4-2 おやすみなさい、お姉さま



 齢五つ、ということもあり学校へと通う歳ではなかったダリア。そんな彼女と二人で丸一週間をこの白鳳邸(我が家)で過ごし判明したことは、【妹】であるダリアは「同年代の子供と比べ、しっかりとした五歳児」であると共に、「近しい人に対しては、とても甘えたになる五歳児」である、ということでした。

 邸宅と呼ぶに相応しいこの家で、ほぼ一人で過ごしていたダリアが「しっかりしている」のは特記すべき事柄ではありません。何故なら、そう。一人で過ごすことを強いられた以上、そう(﹅﹅)なるしかないのですから。

 ですが、「甘えたな五歳児」であるという点においては特記しておくべきでしょう。

 白鳳ダリアは、この家の何処に行くにしても、移動する際は必ず私の手を握っていたのですから、と。

 それもただ手を握り歩くのではありません。統計において四十六秒に一度は必ず私の顔を見上げ、大して変わりも、そして映えもしない私を見ては笑み、三分の一の確率で「ねぇ、お姉さま」と声を掛けてくるのです。

 そんな彼女を「甘えた」と言わずに何と言うべきなのでしょうか。

 しかし、そんな「しっかりした子供」であると同時に「甘えた」な側面を持つダリアにも、普通の五歳の子供と同じように健やかに育つ好奇心が在りました。それこそ注意力は大人に比べて散漫で、一つの事に注視した途端に周りが見えなくなるといった具合に。

 そのため私はそんな彼女が危険な目に合わないよう、その危険を排除したり、ダリアの行動データの統計がある程度取れてからは危険になりそうな物事を事前に防いだりしました。

 ですがそれら全てを防いでしまってばかりでは、彼女を健全な大人へと育てることは出来ないとも判断した私は、時に彼女の弊害となりうるものをあえて放置したり、人間の健やかな成長に必要不可欠な失敗もまた経験させたりもしました。

 そう。例えその行動が庇護者としての役割に近しい【姉】なる役割に反していたのだとしても、後付けされたその役割が育児型人造人間として製造された「私」の根底を塗り潰すことは有りませんでした。

 なにしろ「私」の主な役割は、ダリアの健全な成長に重点を置かれているのですから。

 そんな私ではありましたが、私が見守るべきダリアから学ぶことも多くありました。

 筆頭として挙げるのであれば、そう。ダリアの心について、でしょうか。

 もとより人間の子供と接することが主な役割となる育児型人造人間として製造された「私たち」には、幾千万のモニターからなる人間たちの表情や体温、言動の統計と、それをベースにした行動パターン予測。さらにはそれを応用するために必要な――「私たち」が対峙する人物の背景や性格、状況、他者との関係性からなる――情報、ないしはファクターを鑑み、内に秘められる感情を予測する機能が備わっていましたから、「人間の感情」についての知識は大いに持っていました。

 ですが、ソレは無用の長物と断じても相違ない代物でした。

 何しろ私が接することになったダリアの生育環境下。すなわち、広い邸宅にたった一人で生活させられているという状況は、感情を予測するためにと共有された情報内には含まれていないケースだったのですから。

 しかしながら、機械部品が身体の大半を占める私には「ロボット工学三原則」――


 第一条、ロボットは人間に危害を加えてはならない。

    また、その危険を見逃すことによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

 第二条、ロボットは人間の命令に服従しなければならない。

    しかし、与えられた命令が第一条に反する場合はこの限りではない。

 第三条、ロボットは第一条および第二条に反する恐れのない限り、

    自己をまもらなければならない

 

――という、その三つの原則を厳守する義務がありました。

 いうなれば、人造人間たる私はダリアの心を傷つけてはならないのです。

 もし仮に、彼女を傷つけてしまったなら。私は不良品として処分されなければなりません。それこそ、出荷されることなく廃棄処分となった「私」以外の「私たち」のように。

 私としては身体の大半が機械であるこの身体が廃棄処分になろうとも、構いはしません。それが当然の報いであり、罰なのですから。

 しかし流石にそうなってしまうと、ダリアとの間にある約束を――ダリアをひとりぼっちにしない。という約束を破ることにもなりますし、何より私が居なくなってしまったことで彼女の心を再び深く傷つけることにも繋がりかねません。ですから私は、ダリアの心について学んだのです。

