1-6 柳 道明



「……?」


 不意に耳に届いた軋み。その音が聞こえてきた方を見やれば、そこには濡れたシャツを纏った一人の青年が、湿気を含んだ自身の髪を無造作に掻き上げていた。

 此処へ至る前に出会った牛宮や花陽、そして天立より幾分か年上らしき大人びた青年。おそらく彼は私が見ていた中庭とは別の場所。それこそ私の死角たる裏手、あるいは脇の方からこのテラスへと駈け込んで来たに違いない。

 濡れ鼠、と表現するには聊か湿気が足りない彼の姿をじっと眺めていれば、どうやら私の視線に気が付いたらしい。私の姿を視認するや否や彼は「……キミは!」と驚いたように目を見開いた。


「……どうも、はじめまして」

「え、あ、ああ。こちらこそ、はじめまして」


 まさか私の方から声をかけてくるとは思っていなかったのだろう。彼はぱちくりと目を瞬かせながら私の方へと歩み寄ってくる。


「私は【姉】のマリアです。よろしければ、貴方の名前を教えていただいても?」

「うん、良いよ。俺は【従兄】の柳道明、よろしくね、マリアちゃん」

「こちらこそ。よろしくお願いします、柳さん」


 ガーデンチェアに座る私に対し、近すぎもしなければ遠すぎもしないほど良い距離で足を止めた柳道明はニコリと人懐っこい笑みを浮べる。だがその笑みはすぐに崩され、まるで観察でもするように私を上から下、そして下から上へと見定めてきはじめた。


「何かありましたか? 柳さん」


 まるで入念に何かを調べられているかのような彼の視線。それに疑念を覚えた私が柳の名を呼べば、彼は自身の失態に気が付いたらしい。「え、ああ! ごめんね! いきなりジロジロ見るなんて、失礼なことを!」と、何度も頭を下げ、平謝りしはじめてくる。


「いえ。明日からのゲームの事もあるので仕方がないと割り切っていますから。大丈夫です」


 本当は、割り切ってなどいない。じろじろと見定められるのは、不愉快だ。それこそ不快感から、苦言を呈したくなるほどに。だが、ぺこぺこと幾度となく頭を下げてくる柳の姿を見せられてしまっては、流石の私でも強く言えなくなってしまう。


「そっか。でも、不快にさせてしまっただろう? 本当に、ごめんね」


 下げていた頭を上げ、湿気を帯びた自身の髪を改めて掻き上げる柳。そんな彼が次にどんな行動を起こすのかと訝しげに見守っていれば、彼は少し離れた場所に在った空席のガーデンチェアを自身の傍に引き寄せた。


「あの、マリアちゃんが良ければなんだけど、しばらく此処で休んでいっても良いかな?」


 ちらり、と掃出し窓の向こう側、談話室に居る天立と女の子たちの方へと視線を向けた柳。だがそんな彼に対して私は「むしろ部屋へ戻って髪を乾かしたり、着替えをしたり、身体を温めたりするべきだと私は思いますが?」と言い返す。


「え? あ、ああ。普通ならそうだけど、うん。此処ではそういうのは不要だし、俺は大丈夫だよ。心配してくれてありがとうね」


 不要? 大丈夫? 濡れ鼠程ではないものの濡れている柳の姿を見せつけられている私としては、まったく理解出来ないのだが。

 しかし彼は私が発した親切心からの言葉に礼を言いはしたものの、聞き入れはせず、引き寄せたガーデンチェアへ腰を下ろし私と横並びになるように白い花々が咲く中庭に視線を向けた。

 そしてしばらくの間、互いに無言のまま雨の降る庭を眺めていれば、徐々に気まずさを覚えてきたのだろう。ちらちらと私の方へ視線を向けてきた柳が「……ねえ、マリアちゃん」と声を掛けてくる。


「一つだけキミに質問したいことがあるんだけど、答えてくれるかな?」

「質問内容にもよりますが、聞きましょう」

「ありがとう。なら質問なんだけど、どうしてマリアちゃんは、このゲームに参加しようと思ったのかな?」


 「ああ、勿論答えたくなかったら答えなくても良いけれど、どうしても気になってしまったら訊ねてしまわないと気が晴れない性分でね」そう言葉を付け足した後、柳は更に「ちなみに俺は、賞金の十億円がどうしても入り用だったから、参加したんだ」と自身が参加した理由を語ってくる。

 しかし、その言い訳めいた柳の発言をどうにも快く思えなかった私は「主催者に選ばれたから、参加しただけです。それ以外に、何か理由がありますか?」と、やや棘のある口調で言い返した。

 発した言葉は、柳と同じ質問をしてきた牛宮に対して返した答えと同じ。されど、ソレを言い放った私の顔面には牛宮に向けたような取り繕った笑みは無く、ただの無表情が張り付いていることだろう。

