1-7 ルール説明



「おや、ダリア様とマリア様、それに道明様もすでに此処に居られましたか」

「ふふっ、わたしが声を掛けたのよ」

「なるほど、そうでしたか」


 上機嫌に放たれたダリアの言葉に小さく頷いたジルは、談話室の中ほどまでへ移動すると、ぱんぱん、と手を叩いた。


「今から明日から始まりますミステリーゲーム『白鳳邸殺人事件』のルール説明などをさせていただきますので、皆様ご着席ください」


 その声と共に、立っていた幾人かが空いていたソファや、椅子へと座る。その様子をぼんやりと眺めていれば、此処に集められた私たちは四つのグループに分かれているのが見て取れた。

 一つ目は、牛宮が居る男二人、女二人のチーム。二つ目は、花陽と白木の二人だけのチーム。三つ目は天立を中心とした男一人、女三人のチーム。そして四つ目は私と、私の隣に座るダリア。そしてそんな私たちを微笑ましげに眺める柳の三人チームだ。

 参加者の総勢、十三名。その顔ぶれを確認したらしいジルは一つ頷くと、色味の失せた薄い唇を開いた。


「それでは、改めまして。私は主催者より白鳳邸の執事長兼、ゲーム審判役を任されましたジル・ド・アントです。もし質問などがありましたら挙手をして発言していただけると幸いです」


 ぺこり、と身体を折るようにして、小さく会釈をするジル。だが彼はすぐさま頭を上げ、「まず、参加人数は十三名、」と続きの言葉を発し始める。


「白鳳家の【姉】のマリア様、【妹】のダリア様、【従兄】の道明様。【友人】である蒡様、ゆかり様、ユラ様。そして【客人】である桂様、草子様、萌音様、みなと様、ユウガオ様、アザミ様、オトギリ様――となります。お間違えは、ありませんね?」


 そう訊ねるようなジルの言葉に対し、誰一人として挙手をしたり訂正を求めたりする言葉は発しない。


「それでは次に。ゲームを執り行う場はこの館、『白鳳邸』内部のみが範囲となっております。途中退場や棄権などは一切認められておりませんので、ご了承ください。そしてゲーム終了まで、外部との接触も禁じられておりますので、ご注意ください。そして――、それさえ守っていただければ貴方がたの行動は、自由です」

「自由……?」

「自由、なのか?」

「はい、『自由』です。この白鳳邸で人を殺す『犯人』になるも、ただ無情に殺されるだけの哀れな『被害者』になるも、勇気と知恵と幸運で生き延び、『犯人』を捜しあてる聡明な『探偵』になるも、貴方がたの自由。そして、その自由の中で『犯人』を当てた『探偵』あるいは、最後に生き残ることの出来た『犯人』のみが、賞金である十億円を受け取ることが出来ます」


 ジルの発した「自由」という単語。そこが気になったらしい参加者の数人が口々にそれを発すれば、ジルはその意味を細かに噛み砕き、説明する。


「これにて私からのルール説明は終了になりますが、皆様、何かご質問等はございませんか?」


 ルール説明にしては、やけに制約が少なすぎるのではないだろうか? 小さく「それ、だけ?」と零した私の声が、談話室の静寂に溶けて消える。

 主催者側から「探偵」や「犯人」の役割が振られるわけでもなければ、場の雰囲気を盛り上げる要素となりえるミッションなどの指令もない。在るのは、この邸内における立場としての【役割】と名称だけ。それ以外はすべて、各自の意思で決めろということか。

 十億円という金を手に入れるため、人を殺す「犯人」となるか。

 「犯人」に殺される、哀れな「被害者」となるか。

 あるいは「犯人」を当てる、聡明な「探偵」となるか。

 それら全て、今この場に居る私たちの自由。

 ジルの言った言葉を思い返し、私は「嗚呼、主催者はなんて悪趣味なのだろう」と胸の内でそう呟いた。

 自身の手を汚すも、無様に殺されるのを待つのも、あくせく犯人を追い立てるのも、私たちの自由? そんなのは欺瞞だ。正確には人を殺すか、殺されるか、あるいは糾弾するかの三択しか与えられていない。しかもそれら全ての決定権を私たちに一任させ、その責任を全て私たち自身へと負わせているのもまた質が悪い気がする。

 とはいえ流石にゲームと名が付いているのだから、この中で本当の殺人に発展することは無いだろう。そう此処で行われるのは擬似的な、フェイクとも呼べる生命の危機のない殺人事件。であれば、主催者側のその悪趣味さにも頷いても良い……かもしれない。

