1-5 天立 ユラ



 花陽に取ってもらった本を胸に抱きながら、いくつかの部屋を見て回った私が行きついたのは「談話室」と表記された部屋の前だった。

 書斎と同じ両開き扉を引き開き、中を覗いてみれば、そこには複数のソファやローテーブルが並んでおり、大人数が座って話をしたり、軽い食事を楽しんだりすることの出来るスペースになっていた。

 しかもテラスを隔てた庭を一望できるよう、部屋の一辺はガラス張りになっている為いくら空模様が悪くとも、それなりの光束が入って来るらしい。今まで見て回ったどの部屋よりも明るく、閉塞感も覚えないそこは、とても居心地のよさそうな場所だった。

 慣れない邸内を練り歩いていた足を休めるためにと、どこか落ち着けるような位置がありはしないかと談話室を見渡してみれば、ソファに深く腰掛けていたのだろう。一人の青年がソファの背もたれから僅かに身を起こし、私の方へと顔を覗かせてきた。


「おかえり、おそかった……あれ? ユウガオちゃんたちじゃ、ないね」


 談話室へと入ってきた私を、別の誰かだと思っていたのだろう。私を目にした青年――眉目秀麗、という言葉が良く似合うすっきりとした顔立ちの美男子は、驚いたように目を見開いた。

 だが彼は、すぐさまその表情を穏やかな笑みへと戻す。


「ごめんね、友達が戻って来たと思ってしまって。ところで、キミもゲームの参加者なのかい?」

「……はい、そうです」

「やっぱり。ああ、自己紹介がまだだったね。僕は天立ユラ。もし良ければ、キミの名前を教えてもらっても構わないかな?」


 天立ユラ。そう名乗った彼の魅惑的な顔に浮かぶ穏やかで柔和な笑み。さらには心を落ち着かせてくるような優しい声色と言葉使いは、老若男女を問わず数多の人間に好感を抱かせ、引き付けることだろう。

 そんな彼の問いに答えようと私が口を開けば、彼は自ら「まって」と私の発言を止めた。


「その前に、こっちに座りなよ。キミ、ずっとこの白鳳邸を見回っていたんじゃない? 疲れているように見えるよ?」


 笑みの表情こそ崩しはしないものの、心配そうな声色でそう言ってきた天立。彼は小さく手を拱き、自身の傍へと私を招く。


「えっと、」


 しかし彼の目の前、ソファと並行して設置されているローテーブルの上には、使用済みと思しき四人分のティーカップが並んでいた。


「ああ、これは気にしなくても大丈夫だよ。ユウガオちゃんたちが戻ってくるまでには、まだ時間がかかるだろうし」

「はぁ……」


 そういえば彼は、この談話室に友達が戻ってくるのを待っていたのだったか。

 勧められるまま天立の隣に腰を下ろし、ローテーブルの上に持っていた本を置けば、彼は未使用の物だろう。五つ目のティーカップに飲み物を注ぎ入れ、私へと渡してきた。


「それで、キミの名前、教えてもらっても良い?」


 香水の甘い香りを仄かに漂わせながら、優しげな口調で再度そう訊ねてきた天立。それらに促されるまま、私は「私は【姉】のマリアです」と応え、渡された中身入りのティーカップをローテーブルの上に置いた。

 決して中身が不明瞭だから口をつけなかった、というわけではない。

 ただ、彼が座り、そして今私も座っているこの場所が酷く不安な場所であると感じてしまうのだ。

 私の知らない誰かが居たという痕跡に、その誰かを待っている天立。それ自体に不安は感じない。けれど、この部屋と各々に与えられた客間以外を見て回った私は、その誰かとすれ違うこともなければ出会うこともなかった。

 勿論、遊戯場では牛宮と、声だけではあるが牛宮を呼んだ女。そして書斎では花陽や白木とは出会ったが、それ以外の人間は見ていない。

 ならば天立の待つその誰かは、いったい何処に居るのだろうか。

 残っていた四つのティーカップの内、中身が入ったカップ三つに視線を向ける。しかし天立は、そんな些細な行動を気にするでもなく「へぇ。マリアちゃん、【姉】の役割を与えられているんだ」と、私に与えられた役割に驚いている様子だった。