 否、学ばざるをえなかったのです。

 例えダリアの心を傷つけないようにするための情報が、ファクターが圧倒的に不足していたとしても。私はダリアの心に寄り添い、同情し、共感できるよう日々、毎時、毎秒、自身に保存されているダリアについてのデータを更新し、保存し続けました。

 ですがそんな日々を送っていた私に「転機」が訪れたのは十二月二十四日。ダリアの誕生日である六月五日から六ヶ月と十九日が経った、世間一般的にはクリスマス・イブとされている日の晩でした。

 その日もいつもと同じように、うっすらとした明かりが灯される赤を主とした部屋の中。私とダリアは弾力のあるベッドの上で白の天蓋を纏った天井を見つめていました。


「……どうかしましたか、ダリア様」


 私の隣で寝ころんでいたダリアが寝返りを打ち、私の腹部へと顔を埋めてきたことを契機に、私はそう彼女の名を呼びました。

 十二月後半といえば、外ではちらちらと白い雪が降る季節。室内は暖房をつけているため適温に保たれていますし、私の視覚に搭載されている熱感知機能からもダリアの身体に冷えは検知できませんでした。

 室内は適温で、彼女の身体に冷えも無い。ならば――この抱きつく、という行為が暖を求めてのことでないならば、私が導き出せる答えは一つ。

 それは、「寂しさ」でした。

 何しろダリアは、寝る前に私を抱き締めてきた時は九十七%の確率で「ひとりぼっちにしないで」と寂しさを訴えてきているのですから。

 今回もまたそうなのだろうと判断し、私はダリアの小さな背に手をまわします。


「ダリア様。私は此処に居ますよ」

「うん……。……ねぇ、マリアお姉さま。お姉さまは、ダリアのこと……どう思う?」

「ダリア様のことをどう思うか、ですか……?」


 彼女の言葉を反芻しながら「とても可愛らしい方であると、私は思っていますよ」と、彼女の心を傷つけない。彼女の心に最も寄り添った言葉を発せば、彼女は不服気な顔で私を見上げてきました。


「違うの、お姉さま。わたしはお姉さまに褒められたいわけじゃあないの。お姉さまが考えた、お姉さまが導き出した、まっすぐな言葉が知りたいの」

「ですが、それでは……ダリア様の心を傷つけてしまいかねません」


 「っ、」と一度息を飲み、目を見開いたダリア。しかしその表情は緩やかに笑みへと移り変わりました。

「大丈夫よ、お姉さま。わたしはお姉さまの言葉で傷つくようなことは無いわ。だってわたしは、お姉さまのことが大好きだもの。大好きなお姉さまに、何を言われても傷つかないわ。それに目に見えない心の傷を、いったい誰が『在る』と言うの? ねぇだから、お願いお姉さま。わたしにお姉さまが何を思っているのか、お姉さまがダリアに対してどんなことを考えているのか、そのすべてを教えてほしいの」

 にっこりと笑みを浮べ、そう言い放ったダリア。しかしそんな彼女を前にしても「ですが」と渋る私にしびれを切らしたのでしょう。ダリアは「ほんとうよ、マリアお姉さま。それともお姉さまは、ダリアが嘘をついていると思う?」と追い打ちをかけるように私の顔に小さな人差し指を突き付けてきました。


「めっそうもありません。ダリア様が嘘を吐いているだなんて、そんなこと」

「ならダリアのこと、信じて。ダリアは、お姉さまになんて言われても傷つかないって」


 本当にダリアは、私に何を言われても傷つかないのでしょうか?

 本当にダリアは、私の『まっすぐな言葉』を聞きたいのでしょうか?

