1-4 花陽 ゆかり


「はぁ……」


 閉塞感を覚えるほど静かな赤い廊下を再び歩いていれば、ふいに通り過ぎた両開き扉の横に表記された「書斎」という二文字に目が引かれた。


「書斎……?」


 遊技場に小ぢんまりとしたバーカウンターが併設されている邸宅ともなれば、書斎も存在しているらしい。

 ぴったりと閉じられている両開き扉の片方をゆっくりと引き開き中を覗けば、そこには壁中に本が敷き詰められた空間が広がっていた。


「これは……書斎と表記するより、図書室と表記するべきでは?」


 暗い空模様を切り取る大きな窓から入ってくる、心もとない光束で照らされている薄暗い室内。そこに誰も居ないだろうと思いそっと入室したのだが、どうやら遊技場でもそうであったように、この部屋にもまた先客が居たらしい。

 中央に設置された片手で数えられる程度のソファと、ローテーブル。そのソファの一つに背を預けて本を読む――否、読んでいた眼鏡の青年が、睨み付けるような視線で扉の前に居る私を見定めていた。

 肩口で綺麗に切り揃えられた黒髪に、白い肌を携えた怜悧な顔立ち。服装は牛宮のような軽薄なものではなく落ち着いた印象を抱かせるもので、この白鳳邸の書斎ともよく似合っている。

 貴方も、明日からはじまるゲームの参加者なのですか?

 そう言ってしまいそうになる自身の口を抑え、私は躊躇いがちに「あの、この部屋を見て回っても……構いませんか?」と彼へ問いかけてみる。

 例え書斎が共同の部屋だったとしても、先客たる彼にダメだと言われれば此処を出るまで。そう思いながら返答を待ってみれば、彼は私に対して何一つ言葉を発さないまま手元の本へと視線を戻してしまった。


「……」


 その無言を、肯定のものと捉えて構わないだろうか。というより、少なくとも彼は否定をしなかったのだから、私にはそう捉えるべきだろう。

 本に視線を向けている彼の怜悧な顔を横目で確認しながら、私は足早に、されど極力足音を立てないように。ぐるりと書斎の壁に沿って歩いてみる。

 生物学に、動物生理学。そして心理学やロボット工学。それらを主要とした入門書や実用書と思しきタイトルが示された本が並んでいるところを見るに、この白鳳邸の主ないしその家族は勉強家なのだろう。

 興味本位で手を出すにはいささか敷居が高い本たちの背表紙を眺めていれば、上段に仕舞われている「I, Robot」というタイトルの本に目が止まった。

 別段、ロボットに興味があるわけではない。ただ「わたしはロボット」と直訳できるその本の中身に興味が湧いただけ。

 されど、滅多にない自身の興味本位からなる欲求を邪険にするのも憚られた私は、やや高い位置に仕舞われているその本を手にするべく、ぐっと背伸びをする。が、高い位置に置かれているその本の背表紙を指が掠めるだけで、取れるまでには至らない。


「んっ……」


 微かながらも背表紙に指先は触れているのだ。であれば、上手い具合に本が動き、落ちてくる可能性は大いにあるだろう。


「んん、」


 そんな可能性を胸に背伸びを繰り返していれば、唐突に私の後方から腕が伸び、私が取ろうと躍起になっていた本をするりと引き抜いた。


「……これで、良いか」


 私が取ろうとしていた本を代わりに取り、ずい、と差し出してきた人物。それは先程までソファに座り、本を読んでいたはずの青年だった。


「あ……はい。ありがとうございます」


 差し出された本を手に、私はお礼の言葉を述べる。だが彼は私へと向けていた本から自身の手を離さない。むしろ壁と彼との間に挟まれ、身動きが出来ないでいる私を観察でもするようにじっと見下ろしてきた。


「えっ、と?」


 傍目ではなく、至近距離にある青年の怜悧な顔。そこに埋まる暗い瞳から注がれる視線に気まずさを覚えた私は、彼の顔から目を背け、彼と私との間に唯一在る本に注視する。

 嗚呼、遊技場で牛宮が忠告したように、私の危機感は薄いのかもしれない。

 もし殺人と銘打たれたミステリーゲームが今日から始まっていたのなら、今この瞬間死んでいる可能性だって大いにあるのだから。

 自身の浅はかな行動、そして危機感の薄さに少しばかり反省しながら、この場所からどう逃げ出そうかと考えていれば、至近距離にいる彼が「やはり、ダリアなんだな」と、私に話しかけてきた。


「え……?」


 一見真面目で、誤認とは無縁そうなこの青年も牛宮同様、私を「ダリア」だと誤認しているのだろうか?

