2-2 死



 私が昨晩過ごしていた自室の真上に位置する三階の客間。部屋としての造りも家具の配置も全く同じその部屋のベッドの上で、私の幼い【妹】たるダリアは絶命していた。

 それも擬似的な死ではなく、本当の「死」の姿。

 そんな彼女に死をもたらした凶器は、そのか細い首に巻き付けられたままのシーツの切れ端だろう。

 鬱血のせいで歪に膨れ上がり、紫色に変色してしまっている【妹】の顔を見下ろしながら、私は「ダリア……」と彼女の名を零す。

 ――お姉さま。明日はわたしがお姉さまをお部屋まで迎えに行くから、一人でどこかへ行ってしまわないでね! あと、明日は二人でおそろいのワンピースを着ましょう! 髪の毛は……二人でどんな風にするかお話して決めましょう!

 ――約束よ、お姉さま。

 するり、と昨晩彼女が私の左薬指に嵌めてくれた指輪をなぞれば明瞭に彼女の声が、【妹】の姿が、ダリアの熱が、思い起こされる。


「どう、して……?」


 ぐるぐると脳内に駆け巡る幼い妹の幻影。その姿に死の理由を問いかけようと声を漏らせば、私を呼びに来てくれた柳が「っ、」と言葉を詰まらせるのが分かった。


「マリアちゃん……」

「どうして、死んでしまっているのですか」


 鬱血により頭部を膨張させているダリア。そんな彼女の姿を私から隠すように、ジルがシーツでその身体を包む。


「それでは皆様、状況の整理を致しましょう」


 この部屋へと集まった、ミステリーゲーム『白鳳邸殺人事件』参加者――牛宮、月山、草子、萌音、花陽、白木、天立、ユウガオ、アザミ、オトギリ、柳、そして私――十二人の方へ視線を向けたジルは、両腕を広げ冷ややかな声を打ち放つ。


「此度の第一被害者は【妹】のダリア様。そして犯行現場はダリア様の部屋であるこの部屋。そして、第一発見者は【妹】ダリア様を起こしにきたわたくし、ジル・ド・アントです」


 淡々とした口調で第一被害者の発生を宣言し、犯行現場、第一発見者を平然と述べたジル。その声を聞き続ける私以外の参加者たちの顔もまた平然としていて、私は私の考えが誤りであったことを、瞬時に悟った。

 このゲームは、このミステリーゲームは。本当の殺人事件であり、各々の生命を掛けたデスゲームであるのだと。

 しかし戸惑いを抱えた私を知らない隣の柳は、口を開く。


「ねえ、ジル。彼女の死因は、ベッドの柱を使った自絞死なんじゃないのかい?」

「殺されたのでは、なく?」


 どういう基準を持って柳がダリアの死を自絞死――つまりは自殺だと判断したのか。その理由を訊きたくて、私は思わず声を出してしまう。


「それは……」


 彼女が自ら死ぬ理由は何なのか。

 少なくともダリアは、私と約束をした。明日は私を迎えに来ると、おそろいのワンピースを着ようと、髪型は二人で話し合って決めようと。私と約束をし、私はそれを承諾した。そんな彼女が、今日という日を確かに見据えていたはずの彼女が。何故自分で死ぬ必要があったのか、私には到底理解出来ない。

 しかし、私の問いかけに対し「それは……」と言ったきり言葉を吐き出そうとしない柳。そんな彼が紡ぎ出してくれるだろう次の言葉を待っていれば「彼女の首にあるシーツ……というより、これはシーツを切り裂いた布かな? それで、結び目は……うん、顎の部分に固定だから少なくとも自分では縛れるだろうね」と、柳ではない声が部屋に響いた。


「でも、天立さん。ダリアが自殺するなんて、そんなこと……」


 変色したダリアの死体を包んでいたシーツを捲り、死んだ彼女の状態を観察するように見ている天立。そんな彼の顔には穏やかな笑みが張り付いたままで、私は自分の背筋に悪寒が走るのを感じた。

