1-2 ダリア



「二十時より、明日からはじまりますミステリーゲーム『白鳳邸殺人事件』についてのルール説明をさせていただきますので、それまではマリア様も他の参加者の方々同様、この白鳳邸内で自由にお過ごしくださいませ」


 白鳳邸に在る客間の一室。そこまで私を案内してくれたジルの言葉を思い出しながら、私は一人、白鳳邸の中を歩き回っていた。

 理由は明白。この邸内の造りを今のうちに把握し、殺人事件と銘打たれたミステリーゲームを優位に進めるためだ。


「ぽつ、ぽつ」


 とうとう降りはじめたのだろう。暗い空模様を切り取る窓ガラスを叩きはじめた雨粒の音を耳にしながら廊下の角を曲がれば、どんっ、と白いナニカとぶつかった。


「きゃあ!」


 小さな悲鳴を上げ、ころりと床に転がった白いナニカ。それはどうやら白のワンピースを纏う、幼い少女だったらしい。

 子供特有のふっくらとした薄桃色の頬と、花弁のように小さく愛らしい唇。「んんっ」と僅かに零れる声は幼げ。おそらくこの少女の歳は五つか六つ程度だろうが……彼女もまた私と同じゲームの参加者なのだろうか?

 私にぶつかったせいで尻もちをついた彼女に手を差し伸べるべく脚を屈めれば、彼女の後方から「どうかなされましたか、ダリア様」とジルが現れた。


「……おや。この有様は人身事故ですね。ダリア様、マリア様ともども現場検証は入り用ですか? おそらく、ダリア様の前方不注意が原因でしょうけれど」

「っジル! 現場検証なんていらないわ! それより即刻この人をこの邸内から追い出し……」


 年端もいかない幼女から飛び出てきたのは、激昂を孕んだ言葉。

 だがその言葉を発した彼女は私の顔を真正面から見るや否や、「ジル。貴方今この人、いいえ、この方を、何と呼んだかもう一度言ってくださる?」とジルに言葉を求めた。


「彼女は白鳳マリア様です。ダリア様の【姉】に相当するお方ですが……そんな大切なことを、まさかお忘れになったわけではありますまい?」


 まるで煽りでもするかのようにそう言ったジル。しかし彼女はそれを気にするでもなく、むしろその言葉を聞くや否や、尻もちをついていたままだった体勢を瞬時に改め、私の身体へと飛びついて来た。


「マリアお姉さま!」


 ぎゅうぎゅうと抱きついてくる幼い少女。否、【姉】白鳳マリアと設定された私の【妹】白鳳ダリア。

 あつい抱擁と共に、歓喜の色を帯びた声で「お姉さま! お姉さま!」と何度も私を呼ぶダリア。そんな彼女の【姉】として、私は【妹】の小さな背に手を回す。そうすれば彼女はつぼみの花が綻ぶように、晴れやかな表情を私へと向けてきた。


「えへへ、マリアお姉さま! やっと大好きなマリアお姉さまに会えたわ! ねえ、お姉さま! お姉さまのお部屋は何処になったの? 今日、お姉さまと一緒に寝ても良い? 嗚呼でもそんなことよりわたし、お姉さまと一緒にこのゲームに勝ち残りたいわ! そうすればずっと一緒に居られるんですもの!」


 聞き取れぬほどの早口ではないものの、初対面の相手に向けるべきではないだろう彼女の発言内容と饒舌さ。それにいささかの眩暈を覚えながらも、私はダリアの言葉を聞き続ける。


「わたしはね、ううん。ダリアはね、お姉さまが来るのをずっとずっとずーっと心待ちにしていたの。だからね、お姉さまに会えて、お姉さまと会えて、今すごくうれしいの! ねえマリアお姉さま。お姉さまはダリアに会えてうれしい?」


 ぎゅうぎゅうと私を抱きしめるダリアが向けてくる熱烈なまでの好意。嗚呼、どうして彼女は初対面である私に対し、そんな好意を向けてくるのだろうか。否、それどころか私の存在を待ちわびさえしていたかのような言葉を向けてくるのだろうか。

 私にとって彼女は他人であり、彼女にとってもまた私という人物は他人であるはずなのに。

 されどそんな私の胸中を知らぬダリアは「ねえ、お姉さま。お姉さまはダリアに会えて、うれしくしくないの?」と私に言葉を求めてくる。


「それは……」


 「嬉しい、嬉しくない以前の問題として、私は貴女を知らない」と、流石に面と向かって言う程の豪胆さを持ち合わせていない私は、助けを求めるようにジルへと視線を向ける。そうすれば、ソレを察してくれたらしい。そっとダリアの肩に手を添え、「ダリア様。マリア様とのお戯れも、今は此処までに致しましょう」とジルは彼女の言動を止めた。


「ええー? でもせっかくマリアお姉さまに会えたのよ? わたし、こんなすぐにお姉さまと離れたくないわ!」

「いずれマリア様との時間を差し上げますから」


 「それでご容赦を」と、執事らしくダリアを宥めるジル。だがそんな彼の言葉を訝しんでいるのだろうダリアは、疑心の目を彼へと向けた。


「ジル。その約束は、ちゃんと守ってくれるのよね? あとあとに回して、ぜーんぶ無かったことにしないわよね?」

「わたくしとしては、守るつもりではありますよ」


 ジルとダリアの間には私の知らない何かが在るのだろう。「……羨ましい御身分の貴方はいつもそればっかり!」と忌々しげに吐き捨てたダリアは、私の身体を抱きしめていた腕をゆっくりと解く。


「それじゃあ、また後でねマリアお姉さま」

「はい、また後で」


 ひらりと手を振るダリア。そんな彼女の背を押しながら「さあ。参りましょう、ダリア様」と声を掛けるジル。それに促されるように、赤い絨毯の道を再び歩きはじめた彼女の小さな背をぼんやりと眺めていれば、不意に彼女が私の方へ振り返る。


「またね、お姉さま!」


 名残惜しいのだろうか。少し距離のある場所から改めてそう言い、手を振ってくるダリア。そんな彼女に対し私もまた手を振り返しはするものの、その胸中はいくつもの疑念が満ちていた。

 嗚呼、どうしてダリアはこんなにも私を慕ってくるのだろうか。

 嗚呼、どうしてダリアは初対面である私に熱烈なまでの好意を向けてくるのだろうか。

 私にとって彼女が他人でしかないように、彼女にとってもまた私は他人でしかないはずなのに。


「理解……出来ない」


 ――理解することが、出来ない。

 それはきっと、彼女を形成するファクターを知らないから。彼女の素性も、本名も、経歴も、何一つとして知らないから。だから私は彼女を理解することが出来ない。彼女を理解してあげることが出来ない。

 ぐるぐると胸中に渦巻く、無理解への肯定。知らないのだから理解出来ないのだという、諦め。それに促されるまま、私はダリアに対するすべての疑念に蓋をする。

 どうせ彼女との関わりは、明日から始まるゲームにしかないのだから。

 短絡的かつ安易な手法であると認識しながらも、自分自身の無理解さを隠蔽する私。だがそんな私の胸中を知らないダリアは相変わらず私へと笑みを向け、手を振っている。

 何も知らない幼子たるダリア。そんな彼女と、その隣に居るジルが曲がり角で見えなくなってから、やっと手を下ろした私は、改めてこの白鳳邸内を散策するべく廊下を歩きはじめた。



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