2-6 思考



 談話室に残った柳から「しばらくの間は一人で居たい」と言われ、私は彼とジルを談話室に残したまま、宛がわれている客間へと戻って来ていた。

 ちなみに部屋に戻ってきて真っ先にしたことは、招待状――ならぬ便箋の確認だった。

 柳や牛宮、花陽たちの会話で出てきた、差出人の名。それを確かめるべく皺だらけになってしまっているソレを開き、一句一文字さえ逃さないよう隅々まで、それこそ目を皿のようにして見た。が、どこにも差出人の名は記されていなかった。

 むしろそこに存在していたのは、――おめでとうございます。貴女は見事十億円争奪「ミステリーゲーム『白鳳邸殺人事件』」の参加者に選出されました。なお、こちらで設定させていただきました貴女の配役名は、白鳳家長女の【姉】「白鳳マリア」となります。という文面だけ。

 皺だらけになっている便箋を握り締め、私は白いベッドシーツの上に転がる。


「差出人の名も無ければ……命をかけたゲームであるとも表記されていないなんて、あまりにも……あまりにも此処の主催は杜撰……」


 招待状がわりの便箋には、今日から始まったこのゲームが命をかけた殺人ゲームであるということが、記されていない。否、それどころか肉体への外傷が自己責任であるという文面や、死の危険性が伴うなどという、本来特筆すべき重要事項でさえ記されていない。


「あまりにもお粗末で、あまりにも悪質」


 はぁ、と大きめの溜息を吐き、私はごろりと寝返りを打つ。

 そう。このゲームはあまりにもお粗末で、あまりにも悪質。だがこれに参加し、現状生き延びてしまっている以上――私はソレを受け止めなければならないだろう。そうしなければ私もまた、今日死んでしまった人達のように殺されてしまうだろうから。


「それにしても……初日からこんな有様では、頭がおかしくなりそうですね」


 目先の欲に目が眩んだ単独犯による行いなのか。はたまた初犯の事件に誘発されて行われているのかは分からない。だがそのどちらにせよ、ゲーム開始日、それも午前中の間だけで十三人の参加者の内、八人が死亡しているなどあまりにもペースが早すぎはしないだろうか?

 ベッドの上で絞殺された白鳳ダリア。

 身体中を切り刻まれ、頭部を損傷させられた月山桂。

 姉川萌音に溺死を強いられた宇野下草子。

 宇野下草子の後を追い、彼女の傍らで自絞死した姉川萌音。

 電子ドラッグのオーバードーズにより死亡したユウガオ、オトギリ、アザミ。

 そして彼女たちの死に巻き込まれてしまった白木みなと。

 明らかに殺意をもって殺された者。

 自暴自棄の果てに相手を殺し、自死した者。

 不幸な事故か、あるいは故意の殺意で命を落としてしまった者。

 そんなゲーム参加者の死に様を思い出し、再び私ははぁ、と大きめの溜め息を吐く。

 彼らの死に方は様々だが、それでもその幾つかには必ず殺人犯が居るだろう。それこそダリアを殺した者と月山を殺した者は必ず居る。だから今生き残っている私たちはその『犯人』を見つけ出さなければならない。

 ソレがこのゲームにおける探偵側の勝利条件であり、必須事項。

 けれどそれに至るためには物的証拠などが必要で、素人である私たちにはソレを揃えることが出来ない。

 指紋についてはジルは明かさないと定言したし、犯人の遺留品――すなわち髪の毛でも部屋に落ちていれば、それが証拠に成り得たかもしれない。だがダリアの部屋には一旦全員が集まってしまったからそういった類の物は証拠にはならないだろう。集まった時に落ちたのだと言われてしまえばそれまでなのだから。

 所詮素人の発想ではこの程度が限度。


 ――手詰まり。


 本当の探偵や警察が居ない以上、犯人になった方がこの場所では有利。証拠を残さないように参加者を殺し続け、最後の一人になれば良いだけの話なのだから。


「とはいえ、誰かを殺す覚悟も理由も私には無いのだけれど……」


 最後まで残った『犯人』。あるいは『探偵』へ与えられる賞金の十億円。それは確かに目のくらむ金額だし、殺人の動機に成り得るだろう。

 だが、本当にソレを人殺しの理由にしてしまっても良いのだろうか?

 私とて金という世間一般的な通貨が生きるためには必要不可欠で、重要なのは承知している。だがソレは、他者の命を天秤にかけてでも手に入れなければならない代物なのだろうか?