 悶々と思考を巡らせていれば、私の座るソファから少し離れた場所の椅子で足を組み、ふんぞり返るようにしている牛宮が「オイ、待てよ」と声を上げた。


「で、このゲームはいつ終わンだ? まさか『犯人』が全員を殺し終わるまでか? それとも『探偵』が『犯人』を言い当てるまでか?」


 そうだ。明日からのゲームの審判役たるジルは、このゲームの終わりを明確に知らせなかった。否、口にさえしなかった。

 彼が言ったのは、開始日や参加人数、場所。そして途中退場や棄権の不可や、外部との情報交換の禁止といった簡単な規約。ただ、それだけ。

 その事実に気づかされた談話室全員の視線が、牛宮からジルへと移る。


「蒡様の言う通り、明日より始まりますゲームの終わりは、参加者が一人きりになるまでか、あるいは『探偵』が『犯人』を突きとめるまで、終了致しません」

「なんだよそれっ! そんなこと、聞いてないぞ!」

「もし、『犯人』が全員を殺しきらないまま『探偵』も『犯人』を見つけられなかったら、どうするつもりなの!」


 そう、騒々しく声を上げたのは牛宮の隣に座る見知らぬ青年。そしてその向かいに座っているフェミニンな服装をした若い女だった。


「……桂様のおっしゃる通り、終了の期日は主催者の意向で『問われるまで答えるな』と申しつけられておりましたので、今初めて言わせていただきました」

「っ!」

「そして、草子様のご質問ですが、『犯人』が自身以外の全員をしきらず、『探偵』も『犯人』を見つけられなかった場合は、ゲーム続行とみなされ、貴方がたが最後の一人になるまで白鳳邸の敷地から出ることは勿論、外部と接触することも出来ません」

「なによ、それ!」


 ジルの言葉に対し、歯噛みする「桂様」と呼ばれた青年。そして愕然とした表情を浮かべる「草子様」と呼ばれた若い女。

 前者たる男は忌々しげにジルを睨み上げているだけだったが、後者たる女は肩を震わせ「なんなのよ、それ! それを知っていたらこんな所になんて来なかったわ! 私には予定というものが在るのよ!」と、さめざめと嘆きはじめる。それこそ、まるで自分が哀れで、可哀想な弱者であるのを見せつけているかのようにして。

 「哀れ」より「愚かさ」が前面に出てきているその女に視線を向けていれば、その女の友人なのだろう。ボーイッシュな女が彼女の背をさすり「草子、そんなに落ち込まないで」と慰めはじめた。

 嗚呼、なんて馬鹿馬鹿しい茶番だろうか。

 そんな愚かな女の何処に、慰める要素がある? 自身の弱さをひけらかす草子という女も馬鹿だが、その女を慰めるボーイッシュな女も相当な馬鹿ではないだろうか。

 そうやって彼女たちの茶番から目を背けようとすれば、唐突にボーイッシュな方の女が手を掲げた。


「……ジルさん。質問を一つ、良いですか?」

「なんでしょう、萌音様」

「ゲームが始まる前である今ならば、途中棄権というわけではないはずです。すぐ、此処から出してください」

「それは許可致しかねます。このゲームに参加する意図を持ち、此処へ至った貴方がたにはもう既に、参加不参加の選択肢は与えられておりませんので」

「なっ、それは横暴では⁉」

「横暴? それはおかしいですね。貴方がたに持参していただいた招待状を送る前の段取りとして、『主催者側の意向全てに同意する』旨の承諾を得たはずですが?」

「っ!」


 主催者側の意向に同意する旨を承諾したからこそ、私たち十三人は此処に居るのだ。

 ソレを忘れていたのか、はたまたその同意の文を読まないまま同意をしてしまったのかは私の知るところではない。だがどちらであれ、此処での彼女たちの振る舞いが、明日からのゲームに大きく響いてくることは確かだろう。

 私がもし『犯人』になることを選んだならば、隙があり、なおかつ弱々しさも兼ね備えた彼女たちを餌食にするだろう。勿論、これは私ならば、の話ではあるわけだが。


「納得いただけたようで何よりです」


 彼女たちの表情の何処に納得が存在しているのか私には分からない。だがジルの目には、彼女たちが納得したように映ったのだろう。

 陰鬱気な顔を歪め、酷薄な笑みを浮かべたジルは「以上をもちまして、明日から始まりますミステリーゲーム『白鳳邸殺人事件』のルール説明は終わります。もし、他にご質問等がありましたら随時、わたくしは受け付けておりますのでご自由にお申し付けください」と、改めて頭を下げた。

 その途端、今まで黙したままジルの言葉に耳を傾けていた他の参加者たちが寛ぎ、会話をしはじめる。勿論ソレは隣に座るダリアも例に漏れないらしい。私の腕を小さくゆすりながら、「ねえ、マリアお姉さま」と、声を掛けてきた。


「お姉さまは、明日からどうするの? もし何の予定もないのだったら、ダリアと一緒に居てほしいわ。わたし、お姉さまと一緒にやりたいことがたくさんあるの! おそろいのお洋服を着たいし、おそろいの髪型にもしたいし! それに、一緒に本を読んだり、おしゃべりをしたり、お昼寝も!」

「それは構わないのですが、貴女は……ダリアさんは何のためにこのゲームに参加したのですか?」


 すがすがしいまでに、「私と過ごしたい」という欲求を並べ立てたダリア。そんな彼女に対し、このゲームに参加した理由を訊ねてみれば、彼女は不思議そうに私を見上げ、小首を傾げた。


「お姉さまは不思議なことを言うのね。ダリアはマリアお姉さまが居るから此処に居るのよ? お姉さまが居なかったら、此処に居る意味なんてわたしにはないもの」


 ふふっ、と笑い、小さな肩を震わせるダリア。

 嗚呼、彼女はいったい何を言っているのだろうか?

 私が居るから此処に居る? 私が居なかったら此処に居る意味なんてない?


