3-3 ダチュラ



 ぱちり。と瞼を開いた先に在ったのは、白の天蓋を纏った天井だった。

 どうやら考え事をしながらそのままぐっすりと寝入ってしまったらしい。じっとりと汗ばんでいる喉元を摩りながら身を起こし、私は枕元に置いてあるデジタル時計へと視線を向ける。


「二十一時、四十二分……?」


 余程疲れていたのか、それはもうぐっすりと眠ってしまっていたらしい。ぼすん、と音を立ててシーツの海へと改めて身を委ね、寝返りを打つ。

 夢の中で夢を見ているような、そんな悪夢を見てしまった。

 そろり、と自分の指に嵌るダリアから贈られた指輪をなぞれば、その悪夢で見た光景が明瞭に思い起こされる。

 従弟である白木みなとに脅され、彼に殺意を抱き、此処へ連れてきたのだと語った花陽ゆかり。そして「貴女からの慈しみは、貴女が注いだ優しさは、間違いなく愛だった。あの恋多き天立でさえ貴女のソレを『愛ですね』と認めたほどに、絶対的で、誤りのない愛だった。嗚呼、今でも容易く思い出せる。貴女があの時向けてくれた笑みを。言葉を。優しさを」と吐露した花陽の妄執的、あるいは信仰心にも似た私たる「ダリア」への偏見と、誤認の愛。

 最終的に、夢の中の花陽もまた牛宮と同じように私の事を縊り殺したけれど、花陽がその時に向けてきた思いは牛宮の怒りとは違う――子供じみた、困惑だろう。

 花陽の向けてきた想いはかわいさ余って憎さ百倍、からなる愛憎ではない。ただただ悔しくて、彼を拒む私の行動すべてが許せなくて、その想いの行き場と表し方が分らなくて――つい私の首に手を掛けて殺してしまっただけ。

 花陽の人付き合いの悪さが、裏目に出てしまっただけ。

 首を絞められていない平素の状態であるからこそ、夢で見たその光景を冷静に判断できる私は息を大きく吸い、吐く。


「所詮は夢、私が創りだした妄想なのですけれどね」


 自嘲気味にそう呟き、視線を部屋の中ほどにあるローテーブルへと向ければ、そこには書斎の本棚へと戻したはずの本が置かれたままだ。


「それに私も生きている。だから、夢は夢。現実とはまるで関係のない、私の妄想」


 けれど、夢で味わった首への縛めが気にかかり、私は「んんっ」と喉を鳴らす。


「……水でも、飲んで来ましょうか」


 風邪の初期症状でみられる喉への違和感、という代物ではないものの多少喉を潤したい気分になった私は、寝転がっていたベッドから降りる。

 確か談話室には茶器の類が一式あったはずだから、其処へ行けば飲み水ぐらいは置いてあるだろう。

 ガチャン、と宛がわれている部屋の扉のオートロックがしっかりとかかるのを確認し、部屋を出た私は談話室を目指し、赤い絨毯の敷かれた廊下を歩きはじめる。

 それも、遊技場と書斎の前を通らないようにして。

 別段、夢の中でのことなのから気にしなくても良いのだろうけれど、どうしてもその二つの部屋の前を通る気にはなれないのだ。

 最短ルートではなく、遠回りをするようにして談話室へと無事辿り着いた私が部屋の扉を開けば、その室内は明るく、そして先客たる天立がソファに一人座り寛いでいた。


「あれ、マリアちゃん。こんな夜更けに、いったいどうしたんだい?」

「私は飲み物を取りに。……天立さんは、どうして此処に?」

「僕はちょっと考え事をね。ああそうだ、紅茶があるんだけど、飲んでいくかい?」


 万人が好みそうな柔和な笑みを私へと向け、自身の隣に座るよう手で示してくる天立。そんな彼の申し出を断るのも角が立つし、彼に訊ねたいこともあった私は天立の隣――ではなく向かいにあるソファへと腰を下ろした。