 天立は、いったいどんな気持ちで彼女の死体を笑みの表情で見ているのだろうか。


「まあ、僕は医者じゃないから絶対とは言えないんだけど……マリアちゃんの言う通り、彼女の死は他殺だろうね。というか、このゲームに参加しているのに自殺するなんてナンセンスなこと、普通はしないんじゃないかな?」

「ならダリアちゃんのこの死は『犯人』による、自殺に見せかけた他殺と考えた方が良いのかい?」

「そう、ですね」


 少なくとも年上と思しき柳に対しては丁寧な口調を使うらしい。ダリアの身体にシーツを掛け直した天立は柳の方を見据え、口を開く。


「それに、『殺人事件』と名がついても所詮ゲームであることには変わりませんし、最初から自殺というのも面白みに欠けますからね」

「なら、第一被害者を免れた俺たちはダリアちゃんの他殺を潔く認め、早急に『探偵』としてこの事件の『犯人』を見つけ出すべき、かな?」

「それが良いと、僕は思いますよ」

「そしたら……そうだね。まずは全員のアリバイを確かめてみようか」


 天立との会話に区切りをみせた柳はこくりと一つ頷くと、自分たちの会話をただ見守っているだけだったジルの方へと視線を向ける。


「ジル。キミは昨日、ダリアちゃんを談話室から部屋まで送り届けていたみたいだけど、何時ぐらいまで一緒に居たんだい?」

「昨晩の二十一時前までです。皆様にルール説明を行ってから間を置いた後、ダリア様をこちらの部屋までご案内し、現在マリア様が着用されているワンピースの選定を行いました。勿論、退出の際、この部屋に設置された扉のオートロック機能が正常に稼働したことも確認しております」

「なるほどね」


 うんうん、とジルの言葉に頷き、ぐるりと部屋内に居る面々を見てゆく柳。だがそうやって面々を見てゆくのは柳だけではないようで、此処に集わされているほぼ全員が同様に他者の顔を訝しげに見回していた。


「ねえ、マリアちゃん」


 ダリアが横たわるベッドの傍から私の方へゆっくりと歩み寄ってくる天立。そんな彼に突然名を呼ばれた私は「な、なんですか?」と、上ずった声を上げる。


「そんなに驚かなくても大丈夫だよ。少し確かめたいことがあるだけだから」

「確かめたい、こと?」

「うん。あのねこの部屋、マリアちゃんが使っている部屋の丁度真上なんだけど、昨日の夜に物音とか、悲鳴とか聴こえなかったかな?」

「いいえ。というより、昨日は日付が変わる前に眠ってしまったので何も……」

「そっか」


 私の言葉から手がかりになるようなことを聞けず落胆したのか、素っ気のない言葉を最後に黙りこくってしまう天立。

 だがそんな私と天立の会話が気に入らなかったのだろう。部屋の戸口に背を預けている月山が「はぁー」とこれ見よがしに大きなため息を吐いた。


「あのさ、ダリアって子供を殺した『犯人』を当てれば十億円が貰えるってことなんだろ? なら俺が『犯人』を当ててやるよ」


 皆の視線が自身に向けられる中、鼻息を荒くしながら憤然とそう言いきった月山。彼は真直ぐ前を見据え、自分の前に立つ人間を指さした。


「蒡! お前があの子供を殺したんだろ!」


 まさか自分が、友人であるはずの人間から「犯人」扱いされるとは思わなかったのだろう。月山に指をさされた牛宮は驚きの表情を浮かべた後、忌々しげに「チッ!」と舌打ちをする。