「天立さんは何の役としてこのゲームに選ばれたのですか?」

「僕かい? 僕は【友人】の役割として選ばれたよ。ところでマリアちゃんってミステリー小説を読んだり、解いたりするのは好きな方?」

「え?」


 天立から投げかけられた唐突な質問に、私は戸惑いの声を放つ。


「嫌いではありませんが……それが、どうかしたのですか?」

「いやね。一応明日からはじまるのは『殺人事件』と名付けられたミステリーゲームだから、ミステリー物の小説とかが好きなら、協力関係になれるんじゃないかなと思ってね。実を言うと、僕と一緒にこのゲームに参加した子たちは、あまりそういう類の事柄には向かないから困っていたんだ」


 初対面である私にそう打ち明けてきた天立。彼は、ずい、と秀麗な顔を私へと近付け「ねえ、僕たち二人で明日からの事件を解かない?」と、囁いてくる。


「それは、……難しいですね」

「どうして?」


 天立に対して断りの言葉を放ち、傍に在る彼という存在から距離を取るべく身をのけ反らせる。だがそんな私を追い詰めるように、天立は私の方へ身体を寄せ、距離を更に詰めてきた。


「ねえ、どうしてマリアちゃんは肯いてくれないんだい?」

「どうしてって、それは、天立さんとは初対面ですし……」

「そういえばそうだったね。でも、僕はその初対面のキミとなら、このゲーム勝ち残れると思ったんだ」


 彼が距離を詰めてこようとする度に、私は身をのけ反らせ拒絶の意を示す。しかし尻を浮かせ後退しているわけではない私の身体は直にソファの座面へと着き、まるで天立に組み敷かれてでもいるかのような体勢になってしまう。


「ねぇ、お願いマリアちゃん。明日からはじまるゲームの協力者になってくれないかい? きっと、悪いことにはならないよ。いいやむしろ、僕と協力することはキミのメリットにもなるはずだ」


 身体を乗せ、体重をかけてきたりするわけではない。ただ私の顔の横に手を置き、真正面――それも至近距離から私を口説き落とそうとしてくるだけ。

 おそらく、彼に好感を抱くだろう大多数の人間たちは、こうされただけで彼に心酔するのかもしれない。そう、それこそ『引く手数多の彼がこうまでしてくれる自分には、それだけの価値が在るのかもしれない』と誤認し、彼からの意見を了承してしまうほどに。

 そしてそのことを今までの人生の中で悟ってしまった天立は、故意に、あるいは無意識のうちに他者を心酔させるべくこのような行為――自身の顔の造形や人当たりの良い声色を使い、相手の心を絆すこと――を、決行するようになったに違いない。

 彼の行動や言動そのものに横暴さはないものの、自身の意見は必ず通るものだと思っているらしい天立。彼は私の顔の横に置いていた手の片方を離し、その冷たい指先で首筋をなぞってくる。


「此処へ来る途中、マリアちゃんは誰かに襲われたんだろう? だったら、より一層僕と一緒に行動するべきだ」


 僕なら、キミを守ってあげられるよ。

 牛宮によって着けられた首の痣の事を天立は言っているのだろう。しかし私はそんな彼に対し首を横に振り、彼の申し出を拒絶する。


「いいえ。天立さんに守ってもらう必要はありません。明日からのゲームは、できるだけ自分の力で乗り越えたいので」


 遊技場で出会った牛宮には押し倒され、首を絞められた。

 書斎で出会った花陽には優しく抱きしめられ、「ダリア」だと断言された。

 そしてこの談話室では天立に「協力関係にならないか」と詰め寄られ、首に触れられている。

 私が行く先々で出会う青年たちは皆、何処か他者との距離感がおかしい気がする。嗚呼、それともそう感じてしまう私の距離感がおかしいだけなのだろうか。

 天立に対し明確な拒絶の意思を向け、早く私の上から退いてはくれないだろうかと待ちながら考えごとをしていれば、彼の表情がゆっくりとではあるが確実に柔和な笑みから冷酷な表情へと変わっていく。


「キミは、どうして僕の愛をそうも拒むんだい?」

「愛?」


 天立の言動のいったい何処に、「愛」が在っただろうか。


「僕はこんなにもキミを愛しているのに、どうしてキミは僕の愛を受け入れてくれないんだい? ああ、それともやっぱり、キミには僕の愛が届きにくいのかな?」


 「愛」という、個人が抱く感情。それも他者には決して見ることも、理解することも出来ないソレを口にする天立。彼は冷たさを帯びた瞳で私を改めて見下ろすと、首筋を這わせているだけだった指先に僅かに力を込めてきた。


