第59話
「……いいの?」
触れたいけど愛しているから勇気がでない。前は触れる事にすら切なくて苦しい気持ちがあったのに、今はそれよりも愛しすぎてこの温もりを抱き締めてしまいたくなっている。
莉緒は穏やかに呟いた。
「はい。もう平気ですから。だから抱き締めてください」
「……うん」
確認をしても莉緒を抱き締めるという行為に私はさっきより緊張していた。愛しい莉緒を抱き締められる。望みが叶うのに恐怖が消えなくて付きまとってくる。この子が私にとってかけがえがないからだ。そんな分かりきっている事実に苦しく思いながらも私は手を伸ばした。
手を握る時もそうだった。痛みを感じた先にとてつもない喜びが現れた。だから、だから抱き締めよう。莉緒の気持ちを無下にしてはいけない。怖さも何もかも今はどうでもいい。ただこの子を愛したい。
私は意を決して優しく莉緒を抱き締めた。小さな体は柔らかくて暖かくて本当に愛しく感じる。莉緒は一瞬体を強張らせたが私を受け入れてくれた。
「……愛してるよ莉緒」
私は嬉しさのあまりそう呟いていた。胸に溢れた愛しさが言葉に現れて、嬉しいのに胸が締め付けられる。私は今やっと抱き締めて触れられた莉緒が愛しくて仕方がないんだ。私は泣きそうになりながら莉緒の温もりを感じた。
「私も愛してます。……私は今も昔もずーっと景子さんを愛してますよ」
「……私もずっと愛してるよ」
この気持ちが本当に嬉しかった。大切な莉緒にやっと触れられて抱き締める事ができたんだ。私は不器用だったけどこの子の闇を払えた。莉緒を守る事ができた喜びは感じた事がないくらい心を喜ばせる。私は莉緒の背中を撫でながら胸の内を話した。
「私、ずっと本当は不安だったんだ。いつも私は莉緒にうまく何かしてあげられないから、莉緒の嫌な気持ちを本当に無くせるか不安だった。でも、良かった。……本当に良かった」
私の拙い気持ちはうまく愛を伝えられているか内心不安だった。莉緒はいつも笑ってくれたけど普通よりダメなのは分かっていた。莉緒は前では明るくいたけれど心のどこかではダメかもしれない気持ちもあったのだ。
莉緒はよく私に愛想をつかなかったと思うのに莉緒は小さく笑った。
「景子さん、私愛されてるんだなって嬉しかったですよ。いつもそばにいてくれて、私のためにいつもいろいろ買ってきてくれて話してくれて……本当に愛してくれてるんだなって幸せに思ってました」
「…そう。なら良かったよ」
この子はいつも私の気持ちを汲み取ってくれる。私の拙くて不器用な気持ちを大切にしてくれる莉緒には感謝してもし足りない。
「触る事もできなかったのにいっぱい愛してくれてありがとうございます。もう嫌な事も景子さんがいっぱい愛してくれるから忘れちゃいました」
「そう」
「ふふふ。私景子さんを好きになって本当に良かったです。景子さん以外だったらこんなに私を愛してくれる人はいないと思います。だから私は一番幸せ者です」
「……そう」
嬉しそうな莉緒の言葉が胸を暖かくしてくる。莉緒にこんなに想われて愛しさが止まらない。私にこんな気持ちを持たせてくれて嬉しくさせてくれるのはこの子しかいないんだ。私は愛しさに任せて莉緒を強く抱き締めた。
「愛してくれてありがとう莉緒。本当に愛してるよ」
「景子さんを愛していくのは当たり前です。お礼なんかいいんですよ」
「でも、ありがとう。……本当に嬉しいよ」
「もう、あんまり言われると照れるからやめてください。それに嬉しくて離れられなくなっちゃいますよ私」
「……うん」
照れ隠しのように明るく話す莉緒を私は抱き締め続けた。莉緒の温もりが私を喜ばせ過ぎたのだ。
私達はそれから本当に順調に日々を過ごした。付き合いたてのカップルのようにただ手を繋いだり抱き締めあったりするのが本当に嬉しくて私は満たされていた。
莉緒は嬉しそうに笑ってくれるし、前よりも莉緒の温もりを感じられるのが私には嬉しくて仕方なかった。
それに以前のように莉緒が私に触れて甘えてくる日常が輝いて見えた。
そんなある日、私は貴史の件があってから飲みにすら行っていなかったヒロミの店に向かった。莉緒も落ち着いたし相談にも乗ってもらったしお礼をしようと思っていた。店につくと前もって呼んでいた紗耶香は先に飲んでいた。
「あ、景子我慢できなくて先に飲んでたよ」
「景子いらっしゃい」
「うん。こないだぶり」
今日も二人は変わらない。私は荷物を置いてカウンターの椅子に座った。
「景子こないだの浅井さんの件は本当にお疲れ様。いきなり来たと思ったら目的は景子だったなんて思ってもなくてビックリしたわよ私」
貴史の話に紗耶香は嫌そうに話した。
「ねー。あいつウザかったね。景子がぼろくそ言ったみたいですっきりしたけど。もう来てないの?」
「来てないわよ。あんな言われて来てたら頭ヤバイでしょ」
「確かに」
「また来てたら私が今度こそぶん殴ってたわ」
もう終わった話に私達は笑った。あの時はイラついたが今はどうでもいい。私は今日の本題の莉緒の話をした。
「それより莉緒がやっと落ち着いたよ」
「あら、もう大丈夫そうなの?」