「それは……いったい、どういう?」


 ダリアの発した意味深な言葉に対し戸惑いを吐き出そうとすれば、談話室の扉の傍で中の様子を確認しているだけだったジルがおもむろに私たちの傍へと寄って来た。


「道明様、少々よろしいでしょうか?」

「え? ああ、分かったよジル」


 どうやら彼は私たちではなく、私たちの向かいに座っていた柳に用があったらしい。唐突に声を掛けられた柳は少しの戸惑いを見せはしたものの、すぐにソファから立ち上がった。


「なら二人とも、俺は一旦此処で失礼するけれど……あまり遅くならないうちに部屋に戻るんだよ?」

「うん、分かったわ。またね、柳お兄ちゃん」

「はい。おやすみなさい、柳さん」


 柳の言葉に返事をし、ジルと共に談話室を後にする柳の背を見送る。そうすれば隣に座るダリアが、ぎゅっ、と私の腕に抱きついてきた。


「ねえ、お姉さま。お姉さまはダリアのこと、好き?」

「そ、それは……」


 唐突なまでのダリアの問い。その返答に詰まる私に対し、質問した当人であるダリアは上機嫌なまでの笑みと共に、くりくりとしたつぶらな瞳で私を見上げてくる。

 好きか嫌いか。その二択で問われたならば「好き」と答えはするだろう。だが、彼女の口から出てきたのは「好き?」という、まるで好意を確認するような。あるいは、好きであることが当然であるという問いだ。

 だが私を見つめてくるダリア当人を前に、「好きではない」等という否定の言葉は言うべきではないだろう。

 彼女が向ける熱のこもった視線を浴びながら、私はゆっくりと口を開く。


「え、ええ……。好きですよ」

「やったあ! なら、お姉さまとわたし相思相愛ね! マリアお姉さま、だーい好き!」


 しばしの間が在ったはずの私の回答を、言葉通りの物として受け取ったらしい。歓喜の声を上げたダリアは、私の腕に絡ませていた自身の手をゆっくりと私の掌へと移動させ――私の左薬指に、銀色の指輪を嵌めてきた。

 およそ子供が手にすべき様な代物ではない、ダリアの花を象った精巧な作りの指輪。それを嵌めてきた彼女にその意味と理由を問おうと口を開けば、悪戯っぽくはにかんだ彼女が私の唇を掌で塞いだ。


「ねえ、マリアお姉さま」

「……」

「お姉さまは、わたしを殺さないよね?」


 その問いかけと共に唇から離れる小さな掌。

 私の意思など無視して自身の問いかけを優先してきたダリア。その我儘な所作に呆れはしたものの、怒りや苛立ちを抱いたりはしなかった私は、冷静な面持ちのまま「それは……」と声を零す。

 殺人事件と銘打たれているこのゲームに参加している以上、擬似的であろうとも絶対にダリアを殺さないとは明言できない。しかし、出来ることなら彼女を殺すことなく。そして、彼女が殺されることなくこのゲームが終わりを迎えてしまえば、良いとは思う。

 ダリアの問いかけに言葉を詰まらせていた私の姿を見て、ダリアもまた何かを察したのだろう。「ふふっ。わたし、お姉さまを困らせたいわけじゃあないのよ?」と、私の目をまっすぐに見つめ、そう言ってきた。

「ただね。殺されてしまうのだったら、お姉さまに殺してもらえたら良いな……って思っているだけなの。世界で一番大好きなマリアお姉さまが、ダリアだけを見つめてくれるなら。マリアお姉さまだけを視界に映して、独り占めできてしまうなら。わたしは幸せなの」

 嗚呼。どうして彼女は初対面にほど近い私に対して、そんなことが言えるのだろうか。そもそも私たちはゲームの主催者から【姉】や【妹】の役割を与えられただけの、ただの他人だというのに。


「もちろん、死んでしまいたい。というわけではないのよ? 本音を言うなら、わたしはお姉さまとずっと一緒にいたいの。ゲームなんて終わってしまわなければいいと思っているの」


 ゲームが終わらない可能性に対し、さめざめと泣いた「草子」の存在を幼いながらも認知しているのだろう。小さく声を顰めながら、そう言ったダリアはにこりと笑みを向けてくる。


「わ、私は……貴女に何も返せませんよ?」


 ダリアが与えてくる熱烈なまでの好意も、抱擁も、言葉も。私は彼女に返してあげられない。

 何故なら何故彼女が私にそれらを与えてくる理由を知らないから。理由が不明瞭では、何をどうすれば彼女が喜び、返したことになるのか、導き出すことが出来ないから。

 しかし彼女は「……お姉さまは、何を言っているの?」と困惑気な表情を浮かべ、もぞもぞと私の膝の上へ乗って来た。


「マリアお姉さま。お姉さまは、わたしに何かを返す必要なんてないの。お姉さまは、お姉さまのまま、居てくれるだけで良いの。ダリアのために何かをしたり、ダリアに何かを返そうとしたりなんて、するべきでもなければ思うべきでもないの。だってこれは、わたしのエゴなのだから。……それに、わたし、言ったでしょう? わたしは、お姉さまが居るから此処に居るんだって。だからお姉さまは、お姉さまでいてくれればいいの」


