第56話


「平気だよ。……私の方こそごめん。……怒鳴って、いきなり飛び出して、無視してて……ごめん」


私はなんの連絡もしていなければ無視していた。受け入れられないからって怒鳴って逃げている私の方が悪い。莉緒は泣きながら首を横に振った。


「いいんです。景子さんは悪くないですよ。景子さんになにも言わなかった私が悪いですから。でも、説明だけさせてくれませんか?あれには私なりに理由があったんです。……結果的に景子さんを裏切ったかもしれませんけど、私の話聞いてくれませんか?」


「うん。教えて?」


あの日の話は一方的で冷静じゃいられなかった。でも今はちゃんと聞けるし気持ちも落ち着いている。

私はソファに座ってから莉緒を座るように促して話を聞いた。


「お母さんにお金を渡したのは縁を切るためだったんです」


「…え?」


莉緒の話は予想外だった。莉緒は涙を拭いながら話した。


「私、景子さんに言われてからお母さんにお金もあげてないし会ってもいなかったんですけど、こないだお母さんからしつこくお金の催促が来たんです。ちょっと困ってるからっていつもみたいに言われて、でも景子さんに言われてたから断ったんですけど全然引いてくれなくて……。だから、これで最後にしてって言って、もう関わらないでって言って……お金を渡しました。だから、だから…騙したつもりはないんです…」


「……莉緒はそれでいいの?お母さんの事好きなんでしょ?」


この子なりのけじめだったのには驚いたがすぐには飲み込めなかった。莉緒は私のように家族を嫌っていない。涙が引いた莉緒はやつれた顔をして笑った。


「お母さんの事はいいんです。景子さんに言われてから、そうだなって思ってたんです。前は私の事どこかで好きでいてくれるって、心のどこかで思ってましたけど……お母さんはやっぱり私の事好きじゃないから…」


「……」


莉緒は見切りをつけた、というか諦めたのか。あんな親との絆は望んでいなかったけど、この子の言葉には気持ちが滲んでいて切なかった。私を騙していたりした訳じゃないがこれには莉緒なりのいろいろな気持ちがある。

莉緒はきっとまだどこかで思っている。私は莉緒のその苦しみも消してあげたかった。


「莉緒。私は莉緒を一番好きだと思ってるよ」


「え?いきなりどうしたんですか景子さん」


唐突に私は気持ちを話した。家族に思われていなくたって私は一番思っているのを伝えたい。


「私、莉緒が好きだからお金渡してるの見て嫉妬したの。莉緒は私より親が好きで、私より親を取ってるのかなって思って大人げなく嫉妬して、怒って、飛び出した。……人生で初めて嫉妬したよ。今まで誰にもそんな気持ちなかったのにイライラして悲しくて……どうしようもなかった。一番莉緒を愛してるって勝手に思ってたから……勝手に悲しんでた。……ガキみたいでしょ?」


「そんな事ありません。景子さんにそうやって思ってもらえるの私は嬉しいです」


「……そう」


否定してくれる莉緒に笑いかけた。莉緒がこう言ってもガキみたいなのには変わりない。だがこの気持ちは本当だ。


「でも、そのくらい好きだから。私は莉緒が一番好きだよ。誰よりも、なによりも一番…」


「景子さん…。私も好きですよ。一番大好きです」


お互いの変わらない愛に安心する。この気持ちは薄れる事はない。私は絶対にこの子をおいていったりはしない。この愛を自覚して笑えてしまった。


「そう。……安心した。誤解して勝手に怒鳴って出て行ったから怒ってるかもなって思ってた」


「そんな事ありません!私は、私の方が怒ってるかなって……不安でした」


勢いよく否定した莉緒はしゅんとしてしまった。それだけで少し困ってしまう。私は頭で考えながら話を逸らそうとした。



「もう怒ってないよ。それよりさ、…その、今日はケーキ買ってきたんだけど一緒に食べない?」


「ケーキですか?食べたいです」


「そう。……じゃあ、選んで?全部違うの買ってきたから。お茶もいれるよ」


「ありがとうございます」


私はケーキの入った箱を渡すと立ち上がってキッチンに向かった。莉緒が嬉しそうにしてくれてほっとする。しかし、紗耶香に貰ったお茶を用意しながら冷蔵庫を開けると莉緒に対しての後悔が滲む。

あの日莉緒のために買った人気のスイーツはあの日のまま冷蔵庫に入っている。それに莉緒が買っていた羊羮も袋すら空いていない。


忘れていた重要な事を冷蔵庫を開けて思い出す自分が嫌だった。莉緒はきっと食事をほとんどしていないんだろう。食材が減っている感じがないし甘いものが好きなのに何も手をつけていないんだ。それにあのやつれた感じからすると食事どころじゃなかったんだろう。



あぁ、私はなんでいつもこうなんだ。冷蔵庫を閉めて苦しみを感じた。今は私より莉緒だ。莉緒を気にかけてあげないと儚いあの子を本当に無くしてしまう。


「莉緒。お昼は外で食べない?ケーキ食べたらドライブしながらご飯食べに行こう」


お茶をいれながら莉緒に話しかけた。もうこんなガキみたいな事はしない。莉緒を大切にしないと心も体も壊してしまう。莉緒は無邪気に笑ってくれた。


「はい。ドライブ楽しみです」


「そう。じゃあ、なに食べたいか考えといて?」


「はい。分かりました」


莉緒の笑顔に心が揺れるのを抑えながら私は笑った。



私はそれからは償うかのように莉緒に愛情を注いだ。莉緒が寂しくないようにいつもそばにいて、うまくない話をして莉緒を外に連れ出してあげた。

自分ではあんまりうまくできている自信はなかったが莉緒はそれにいつも笑ってくれてやっとキャバクラのバイトも正式に辞める事になった。


私はこれで少し肩の荷が落ちた気分だった。

莉緒はまだ手を繋ぐくらいしかできないけど根本的な原因が消えたからこれからもっとよくなるはずだ。

少なくとも今よりは悪くはならない。そうやって安心していたのに次は私が体調を崩してしまった。



異変には最初から気づいていた。だけど私は仕事柄もあるし体調が悪いからと言ってすぐに休める訳ではない。


「景子さん?話聞いてますか?」


莉緒にそう言われてはっとする。今日は朝から熱がある感じがしてダルかったがそのまま普通に仕事をして帰ってきて莉緒といつもみたいにソファで寛いでいたのだが、頭はボーッとしてしまって正直話しているのは辛かった。