「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」


 未使用のティーカップに注がれた紅茶。ソレを天立から受け取った私は、喉を潤すべくソレに口を着け一思いに飲み下す。


「……ところでマリアちゃん。昼間に言い損ねたんだけど、その白いワンピース良く似合っているね。黒よりずっと、キミらしいと思うよ」

「ダリアさんから渡された物なのですが……私らしい、ですか?」

「うん。すごくマリアちゃんらしい」


 にっこりと笑みを浮べ、そう言い切った天立。彼は「よいしょ、」とソファから立ち上がると、向かいに座っていた私の隣へと移動し、腰を下ろしてくる。


「ねえ、マリアちゃん。キミ、僕に何か訊きたいことがあるんじゃないかな? 嗚呼、勿論無かったら無かったで構わないんだけど、僕はほら……牛宮君や花陽君みたいにマリアちゃんと膝を詰めて話をしていないから」


 「ねぇ、何かあるんじゃない?」と私の方に身体を寄せ、笑顔のまま訊ねてくる天立。そんな彼に魘されながら私は「なら、」と口を開く。


「天立さんがそうおっしゃるなら、お言葉に甘えて。えっと、天立さんにとってユウガオさんや、オトギリさん、アザミさん、はどのような方々であったのか、訊ねても良いですか?」


 ユウガオたち三人と、白木を間接的に殺した可能性が最も高い天立から話しを聞くのは聊か躊躇うものがあるが、それでも私は今此処で、天立から彼女たちのことについて聞くべきだろう。

 何しろ彼女たち三人を知る人物は、私の隣で柔和な笑みを浮べ続けている天立しか居ないのだから。


「ああ、構わないよ。そうだなあ……ユウガオちゃんは、三人の中でもお姉さん気質の子だったね。何時もオトギリちゃんやアザミちゃんを引っ張っているような、そんな子だったよ。オトギリちゃんの方はちょっとやんちゃだけど、根はすごく純粋で良い子なんだ。アザミちゃんは割と多くは語らないけれど、情に厚いっていうか。困っている人がいたら、そっけない振りをしながらこっそりと手を貸してあげるタイプの子だったね」


 穏やかな笑みが浮かんだままの顔をほんの僅かに緩ませ「大事で、大切な子達だったよ」と語る天立。

 少なくとも、今の段階においては彼から彼女たちを殺す動機らしい動機は見えてこない。むしろそれどころか、彼女たちに対して愛おしささえ含んでいるような物言いに聞こえてしまう。


「天立さんにとって、その三人は大切な方だったのですね。……でも、それならどうして天立さんはその三人を、こんな危険なゲームに誘ったのですか?」


 それも、誘った天立当人さえ殺されてしまうかもしれないような殺人ゲームに。


「愛して、いたからかな」

「愛していたから? 愛しているならこんな危険なゲームには参加さないと、私は思うのですが」


 大切であるならば、身の危険や死の恐怖から出来るだけ大事な人たちを遠ざけるはずだろう。むしろ私なら、そうする。だというのに隣に座る天立は笑みを浮かべたまま、やはり「愛しているから此処へ誘ったんだよ」と、理解出来ないことを口にする。


「だって、三人を分け隔てなく愛してあげるのはなかなか難しかったからね。此処でなら平等に……それこそ一緒にだって愛してあげることが出来るから」

「……天立さんは三人の中の一人を特別に愛していたわけではなく、三人共を平等に愛そうとしていたのですか?」

「愛そうとしていたんじゃない。ちゃんと、三人平等に愛してあげたよ。ユウガオちゃんもオトギリちゃんもアザミちゃんも、それで満足していたし」


 私の知っている愛は、それこそ特別な誰かに対して向ける心からの熱量。けれど、天立の言う愛は、私が知っている愛とは違うように聞こえて仕方がない。


「天立さん。貴方の『愛』は……いったい何なのですか?」

「愛は、愛だよ。それ以外にどう言えば良いのかな?」


 私の質問があまりにも漠然としたものだったせいか、答える側である天立は困ったように眉尻を下げ私の顔を覗き込んでくる。


「私にとっての愛は、たった一人へ向ける、特別な感情なので……天立さんの言う愛が、分からないのです」

「嗚呼、そういうことか。僕が認めた幾人の中から、たった一人だけを選ぶような。そんな愛のことをマリアちゃんは言っているんだね」


 そうとも言えるような、言えないような。形容しがたい表現を含んだ天立の言葉に「おそらくは」と答え、彼の言葉を待つ。


「大丈夫、僕の愛もマリアちゃんの知っている愛と一緒だよ。ただ僕はその愛を、たった一人だけにじゃなくて、僕が認めた皆に与えてあげたいんだ」


 それこそ相手への情熱は、そのままにね。

 互いの膝が着く程近くに身を寄せながらそう付け加えた天立は、嬉々としたように両手を広げ、天井を仰ぐ。


「僕は、僕が愛するだけの価値があると認めた子を、すべからく満たし尽くしてあげたいんだ。ううん、満たし尽くしたままの状態で居続けてほしいんだ」

「満たし尽くしたまま、居続ける?」

「そう、満たし尽くしたままで居続ける。僕が愛するだけの価値ある子たちは、その始まりこそどうであれ、最後は僕の愛で完結すべきだ。だから僕は、彼女たちを満たし尽くし、そのままの状態であるよう努めている」