 わたしが大好きなマリアお姉さまが、わたしとずーっといっしょに居てくれれば……それだけで良いの。

 一方的な感情を零したダリアは、私の額に自身の額を押し当て瞼を閉じる。一方、私は至近距離にあるダリアの震える睫と、ふっくらとした頬を視界に映す。

 ダリアが向けてくる好意の根源は不明瞭で、理解もし難く、間違いなく私に疑念を募らせてはくる。けれど、ソレを差し引いてでも私はその疑念を直接彼女に吐き出すことが出来なかった。

 否。むしろ、「……貴女が、そう望むなら」と、肯定さえする発言を意図せぬまま零してしまう。


「本当⁉ お姉さま!」


 私の膝に乗り、私の額に自身の額を合わせいたダリアがパチリと閉じていた瞼を開く。そして「ああ、ああ! お姉さま、お姉さま、お姉さま、お姉さま! わたし、もっともーっとマリアお姉さまが大好きになってしまったわ!」と言い、大きく腕を広げ、私に抱きついてくる。


「わたしにはお姉さまだけが居ればいいの。お姉さまだけしか、居ないの。わたしを産んだお母さまも、血の繋がらないお父さまも、わたしの婚約者になった柳お兄ちゃんも。みーんなわたしになんて興味が無くて、『白鳳ダリア』という立場だけが大切で。わたしのことを一番に考えてくれているのは、何時だってマリアお姉さまだけだったってこと。お姉さまだけがずっとわたしの隣に居てくれて、わたしを支え続けてくれて、わたしのことをちゃんと見てくれていた。だから、わたしにはお姉さまだけが居てくれれば他には何もいらないの」

「なにも、いらないのですか?」

「うん、何もいらない。お姉さまが居れば、良い」


 ぎゅう、と強く私を抱きしめてくるダリア。そんな彼女の吐露を聞きながら、小ぶりな頭をやわく撫でてやる。


「ふふっ、お姉さま優しいのね」

「……気のせいですよ」


 決して、優しいわけではない。

 何故なら、私のその動作はただの反射なのだから。

 切なげに自身の心を吐露したダリアが愛しいと思ったわけでもなければ、可哀想だと思ったわけでもない。ただ、彼女の頭がそこに在ったから撫でただけ。それに、あくまでもダリアはこのゲーム中で私の【妹】に設定されただけの、他人。そんな彼女に対して、私が優しさを持って接する必要は皆無――。

 けれど私のそんな思いを知らないダリアは「ふふっ」と嬉しげな声を漏らし、幸せそうな笑みを私へ向けてくる。

 幸福。それをひしひしと私へと伝えんとする笑み。だが、そんな彼女の幸福を打ち破るようにして「ダリア様、マリア様との御歓談中失礼いたします」とジルが声をかけてきた。


「……もう、部屋へ戻る時間なの?」

「はい」

「……もっと、お姉さまと一緒にいちゃいけないの?」

「それは、承知いたしかねます」

「ジル。貴方……ほんとうに、意地が悪いのね」


 ジルと目を合わせることなく彼との言葉の応酬を重ねたダリア。彼女は不服気な表情を浮かべながらも大人しく私の膝から降り、「お姉さま。明日はわたしがお姉さまをお部屋まで迎えに行くから、一人でどこかへ行ってしまわないでね! あと、明日は二人でおそろいのワンピースを着ましょう! 髪の毛は……二人でどんな風にするかお話して決めましょう!」と、小指を立てた手を向けてくる。


「約束よ、お姉さま」


 幼い彼女の、ちいさな小指。細く、弱々しげなそれに私は、自身の小指を絡ませ「約束、ですね」と頷いた。


「うん、約束よ。お姉さま!」


 明日の約束を取り付けた彼女は上機嫌に笑うと、私たちの様子をじっと見守っていたジルの傍へと移動する。


「じゃあ……おやすみなさい、お姉さま」

「おやすみなさい、ダリアさん」


 ひらひら、と私へ手を振りながら談話室の外へと連れて行かれるダリア。そんな彼女に手を振り返していれば、唐突に牛宮が私の前に現れた。

 確か彼は、私たちから少し離れた場所で友人と思われる人たちと一緒に居たはずなのだが……もしかして、少々騒々しかった私たちに苦情でも言いに来たのだろうか?


「えっと、牛宮……さん?」


 いきなり恫喝されるようなことは、おそらく無いだろう。だが遊技場で彼の言動を、身を以て知ってしまっている私の言葉には僅かながらに恐れと、戸惑いが含まれているだろう。

 そんな私の声色を、彼もまた察したのだろう。牛宮は「チッ」と不満げに舌打ちをすると、私から僅かに目を逸らした場所に視線を向け、「オレは部屋に戻る」と言ってきた。


「嗚呼、はい……そうですか。おやすみなさい、牛宮さん」


 何故彼は私に部屋へ戻る旨を伝えに来たのだろうか。その意図を全く察することの出来ない私に苛立ったのか、再度「チッ」と舌打ちをした牛宮は足早に、そして荒々しく、談話室から出て行った。

 そんな牛宮の行動に感化されたのだろう。花陽の隣に座っていた白木がソファから立ち上がり、「ほら、ゆかりさん。僕たちも部屋に戻りましょうよ!」と花陽の手を引きはじめる。