 そんなわけが、あっていいはずがない。

 そんなことが、まかり通っていいはずがない。

 いくらこの場所がゲームを名目にした治外法権じみた場所であろうとも。殺人は殺人でしかなく、殺人犯は等しく法で裁かれるべきだし、裁かれねばならないのだから。

 でなければ人間が創りだした、知性の象徴たる法が存在している意味が無いのだから。


「だから、だから……私はヒトの命を奪わない」


 けれどきっと、私は既に間接的であろうとも誰かの命を奪ってしまっている。否、このゲームに参加した時点で既に私は殺人のほう助をするただの共犯者だ。

 「この白鳳邸は十三の客人が集う、互いを食らい合うための蠱毒です。そしてその箱に入れられた貴女がたは皆倫理を失い、欲の塊となるでしょう」そうゲームの行く先を八百長のように予言していたジルの言葉が不意に脳内で再生される。


「けれど、まだこの手は汚していない。だから、私はまだ、殺していない」


 わたしはまだ、殺していない。

 まだ、殺してはいない。

 まだ。

 未だ――。


 まるで未来、殺しに至るかのような自己内の思考推移にゾワリと背筋に悪寒が走る。

 少なくとも彼らは、自らの意思でこの場所へ来たのだ。私の手の届かない所で起きた彼ら自身の判断だ。私の責任などではない。だから、私はまだ誰の命も奪っていない。だから、私は共犯者なんかじゃない。だから、だから、だから――それ以上考えて思考に負担を掛けるのは止めるべきだ。

 著しい思考の乱れを整えるため大きく息を吸い、ゆっくりと吐きだす。

 そして「は、はは」と乾いた笑いを吐き、便箋を握り締めた手の握力を強くする。

 流石に自分の事を倫理的だとか無感情だとは評価したことは無い。けれど、もしかしたら私に備わるソレ等は既に破綻、あるいは崩壊してしまっているのではないだろうか。

 でなければ、この私がこんなにも著しい思考の乱れに囚われたりするはずがない。

 きっと、最初の死。幼い少女たる【妹】の、ダリアの死を見た時に受けた衝撃が尾を引き、こんなにも私を掻き乱しているに違いない。少なくとも彼女の後に見た月山の死などではさしたる衝撃を受けた覚えも、特に際立った感情も湧いてこなかったのだから。きっとそうであるに決まっている。

 ダリアの死を見た後はずっと柳と一緒に参加者たちの話を聞いて回ったり、柳に同調するように平然と会話を進めていたりと主体性なく行動していたから思考の乱れに、倫理の揺らぎに気付かなかった。

 殺人という罪状に関する倫理の破綻。

 激しく沸き立つ感情と、ソレの奔流。

 纏りを見いだせず著しく乱れる思考。


「……はぁ」


 ただでさえこの白鳳邸は息が詰まりそうなほどの閉塞的な雰囲気を放っているというのに、その中で目まぐるしく死が連なり、挙句犯人探しもままならないとなれば、流石の私も重ねて溜め息が吐きたくなるというものだ。

 破綻した倫理と、行き場のない感情と、撹拌され続ける思考。それら全てに無理解の肯定をして。それら全てに蓋をして。私はノイズのように外で鳴り続けている風雨の音に、耳を委ねる。

 ざあざあ。

 ごうごう。

 朝目覚めた時よりも、ずっと激しく窓を叩く雨粒と風。

 その音を聞きながらゆっくりと呼吸を繰り返し、握りしめていた便箋を開いて、再びその文字を追う。

 ――おめでとうございます。貴女は見事、十億円争奪「ミステリーゲーム『白鳳邸殺人事件』」の参加者に選出されました。なお、こちらで設定させていただきました貴女の配役名は、白鳳家長女の【姉】「白鳳マリア」となります。

 嗚呼、私はどのようにして宛名も差出人の名前もないこの招待状を手に入れたのだろうか。

 嗚呼、どうして私はこんなゲームに参加してしまっているのだろうか。

 分からない。知らない。覚えていない。

 自分の名前も、自分の生い立ちも、自分がこのゲームに参加する理由である「果たさなければならない」ナニカも。

 けれど私は此処に居て、この招待状を持っていた。


「はぁ……」


 部屋に戻ってきて何度目になるかの溜め息を吐き、皺だらけになっている便箋をベッドの上へと投げ捨てる。そして何も握り締めることない、空の手に嵌ったダリアの花を象った指輪をなぞる。


 ――ああ、ああ! お姉さま、お姉さま、お姉さま、お姉さま! わたし、もっともーっとマリアお姉さまが大好きになってしまったわ!

 ――うん、何もいらない。お姉さまが居れば、良い。

 ――ふふっ、お姉さま優しいのね。

 ――約束よ、お姉さま。


 指輪に触れれば触れた分だけ、ダリアの小鳥のように甘やかな声が脳内に反響する。

 するり、と私の掌をやわくなぞった小さな手の温かさと、優しさが。どろどろと私のこころを融かしつくしていく。

 嗚呼、ああ。

 【妹】たる貴女を殺した犯人を導き出せない私に。

 破綻した倫理と、行き場のない感情と、撹拌され続ける思考でいっぱいになる私に。

 私が誰であるのかでさえ知らない私に。

 貴女に【姉】と呼ばれる資格は、存在しえているのでしょうか。


 ――おやすみなさい、お姉さま。


 ざあざあと響くノイズに混じり、愛おしい彼女の声が届く。


「おやすみなさい、ダリア」


 唇から零れた言葉を最後に、私は瞼を閉じて。私の世界に、蓋をした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る