 嗚呼そんなこと。答えのしれないそんなこと、実行に移せるわけがない。


「……ダリア様。もし私がダリア様の心を傷つけてしまったなら、再びダリア様を一人ぼっちにしてしまいかねないのです。だからどうか――」


 私に私の『真っ直ぐな言葉』を口にさせるようなお願いは、命令は、やめてください。

 そう言おうとした私の唇をとうとうダリアは手で塞ぎ、「ダメよ」ときっぱり言い放ちました。


「教えてくれないとダメよ、お姉さま。それにさっきも言ったでしょう? わたしは大好きなお姉さまの言葉では傷つかないって。だからマリアお姉さま、ダリアの事をどう思っているのか教えて? それともお姉さまは、ダリアの言葉が信じられない?」


 私の目をまっすぐに見据えてそう言い切ったダリア。その言葉に、その感情に。嘘偽りを見いだせなかった私は、彼女を信じることにし「ダリア様が、そう望むなら……」と一つ頷きました。

 そして、ゆっくりと。自身の死、ダリアの悲しみを予測しながら、私はダリアについての事を彼女本人に語りました。

 私は貴女の遺伝子を元にして作られた人造人間であること。

 貴女が健やかに成長させることが、私の役割であること。

 それが完了する二十歳の誕生日に廃棄されること。

 この白鳳邸は、貴女を健全な大人へと育成するには不適切な場であること。

 仕事を口実に貴女に会いに来ることのない父や母に対し、憤りにも似た「感情」を抱いていること。

 長年手入れをされていないせいか、荒れ果てている庭に手を加えることを許可してほしいこと。

 貴女の柔らかなその身体で抱きしめられる度、貴女の花弁のように小さな唇が私の名を呼んでくれる度、貴女がその青い瞳に私の姿を映してくれる度、喜びの「感情」を抱いているということ。

 その他にも言うべきこと、言ってしまわない方が幸せであったこと。直すべきこと、褒めるべきことを一通り放出した私の目の前に在ったのは、呆けるダリアの顔でした。


「ダリア様? もしご気分がすぐれないのでしたらすぐにでも……」


 ぱちくりと目を瞬かせ、私を見つめているダリア。彼女の肩をゆるくゆすり、声を掛ければ、はっ、と大きく息を吸った直後、私の方へ顔を近付けてきました。


「お姉さま! マリアお姉さまは、ダリアが考えていた以上に、いろいろなことを考えていたのね! すごいわ!」


 ぎゅう、と子供特有のやや高めの温度を纏った柔い肉が、私の身体へと飛びついてくる。彼女の青の瞳の瞳は爛々と輝いていた。


「お姉さまはわたしたちのお家を不適切だって言ったけれど、わたしはそうは思わないわ! だって毎週土曜日には必ず柳お兄ちゃんが来てくれるし。今日なんかは土曜じゃないのにクリスマス・イブだからって、クリスマスツリーを用意してくれたし。ケーキとか、プレゼントもくれたし! それにお母さまやお父さまが居なくたって、今は大好きなマリアお姉さまがダリアとずっと一緒に居てくれるもの! だから、不適切なんかじゃないわ!」


 ううん! むしろずっと良い場所よ!

 私のまっすぐな言葉を、喜んで見せたダリア。彼女は歓喜混じりの声色を上げ、私の胸元へと顔を埋めてきました。

 勿論、念のためにと私はダリアの声質、体温、心拍数、行動、等から彼女の感情を分析しましたが、結果の中には「哀しみ」はおろか「落胆」も検出されず、むしろ表面上のダリアと同じく「喜び」が色濃く表れていました。

 嗚呼、ダリアは私の言葉では傷つかない。

 その事実を体感として知り得た私は、これまでの日々が終わるのだと。死と隣り合わせの危険な綱渡りが、ダリアの心を傷つけまいと彼女の心について知ろうと学んでいた日々が終わったのだという考えに至りました。

 ――そう、その瞬間こそが私の「転機」であり、肩の荷が下りた瞬間だったのです。

 しかし、それを知らないダリアはそれらを何気ない一コマとし、私の胸元に顔を埋めたまま「お姉さまは七時まで起きちゃだめよ」と私に命令し、眠りにつきました。


「了解しました」


 瞼を閉じ、すぅすぅと安定した呼吸をし始めたダリアの眠りがレム睡眠からノンレム睡眠になったことを確認し、うっすらと灯っていた部屋を消灯させました。そして幼い彼女の身体にしっかりと毛布を掛けた後、私もまたダリアと同じように瞼を閉じ、スリープモードに入りました。