「嗚呼、そうだな……」


 白木に手を引かれるまま立ちあがる花陽。そんな彼を見ていた私の視線と花陽自身の視線が重なると、不意に彼が白木の手を解き、私の方へとやってくる。


「マリア。自分たちも、書庫か自室へと戻っている」

「そうですか。ゆっくり休んで、明日に備えてくださいね花陽さん、白木さん」


 牛宮同様、私の傍へと立ち寄って来た花陽。そして、そんな彼の背後から私を睨みつけている白木に、そう声を掛ければ「ええ、マリアさんも。しっかり英気を養って、明日からの殺し合いに備えてくださいね!」と白木がにこやかな笑みに物騒な言葉を乗せ返してきた。


「ほら、ゆかりさん。行きましょう!」

「……ああ」


 ぐい、と花陽の腕を引き、談話室から出ていく白木。二人の姿を見送っていれば、部屋に未だ残っている天立たちもどうやら此処から出ていくらしい。


「ボクたちも、そろそろ行こうか」

「ええ、そうね」

「それがいいわ」

「そうしましょう」


 天立の発言に賛同の意を示した女の子たち三人を引き連れ、談話室の扉の方へと移動する天立。しかし彼は扉の前で足の矛先を反転させ、私の方へ視線を向けてきた。


「じゃあマリアちゃん。ボクたちも先に部屋に戻らせてもらうね」

「そうですか。おやすみなさい、天立さんと……えっと、」


 天立の後ろでじっと私を見つめてくる、三人の女。彼女たちの名を知らぬ私が困ったように視線を向ければ、彼女たちはそのことを察したのだろう。「ユウガオです」、「アザミです」、「オトギリです」と名を名乗ってくれた。


「ユウガオさん、アザミさん、オトギリさん。おやすみなさい」

「うん、おやすみ」

「「「おやすみなさい」」」


 くすくす、と小さな笑い声を漏らし、互いに顔を見合わせ談話室から出ていく天立、ユウガオ、アザミ、オトギリの四人。そんな彼らの後ろ姿を見送りながら、そろそろ私も自分に宛がわれた部屋へ戻ろうと腰を上げようとすれば、「だーりーあーちゃん」と背後から声を掛けられた。


「え?」


 私ではない「誰か」の名前で私を呼んだ声の主。その人物を確かめるため後ろを振り向いてみれば、そこに居たのは一人の青年だった。

 たしか彼は「桂」という名前で、牛宮と同じグループに居たはずの人間だ。


「ダリアちゃんに会うのはひっさしぶりだよなぁ。なあなあ、今まで何してたんだ?」


 どかり、と私の隣――先程までダリアが座っていた場所に座った彼は慣れ慣れしく私の肩に腕を乗せ、体重を掛けてくる。


「あの、貴方は誰ですか……?」


 怪訝、不快、嫌悪。それらが入り混じった表情を向ければ、彼は「オレだよオレェ! 月山桂だよ!」と大きな声で自身の名前を言い、同時に「ダリアちゃんってば、ホンットに忘れっぽいよなぁ!」と、私ではない「誰か」の名前を再び呼んだ。


「私はダリアではなく、マリアです」

「あー、此処ではそう呼べってか? 良いけどよ」


 はは、とせせら笑うように「マリアちゃんなー、マリアちゃん」と私の名前を連呼し、する月山。彼は牛宮や花陽と同じように、私そっくりなダリアと言う名の「誰か」を知っている人なのだろうか?

 だが私はその探究心をぐっと飲み下し、拳を握る。

 何故なら、月山が私にとって不愉快極まりない存在だからだ。

 肩に乗せるだけでは飽き足らず、肩口に指を這わせてくる腕が。「なあマリアちゃんはさ、誰か殺すか? オレは牛宮の奴を殺そうかなって考えてんだけどさ……」と、聞いてもいないことをべらべらと語る口が。ときおり舐めるような視線で私の胸元へ視線を向ける瞳が、不愉快極まりなく、理解しようという気持ちにさえさせてこない。

 ただただ彼に抱くのは「嫌悪」「不快」「侮蔑」といった忌まわしさを起因としたものばかりだ。


「いい加減にしてくださいっ!」


 私の肩口を掴んでいた月山の手を取り払い立ち上がるも、彼は少し驚いた様子を見せただけで、反省はしていないらしい。「え~、そんなつれないこと言うなよぉ」と、駄々をこねる子供のように私に縋りつこうと手を伸ばしてくる。

 っ! こんな苛立つ人間は初めてだ!

 バシリ、と伸ばされた月山の手を弾き、私はこの屋敷に来てから出会った人物たちの顔を思い浮かべ――、そして彼らがいかに月山よりもマシな人物であったのか痛感する。

 嗚呼、牛宮や花陽、天立の行動自体にはかなりの問題はあったが、それでも、今私の前に居る月山よりはマトモに会話が出来ていた!