「っ、」

「ねえ。僕はキミを愛しているんだよ。それなのに、どうしてキミは僕の言葉を蔑ろにするんだい? どうして僕の言葉を、聞き入れて、了承してくれないんだい?」

「それは……」

「それは?」

「私は貴方の事を何一つ知らない、赤の他人なので」

「……そんなこと、僕も同じさ。僕もキミの事を知らない。でも僕はマリアちゃんに価値を感じ、一緒に居たいと思った。マリアちゃんと一緒に明日からの事件を解き、共に生き残りたいと思った」

「なら、何故それが『愛』などというものになるんですか?」


 初対面であっても人間に価値を見出し、今後一緒に行動したいと思う。その事柄に関しては、理解を示すことはまだ出来る。だがどうしてその思いが、思考が、「愛」などという不定形な物へと変貌するのか理解出来ない。どうして彼の中では「価値」が「愛」へと変化するのだろうか。

 喉を押し潰すわけではなく、ただ首の肉を仄かに推す程度に留められているだけの天立の指先。その感触が何時強固な指圧へと変わるかと身構えながらその疑念を口にすれば、彼の方が「どうして……?」と、私の問いかけの意味さえ測りかねるように不思議そうな顔をする。


「だって僕が価値あると見出した人にはすべからく愛を注ぐべきだからね。そうしなければ、自分が蔑ろにされるべきではない者であると……価値ある者だとマリアちゃんたちは気が付かないままだろう? それに僕が見出してしまったのだから、きちんと僕自身が責任も取るべきだしね」


 冷酷な表情と化していた自身の顔をにっこりと歪め、改めて柔和な表情を浮かべる天立。しかしその瞳はまだ冷たさを帯びたままで、その瞳に見下ろされている私は怖気と不快感を覚えた。


「天立さん。貴方はひどく、横暴な方なのですね」

「僕が横暴? 他の子達はそんなこと言わないのに、マリアちゃんは不思議なことを言うんだね」


 きっと彼に「価値ある」と見出された人たちは、彼の顔や彼の声に絆され、彼の「愛」とやらを注がれるがまま、受け入れたのだろう。

 けれど私は、その人たちと同じではない。

 いくら顔の良い天立に価値ある者だと見出され、愛を注がれようとも、喜ばしくもなければ嬉しくもない。むしろ理由のないその感情を向けられれば向けられるほど、彼への嫌悪感や不快感、疑念が増すばかりだ。


「他者からの愛を受け入れるも、受け入れないも、個人の自由ですので。それに私は、『愛を注ぐべき』などという使命感や義務感から愛を与えられても、ひどく困ります」

「……つまりマリアちゃんは、僕の注ぐ愛が僕個人の独りよがりであり、他者の意思を顧みない押し付けがましいものであると――言いたいのかな?」


 眉目秀麗であり、万人の目を引き付ける魅惑的な顔。そこに浮かぶ笑みは穏やかだが、その双眸は忌まわしいものを見下すように鋭い。

 しかし、私はその視線を直に受けながらも目を逸らすようなことはせず、ごくりと息を飲み、喉を震わせる。


「私は、天立さんに価値あると見出してもらう必要もなければ、その価値に気が付くための愛も必要もありません。そもそも私は、貴方に認められるために此処にいるわけではありませんから」


 天立からの問いに答えるためではなく、私自身の意見を述べるためだけの発言。それを聞いた彼は「なるほどね」と短く呟く。


「なら僕がマリアちゃんに愛を注ごうとも、それは僕の自由だよね?」


 天立からの愛が彼個人の独りよがりであり、他者の意思を顧みない押し付けがましいものである。その事実を肯定すれば、きっと彼は私をこのまま絞殺そうとしてくるに違いない。そんな目に見えた危機に自ら飛び込むような真似はしない。

 だが、そのことを否定もしなければ肯定もしなかった私に対し、天立は自分に都合の良い解釈をしたらしく、「そうだよね?」と念を押してきさえする。


「そうですね。ソレは天立さんの自由です。私はただ、貴方が蓋の被さった容器に液体を注いだり、底の抜けた鍋に水を注いだりするのがお好きな方なのだな、と思うだけですから」


 柔和な笑みを浮べ見下ろしてくる天立に対し、私も笑みを取り繕い皮肉めいた言葉を彼目がけて打ち放つ。

 彼を否定する言葉は、自分自身の身を危険に晒す要因になるとは分かっている。だがそれでも、皮肉の一つや二つ言って、彼からの愛が私には不要な物であるとは伝えておかなければどうにも腹の虫がおさまらない。


「ふふっ、マリアちゃんは面白いね。ますます一緒に居たくなってしまったよ」


 天立の耳と脳みそはきちんと繋がっているのだろうか? そもそも彼の頭の中に、脳は詰まっているのだろうか? 嗚呼、それとも私の耳がおかしくなってしまったのだろうか?