 翌日、十二月二十五日の六時二十七分。私より早く起床したダリアがごそごそと自身の枕元を弄りはじめたことをきっかけに、私は覚醒しました。

 昨晩の内に「お姉さまは七まで起きちゃだめよ」と彼女に命令されていたため、私の視界は利きません。しかし、それでも音や触覚からの伝達で、私はダリアがいったい何をしているのか。あるいは、何をしようとしているのか、知覚し続けました。

 枕元を一通り弄り、目当ての物を見つけたのでしょう。ダリアは自身を抱きしめている私の腕の中で器用に寝返りを打つと、私の左手を取り、その薬指に何か。それこそ「指輪」と表現しうる物を嵌めました。


「ふふっ、お姉さま。よろこんでくれるかしら?」


 声から察するに、嬉しげな様子でいるだろうダリア。彼女は私の手に嵌めたソレを何度も何度もなでつけては、喜びの声を上げている。そんな彼女の様子を堪能し続けていれば、時刻はすぐにダリアが私の起床時間として定めた七時となりました。


「おはようございます、ダリア様」

「……おはよう、マリアお姉さま」


 起床の挨拶と共に閉じていた瞼を開き、腕の中に居るダリアを見下せば、彼女は恥ずかしそうに私の方から目を逸らしてしまいました。しかし、そうしながらもチラチラと私を見てきたり、私の手元へと視線を向けたりと行動が安定しません。

 そんな彼女の視線に促されるように、私が自身の手――ダリアが先程私の指に嵌めた物体を見てみれば、其処には銀色のダリアの花を象った指輪が存在していました。


「ダリア様、これは……!」


 ぱっちりと目を見開くことに加え、出来るだけ声のトーンも明るくし、私なりの驚きを表現すれば、ダリアは歓喜が沸き立つように表情を明るくし、笑みを浮べました。


「ふふっ、それはわたしからマリアお姉さまへのクリスマスプレゼントなの!」

「ダリア様から、私への? それは、とても嬉しいですね」


 顔の表情を驚きから笑みへと変えれば、私を見ていたダリアは満足げに笑い。「ふふっ」と再び歓喜の声を漏らしました。


「では、ダリア様」

「なぁに? お姉さま」


 寝転がるようにしていたベッドから降り、ダリアの方へと手を差し出した私。そんな私を彼女は不思議そうに見、直後私の手を取りました。


「実は、私からもダリア様へプレゼントがあるのです」


 「こちらへどうぞ」とダリアの幼い手を引きながらダリアの部屋を出て、談話室へと移動すれば――そこには前日、柳道明が持ってきた小ぶりのクリスマスツリーと並ぶようにして、大きめの箱が一つ置いてありました。


「お姉さま……⁉」

「どうぞ、開けてみてください」


 ツリーの隣にあるプレゼントの箱。それにおそるおそる触れ、ラッピングを破り、箱を開け、中身を取り出したダリアの手の中に在ったのは白のワンピースでした。

 それも大きさの違う物が一着ずつ。それこそダリアのサイズに合わせた小さな物と、成人女性のボディを持っている私のサイズに合わせた大きな物の二種類。そしてそれに合わせた室内用の内履きや、アクセサリー一式。


「っ! こ、これ! マリアお姉さまとおそろい? どうやって、……ううん、良いの? お姉さまから、こんな、嬉しいプレゼントをもらってしまって!」


 驚きと喜び。目をぱっちりと見開き、戦慄きながらも喜びの声を上げたダリア。そんな彼女に笑みを返し、私は「はい、良いですよ」と答えました。

 実際には、プレゼントそのものは私が用意したものではありませんでした。私はただ、毎週水曜日に研究所で行われている私のメンテナンスの際、ダリアの父親であるジルにダリアと自分用の新しい衣服を申請し、重ねてソレを十二月二十五日の朝に白鳳邸の談話室へ置くように添えておいただけなのですから。

