贋造の箱庭で

威剣朔也

1章 白鳳邸

1-1 ジル・ド・アント




 暗い雲の下。物々しい雰囲気を漂わせている邸宅を前に、私は一人佇んでいた。


「此処が、白鳳邸……」


 白い外装が特徴的な邸宅の窓から洩れる煌々とした灯り。そして、その中で時折動く人影。ソレを見定め、間違いなく此処が該当の場所であると判断した私は、握りしめ続けたせいで皺だらけになってしまっている便箋を開き見た。

 ――おめでとうございます。貴女は見事、十億円争奪「ミステリーゲーム『白鳳邸殺人事件』」の参加者に選出されました。なお、こちらで設定させていただきました貴女の配役名は、白鳳家長女【姉】「白鳳マリア」となります。

 差出人の名はおろか、宛名さえ記されていない便箋。ソレを再び握り締め、私は目の前にそびえる白鳳邸の玄関口へと歩を進める。

 嗚呼、どうして私はこんな所に居るのだろう。

 嗚呼、どうして私はこんなものを手にしているのだろう。

 閉ざされた玄関扉を前に、今一度便箋を握り締め直した私は頭を振る。


「私は、果たさなければならないのです……」


 いったい、何を?

 私の声で、私の言葉で。疑念を放つ思考。されどその疑念に蓋をするようにして、私は目の前の扉を叩いた。


「ようこそ白鳳邸へ。貴女は……」


 がちゃり、と音を立てて開かれた玄関の扉。そこから現れたのは、黒の執事服を纏った陰鬱気な男だった。

 油が塗られたかのような輝きを纏う黒髪に、血の通っていないかのような青白い頬。そして、目の下の隈をより一層黒々しくみせるくっきりとした目鼻立ちに、色味の薄い唇。

 まるで陰鬱という物を体現したかのような、温度のない男。そんな彼の双眸に埋まる暗い青の瞳を見上げながら、私は皺だらけの便箋を彼へと手渡した。


「嗚呼、お待ちしておりましたマリア様。わたくしは白鳳邸の執事、ジル・ド・アントと申します。早速ではありますが、マリア様が利用されるお部屋へとご案内いたしますので、一緒に来ていただけますか?」

「はい」


 私の口から発せられた、短い是の言葉。それを聞いた彼は玄関扉を大きく開き、私をその中へと招き入れた。


「それでは、どうぞこちらへ」


 くるりと背を向け、ゆっくりとした足取りで先を行くジル。その背を追うようにして、私もまた白鳳邸の廊下を歩きはじめる。

 煌々とした明かりに照らされた、赤い絨毯の道。人が居るはずなのに、人の気配を微塵足りとて感じさせない静かな邸内。クリーム色の壁を切り抜くようにして在る窓からは、どんよりとした暗い空模様と庭に咲く白の花々の姿が垣間見える。


「此処は、まるで息が詰まりそうな場所ですね……」


 閉塞感さえ覚える静かすぎる邸内と、窓から見える暗い空。そして生気のない庭。

 まるで、ぴったりと閉じられた箱の中に居るよう。

 しかし不意に零れたその独り言は、前を歩くジルの耳に届いてしまったらしい。


 「此処は贋造の箱庭。言うなれば、復讐のための蠱毒ですから……マリア様が息苦しさを感じるのは仕方のないことです」と歩を止め、彼は暗い青の瞳を私の方へ向けてくる。

「がんぞうのはこにわ? ふくしゅうのためのこどく?」


 彼は、独特な言葉選びをする人なのだろうか。耳慣れないその単語を反芻するように繰り返してみせれば、ジルは「はい」と一つ頷いた。


「この白鳳邸は十三の客人が集う、互いを食らい合うための蠱毒です。そしてその箱に入れられた貴女がたは皆倫理を失い、欲の塊となるでしょう。そう、マリア様。聡明な貴女でさえも、例外なく」


 この白鳳邸で行われるのは「白鳳邸殺人事件」と名を冠したミステリーゲーム。それも勝者には十億円という多額の賞金が与えられるような代物だ。ジルの言う通り、金に目が眩み倫理を失う者も居れば、欲の塊となる者も出てくるだろう。

 だが私もまたそうなるのだと、会ったばかりの人間に勝手に決めつけられるのは心外だ。少なくとも今の私はそうなるつもりは毛頭ないのだから。

 そんな心内に沸き立つ苛立ちを舌先に込め「貴方は、このゲームの行く末を知りでもしているような事を言うのですね」と皮肉れば、彼は「はは」と乾いた声を零し、こめかみを抑えた。


「まるで出来レースじみた『八百長』のように、ですか?」

「そこまで言うつもりはありませんが、そういった自覚が在るのならもう少し自身の発言を自重するべきでは?」

「はは。そうですね、ええ。公平たるわたくしは、マリア様の忠言通り八百長じみた発言を自重するべきでしょう。ですが、実際そうなのですから仕方がありますまい」


 反省の色さえ見せないどころか、八百長を示唆する発言を繰り返したジル。彼は自身の口角を上げると、今一度「はは」と乾いた声を零す。


「これは八百長の殺人ゲーム。参加者がどんな行動を取ろうとも、結果は何一つ変わらないのです」

「それは、ゲームの勝者が決まりきっているということ? それとも、私たちがどんな結果に至ろうとも、主催にとってメリットしか残らないということ?」


 独特な言葉選びをするジルの真意を探ろうとその二択を口にしてみたものの、目の前に居るジルは顔を横に振り、「いえいえ。その逆ですよ」とのたまった。


「その、逆?」


 つまり、勝者は確定しておらず、主催にとってデメリットしかないということなのだろうか?


「はは。当惑していただけて、なによりです」


 私の質問に答えないどころか、困惑と苛立ちに駆られる私をからかい遊んでいる様にさえ取れる発言をしたジル。その顔を忌々しげに睨み上げれば、その青白い頬に僅かばかりの赤が彩られてゆく。


「ありがとうございますマリア様。わたくし、そういった顔が一等好きなのですよ」

「……不愉快な、趣味ですね」


 ジルの発言は、困惑と怒り。その二つが入り混じった顔を見たいがためだけの悪意に満ちた代物だったらしい。ソレに気が付かず、まんまと彼の言葉に踊らされてしまった私は、自身の愚かさに呆れ「はぁ……」と小さく溜め息を漏らした。

 未だこの白鳳邸で行われるゲームは始まってさえいないというのに、この為体とは。先行きが不安でしかない。

 嗚呼。はたして私は、このゲームの勝者になることが出来るのだろうか。




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