「桂! テメェ、ソレを言うってことは証拠があっての事だろうな!」

「証拠だぁ⁉ ならお前、昨日は何処に居たんだよ! 部屋をノックしても返事はねぇし、遊技場にも居やしなかったじゃねぇか!」

「それに……昨日の夜中、牛宮くん、部屋を頻繁に出入りしていたよね? 私はキミとは部屋が隣だし、その時は草子も私の部屋に居たから、その音は良く聴こえたよ。……そうだよね、草子?」


 そう萌音に言葉を振られた草子はこくこくと頭を縦に振り「うん、私もその音、聴こえた」と小さな声で証言する。


「宇野下や姉川もこう言ってるんだし、蒡が『犯人』で決まりだろ! ほら、『犯人』を当てたんだから、さっさと十億貰おうじゃねぇか!」


 自身の前に居た牛宮にわざとぶつかった後、審判役であるジルに詰め寄る月山。だがそんな横暴な彼に対し、ジルは「桂様。その解では不十分です」と言い放った。


「はぁ?」

「桂様。貴方の解は『探偵』としては三流以下。最低でも物的証拠を見つけ出したり、5W1Hを導き出したりしてもらわなければ」

「ごーだぶりゅーいちえいちぃ?」


 ジルの言った単語を月山は知らないのだろう。疑問符を言葉に乗せた彼は「何ふざけたこと言ってんだよ!」と怒鳴り、そのままジルの胸ぐらを掴む。


「月山さん!」


 流石に、目の前で暴力沙汰が起きるのは見過ごせない。

 ジルの胸ぐらを掴み拳を振りかざそうとしていた月山を止めようと一歩前へ踏み出せば、私の前を一本の腕が塞いだ。


「柳、さん?」


 どうやら月山の無知ぶりと横暴さにしびれを切らしたのは私だけではないらしい。パチン、と私にウインクをしてみせた柳は私の傍に居た天立へと視線を向け、目を見合わせる。


「月山君。5W1Hというのは、『何時』」

「『何処で』」

「『誰が』」

「『何を』」

「『何のために』」

「『どのように』したのか、だよ」

「ミステリーを攻略、構築する上で重要なことなんだけど……月山君は、そんなことも知らずにこのゲームに参加したのかい?」

「オラ、桂。さっさとソレを全部埋めろ」


 柳と天立によって自身の無知さを全員の前で詳らかにされ煽られた挙句、自分自身が糾弾した相手である牛宮にも指図された月山。だが彼は牛宮の指図に従う気は無いらしく、掴んでいたジルの胸ぐらから手を離すと「糞が!」という悪態と共に部屋から飛び出して行ってしまった。

 羞恥と憤怒。その二つが入り混じった赤い顔を浮かべていた月山。そんな彼に連なり、牛宮に疑念の矛先を向けていた萌音と草子も部屋に居づらくなったらしく、月山に続くように部屋から出て行ってしまう。


「仲間割れだなんて、あの子たちお馬鹿さんなのかしら?」

「ユウガオ。そんなことを言っては駄目だよ」

「でもオトギリ、彼女たちのあの言動はあまりにも軽率すぎるでしょ?」

「それもそうか」


 敗走するように出て行った萌音と草子の背を見送りながら、クスクスと笑いあうユウガオ、オトギリ、アザミの三人。しかも笑っているのは彼女たちだけではなく、黙したまま私たちの言動を見守るだけだった花陽――の隣に居る白木もであり、彼は「ざまぁ」と馬鹿にした言葉さえ吐き出していた。


「……はぁ」


 彼らの品のない行動に、不愉快さや嫌悪を抱いたのだろう。溜め息と共に冷ややかな視線を彼らへ向けた花陽は、誰一人に声をかけることなくこの部屋から出て行ってしまう。


「ああっ、待ってくださいゆかりさん!」


 自身にさえ何も告げず出て行ってしまった花陽の後を追い、白木もまた部屋から飛び出し、それに続いて牛宮も部屋から退出する。


「それじゃあ僕たちは僕たちで、この件を調べてみようか」


 顔を見合わせ、クスクスと笑い合っていたユウガオ、オトギリ、アザミ。その三人にそう声を掛けた天立は、私と柳に向かって「柳さん。マリアちゃん。また後で」と言葉を残し、彼女たちと共に部屋を後にしてしまう。