 笑みを浮べ、さもソレがこの世の当然であるかのように語った天立。彼の発言には重要な、言葉が、単語が、欠けてしまっているのではないだろうか。

 それこそ――殺してあげた。という殺傷行為を示す単語が。


「天立さんが、ユウガオさんや、オトギリさん、アザミさんを殺したのですか?」


 それも、花陽の従弟である白木さんを巻き込む形で。

 私の心に浮かぶ疑問の一端を口にすれば、天井を仰いでいた彼は口角を上げ私の方へと視線を向ける。


「殺しなんていう野蛮なこと。僕はしないよ。ただ抱きしめて、貫いて。抱き返されて、熱を分かち合っただけだよ。もしかしてマリアちゃんにとってソレは、殺人に値するのかな?」

「いいえ……。殺していないのなら、良いのです」

「そうかい? 納得がいってないような顔をしているけれど」


 くすくす、と少女が零すようにして笑い声を発した天立。彼はゆっくりと私の胸骨部へ手を向け、とん、と軽く押す。


「それより、マリアちゃん。そろそろ色々なことについて話したくなったりしないかな?」

「……なに、を?」


 彼に押された瞬間、身体が力を失ったようにソファの上に転がる。

 辛うじて口は動かせるものの、手や足は動いてくれる兆しを見せない。それどころか正座を長時間していた時のような運動神経の痺れを感じさえする。

 いったい、私の身体に何が起きているのだろうか?

 照明の逆光を背に、私を見下ろす天立。その顔には満足げな表情が張り付いており、背筋に怖気が走った。

 もしかして彼の渡してきたあの紅茶は、口にしてはいけない代物だったのではないだろうか。


「紅茶に、何を……?」

「ん? ああ。弛緩作用と、自白の効果が認められているモノをそこそこね」


 にこにこと笑みを浮べたまま、悪びれも無くそう言った天立はゆっくりと私の身体の上へ覆い被さってくる。


「それで、マリアちゃん。ううん、ダリアちゃん。キミは何のために僕たちを此処へ呼び寄せたんだい?」

「っ、」


 私をマリアではなく『ダリア』と呼ぶ天立。

 嗚呼、もしや私はまたしても夢を見ているのではないだろうか? 牛宮、花陽に続き、天立にさえ『ダリア』であると断定され、最終的には縊り殺されるという夢の続きを。

 そんな心の内を吐きだしてしまいそうになる口を閉ざすため唇をきつく噛めば、天立がゆっくりとその唇を指で押し広げ、解いてしまう。


「もう一度、聞くよ? ダリアちゃんは何のために僕たちを此処へ招いたんだい?」

「それ、は……知ら、ない」

「知らない?」

「覚えて、いないから」


 覚えていない。私は過去の記憶を保持していない。私は『ダリア』を失っている。だから、私にとっては天立たちと会うのは初めてだし、彼らに何を言われても身に覚えがない。


「うーん? 覚えていないっていうのは、データ保管の欠損で、バグ扱いになるのかな?」


 ほんの僅かに眉尻を下げながら、結局は「まあ、いいか」と笑う天立。


「牛宮君はキミが復讐するために僕らを此処へ呼んだのだと思っているようだし、花陽君は花陽君でキミが自分の元へ戻ってくるために僕らを此処へ招いたと思っているようだけれど。僕はそのどちらもないと思うんだよね」


 自意識過剰な気のある牛宮。そして「ダリア」である私に対して妄執的なまでの感情を持つ花陽。夢の中で形作られた彼らが言いそうなことだな、と自嘲気味に思いながら「なら、天立さんの考えは……いったい、何なのですか」と問いかける。