 廊下で出会った私の【妹】。幼い体躯の彼女が浮かべる愛らしい笑みや、花弁を思わせる唇から吐きだされる明るい声色に、自由奔放な言葉。私などとは見間違えようもないほど違いすぎるダリア。そんな彼女の姿を脳裏に浮かばせながら、否定の言葉を発そうと口を開けば、私を凝視していた青年が唐突に私の身体を抱きしめ、その怜悧な顔を首筋へと埋めてきた。


「ダリア、……会いたかった」


 まるでガラス細工の品でも抱きしめるかのように、やわらかな抱擁を与えてくる青年。だが彼の唇から零れる名前は、私の物ではない【妹】の名。

 彼がもし、私と私の【妹】とを誤認しているのであれば、否定が必要だろう。

 ごくり。と息を一つ飲み、私は私を「ダリア」と誤認している青年の薄い胸板を押す。


「っ、あの」

「なんだ、ダリア」

「私は、ダリアではありません」

「……なに?」


 私の肩口に埋めていた顔を上げ、訝しげな視線で凝視してくる青年。だが彼はその視線を和らいだものへとすぐに戻し、「いや、間違いなく貴女はダリアだ」と断言してきた。


「顔は勿論、身体も髪も。そして声も、言葉づかいも間違いなくダリアであるし、なによりその絞められたかのような首の痣が、貴女が『ダリア』である何よりの証だ」


 顔も、身体も、髪も、声も、言葉使いも間違いなくダリアである?

 私と彼女は見た目からしても違うし、声も言葉使いだって全く違う。だというのに、そう断言するなど……彼の目は、頭は、正常に作動しているのだろうか。

 饒舌なまでに語られた青年の言葉に、彼が実は盲目であるのではないか? と勘繰りさえしはじめたところで、私ははたと、その断定的だった自身の考えを止めた。

 もしかすると牛宮や目の前の青年は、私を【妹】と誤認しているのではなく、私によく似た赤の他人を私だと誤認しているのではないだろうか?

 顔や身体、髪、声、言葉づかい。そして絞められたかのような首の痣。それら全てがピタリと当てはまる他人など、そうそう居るわけはないだろう。だが、私とはあまりにも違いすぎる【妹】と私を誤認しているという線は消せる。

 多少の無理は在るが、そう改めて考えた方がまだ理解出来る推論に頷き、私は私を見下ろしてくる名も知らぬ青年の怜悧な顔を見つめ返す。すると彼は首に在るという痣をなぞるように、私の首へ自身の指を滑らせてきた。


「っ、」


 ただ優しく触れ、なぞってくるだけの指先。その感触にこそばゆさを感じ歯噛みすれば、彼は「怯えてくれるな、ダリア。自分は粗野な牛宮とは違う」と、耳を疑いかねない言葉を私に掛けてきた。


「うし、みや……?」


 どうして彼は牛宮を知っているのだろうか? もしや彼は、牛宮と知り合いなのだろうか? であれば、明日から始まるミステリーゲームにおいて、大きな利点が、アドバンテージが、彼ら側に在るのではないだろうか。……嗚呼! だからこそこの白鳳邸の執事たるジルは、明日からのゲームが「八百長」じみたものであるという自身の示唆を否定しなかったのだろうか?

 決して飛躍的ではないだろうその可能性に行きついた私は、瞬時に自身の表情を硬くする。


「ダリア、何故そんな顔をする? 貴女を傷つけるようなことをするのは、あの牛宮しか居ないだろう」


 まるで慈しみでもするかのように私の首をなぞり、「ダリア、ダリア」と私の名前ではない赤の他人の名を再び呼び続けてくる青年。そんな彼に対し沸々と怒りの感情が湧き上がる私は、その怜悧な顔に埋まる暗い色を帯びた双眸をまっすぐに見定め、自身の背筋をピンと伸ばす。


「ダリア……?」

「再度、言いますが。私はダリアではありません。私は【姉】のマリアです」

「ダリアではなく、【姉】のマリア……? 貴女に姉が居ると聞いたことは無いが……嗚呼、嗚呼。そういうことか、なるほど。理解した。明日からのゲームでダリアはそういう設定を主催から与えられているのか。ならば、自分もそれ倣おう」


 郷に入れば、郷に従えとも言うからな。

 まるで自身に言い聞かせるようにそう呟いた彼は、私と密着するほど近かった自身の身体を一歩後ろへと移動させる。そして「自分は花陽ゆかり。明日からはじまるミステリーゲーム『白鳳邸殺人事件』では【友人】の役割を与えられている」と、やっと自身の名を私へと告げた。


「【友人】の、花陽ゆかり……さん」


 名も知らぬ怜悧な青年から、花陽ゆかりという名前の青年へと転身した彼。そんな彼の名を私が反芻した瞬間、勢いよく書斎の扉が開かれ「ゆかりさん! 飲み物を貰って来ましたよ!」と少年が一人、部屋へと入ってきた。


「ちっ……、みなとか。此処は自宅ではないのだから、足で扉を開けたりするのは止せ」

「はぁーい」


 茶器一式が乗ったトレーを持つ少年に、舌打ち混じりの苦言を呈した花陽。しかしそんな彼に対し軽々しいまでの返答をした少年は器用に足で扉を閉め、持っていたトレーをローテーブルの上へと置いた。


「ゆかりさん。その人もゲームの参加者なんですか?」

「ああ、そうだ」

「ふぅーん?」


 上から下。そして下から上へ。観察でもするかのような疑心の視線を私へと向けながら、私たちの方へとやって来た少年は花陽の腕を掴む。そして「僕は【客人】白木みなと、ゆかりさんの従弟です。お姉さんはいったい誰なんですか?」と、威圧を孕んだ声色で訊ねてきた。


