1-3 牛宮 蒡


 煌々とした明かりに照らされた、赤い絨毯の道。人が居るはずなのに、人の気配を微塵足りとて感じさせない静かな邸内。クリーム色の壁を切り抜くようにして在る窓から見えるのは、暗い空と生気のない白の花たちの姿。

 いくら邸内を歩いてみても、第一印象として植え付けられた閉塞感は払拭されないし、変わりもしない。けれど「ぽつぽつ」と窓を叩く雨音に混じり、どこからか軽快な――それこそジャズのような躍動的なリズムと音階が聞こえてきた。


「この音は、何処から……?」


 その音の出所を探るように耳を澄ませ、廊下を辿り行き着いたのは「遊技場」と表記された部屋だった。


「失礼します……」


 鍵のかかっていないその部屋の扉を引き開き、中の様子を窺えば、そこはオレンジの薄明かりが照らす広い部屋だった。

 音楽の根源たるミュージックボックスに、壁に並ぶ幾つかのダーツ台。そして緑が特徴的なビリヤードテーブルと、小ぢんまりとしたバーカウンター。けれどそこに、人の姿は無い。


「誰もいないのに、曲は流れ続けたま……?」


 ゲームの参加者なのだろうか。誰の姿も無い遊技場の中で無為に流れ続けている音楽を止めるべく、その中へと足を踏み入れれば、唐突に「テメェがやっと来た最後の参加者か」と荒々しげな声に呼び止められた。


「え?」


 ジルでもなければ、ダリアの声でもない。この白鳳邸で初めて耳にする、年若い男の人の声。それが聞こえてきた方。私が立つ戸口の真横の壁へと目を向ければ、壁に背を預ける一人の青年の姿がそこに在った。

 明らかに染めたと分かる派手な髪色に、落ち着きのない服の色。しかも服の着こなし方もだらりとしたもので、チャラついた、あるいは軽薄そうな印象を強く私に植え付けてくる。

 そんな青年と視線が合わさった瞬間、彼は顔を硬直させ「ダリア、なのか?」と狼狽えたような――それこそ、恐れや怯えを含んでいるかのような声を発した。

「ダリアは私の【妹】の名前ですが?」

 私のいったいどこに、あの小さな少女と間違う要素が在るのだろうか。

 私などとは似ても似つかぬダリアの姿を脳裏に浮かべながら、私は名も知らぬ彼の方へと近付いてみる。


「……ンだよ」

「私は【姉】のマリアです」

「マリ、ア……?」

「はい、マリアです。そういう役割を、設定を。明日より始まるミステリーゲームの主催から与えられました。……ところで、貴方の名前を伺っても良いですか?」


 多量のピアスを耳につけ、物々しい銀の指輪を嵌める軽薄な青年。そんな彼の前に立ち、上辺だけの笑みを浮かべてみせれば、彼はふぃ、と私の笑みから逃げるようにして自身の顔を背けた。


「……オレは【友人】の牛宮蒡うしみやふぶきだ」

「牛宮さん、ですね」


 荒々しさのある口調とは裏腹に、狼狽や恐れ、怯えを含んだような声を放つ牛宮。そんな彼の名を呼んでみれば、その肩がぴくりと跳ねた。


「あの……失礼ですが牛宮さん。貴方、きちんと眠れていますか?」


 よほど私を見たくないのか。あるいは私でなくとも他者と視線を合わせたくないのか。私の居ない方向ばかりを見やる牛宮にそう訊ねてみれば、彼は「は……?」と間の抜けた声を零した。


「いえ、きちんと眠れているのであれば構わないのです。私はただ、貴方のその目元の隈が心配になった――」


 私はただ、彼の体調を心配しただけなのだ。

 正面から牛宮の顔を見た際に目にした目元の隈を。それも極度の疲労や寝不足、あるいは過度のストレスを思わせるほどに黒々しく這うソレを心配に思い、そう言っただけなのだ。だというのに彼は何を思ったのか、唐突に私の腕を掴み、近くに在ったビリヤードテーブルへと勢いよく押し倒した。


「っ!」

「テメェのせいだろ! テメェのせいで、眠れねぇンだよ! テメェがオレを狂わせて、オレの人生を滅茶苦茶にしたせいで!」

「……私は、牛宮さんとは初対面のはずですが?」

「ッ! 俺とテメェとは他人ってか? 違ぇだろ! オレとテメェはッ!」


 言うべき言葉を飲み下すように、ぎり、と歯を食いしばった牛宮。そんな彼の顔に浮かぶ苦渋の色や恐れを目にしながら、私は「ちがうのですか?」と言葉を放つ。

 私には牛宮と出会った記憶は無いけれど、彼にはもしかしたらあるのかもしれない。あるいは彼が私の事を「ダリア」と誤って呼んだように、何かしらの齟齬が私たちの間にあるのかもしれない。

 だがそんな意図を込めて発された言葉は、牛宮へと正しく伝わらなかったらしい。なにしろ彼は私をビリヤードテーブルに押し倒した状態のまま「テメェ、本当にオレを煽るのが得意だよな!」と、苛立ちの籠った声で言ってきたのだから。

 私が牛宮を煽るのが得意? それは彼の気のせいであり、誤りだ。少なくとも私は彼との間にあるであろう認識の齟齬を確かめたかっただけで、彼を煽るような意図は一欠けらたりとも無かった。