「どうせ此処には蒡の奴どころか、誰一人としていねぇんだからさ。そんなテレなくても良いんだぜ? オレとマリアちゃんの仲だろ?」


 私の拒絶を「照れ」の類だと誤認しているらしい。再度私の方へ手を伸ばしてきた月山から距離を取ろうと後ずされば、彼も立ちあがり私を追いかけてくる。


「なぁ、今からマリアちゃんの部屋に行っても良いか?」

「なっ、何を言ってるんですか!」

「ほら。オレとマリアちゃんの仲なんだからさ、いいだろ? どうせ草子と萌音は女二人で乳繰り合ってるんだろうし、他の奴らだって明日のことで頭がいっぱいなんだからさ。……他の誰にも見つかりゃしねぇって!」


 逃げる獲物を追い立てる獣を彷彿とさせる所作で私の手を強引に掴み、力を込めてくる月山。その痛みに歯噛みすれば、彼はにたりと下劣な笑みを浮べ、嗤った。


「おら、行くぞ」


 手を掴んだまま、私を談話室の出入り口たる扉へと無理やり連れて行こうとする月山。


「っ、やめてください!」


 このまま廊下へ無理やり連れだされ、別の部屋へと連れ込まれでもしたらひとたまりもない! 少なくともこの談話室は誰かが訪れる確率が在るからまだマシではあるが、他の部屋ともなればその確率は著しく低いものになるだろう。

 彼の腕と、彼が吐き出す不愉快な言葉。それらを拒むため、改めて「やめてください!」と声を上げれば、月山の手が――私の手首を握る手とは逆の手が、拳を握り、私へ向かって振りかぶられた。

 殴られる。

 そう瞬時に判断した私は瞼を閉じ、迫りくる痛みに身構える。だが、その痛みが訪れることは無く、むしろ「なんだてめぇ!」と焦りにも似た声が聞こえさえしてきた。

 恐る恐る瞼を開いたソコにあったのは、月山の振りかぶられた拳を掴む柳の姿。


「月山君。マリアちゃんに、何をするつもりだったのかな?」

「っ!」


 柳の顔に浮かぶ、威嚇じみたにこやかな笑み。それを見せつけられた月山は「くそっ!」と柳の手を乱暴に振り払うと、私を彼の方へ突き飛ばし、談話室から飛び出て行った。


「……や、柳さん。助けていただいて、本当にありがとうございました」


 間一髪。月山に殴られそうだったところを柳に助けられた私は彼に頭を下げ、礼を言う。すると彼は、「当然のことをしたまでだよ。むしろ、俺のほうこそごめんね」と私に謝ってきた。


「どうして柳さんが謝るのですか?」

「……俺が此処に戻ってくるのがもっと早ければ、こんなことにはならなかったと思ってね。ジルとの話はすぐに終わって、ダリアちゃんともすれ違ってキミがまだ此処に居るっていうのを教えてもらっていたのに、悠長に歩いてなんかいたから……ごめ、」

「柳さんのせいではありません! 今回の事は、私が貴方の忠告通りにすぐに部屋に戻らなかったことが原因なのですから!」


 再び「ごめんね」と言おうとした柳の言葉を遮り、彼の目をまっすぐ見据えそう言った私。そんな私に気圧されたのか、柳は一歩後ろへと移動する。


「だから、柳さんが謝る必要はありません」

「そう、かな」

「そうです」

「……そっか」


 談話室とは掃出し窓を隔てた向こうに在るテラス。そこで交わした会話の中で、柳の卑屈じみた諂いの態度は改善の兆しを見せたはずだが、今すぐに、そして劇的に変わるわけではなかったらしい。


 「そうだよね。此処には、俺の事を気にする人なんて、誰一人として居やしないんだから」と自身に言い聞かせるように小さくそう呟いた彼は、改めて私を見据え息を吸う。


「えっと、それで。俺個人としては、このままマリアちゃんを部屋まで送ってあげたいところなんだけど……」

「けど?」


 途中で言葉を途切れさせた柳。彼は私を見ながら考え込んだ後、「今回は俺じゃなくて、ジルに任せた方が良いかもしれないね。少なくともマリアちゃんとは今日会ったばかりだし、まだ信頼に値してもらってはいないだろうからね」と低い自己評価を述べ、廊下に向かって「ジル! 来てくれるかい!」と声を上げた。


「私としては、柳さんに送ってもらっても構わないのですが」


 確かに柳とは今日会ったばかりだし、信頼に値するほどでもないだろう。だが少なくとも、牛宮や花陽、天立、そして月山よりかは信頼できるし、信用もできる。


「そうなのかい? でも、やっぱり俺じゃなくてジルに頼むべきだよ。ゲーム開始は明日からとはいえ、あんまり一緒に居ると『犯人』につけ入れられるかもしれないし……それに、俺のことを信用しすぎるのは、駄目だよ」

「私の事を、殺すからですか?」

「うぇっ? あ、う、うん……。あっ! で、でも今は殺すつもりなんてぜんっぜんないんだけど、もしかしたらそうせざる得ないことになってしまうかもしれないし、逆に、ほら、マリアちゃんが俺を殺すかもしれないことにだってなったっておかしくないわけだろう? なら、互いに、あまり信用しあわない方がきっと、良いと思うんだよ!」


 私の唐突な問いかけに対し、愚直なまでに頷いた柳。だがその頷きが良くないものだとすぐさま察した彼は慌ただしく弁明をし、困ったように私を見た。


「ふふっ、柳さんは嘘が吐けない方なのですね」

「……よくわれるよ」


 「はぁあああ……」と大きなため息を吐きながら顔面を押さえる柳。彼が本当に私を殺す気であったのか、そうでなかったのかは分からない。だが彼が言った弁明の言葉は、私自身にも当てはまる事柄だ。