「それ私も気になってた!」
莉緒に関心を示した二人に私は軽く説明した。
「もうほとんど大丈夫かな。前は本当に辛そうだったんだけど今は平気だよ。よく笑うようになったし悩んでる様子もないから」
私の説明に二人は安堵したような顔をした。
「良かったわねぇ。心配してたから私も安心よ」
「本当だよ~。よかったよかった。今日は祝い酒だね」
「うん。それで、相談乗ってくれてありがとう。私も悩んでたから助かった」
「「……え?」」
私は今日の目的であるお礼をしたらなぜか不信そうな顔をされた。二人は顔を見合わせながら困惑している。
「景子がなんかいつもと違うヒロミ。どうしよう……頭打ったのかなこの感じ」
「私も今現実が受け止められないわ。景子はこんなキャラじゃなかった気がする」
「……お礼言っただけじゃん」
二人はどうしたんだ。ただのお礼なのに二人はにやりと笑うと紗耶香はなぜか私の頭を撫でてきた。
「もういいよ景子。たまにはそんなに乙女みたいになる時あるんだね。困惑したけど受け入れたよ私は今」
「そうね。とりあえずキムチ出してあげるわよ。今日のお通しのキムチはうまいわよ」
「……うん」
なんだろう。なんで笑われたんだろう。私は不可解に思いながらも二人の厚意?を受け入れながらお礼をするべく言った。
「今日シャンパン入れて?二人にお礼って事で」
「え?シャンパン?景子がシャンパンなんて珍しいじゃない」
「本当だね。じゃあ私も入れる!今日はぱーっと祝い酒って事で!」
ノリノリな紗耶香には悪いが紗耶香はシャンパンを入れ出すといろんな酒をどんどん入れて止まらなくなる。私はすぐに止めた。
「紗耶香はいいよ。今日終電で帰るし」
「はぁ?景子なに言ってんの?私が簡単に帰すと思う?莉緒ちゃんが元気になったお祝いなんだから飲めるだけ飲ますよ?」
「……ヒロミどうにかしてよ」
紗耶香のよく分からないスイッチが入ってしまった。これはまずい予感がする。ヒロミに視線を送るもヒロミは明るく笑った。
「この感じはもう無理よ。潔く飲みなさいたまには」
「そうだよ景子。昔みたいに飲んで飲みまくろう?」
「……ちょっとだけね」
今日は長くなりそうだ。あまり飲むつもりはなかったが紗耶香がこうなってしまっては私達は付き合うしかない。
それから私達はシャンパンを入れて飲みまくった。紗耶香はシャンパンの他にも日本酒やワインを入れてきて本当に久しぶりに泥酔するまで飲まされた。でも、三人でいつもみたいに下らない話で笑ったりカラオケもして楽しかったのだが帰ろうとした頃にはうまく歩けなくて私はもうダメだった。
「もう帰るからタクシー呼んで」
私はトイレから帰ってきてふらつきながら椅子に座って言った。もう動悸が酷くてぼーっとしてしまって飲めない。
「はいはい。ちょっと待ってて」
ヒロミはすぐにタクシーを呼んでくれたようだが紗耶香は私の肩を掴んで体を激しく揺らしてきた。
「景子なんで帰るんだよ!理由は?!詳しく説明して!!」
私はそれに抵抗できなくて揺らされるがままで非常に気持ち悪かった。
「いや、だからもう飲めないから……」
「そんなの聞いてないよ!!!莉緒ちゃんに会わせてくれる約束はどうなったの?!」
「それは守るけど……ちょっと、気持ち悪いからやめて」
「絶対やだ!景子が確実に会わせてくれるまで絶対やめない!!」
紗耶香は笑いながらさらに激しく体を揺らしてきて具合が悪くて私はもう死にそうだった。
「紗耶香本当にやめて」
私はとにかく紗耶香の手を掴んでやめさせた。酒がさらに回ってきてくらくらする。紗耶香はすごい詰め寄ってきた。
「で?!いつ会わせてくれんの?!」
「……しつこいよ」
「しつこいのが取り柄なんです!で?!早く答えろ景子!」
さっき紗耶香にしつこくごねられたから会わせる事にしといたのがめんどくさい流れになった。紗耶香は確実に約束しないとダメそうなので一応答えた。
「近いうちね」
「近いうちっていつ?何月何日何曜日?何時何分?」
「……ガキなの?」
「三十過ぎのばばあだよ!見て分かんないの?!景子答えないと帰さないからね!!」
「……うん」
すごいでかい声で突っ込まれて耳が痛い。それに顔に唾が飛んで汚い。私は考えられない頭で考えた。
「じゃあ、来週までには連絡するから」
「よし!!聞いたからね!?連絡しなかったら景子の家に酒持って行くからね!!」
「……うん。分かったから静かに話して。唾飛んでるから」
「私のフェロモン移してるんです!!全く景子は何にも分かってないんだから!」
顔に紗耶香の唾が飛んだからおしぼりで拭いた。ていうか、これがフェロモンって紗耶香も相当酔ってるみたいだ。私よりはまともに歩けているのにこいつは酒乱だ。
「景子タクシー来たわよ。ほらチェックしといたから」
「うん。ありがとう」
それでもヒロミが帰る準備をしてくれたので助かる。私はウザ絡みしてくる紗耶香をどうにかあしらって店を出るとふらふらになりながらタクシーに乗り込んで眠ってしまった。
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