 最早ここが現実であろうとも、私の頭が創りだした夢の中であろうとも構わない。私は今の私が思うままに、目の前の天立と対話しなければならないのだから。


「ダリアちゃんがもう一度、僕に愛されるために招いてくれたのだと思っているよ」

「私が貴方にもう一度、愛されるために? 私は、貴方に一度、愛で満たされ、抱きしめられ、貫いかれ。貴方を抱き返し、熱を分かち合ったのですか?」


 そんな記憶は私には無い。そして、今の私の性分が「ダリア」であった頃と大差ないならば、愛多き彼とそういった関係になるとは正直考えにくい。

 私自身、独占欲が強いとは思わない。だがそれでももし、好きあっている相手が自分以外の誰かに愛を囁いていたり、それこそ肉体関係があったりしたのなら、いい気はしないだろうから。

 だというのに、私に覆い被さる天立は「そうだよ」と言い放つ。


「でもダリアちゃんはどうしてかあの時も、今みたいに怪訝そうな顔をしていたね。僕の愛を受け入れておきながら、そんな顔をしていたのは……後にも先にもダリアちゃんだけだったよ」


 「どうしてなんだろうね?」と不思議そうに零す天立。そんな彼の魅惑的な美しい顔を睨み上げ、私は大きく息を吸う。

 本当は、私に覆い被さっている彼を突き飛ばしてしまいたい。

 本当は、彼の居るこの不愉快な談話室から逃げ出してしまいたい。

 けれど身体を自由に動かせない今、私が出来ることは口での反論のみ。


「それはっ、嫌がっていたんじゃ、ないんですか! 嫌だと! 止めてほしいと! 私は、その時に、言わなかったんですか!」

「言っていたよ。でもそれは今までの彼女たちと同じだから。言葉では僕のことを拒んでも、身体はしっかりと僕を抱きしめてくれて。最終的にはみんな満ちたりた顔をしていた」


 ほら、こんなふうにね。

 器用に脚を動かし、ワンピースの裾をずり上げた天立は、私の太腿の狭間に自身の脚を割り入れる。そして無抵抗を強いられている私の喉元に右手を添え、優しく押し込めた。


「こうしてあげればダリアちゃんも、そして彼女たちも。ココで僕を強く、強く抱きしめてくれたよ」


 するり、と空いている左手で腹部をなぞり、摩る天立。おそらく彼が言い示しているココは、子宮たる部位の事だろう。


「そんなのは、抱きしめるなんてっ、言わない! ただ、酸欠状態になった身体が、強張るだけです!」

「へぇ、そうなのかい? でもそれが、僕の愛だから」

「っ!」


 優しく押し込めているだけだった右手の圧を強め、馬乗りになっている天立は笑う。


「ああ、僕が初めて愛した姉さんが。そして次に僕が愛した母さんが。教えてくれた愛し方と、愛され方。首を絞めて、互いに交わり、抱き締めあう。ソレが僕の愛情表現だ」


 ねぇ、ダリアちゃん。僕は何か、間違っているのかな?


「愛し方に、間違いなんてものは……ありません。それこそ千差万別、存在します。……ですが、私にその愛は……天立さんが享受させようとする、その愛と愛し方は当てはまらないっ!」

「パズルのピースのように、形が違うとでも?」

「っ、はい」


 天立に愛し合い方を教えたという姉なる者、そして母なる者には悪いけれど。その愛と愛の伝え方は、万人に通ずる代物ではないだろう。少なくとも私には、意中でない相手に無理やり好意を迫られたり、首を締められたりして喜んだりするような趣味趣向、そして性癖は、備わっていないのだから。

 けれど私の首をやわく押し続けている彼は、私のその拒絶にさえ理解を示せないらしく「彼らもそうだったのに?」と不思議そうに小首をかしげてくる。


「かれ、ら? 天立さん以外にも、そんな愛を向けるような奇怪な方が居るんですか?」


 なんておぞましい。

 そんな言葉を吐きだしてしまいそうになるも、彼の「嗚呼。ダリアちゃんは覚えていないんだっけ? ダリアちゃんを愛してあげたのは僕だけじゃないよ」という発言で、私はその言葉を詰まらせる。


「……な、んですか、それ」


 覚えていない過去。失われた「ダリア」の記憶。それはもしかして、忘れてしまっていた方が幸せな。私の心の安寧を守る為に、わざと脳が忘れさせた思い出なのではないだろうか?