 彼の自己解釈が、理解出来ない。

 どうして私が「面白い」になり、「ますます一緒に居たくなって」しまうのだろうか?

 つつつ、と首をゆるく押していた天立の指が皮膚を滑り上がり、私の頬をなぞりにかかる。


「うん、良いよ。とてもいい。僕の愛を受け取らない破れ鍋のごときキミは、僕からの無限の愛を受け取れる唯一の器だ」

「……全て抜けて出ていきますが?」

「それでも、溢れはしないだろう?」


 入っていないのだから溢れるも何もありはしないのだが。天立にとってはそちらの方が都合が良いらしい。

 理解出来ない事柄がまた一つ増えると共に、天立との間に幾分かの温和さを感じた私は、彼の胸板を押し起き上がる。すると彼の待ち人である「誰か」であろう女たちの声が、談話室の外から聞こえてきた。


「っ、私はこれで失礼しますね」


 天立と二人きりで居た現場をその彼女たちに見られるのは、明日からはじまるゲームの性質上、良くはないだろう。

 そう瞬時に判断した私は即座に天立の隣から立ち上がり、ローテーブルに置いていた本を胸に掻き抱く。そして彼の傍から素早く離れ、屋根つきのテラスに繋がる掃出し窓から外へ逃げ――ウッドデッキに在ったガーデンチェアに平然とした素振りで座った。

 すると次の瞬間、談話室の扉が開きそこから三人の女たちが入ってくる。


「っはぁ……」


 間一髪のところで名も知らぬ人たちに、彼が二人きりでいた現場を見られずに済んだ私は息を吐く。そうすれば直に掃出し窓の向こう側にある室内から、きゃあきゃあという女の子たちの黄色の歓声が聞こえはじめてきた。

 おそらく彼女たちの帰りを待っていた天立があの秀麗な顔と柔和な笑み、そして穏やかな声色を使い、彼女たちに愛を注いでいるのだろう。そう、それこそ私にしたのと同じようにして。

 見目の麗しさで自身を装い、本心の欠片も見せないまま「愛」という決して他者には理解し得ない独りよがりのモノを注ぎ込もうとする天立。そしてそんな彼が望むまま、「愛」という得体のしれないソレを注がれる器と成り果てる彼女たち。

 何故、天立は一人よがりに過ぎない愛を他者へと注ごうとするのだろうか?

 そして、どうして彼女たちは、根拠は愚か理由もない天立からの愛を喜べるのだろうか?


「理解、出来ない」


 ――理解することが、出来ない。

 自分自身の努力を肯定し、承認し、昇華できるのは自分自身しか居ないはずなのに。何故彼女たちはそれを他者に、それも本心を見せようとしない天立に委ねてしまうのだろうか? それほどまでに彼女たちは自己に自信が無く、他者からの承認に飢えているのだろうか?

 無理解を通り越して、怖気さえ感じさせてくる名も知らぬ彼女たちの思考。そして、そんな彼女たちを無意識的か、あるいは故意的に手玉に取っている天立の思考にも恐怖を覚えた私は頭を振り、その発想に蓋をする。


「それは彼らの問題だもの。外野の私が苦言を呈する権利も、理由もない」


 少なくとも天立も名も知らぬ彼女たち三人も、それで満足している。であれば、彼らを理解出来ないという、それこそ私の独りよがりな気持ちだけで彼らの関係に水を差すようなことは言うべきではない。むしろ私は恐怖さえ覚える彼らの姿を見ないよう、自衛するべきだろう。

 それこそが短絡的かつ安易で、安全な手法なのだから。

 きゃあきゃあと響いてくる女の子たちの声を背景音楽にしながら、私は深い緑と白の花々がしげる中庭へと意識を向ける。

 空は私がこの白鳳邸へやって来た時と変わらない暗い曇天。そして、ぽつぽつとまばらに降る雨がテラスの屋根を叩き、中庭に茂る草木を濡らしている。

 そんな場所で小さく咲く白い花々――リンゴ、モクレン、バラ、ユリ、カスミソウ、ペチュニア、カモミール、キイチゴ、チューリップ、スズラン、シロツメクサ、ユリ。季節感も無ければ生育地帯もまばらであろうその白に統一された花々を眺めていれば、「ぎし、」とウッドデッキの床が鳴った。


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