「かくいう私も、明日からのゲームの中で、時と場合によっては柳さんを殺してしまうかもしれませんし……柳さん以外の方を手に掛けてしまうかもしれないのですから、お互い様ですよ」


 そう。今、この瞬間でこそ私たちは誰に対しても殺意を抱いては居ないだろう。だが、未来の私たちが抱いていないという保証は出来ないし、確約も出来ない。

 であるならば、私たちは互いに互いを信用しすぎるべきではないだろう。少なからず、互いに殺し合う可能性が僅かでもある以上、あまり深入りしない方が互いの為になる……はずなのだから。

 しばらくの間私も柳も無言のままその場に居ると、足早にこちらへと向かってくる足音が聞こえてきた。


「あ、マリアちゃん。ジルが来たよ」


 つい、と廊下の奥を指さす柳。その方向には平たい箱を持ったジルの姿が在った。


「何用ですか道明様」

「マリアちゃんを部屋に送っていってくれるかな?」

「……なるほど。かしこまりました」


 短な柳の言葉で察するものがあったのだろう。私たちの前で足を止めたジルは了承の言葉を述べ、私に不似合いな笑みを向けてきた。


「では、マリア様。参りましょう」


 すっ、と私の方へ白の手袋を嵌めた手を差し出してくるジル。

 正直、ゲームの八百長を示唆していた彼と共に行動したくはないが、柳が親切心でジルを呼んでくれた手前、ぞんざいな扱いをするべきではないだろう。「はい」とジルの言葉に短く応えた私は、傍に居た柳の顔を見上げる。


「……おやすみなさい、柳さん」

「うん、おやすみ。マリアちゃん」


 互いに軽く会釈をし、柳に背を向けた私はジルに導かれるまま廊下を歩きはじめる。

 クリーム色の壁と赤い絨毯の道。そして暗い色味を映す窓ガラス。そんな白鳳邸の外では相変わらず雨が降っているらしく、ざあざあと雨音が響いていた。


「マリア様。僅かな時間ではありましたが、この白鳳邸や参加者の方々の様子はいかがでしたか?」

「邸内は綺麗に整えてあると思いましたし、参加者のみなさんは……顔見知りなのか仲の良い方で集まっているのだなと、思いました」


 八百長。ジルが私をこの白鳳邸に案内した際に発した単語。ソレを口にこそしはしないものの、その意図を込め、私は隣で歩くジルを見上げてみる。


「それもそうでしょう。【客人】の方々は、【友人】ないしは【従兄】や【姉】、【妹】の方の招待状があってこそ参加が認められているのですから」


 「今回は【友人】として呼ばれた方々のみ【客人】を招かれたようですがね」と補足の言葉を述べ、歪な笑みで私を見下ろしてくるジル。


「それはつまり、牛宮さんや花陽さん、天立さんは仲間を連れてこのゲームに参加したと? そんな、なぜ共犯を許すような行為を、」


 主催者側は推奨しているのですか。そう言おうとした私の口を、白の手袋を嵌めたジルの指が封じる。


「それは、共犯が許されていないからですよ。このゲームの勝者は、たった一人。皆殺しを成し遂げた『犯人』か、人殺しを当てた『探偵』のみなのです。そしてわたくしがゲーム審判役を務める以上、冤罪で『犯人』が決まることは、決してありえません」

「絶対、に……?」

「はい。絶対に、ありえません」

「そう……ですか」


 ジルのその自信はいったい何処から来るのだろうか?

 もしやこの白鳳邸には既に監視カメラや盗聴器の類が仕掛けられており、ソレを元に判断するつもりなのだろうか? あるいは、ジル以外にも主催者側の息がかかった者が存在し、その者が逐一ジルに報告でもするのだろうか?

 まあ、なんにせよ。主催者側の人間であるジルが「共犯」を許さず、「冤罪」も絶対にないと言い切る以上、私はソレを信じるほかは無いだろう。

 ざあざあと鳴る雨音に耳を傾けながら二階へと通じる階段を上がり、幾つもの部屋の前を素通りすれば、しばらくの間私が使用する客間へと辿り着く。


「送ってくださってありがとうございます」

「いえいえ。わたくしは当然の事をしたまでですので。それより、実はこちらの品……ダリア様からマリア様への贈り物の品でして」


 そう言いながらジルが差し出してきたのは、彼が持っていた平たい箱だった。


「これ、は?」

「ダリア様からの品で、『おそろいのワンピース』だそうですよ」

「嗚呼、そう言えば。そういう約束を彼女としましたね……」


 彼女と約束をしてからさほど時間も経っていないというのに、よく『おそろいのワンピース』を持ってくることができたものだなと感服しながら私はその箱を受け取る。


「それじゃあ、ジルさんおやすみなさい」

「マリア様も、ごゆっくりお休みくださいませ」


 私を部屋まで送り届けてくれたジルに挨拶をし、部屋の中へと入り扉を閉めればオートロックの鍵がガチャリと自動的に音を立てた。


「はぁ……」


 うっすらとした明かりが灯される、赤を主な色とした広い部屋。

 そこに金色の猫足が特徴的なのソファやローテーブル。そして煌びやかなドレッサーに、大きな天蓋付きのベッド。他にも高級そうな家具などが部屋の中に配置されている。

 そんな部屋をぐるりと見渡した後、ジルに手渡された平たい箱をローテーブルの上へ置く。そしてその中身を確認してみれば、そこには真白なワンピースが入っていた。


「これは……私に似合うでしょうか……」


 さほど気にも留めていなかったのだが、現在進行形で黒のワンピースを着ている身としては、正反対の色味を持ったそれに袖を通すのはなかなか勇気がいりそうだ。

 だが、それでも着ると約束をしてしまった以上、似合う、似合わないは考慮せず、明日はこれを着て過ごすべきだろう。そう、あくまでも他者である小さな少女との約束であろうとも、約束は約束。けっして反故にするべき代物ではない。