「私は【姉】のマリアです」

「へぇ、そうなんですね!」


 花陽の従弟。そう自称した白木少年は、おそらく私に興味は無いのだろう。否、むしろ嫌悪をしているに違いない。何しろ彼は自己紹介を終えた直後、私へ向けていた疑心の目や牽制の態度、威圧の声色を瞬時に柔和なものへと改め、花陽に向けたのだから。


「さ、ゆかりさん。せっかく読書に集中できる飲み物を貰って来たんですから、冷めないうちに飲んでください!」


 まるで私から花陽を引き離すように彼の腕を引く白木。だがそんな彼に対し疲れた様に小さく溜め息を吐いた花陽は、私の方へと視線を向けてきた。


「ダリア……いや、マリアも飲むか?」

「っ!」


 花陽からの視線を奪うどころか、花陽本人からお茶の席に誘われた私が大層気に入らなかったらしい。憎々しげな表情を浮かべた白木が、私を威圧するように睨み付けてくる。


「……いえ、まだこの邸内を見周りきれていないので遠慮します」

「そう、か……。そうか……」


 落胆と分かる表情を浮かべ、やや顔を下げる花陽に反し、ぱっと表情を明るくした白木。彼はぐいぐいと花陽の腕を引きソファへ座らせると、自身もまたその隣へ腰を下ろした。


「ゆかりさん、お茶うけにお菓子も貰って来たんですけど、どれを食べますか? チョコレートはゆかりさんが好きなブラックで、クッキーは僕が好きなバタークッキーなんですけど」

「不要だ」

「えーっ! せっかく貰ってきたのに! じゃあ僕が全部食べちゃいますよ! それでもいいんですか?」


 よほど花陽の意識を私へと向けさせたくないらしい。必死に花陽へと話しかけ、彼からの視線と意識を一身に浴びようと躍起になっている白木。

 少なくとも近しい血縁者の中に花陽のような怜悧な従兄が居れば、憧れから心酔するようになることは大いに頷ける。だが白木が露わにする執着心は、憧れからというより独占欲から来るものにほど近そうだ。

 客観的な目線で花陽と白木の姿を観察していた私ではあったが、「早く出て行け」とでも言いたさげな白木の視線もあり、早々に書斎から出ていくことを決意する。

 そしてその決意を実行するべく書斎の扉まで移動した私は「それでは、私は失礼させてもらいますね」と言葉残し、即座に白木の為だけの空間になりつつある書斎から退出した。


「……はぁ」


 ちょっとした出来心で入ったつもりの部屋だったのだが、失敗だったかもしれない。

 閉めたばかりの扉に背を預け、小さく溜め息を吐いた私は書斎の中に居る花陽のことや、矢継ぎ早に起きた出来事を思い返す。

 肩口で綺麗に切りそろえられた髪に、白い肌を携えた怜悧な顔立ちが特徴的な花陽ゆかり。一見真面目で誤認とは無縁そうな彼もまた、牛宮同様、私を「ダリア」だと誤認していた。

 私が「ダリア」であると断言するかのような花陽との会話から、彼らにとっての「ダリア」と私にとっての「ダリア」が別人なのではないか? と導き出した私は、その推論を良しとした。

 勿論、顔や身体、髪、声、言葉づかいに加え、首を絞められたかのような痣までそっくりな他人などそう居るわけがない。だが「他人の空似」として捉えた方が未だ理解出来ると、私は判断した。

 そう。そこまではまだ、私の理解が及ぶ範囲。

 けれどその後、花陽が発した言葉が私の理解を妨げてくるのだ。

 ――怯えてくれるな、ダリア。自分は乱暴者の牛宮とは違う。

 ――ダリアを傷つけるようなことをするのは、あの牛宮しか居ないだろう。

 間違いなく私にそう言った花陽。彼は遊技場で出会ったあの牛宮と面識があるどころか、後から書斎に入って来た白木みなとという少年の従兄でもあるらしい。


「っ、明日からはじまるミステリーゲームの主催者は、いったいどういった選考を経て彼らを……そして私を、選ぶに至ったのでしょうか」


 少なくとも、明日からのゲームに対し八百長を示唆したジルの言葉を暗に勘繰るならば、私以外の全員がグルであることも考えられるわけだ。


「……理解、出来ない」


 ――理解することが、出来ない。

 何故、どうして、何のために?

 ゲーム主催者側に対する猜疑心。それを胸中に抱えながらも、気を付けるという対処方法しか取りようのない私は歯噛みする。


「これは流石に、誤魔化すべきではない……ですね」


 無理解を理解へと至らしめるためのファクターが無かろうとも、ゲーム主催側に対する疑念に蓋をし、無理解を隠蔽するのは得策ではないだろう。

 短絡的かつ、安易な手法。「誤魔化し」と言うべきその手段を今回ばかりは不採用とし、私は書斎の扉から背を離す。そして、改めて白鳳邸内を散策するべく人気のない廊下を歩きはじめた。



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