 しかしそれを問われもしなければ言う必要もないと判断した私は、喜ぶ彼女の様子を。それこそ、私が今まで見た中で一番の笑顔を浮かべていたダリアを見守り続けました。

 それが、それこそが。私の「転機」となった日と、その翌朝の顛末。

 勿論、翌朝の顛末であるプレゼントの件に関しては、蛇足であったかもしれません。ですがその事柄も私にとっては大切な転機となったことには変わりません。

 なにしろ、それが一番の理由――であるのかは私の判断の及びもつかない所ではありますが、私が彼女へと贈ったプレゼントをダリアが手にした時を境に、彼女は私に近くなろうとしはじめたのですから。

 一言で言うなれば、同一への歩み。

 そしてその歩みは、ダリアが大学へと進学する頃には、すっかりと成就していました。

 顔や髪質、体系、声は、私自身が彼女の遺伝子を元に製造されているのですから似通うのは理解出来ます。しかしダリアはそれだけでは納得できなかったようで、着用する衣服や髪型は勿論、人工的な「固い」表情しか浮かべることのできない私と同じ「固い」表情を浮かべたり、姿勢も真っ直ぐに正したり、言葉使いも私と同じにしたのです。

 そんなダリアに対し、私は苦言を呈することはありませんでした。そもそも私にはダリアが決めた事柄に対して口を出す権利は無いのですから、そうすることは当然のこと。しかし、ダリアの母方の従兄であり、彼女の母や自身の両親からの勧めのもとダリアの婚約者となった柳道明は、育児型人造人間である「私」を真似るダリアに不満を抱いていたようでした。

 気の弱い……と表現するより、両親からの重圧のせいでダリアどころか周りの人間に対しても卑屈な態度を取ってしまう性分に育ってしまった彼は、ついぞダリアに対してその不満を、私に似る行為をやめろとは言いませんでした。が、「私」にだけは小さくそれについての不満を零していたのですから。

 そうやって続いていた、ダリアを中心とした私の毎日。それはダリアが二十歳となり柳道明と正式な伴侶となるその日まで――続くはずでした。

 育児型人造人間「M-Ave108号」としての役割が。

 「白鳳ダリア」を監視する物としての役割が。

 ダリアと結んだ「ダリアをひとりぼっちにしない」という約束が。

 きちんと果たされ、終わり。存在意義を失った私が、決められた通りに廃棄処分となるその時まで。

 ですが。それが果たされることは、ありませんでした。

 嗚呼、あれは忘れることなど到底出来ないダリアの二十歳の誕生日を四日後に控えた六月一日と、彼女の誕生日当日。

 籍を入れる前の最後の日曜ということで、婚約者である柳と共にデートへと出かけたダリアが、柳と解散した後行方不明となり――誕生日の当日に、無残な死体として発見されてしまったのですから。

 彼女が柳と解散した直後に彼女自らGPS機能を有した端末の電源を切断したことや、門限となっている定刻になっても帰宅しない旨。それらを逐一彼女の父親であり、私の製造主であるジルへと連絡し、私は彼女が帰ってくるのを待ちました。待ち続けました。それこそ、一時間でも、二時間でも。十時間でも、一日でも、二日でも、三日でも。

 しかし、彼女は二度とこの我が家へ帰ってくることはありませんでした。

 それどころか私が連絡し続けていたジルからの返答もその間は無く――、ダリアの誕生日に珍しくジルがこの白鳳邸へと訪れた時に初めて、彼女が死んだことを教えられたのでした。

 油を塗ったかのような輝きを纏う黒の髪に、血の通っていないかのような青白い頬。そして目元に在る隈をよりいっそう黒々しくみせるくっきりとした目鼻立ちと、暗い青の瞳を持った男。実際に彼の表面上の体温はダリアのものと比べ低かったのですが、それを鑑みても異常なほどに不健康そうな男が――私の製造主であり、ダリアの血の繋がらない父親であるジル・ド・アントが、私の目の前にダリアの死亡診断書を突き出し「お前が庇護するアレは死んだ」と乾いた声で言い、「はは」と笑ったのです。

 されどそんな紙切れ一つで彼女の死を認めることのできない私が「そんなわけが」と発せば、その男は色味のない唇を歪めながら、自身の足元へナニカを叩きつけました。


「っ、それ、は……」


 男の足元に転がるナニカ。それは私の指に未だ嵌る――五歳のダリアがクリスマスの日に私に嵌めてくれた、ダリアの花を象った指輪でした。

 しかし、私の左の薬指には彼女に嵌めてもらった指輪はきちんと存在しています。ならばこれはいったい何なのでしょうか?