 だがそんな私の冷ややかな態度に対し、柳は「まあ、それもそうだよね!」と軽快なまでの笑みと声色を放った。


「……柳さんは、私の事を失礼だと思わないのですか?」

「失礼だなんて、そんなこと思わないよ! そもそも質問をしたのは俺の方なんだからね。誰しも他人に言いたくないことはあるさ」


 にこにこと、天立とは全く違う人懐っこい笑みを浮べ、上機嫌に笑う柳。

 牛宮や花陽、天立より幾分か大人びた印象を受ける彼の、あまりにも子供じみた――あるいは、心臓に剛毛でも生えているのではないかと思ってしまうその態度。それに幾分かの胡散臭さを感じた私が「柳さんも、他人に言いたくないことはあるのですか?」と問いかけてみれば、彼は「うんうん」と、二度三度頷いた。


「勿論あるよ。ああ、もしかしたら他の人達よりむしろ多い方かもしれないね。でもそれは……マリアちゃんだって同じじゃないのかな?」

「私も、同じ?」


 まるで私の事を知っているかのような柳のその発言に、私は言葉を止める。

 嗚呼、牛宮や花陽と同じように、隣に居る柳もまた私を「私そっくりのダリア」だと思いこんでいるのだろうか? もしそうであったなら早めにその誤解を訂正し、私がその「私そっくりのダリア」ではないことを彼に教えなければ。


「念のため言っておきますが、私はダリアではありませんから」

「そんなこと知っているさ! キミと彼女を間違えるわけがないだろう! ああ、それとももしかしていろんな人に間違われてきたのかい? 災難だったねぇ!」


 誤解をしているならば早いうちに訂正し、釘を刺しておこうと放った言葉。しかしソレは不発に終わり、むしろ柳から同情の言葉さえ投げられてしまった。

 だが私は、あまりにも軽々しく投げられたその同情の言葉を打ち捨て、彼が語った言葉を脳内で反復させる。

 ――キミと彼女を間違えるわけがないだろう!

 私とダリアの違いは明白であり、彼は私を「私」として認識している。

 であるならば、何故柳は私を知っているかのような口ぶりで話しかけてきたのだろうか? 私と彼は、初対面の他人であるはずなのに。

 じろり、と疑惑に満ちた目線で柳を見やる。するとその視線にすぐ気が付いたらしい彼は、何かを思い起こすように考えあぐねる素振りをみせた後「ああ、ごめんね。もしかしたら、俺の言葉で戸惑わせてしまったのかな?」と謝罪してきた。


「えっと、弁明になるかは分からないんだけれど。マリアちゃんの事を知っているとか、そういう意味で『同じだろう?』って、言ったんじゃなくて……。マリアちゃん、あんまり多くを喋らないように見えたから、俺と似たようなタイプなのかな、と思って言ってしまっただけなんだ。もしも、マリアちゃんがそのことを気にしているんだったら、本当に……ごめんね」


 粗相をしたゴールデンレトリバーが浮かべる申し訳なさそうな表情と同じ顔をし、謝ってくる柳。私より幾つか年上であろう彼のその頭の低さに「はあ……」と、深い溜め息を漏らしてしまった私は隣にいる彼の瞳をじろりと睨み上げた。


「別に、柳さんが謝ることではありません。私が疑念を無視出来ない性分なだけなのですので」

「それでも、やっぱり不愉快にさせてしまったんだから、謝らないと……」

「柳さん。私と貴方は他人です。それも明日から始まるゲームでのみでしか関わりのない者同士です。罅が入って困るような親戚家族でもなければ、噂を吹聴しかねない近所の住人でもありません。なので、その卑屈からなる傲慢な謝罪は不要ですし、受け取りたくもありません」

「っ、」


 私の口から吐き出された、詰りと威圧の籠った言葉。それを耳にした彼は声を詰まらせる。だが次の瞬間。彼は私に対して「ありがとうね、拒んでくれて」と礼を言い、あろうことか目をぱっちりと見開きながら私の方を見つめてきた。


「……は?」


 ――理解、出来ない。

 何故彼は、私に対して礼を言ってくるのだろうか?

 どうして彼の中で、そんなことをしようとういう発想へと至ってしまったのだろうか?

 私は、彼を詰り威圧したはずだというのに!