「ああ、僕一人だけがダリアちゃんを愛しているならまだしも、牛宮君も花陽君もキミの事を愛していたからね。独占するのは、フェアじゃないだろう? だから……」

「だか、ら……?」


 問うてはいけない。問うてしまっては、いけない。だというのに、そう分かっているというのに。私は天立にその続きを語るよう、急かしてしまう。


「……だから僕は。同じ志を持った牛宮君と花陽君と、キミを共有した」

「きょう、ゆう」


 共有。

 すなわち、一つの物を二人以上が共同で所有すること。

 ならば私をそうやって「愛」したのは天立だけでなく、牛宮や花陽もということなのだろうか。


「彼らも彼らで楽しんで、喜んでいたよ。それこそダリアちゃんが僕たちの愛で満たされて果ててしまっても、なおね」


 それは暗に、彼ら三人が私を殺し、死姦した。ということなのだろうか?

 もし彼のその言葉がそう言う意味を含めた代物であるならば、他の夢の中で牛宮が言い放った「何時まで経っても自首をしねぇから、脅しでもしているつもりなのか⁉ 罰を与えてでもいるつもりなのか⁉」という言葉や、花陽の「自分が手に掛けて殺すのは、後にも先にも、たったひとりだけが望ましいから」という言葉の意味が噛み合ってくる。

 けれど、けれども。もしそうであるならば、もし私が死んでしまっているならば。どうして私は今此処に居て、生きているのだろうか。

 嗚呼やはり、此処はただの夢。私の頭の中だけで繰り広げられている、妄想。

 それを知っているにも関わらず、現実と夢の境が曖昧になりつつある私は、どれが現実であったのか。そして夢であったのか。分からなくなってくる。


「ああ。でも、ダリアちゃんを愛し終えた後は、何故か二人に詰られてしまったんだっけ。どうして牛宮君も花陽君も、あんな冷めたような目で僕を見てきたんだろうね? せっかく念願叶って、ダリアちゃんを僕たちだけの愛で満たしてあげて、そしてダリアちゃんにも愛してもらえたというのに。しかもあれ以来、牛宮君は引きこもりがちになってしまったみたいだし、花陽君に至っては従弟の白木くんに脅されて、愛し合うことを共有されてもいたみたいだし。本当に、不思議だね」


 現実と夢の意識が曖昧な私を置いてけぼりにしたまま、歯止めが壊れたように語り続ける天立。しかも「不思議だね」と言ったその顔には、相変わらず不気味なほど穏やかな笑みが浮かんでいる。


「理解……出来ない」


 理解出来ない? 否、それ以前の問題として私は目の前に居るこの天立ユラという人物を、そして彼のその狂言と狂行に同調した牛宮や花陽のことを理解してしまいたくないのだ。

 そんな私の言葉が彼の耳にも届いたのだろう。語り続けていた天立は一度その口を閉ざすと、万人が好みそうな柔和な笑みを湛えたままだったその表情を僅かに崩した。


「……別段、キミが僕を理解する必要はないよ。ただダリアちゃんはもう一度、僕に愛されてくれれば……。ちがうね、もう一度、僕にキミを愛させてくれるだけで、良いんだ」


 せっかく、誰でもない僕のところへ、ダリアちゃんは戻ってきてくれたのだから。

 薄い唇を開き、そう零す天立。

 嗚呼。要するに彼はもう一度私を殺したいと言っているのか。しかも、その行為に対し是と応えていない私を、無理矢理に蹂躙し、死してなおも嬲りたいと、そう言っているのか。


「い、ぁっ……!」


 「嫌です」と、せめてもの抵抗として発せられるはずだった拒絶の声は、喉に宛がわれている天立の手が掛けてきた瞬発的な圧によって封じられてしまう。

 嗚呼、彼は私の言葉になど毛ほども興味が無いのだ。否、元より彼には、自分の意見とは異なる意見を持つ他者の言葉を聞き入れる器が備わっていないのだ。

 自分にとっての都合の良い相手。自分に魅了される愚かな相手。自分が十二分に操作できる傀儡。ソレ等だけが彼の周りに居て、ソレ等だけが彼の周りに集い続けてしまったばっかりに。天立ユラという人間の意見に同意し、彼を賞賛する者のみが彼の周りに集うことを許され続けてしまったばっかりに。強固な檻とも呼べる者たちに囚われてしまった彼の世界は、彼中心で回るようになってしまった。