 明日の朝、袖を通すことになるワンピースを眺めながら、私は指に嵌められたダリアの花を象った指輪をなぞる。

 ――ねえ、マリアお姉さま。お姉さまは、わたしを殺さないよね?

 ――ただね。殺されてしまうのだったら、お姉さまに殺してもらえたら良いな……って思っているだけなの。世界で一番大好きなマリアお姉さまが、ダリアだけを見つめてくれるなら。マリアお姉さまだけを視界に映して、独り占めできてしまうなら。わたしは幸せなのよ。

 ――もちろん、死んでしまいたい。というわけではないのよ? 本音を言うなら、わたしはお姉さまとずっと一緒に居られればそれで良いから、ゲームなんて終わってしまわなければいいと思っているの。

 ――マリアお姉さま。お姉さまは、わたしに何かを返す必要なんてないの。お姉さまは、お姉さまのまま、居てくれるだけで良いの。ダリアのために何かをしたり、ダリアに何かを返そうとしたりなんて、するべきでもなければ思うべきでもないの。だってこれは、わたしのエゴなのだから。……それに、わたし、言ったでしょう? わたしは、お姉さまが居るから此処に居るんだって。だからお姉さまは、お姉さまでいてくれればいいの

 ――わたしが大好きなマリアお姉さまが、わたしとずーっといっしょに居てくれれば……それだけで良いの。

 ――ああ、ああ! お姉さま、お姉さま、お姉さま、お姉さま! わたし、もっともーっとマリアお姉さまが大好きになってしまったわ!

 ――わたしにはお姉さまだけが居ればいいの。お姉さまだけしか、居ないの。わたしを産んだお母さまも、血の繋がらないお父さまも、わたしの婚約者になった柳お兄ちゃんも。みーんなわたしになんて興味が無くて、『白鳳ダリア』という立場だけが大切で。わたしのことを一番に考えてくれているのは、何時だってマリアお姉さまだけだったってこと。お姉さまだけがずっとわたしの隣に居てくれて、わたしを支え続けてくれて、わたしのことをちゃんと見てくれていた。だから、わたしにはお姉さまだけが居てくれれば他には何もいらないの。

 ――うん、何もいらない。お姉さまが居れば、良い。

 ――ふふっ、お姉さま優しいのね。

 ――お姉さま。明日はわたしがお姉さまをお部屋まで迎えに行くから、一人でどこかへ行ってしまわないでね! あと、明日は二人でおそろいのワンピースを着ましょう! 髪の毛は……二人でどんな風にするかお話して決めましょう!

 ――約束よ、お姉さま。

 ――じゃあ。おやすみなさい、お姉さま。

 指輪に触れれば触れた分だけ、ダリアの愛らしい小鳥のような声が脳内に反響する。

 するり、と私の掌をなぞった幼い指先の柔らかさと温度が、じわじわと脳内を焼きつくしていく。

 嗚呼、小さく幼い彼女はいったい何を思いこのゲームに参加したのだろうか。

 「わたしは、お姉さまが居るから此処に居るんだって。だからお姉さまは、お姉さまでいてくれればいいの」とダリアは言っていたが、どれほど考えてみても、それが本当の理由であるとは考えにくい。むしろ、甘い言葉で私を油断させようとしていると考えた方がよほどしっくりとくるほどだ。

 私は、理解出来ない。

 ダリアの感情を、言動を。理解してあげることが、出来ない。

 何故ならそれは、理解に至るまでの情報が、ファクターが、あまりにも足りなさすぎるから。

 箱に入ったワンピースをそのままにローテーブルから離れた私は薄い白の天蓋に囲まれたベッドへ倒れ込む。

 嗚呼。それにしても、どうして私はダリアというたった一人の少女に、これほどまでに揺らがされているのだろうか。

 遊技場では、軽薄で粗野な印象を私に抱かせた牛宮に。

 書斎では、私を見知らぬ他人である「ダリア」だと誤認し続けていた花陽に。

 談話室では、自身の語る愛を私へ押し付けてきた天立に。

 テラスでは、著しく自己評価や自己愛の低い柳に。

 顔や声も容易に思い出せるほど、個性豊かな人たちにも出会ったというのに。それでも彼女の声が、ダリアの温度が、私の傍から離れてくれない。


 ――おやすみなさい、お姉さま。


「おやすみなさい」


 脳内で響く幼いダリアの声。その声に返事をし、私はゆっくりと瞼を下ろす。

 嗚呼、嗚呼。どうして私はこんなにも、彼女を強く想ってしまうのだろうか。


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