「まったく……、こっちは事件を解決しようとしているのに、こうも協調性のないことをされてしまうと困ってしまうなぁ」


 最終的に部屋に残った生存者の一人である柳が「はぁ」と溜め息を吐き、隣に居る私の顔を見下ろしてくる。


「ねぇ、マリアちゃん。良ければなんだけど、俺と一緒に今回の事件を調べてみる気は無いかな?」

「……素人である私が、柳さんの役にたてるとは到底思えませんが?」

「そんなのみんな同じだよ。それに、俺もマリアちゃんと一緒でこのゲームには一人で参加しているから、一緒に行動してくれる人が居ると助かるんだ」

「柳さんが、それで良いなら構いませんが」

「なら、一緒に『探偵』として捜査してみようか」


 あらためて、よろしくねマリアちゃん。

 人懐っこい笑みを添え、そう言ってきた柳。そんな彼に「こちらこそ、よろしくお願いしますね」と返答しながらも、私は柳を過信しすぎないようにと自分自身へ言い聞かせていた。

 何故なら、柳の無実が証明されていない現状において、彼を信じ、頼りすぎるのは悪手だから。

 もし彼がダリア殺しの『犯人』であったなら、油断した隙を狙って殺されてしまうかもしれない。否、それだけじゃない。柳だけでなく他の参加者も今はまだ『犯人』でなかったとしても、この先『犯人』にならないという保証は無く、容易に信用してしまってはいけないのだから。

 生存者の数だけ『探偵』が居て、『犯人』になり得る可能性も秘めている。

 その事柄を肝に銘じ、隣に居る柳へと意識を戻せば、どうやら彼は未だ私の方を見下ろしていたらしい。


「あの、何かありましたか?」


 何か私に言いたいことでもあるのだろうか?

 じっと私を見下ろしてくる柳にそう訊ねてみれば、彼は「えっと、これなんだけど」と自分のポケットから一冊の本を取り出し、私の前に差し出してきた。


「これ、マリアちゃんの本だよね? 談話室に置きっぱなしになっていたよ」

「嗚呼、すみません。ありがとうございます」


 ぽん、と手渡されたソレは、間違いなく昨日私が書斎から拝借してきた「I, Robot」というタイトルの本。昨日は月山との悶着があったせいですっかりとその本の存在を忘れてしまっていたが、どうやら談話室に置きっぱなしにしてしまっていたらしい。

 本を受け取り、胸に抱いたのを確認したのだろう。私に向けていた視線をジルへと移した柳は、すぅ、と私にも聞こえるほど大きく息を吸う。


「それじゃあまずは、詳しい現場検証をしたいんだけど……俺たちは所詮素人だし、此処は審判者のジルにしてもらうべきなのかな?」

「ある程度の事まででしたら、解答が可能です」

「なら、ダリアちゃんが死んだ時刻と、死因を教えてくれるかい?」

「はい。ダリア様の死亡推定時刻は午前一時から午前三時ごろ。死因はシーツの一端よる窒息死となります」

「そっか、ならあとはシーツとか扉に残る指紋の鑑定とかなんだけど……」

「それは事件の解決を容易にさせすぎてしまいますので、ご容赦を」


 自身の質問に淡々と答えたジルに「そっか、答えてくれてありがとうジル」と礼儀正しく感謝を述べた柳。彼はベッドの上に横たわるシーツの塊――絶命した、死んでしまった、ダリアを覆い隠す白の物体――を見定め、歯噛みした後、すぐに私の方へと向き直る。

 そして「じゃあマリアちゃん。次は牛宮くんから話しを聴いてみようか」と、笑った。



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