 自分の意見を否定するものなど、この世には存在しない。

 自分を厭うものなど、この世には存在しない。

 自分がこの世の主であり、すべては自身を中心にして巡っている。

 だからこそ彼は、自身が拒絶されているなどという事実を受け入れられない。

 何故なら、今まで他者に拒まれたことが無いから。

 だからこそ彼は、自身の愛情表現が過ちであるのだという事実を認識していない。

 何故なら、今までそれを悪しき行為であると言及されたことが無いから。

 理解するべきではない。理解してしまうべきではない。理解に必要なファクターとして認識してしまってはならない。そう分かっているというのに私の意識はその判断に反し、天立へと向けられ、彼の思考理論とソレが培われた理由を探り、理解しようとしてしまっている。


 ――嗚呼、嗚呼! 理解なんてするべきじゃあない! 彼らにはおぞましいままで居てもらわなければならないというのに! 理解などしてしまったら、彼の思考に飲み込まれ! 感化され! 絆されて! 許してしまうじゃないか! そんなことは、そんなことは絶対に在ってはならない! 彼らに同情の余地など、一欠けらどころか、一粒たりとて、在りはしないのだから!


 他の誰でもない私自身の絶叫が。怒りと絶望を孕んだ声が。まるで警報のように脳内で響き渡る。

 その理由は、分からない。けれどその絶叫は正しいのだろう。間違ってはいないのだろう。分かっている。そんなことは、分かりきっている。

 されど今更そんなことを叫ばれても、手遅れなのだ。

 何しろ私の瞳は私を縊り殺そうとしている天立に釘付けになったままで、思考もまた彼を理解せしめんと働いてしまっているのだから。


「唯一、ダリアちゃんだけが僕の元へ戻ってきてくれた。僕に便りを出して、此処へ来るよう導いてくれた。姉さんや母さん、他の子達でさえしてくれなかったことを、ダリアちゃんだけはしてくれた。ねえ、だから。僕にキミを、もう一度愛させて」


 首に宛がわれて右手ではなく腹部に添えられ続けていた天立の左手が動き、たくし上げられていたワンピースの中へと侵入する。


「やめっ」


 彼が行うであろう、愛情表現。それを止めるべく抵抗の声を放とうとすれば、ぐっ、と押し込められる喉。


「ダリアちゃん。僕、うるさいのは苦手なんだ」


 先程までであれば喉を押しこめてくるのは瞬発的なモノで、すぐに緩められていた天立の手。それが緩められることなく、私の喉を圧迫し続けてくる。


「っ!」


 下腹部を弄り、やわくなぞる指。喉の肉を押し込め、気道を絞める手。それらを拒絶したくとも、彼が勧めてきた飲み物を口にしてしまった愚かな私の身体は動かない。唯一挙動することを許されているのは、それこそ眼球ぐらいだ。

 憎々しげに。忌々しげに。拒絶を露わにした目で天立を睨みつけるが、拒絶されるということを知らない彼にとってソレは、効果を持たない、否。それどころか、逆効果になってしまう代物であったらしい。

 何しろ、弧を描き続けていた瞼をうっすらと開き、その奥から緑の深い色を覗かせた天立が「それだよ、その顔。その瞳。僕は、キミのその眼が、愛おしくて仕方ないんだ」と微笑みかけてきたのだから。

 嗚呼。彼に対して、拒絶も、抵抗も意味を成さない。むしろ彼を喜ばせ、増長させるだけだろう。

 ならば私はもう、諦めるほかあるまい。

 少なくとも、これもまた私の頭が創りだした夢であり、虚像なのだから。此処で諦め、天立に殺されようとも、現実の私には何一つ影響はない。むしろ此処で諦め、彼に此処で殺されてしまえば余計な屈辱も味わうことなく、夢から覚めることが出来るだろう。

 だから、諦めてしまおう。例え、空気が欲しいと、酸素が欲しいと肉体が喚こうとも。私はどうもしない。どうしてやることも、できない。

 ああ、嗚呼。

 彼女もまた。私の【妹】であるダリアもまた。この苦しみを感じながら、自らの非力さを、無力さを呪いながら縊り殺されたのだろうか。

 小鳥の様な声色で「お姉さま」と私を呼ぶ妹たちの姿を。「私の愛しいマリアお姉さま」と笑い、連なるダリアたちの姿を。私は天立の背に夢想し、満面の笑みを浮かべた。




「おやすみなさい、お姉さま」



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