 しかし、やや自意識過剰な性分である牛宮は――そう、それこそ些細なことでも「煽られた」と誤認してしまう彼は「クソ、クソ、クソッ!」と悪態を吐き、私の喉を鷲掴んでくる。


「っ!」

「こうすれば簡単にッ! オレはテメェを殺せンだぜ!」


 ぎゅっ、と気道を圧迫するように体重を掛けられ、押される喉。その痛みと、徐々にせり上がって苦しさに、はくりと口を開くが気道を圧迫されているせいで息を吐きだすことも、吸うことも出来ない。

 呼吸がしたい。新しい酸素が欲しい。そのためには、私の喉を掴む牛宮の手が邪魔だ。

 身体の欲求に促されるまま、冷たい指輪の嵌る牛宮の手を掴み、ひっかき、拒もうとする。だが女である私と、男である牛宮の筋力差は如実であり、彼の手を首から引きはがすことは叶わない。


「抵抗できねぇンだろ? 苦しいンだろ? 死にたくねぇンだろ? なら、オレを煽るようなことを二度と言うンじゃねぇ!」


 流石に、殺人をすることには躊躇いを覚えるのだろう。掴んでいた喉から手を放した牛宮はそう吐き捨てると、元居た壁際へと戻り、背を預け直す。

 一方、牛宮に縊り殺されそうになった私はビリヤードテーブルから身を起こし、違和感の残る喉元をゆるくなぞった。

 嗚呼、私はただ認識の齟齬を確かめたかっただけなのに。どうして絞殺一歩手前のことをされなければならなかったのだろうか。


「理解……出来ない」


 ――理解することが、出来ない。

 牛宮はいったい何に狼狽えているのだろうか。

 牛宮はいったい何を恐れているのだろうか。

 牛宮はいったい何に怯えているのだろうか。

 私には分からない。どうして彼の声にそれらの色が含まれているのか、どうしてソレが私へと向けられているのか、理解出来ない。嗚呼でもきっとそれは、牛宮という人間を形成するファクターを知らないからだろう。もし私が彼の素性を知っていたなら、もし私が彼の経歴を知っていたなら、もし私が彼の生い立ちを知っていたなら。こんなことにはならなかったのかもしれない。嗚呼、けれども。だとしても。それらを初対面である私が知っているはずがないではないか。私は牛宮と面識のない、赤の他人なのだから。

 そう、幾ら考えを巡らせたところで牛宮を形成するファクターを知らない私が彼を理解することなど無理な話なのだ。それにどうせ彼との関係もまた先程出会ったダリアと同じく、明日から始まるゲームの中にしかないのだから、無理に理解する必要もないだろう。

 ぐるぐると胸中に渦巻く、無理解への肯定。知らないのだから理解出来ないのだという諦め。それに促されるまま、私は牛宮蒡という青年に対するすべての疑念に蓋をする。

 しかし、そんな私の胸中を知らない牛宮は今更ながらに自分のしでかした行いの悪質さに気が付いたらしい。ちらちらと私の様子を窺うように視線を向けた彼が徐に、「マリア、だったか。……なンでテメェはこのゲームに参加しようと思ったンだ?」と小さな声で訊ねてきた。


「ゲームに参加する理由、ですか……?」


 私にはゲームに参加する明確な理由は無い。

 ただ、果たさなければならない何かがあるだけ。

 だがソレを牛宮に――それも私を縊り殺そうとした相手に教える理由は皆無だろう。出来るだけ柔和そうな笑みを取り繕いながら「……選ばれたから来ただけです。それ以外に、何か理由がありますか?」と口にすれば、「ふはっ」と牛宮が吹き出すようにして笑った。


「ま、オレも選ばれたから来たようなもンだしな。そう深く訊きやしねぇよ。だけどな……テメェのその兆発じみた物言いと、その危機感の薄さだけはどうにかしろよ。じゃねぇと、すぐに殺されるぞ」


 どうやら出来るだけ柔和そうにと取り繕った笑みも、牛宮には兆発じみた代物に分類されるらしい。

 まったく、彼の自意識過剰な性分には嫌気が差す。と聊かの呆れと諦めを抱きながら、「ご忠告、痛み入ります。牛宮さん」と皮肉気に首元を摩れば、牛宮の口角がヒクリと戦慄いた。

 嗚呼これは、先程の二の舞になってしまうのではないだろうか。

 自身の軽率な言動を反省しながらも、私を睨む牛宮へ笑みを向け続けていれば、唐突に「ふぶきくーん」と牛宮の名を呼ぶ女性の声が廊下の方から響いてきた。


「チッ、草子か」


 牛宮の名を呼んだ声の主は彼の知人であるらしい。牛宮は忌々しげに舌打ちをすると、やや足早に遊技場の扉の前へと移動する。


「マリア。……テメェもせいぜい悲惨な殺され方をされねぇよう、気を付けとけよ」


 まるで私の身を案じているようにさえ聞こえるその言葉を発しながら、荒々しげな足取りでこの遊技場を後にする牛宮。そんな彼の背を見送った後、私は「はぁー」と盛大なまでの溜め息を吐いた。

 やっと訪れた身の安全。そして、思考の平穏。

 それを味わうように改めて大きく息を吸い、吐く。


「嗚呼、そういえば。音楽に惹かれて此処へ来たんでしたっけ……」


 この部屋に入った目的を思い出した私は、ビリヤードテーブルから離れジャズのような躍動的なリズムと音階を垂れ流していたミュージックボックスを止める。そして特に用も無くなったこの遊技場の外へと退出した。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る