 ダリアの死亡。目の前に在る二つの指輪。それを把握しようと演算を遅ればせながら開始しはじめれば私が答えを出す前に、目の前の男が「これはアレの指に嵌められていた物だ。どうやらその指輪は多少のデータを保存できるようでね。中には貴女の動画データが入っていたから、後で確認してあげなさい」と、床に落ちたソレを、這いつくばって取れと、遠まわしに命令してきました。

 それについて抵抗は一つとしてありません。私は、人間の命令を聞かなければいけない物体なのですから。ですから私は、彼の望むまま床へと這いつくばり、ダリアの花を象った指輪を手に取りました。しかしそれを手にした途端、そんな私の姿を見下していた男が、私の手を踏みにじりました。

 そこに痛みはありません。それどころか、私の手ごとダリアの指輪を踏みにじる男が、油を塗ったかのような黒髪を掻き上げようとも。「私たち」を廃棄処分した時と同じように、青白い頬をうっすらと赤らめようとも。恍惚とした表情を浮かべようとも。「貴女のその顔が、一等好きなのですよ。感情を伴わないただの人造人間が、まるで人間のように振る舞っている様が。嘆き哀しみ、もがき苦しみ、渇望する浅ましいその姿が。わたくしは愛おしくて仕方がないのですよ」と、感嘆の吐息混じりに言おうとも。私は何一つとして、感じ得ませんでした。

 何故ならそう。その時、私の思考を支配していたのは私が庇護するべきダリアが。私の存在意義であった【妹】が、二度とこの我が家へと帰って来ないのだという事柄だけだったのですから。

 私の手ごとダリアの指輪を踏みにじり、一通り言葉を発した男。その人がこの白鳳邸から去った後、私はダリアが私に宛てたという動画データを見るためにその指輪を左の薬指に嵌めました。そして自身の右手をその左手に重ね、中身のデータを渡し自身にインストールすれば、自ずと中身の動画データが私の脳内で再生されはじめました。


「マリアお姉さまがわたしの元へ来てくれた時から、わたしはお姉さまのことが大好きだったの。それこそお姉さまの優しさを知る度に。お姉さまに救われる度に、その大好きが際限なく膨らんでしまうほど。

 ひとりぼっちになってしまうことが怖くて仕方がなかったわたしを、『ひとりぼっちにはしない』とお姉さまは約束してくれた時とか。お姉さまがずっとそれを守り続けてくれたと実感した時とか。お姉さまがわたしのためにとクリスマスの日に贈ってくれたお揃いの服を手にした時とか。あげればきりがないけれど、そうやってわたしを救い続けてくれたお姉さまが、大好きなの。大好きで、仕方がないの。

 お姉さまは繰り返し、自身の存在が白鳳ダリアというわたしの為に在るのだと言っていたけれど。それと同じぐらいに、わたしもまたマリアお姉さまの為に存在していることをお姉さまは知っていた? ふふっ、知らなかったなら知っていてほしいな。わたしには、お姉さましかいないんだ、ってこと。

 わたしを産んだお母さまも、血の繋がらないお父さまも、わたしの婚約者になった柳お兄ちゃんも。みーんなわたしになんて興味が無くて、『白鳳ダリア』という立場だけが大切で。わたしのことを一番に考えてくれているのは、何時だってマリアお姉さまだけだったってこと。お姉さまだけがずっとわたしの隣に居てくれて、わたしを支え続けてくれて、わたしのことをちゃんと見てくれていた。だから、わたしにはお姉さまだけが居てくれれば他には何もいらないの。うん、何もいらない。お姉さまが居れば、それで良い。