「……ごめん。眠くて聞いてなかった」


私は適当に嘘をついた。莉緒に心配はかけたくない。それにどうせ私は風邪を引いても患者さんがいるから休めないので特に何かしたりはしない。市販の風邪薬は飲むが熱はいつも計らないし普段通りに生活する。治らなさそうなら病院に行くが歳を取ると治りが悪いので今回はどうなるか…。


「景子さんお疲れですか?」


私の様子を伺う莉緒に間違ってはいないので頷いといた。


「…少しね」


「じゃあ、明日は景子さんの好きなの作ってあげます!景子さん食べたいものありますか?」


ちょっと張り切る莉緒には申し訳ないが今はそんなに食欲がなかった。しかし、莉緒が言うなら答えない訳にもいかない。そんな気持ちとは裏腹に熱のせいでうまく考えられなかった。


「……莉緒の好きなのでいいよ」


「私の好きなのですか?……ん~、そんな事言われても……」


「莉緒の料理はなんでも美味しいからなんでもいいよ」


莉緒は一緒に暮らすようになってから家事を張り切ってやってくれる。私もやってはいるが莉緒はやりたがってくるからほとんどやらせているがこの子の料理はいつも美味しい。これはお世辞ではないのに莉緒は少し困り顔だった。


「なんでもは逆に困ります。景子さんが食べたい物じゃないと私としては意味がありません」


「……じゃあ、……パスタがいい」


考えて浮かんだそれは熱がある私には重かった。なんでパスタなんて言ってしまったんだと後悔するも莉緒は喜んでくれた。


「はい!じゃあパスタ作っときますから早く帰ってきてくださいね?」


「……うん。それより眠いから私は寝るから」


「じゃあ私も寝ます!」


ダルいけど莉緒が喜んでいるなら明日は頑張って完食してやらないといけない。明日今よりもよくなっているのを願うとしよう。私は莉緒と一緒に眠りについたが翌日も体調はあまり変わらなかった。

だが、今日行けば明日は休みだ。この感じは治らなさそうなので明日莉緒にバレないように病院に行こう。


私はその日も普通に仕事に向かった。仕事が始まると頭が覚醒してくるので体調はよくないが頭がぼーっとする事はない。だからそんなに熱があるとかを気にせずにできるのだが仕事が終わった途端体は重くなる。これはもしかしたら昨日より悪くなっているかもしれない。

ちょっと喉も痛いし節々が痛く感じる。


私はそれでも莉緒のためによく買っているパン屋に行ってパンを買って帰った。私の風邪なんかそのうち治るからどうでもいいが莉緒は喜ばせてやりたい。今日は喜んでくれるだろうか。

私は歩くのもしんどく感じながら家に帰った。 


「ただいま」


家に入るとすぐに莉緒が迎えてくれる。莉緒は今日も嬉しそうに笑ってくれて安心した。


「おかえりなさい景子さん」


「うん。……これ、お土産」


私は莉緒に買ってきたパンを渡すと莉緒は喜んでくれた。


「いつものパン屋さんですか?嬉しいです。ありがとうございます」


「うん」


ひとまず莉緒を喜ばすのに成功した私は荷物を置いてソファに座る。すると莉緒は昨日リクエストした通りパスタを用意してくれた。


「今日はボロネーゼですよ。サラダとスープも作りました」


「ありがとう」


「景子さんのためなら全然です。早く食べましょう?」


「そうだね」


莉緒が作ってくれたパスタは本当に美味しそうだが食欲がない。それに喉も痛いが嬉しそうな莉緒の顔を見るといらないなんて言えない。私はいつも通り莉緒と一緒にご飯を食べた。いつもより食べるのに時間はかかってしまったが完食できた私はこっそり薬を飲んでまたいつもみたいに莉緒とソファで話していた。


その間もずっと体がダルかったが莉緒のためにこのいつも通りの空気は変えたくない。しかし莉緒は会話をしていたらいきなりドキッとするような事を言い出した。


「景子さんなんか目がとろんとしてますよ?疲れてる感じがします。眠いんですか?」


私をよく見ている莉緒は目だけで感じ取ったようだ。体調の悪さが目に現れてしまうとは情けない。私は適当に答えた。


「…今日は患者さん多かったから」


「そうですか。じゃあ、アロマでも焚きましょうか?景子さんが好きそうなのまた買ったんです」


莉緒がこうやって言ってくれるのは嬉しいが、話すのもしんどい。私はそろそろ限界だった。



「…いいよ。もう眠いから寝る」


「そうですか」


アロマを炊いて莉緒と話していたかったが横にならないと体も辛い。私は立ち上がってベッドに向かおうとしたら莉緒は私の手を掴んできた。


「…景子さんもしかして体調悪いんですか?」


言い当てられたそれに内心焦りながら私は誤魔化すように言い訳をした。


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