアの死を、私の眼前に晒した時と同じように。

 目の前の男は顔を醜く歪め、青白い頬をうっすらと赤らめ、嬉々とした色を持った声で言い放つのだ。

 ――貴女のその顔が、一等好きなのですよ、と。


「感情を伴わないただの人造人間が、まるで人間のように振る舞っている様が。嘆き哀しみ、もがき苦しみ、渇望する浅ましいその姿が。わたくしは愛おしくて仕方がないのです」

「ジル、貴方は……私が哀しんだり、苦しんだり、欲したりするさまが見たいがためだけに、ダリアを延々と殺し続けていた……と?」

「ええ、そうです」


 こくりと一つ頷き、私の言葉を肯定したジル。その顔には相変わらず醜い笑みが張り付いており、私は自身の背筋に悪寒が走るのを感じた。

 嗚呼、私はなんて愚かな過ちを犯してしまったのだろうか。

 こんな男を、NPCとして創り出すべきではなかった。

 彼の思想や発言を理解出来ないわけではない。彼もまた現実世界でダリアを殺した男たちと何ら変わりのない、それこそありきたりな「自己中心的な考え」の持ち主であるというだけの話なのだから。

 だが私は、この人間だけは選んでしまうべきではなかったのだ。

 例え私の知る人間がダリアと、柳道明と、ダリアの父親であり私の製造者である彼だけだったとしても――彼だけは選ぶべきではなかった。

 そもそも彼がダリアに対して行っていたネグレクトと呼ぶに値する育児放棄度合を鑑みるならば、彼をこの白鳳邸内に設置する方が間違っているのだ。

 嗚呼、それだけじゃあない。あの時、ダリアが行方不明になった六月一日、ダリアのGPSが切断されたことを彼に連絡した時間は、未だ彼女は天立の保有するアパートへ向かっている最中の時間だった。それなりの金と権力をもつ彼であれば、探そうと思えばあの時ダリアを探し出し、助け出せたはずだ。彼女が殺されることなど無かったはずだ。


「っ、」


 ベッドその淵に座るジル・ド・アントの姿をしたNPC。その暗い青の双眸から注がれるねっとりとした視線。それこそ舐め回されているかのような不愉快さを持ったソレに苛まれながらも、私はそれを甘んじて受け入れ、見つめ返した。


「ジル、私はこれからどうなるのですか」


 果たすべき役割から、ダリアという守るべき【妹】から逃げてしまった私は。

 私の苦しむ様に歓喜を覚えるこの男に、ゲームの進行権限を渡してしまった私は。

 いったい、どのような地獄を味わわされるのだろうか。


「どうなる? いえいえ。どうにもなりませんよ」

「どうにも、ならない?」

「ええ。どうにもなりません。今まで通り、マリア様にとって都合の良い世界がこれからも続いていくだけです。強いて言うのであれば……そうですね。貴女は、貴女自身が創ったこの贋造の箱庭(復讐の蠱毒)に、何を望まれますか?」


 私の苦しむ様に歓喜を覚える彼は、単純に私が苦しむ様を見たいのではなく、あくまでも私が下した選択により私自身が苦しみ破滅する様が見たいのだろう。

 ねっとりとした視線を私へと注ぎ込みながら、私の意見を求めてきた彼の悪趣味さに小さく溜め息を吐く。そして、私は「望んだところで何になると? どうにも、ならないのでしょう」と彼の言葉を引用し、問い返した。


「ええ、どうにもなりません。ですが、この世界は貴女のための世界なのです。現実の世界とは違い、ロボットに準じた身である貴女でも望むことの許された虚構の世界なのです。ですからどうか、貴女の愚かなまでの望みを、わたくしに叶えさせてほしいのです。そして、その果てにある貴女の破滅をわたくしに見せてほしいのです」


 「さあ、さあ、さあ!」と感情の高ぶりを抑えようともせず、私から望みを引き出そうとする黒い男。

 私には、望みなどといえる代物は無いというのに。

 私にあるのは、私がするべきであった役割と、果たすべき責務だけだというのに。

 嗚呼けれど。もし、本当に望むことが許されているのであれば。

 彼の思惑通りになるとしても、望むことが許されるのであれば。

「今まで見殺しにしてきたダリアたちに報いたい」と、望んでも良いのでしょうか。

「私が守るべきだった彼女たちを、今度こそ守りたい」と、願っても良いのでしょうか。



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