 きらきらと、まるで新しい発見をした子供のように目を輝かせてくる柳の圧に僅かに気圧された私は、僅かに尻を浮かせて彼から距離を取る。


「それに、そうだよね。此処には俺の事を気にする人なんて誰一人いやしないんだから、媚び諂ったり、無理をしたり、取り繕ったりする必要なんて……皆無なんだよね。うん、すっかり忘れていたよ」


 私を見ていながら、私には何の関係もないことを呟き続けていた柳。その言葉が僅かに区切りを見せた頃合いを見計らい、私は「まるで、此処ではない何処かでは人目を気にし、無理をしていたと言いたさげですね」と口を挟む。


「だって、実際そうだからね。俺にとって此処以外の場所は密閉された水牢で、息の一つだって碌に吸えたものじゃない。だからこそ俺の在り方を是正してくれたのは、マリアちゃんが初めてなんだ」

「……そう、ですか」


 彼のあの卑屈じみた諂いの態度は、彼を取り巻く環境が原因ということだろう。

 庭を眺めながら鼻歌さえ諳んじはじめた柳の緩みきった横顔を確認した私は、余程彼はその場所で抑圧され続けていたのだろうと察する。

 勿論、柳が居た場所がどのような場所で、どのような環境であったか等、他人である私には皆目見当もつかない。だがそれでも、その場所が碌でもない場所であったということだけは理解出来る。

 「ふんふん」と上機嫌に鼻歌を歌う柳。その隣で、しばらく白い花が咲き誇る中庭を眺めていれば、徐々に私たちの後方――掃出し窓を隔てた談話室が騒がしくなってくる。

 私と同じく、その騒がしさが気になったのだろう。くるり、と談話室の方へ顔を向けた柳が声を上げる。


「あ、」

「マリアお姉さま! それに、柳お兄ちゃんも。こんな所に居たのね!」


 がらり、と談話室とテラスとを繋ぐ掃出し窓を開けて、白いワンピースを纏った幼い少女。ダリアが、私の膝に飛びついて来た。


「ダリアちゃん、マリアちゃんが驚いているよ」

「えー? わたし、マリアお姉さまのことびっくりさせちゃった?」


 ぱっちりとした瞳で私を見上げるダリア。そんな彼女に小さく頷けば、「そっか、ごめんなさいマリアお姉さま。ダリア、お姉さまのことをびっくりさせるつもりじゃなかったの。ただ、お姉さまを見つけてはしゃいでしまって……」と、彼女はしゅんと眉尻を下げ、項垂れる。


「少しだけ驚いただけですから、そんなに気落ちしなくても大丈夫ですよ」


 反省した様子を見せている彼女を励ますように、とんとん、とその背を軽く叩く。すると彼女は花が綻ぶような笑みを私へと向け「今度からはマリアお姉さまをびっくりさせないようにするわ」と、再度私へ抱きついてきた。


「それで、ダリアちゃん。どうしてマリアちゃんを探していたんだい?」

「それはね、」


 私の黒のワンピースに顔を埋めていたダリアが顔を上げ、質問してきた柳へ視線を向ける。


「ジルから聞いたの。もうそろそろしたら、明日からはじまるゲームの『ルールせつめい』を談話室でするって。だからマリアお姉さまをさがしていたの」


 「もちろん、柳お兄ちゃんのこともよ?」と自身の発言にそう付け加えたダリアは、ちらりと掃出し窓越しに在る談話室を見やった。


「ああ、本当だ。もう皆、集まりはじめているね」


 ダリアの視線の先にある談話室。そこには既に参加者らしき何人かの人間が集まっており、その中には勿論、牛宮や花陽、白木の姿も在る。


「さ、マリアお姉さま、わたしたちも談話室へ行きましょう?」


 私を抱きしめていた腕を解くや否やすぐさま私の手を掴み、引っ張るダリア。

 そんな彼女から強引に誘われテラスから談話室へと駆け込むように移動する。そうすれば談話室に居た人達の視線――「好奇」「疑念」「嫌悪」「侮蔑」「嘲笑」それらの念が込められた視線が、私たち二人に向かってくるのが分かった。

 だがそんな視線が私たちに向かい、突き刺さっていることを知らない幼い彼女は、満面の笑みを浮べながら談話室のソファに座り、自身の隣のスペースを掌で叩いた。


「さ、お姉さま座って」

「……はい」


 先に座っているダリアとの間に僅かに隙間を空け、腰を下ろす。そうすればダリアがずい、と私との隙間を埋めるように座り直してきた。


「ふふっ、マリアお姉さまのとーなり!」


 上機嫌に笑い、腕に抱きついてくるダリア。そんな他者のパーソナルスペースを鑑みない彼女の行動に、どうやら私は困惑の表情を浮かべてしまっていたらしい。

 「ダリアちゃん。あんまりはしゃぐと、今度はマリアちゃんを困らせてしまうよ」と、やわらかな口調で柳が苦言を呈してくれた。


「えー?」

「それに、もうすぐにルール説明が始まるんだろう? なら静かにしてないと」

「んむーっ」


 むっ、としたように頬を膨らませ、不機嫌そうに柳を睨むダリア。だが柳はそんな視線をものともせず、私たちの正面にある一人がけのソファに腰を下ろす。

 すると、ソレを見計らったかのように談話室の扉が開かれ、そこから黒の執事服を纏う陰鬱気なジルが現れた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る