 だから、ねぇ、マリアお姉さま。明日の朝もまた、今日一日どんな服を着るか、どんな髪型にするか、お話しましょう? 約束よ、お姉さま。

 じゃあ、夜も遅いし。おやすみなさい、お姉さま」


 私そっくりの言葉使いでもなければ、私を意識した「固い」表情でもなく。彼女本来の、白鳳ダリアというひとりの少女の言葉と、やわらかな表情が。指輪に触れれば触れた分だけ、繰り返し、幾度となく再生され続けました。


「あ、ああ、あああああ」


 するり、と私の掌をなぞった彼女の指先の柔らかさが。ダリアのあたたかな温度が。私に向けられる、屈託のない笑みが。じわじわと私の思考回路を焼きつくしていく。

 嗚呼、私の【妹】は。白鳳ダリアは、いったい何を思い、何のためにこの動画を私に残したのでしょうか? それも柳と出かける前夜に。もしかして彼女は毎晩、私に隠れてこんな動画を撮っていたのでしょうか? それに、何故ダリアは柳とのデートの後、自らのGPSを切断したのでしょうか?

 嗚呼、どうしてなのですか?

 十四年と三百六十一日の間、ダリアと共に居たはずなのに。彼女の事を未だ理解しきれていない事実に気が付かされてしまった私は愕然としました。そして何度も、何度も、機械が身体の大半を占めるこの身体に在る彼女の記録を精査し、彼女のその行動原理を知ろうと彼女のファクターを回収しはじめました。ですがそれらを回収し終えても、今回ダリアが取った行動を理解するには至りませんでした。

 ですが、それでも。そんな至らない【姉】であっても。【妹】についてただ一つ分かることがありました。

 それは、少なくともダリアは未来を見据えていたということ。

 彼女は「さよなら」という別れの言葉ではなく、「お休みなさい」と言ったのです。永劫の別れではなく、翌朝に在る目覚めを約束する言葉を残したのです。

 ならば、未来を見据えていた彼女を殺した犯人を見つけ出さなければ。

 見つけ出して、何のために、何を目的として私の【妹】を縊り殺し、輪姦したのか聞きださなければ。

 ジルが突き出してきたダリアの死亡診断書。それに記載されていた彼女の死因と、身体に加えられていた暴行の顛末。それを脳内に呼び起こした私は、改めてダリアを殺した犯人を見つけ出す。と、自らの行動を決定しました。

 しかしそんな私とは裏腹に。ダリアの両親や、彼女の婚約者である柳道明を筆頭にした柳家の人間は、多大な金と権力を振りかざしダリアの死を隠蔽し、ダリアと瓜二つである「私」を「白鳳ダリア」として据え置きました。

 そしてあろうことか、ダリアの母親が――それこそ十五年以上もの間、此処に寄りつきもしなかった人間が、ダリアと私が暮らしていた我が家へ住まうようになったのです。しかも、自身の兄である柳家当主の男を筆頭に柳一家を引き連れて。

 「我こそがこの白鳳邸の主である」と宣うが如く邸内を闊歩する女。勘違いも甚だしいほど愚かなその人間は、きっと心というモノが無いのでしょう。少なくとも、その人間は実子が殺されたというのに悲しみに暮れることもなかったのですから。

 否、それどころかその人間はあろうことか、殺されてしまったダリアを侮辱する言葉さえ口にしたのです。


「あんな死に方をするなんて、恥ずかしくって世間様に公表出来やしない! 死ぬなら子供を産んでから死んでくれればよかったのに! あんな子、何で生まれてしまったのかしら!」


 ダリアと同じ見目をした私を前にしながら、私の大切な【妹】を易々と侮辱した人間。

 嗚呼、名さえも覚える価値のないその人間は。目の前のこの物体は、己が身を弁えられないただの喋る肉。

 目の前の肉が発し続ける奇声を記録する必要はありません。ただ、私の大切なダリアを侮辱したのだという事実だけを認識していればいいのです。

 しかし、機械部品が身体の大半を占める育児型人造人間である私は、そんな肉に命令された場合、命を脅かす命令でない限り「是」と応えなければならないのです。

 例え、「ダリアとして柳道明と結婚し、彼との子供を産め」と言われたとしても。

 例え、その命令が私の中の倫理に反していようとも。

 私は「是」と答えなければなりませんでしたし、現に一拍の間も無く了承したのです。




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