第55話
私はそれから家に一回も帰らなかった。ショックであの子と会いたくない。いつまでもこのままでなんていられないだろうけどあの子と会って話したって惨めになって悔しい思いをして悲しくなるはずだ。
この醜い気持ちが無くならないから間違いない。
冷静になってもどうにも受け入れられなかった。私も最初から持っていたら良かったのに。
好きだと言える家族を持っていたら家族に嫉妬なんてしない。愛や幸せも欲しかったのに家族にも飢えている自分を理解させられて苦しかった。
あんなものなくても生きていけるのは分かっていたのに嫉妬の心は消えない。
こんな酷い気持ち今までなかったのになんでだ?愛を知ったからなのか?
私は莉緒からずっと来ている連絡を無視して今日も職場に向かった。心は苦しんでいても毎日は続く。莉緒はあれから毎日電話もメールもしてくるけど全部無視していた。これに答えたらまた自分の醜い気持ちが暴れだす。受け入れられない現実にこれ以上ショックを感じたくない。
私はその日も淡々と仕事を終わらせて気晴らしにドライブをしていた。気分があの日から暗くて落ち着かない。それなのに適当に車を走らせながら考えるのはあの子の事ばかりだった。
ドライブは莉緒とよくしていたからあの子が嬉しそうに話す姿を思い出してしまう。莉緒はいつも嬉しそうにいろんな話をしてくれた。特に反応も返せない私を相手にするなら友達に話した方が楽しいはずなのにあの子はそんなのまるで気にしていなかった。
それを考えると尚更苦しくなってしまう。あの笑顔の裏であんな家族を思っていたのが許せない。
莉緒と私じゃ考えが違うのは理解しているのに沸々とどす黒い気持ちが湧き出てくる。
あぁ、私は心が狭いのだろうか。あの子に傷をつけたあいつを家族だからって割りきれない私は大人気ないのだろうか。
あの傷のせいで変わってしまった莉緒を知っている私は折り合いをつけられるのか。
頭を冷やした今じゃあの子の体調も気がかりだから帰らないといけないのは分かってるんだけど、私は莉緒と分かり合えるのか不安だった。
こんなに心が拒絶していてもあの子を愛しているのには変わりない。だから分かり合えなかったらまた私は感情に流されて頭に血が登ってしまうだろう。また怒ったって気持ちが変わらなかったら意味がないのに。それでお互いに傷ついて何か見出だせるのだろうか。
頭の中は莉緒がいなくても莉緒の事ばかりだった。
昔はずっと一人だったのに、今は莉緒といつも一緒にいたから一人になるとあの子がどうしてもちらついてしまう。
私は考えすぎてしまうのをやめたくて久しぶりに紗耶香と宅飲みする事にした。
紗耶香にちょうど誘われたから逃げるように乗ったのだ。
「景子、これ莉緒ちゃんにあげて?こないだ言ってた中国茶」
紗耶香は酒を飲みだして少ししてから思い出したように渡してきた。袋に入ったそれは見た事もないお茶のようだが紗耶香がくれるなら大丈夫だろう。
「ありがとう」
「いいえ。大変だろうけど一緒に頑張りなね」
「うん」
普通に心配してくれて励ましてくれる紗耶香には申し訳ないが、私は今家を飛び出した身だから後ろめたかった。紗耶香はまた買ってきた酒を飲みだした。
「なんか莉緒ちゃんと年の差あるからちょっと心配もあったんだけど景子が初めて本気そうだから私応援するね?景子今まで全然誰と付き合っても興味なさそうだったけど莉緒ちゃんって相当な手練れだよ」
「……手練れ?どういう意味?」
いきなり何を言い出すんだろう。紗耶香はいつも訳が分からない。紗耶香はいつもみたいに話だした。
「そのままだよ。ドライ無表情性欲ゼロの景子を恋愛に本気にさせてるんだよ?全然人物像が想像できないけど人心掌握には炊けているはず。それかなんかヤバイ魔法使いとしか考えられないよ。あとエスパー」
「莉緒は普通だと思うけど」
普通な顔して冗談だと思う事を言われても困る。あの子は尽くすタイプなだけであとは普通だ。紗耶香は疑ってかかってきた。
「えー?どんなよ?例えば?」
「例えばって言われても……まぁ、普通な子じゃない?今時の子って感じでよく話して笑って……尽くしてくれるタイプかな」
「絶対それだけじゃないでしょ?あとは?」
食い気味で聞かれて困惑するが私は考えながら話した。
「あとは……優しいかな。素直で」
「あぁ、そうだね。それは大事。優しさと素直さはないと疲れるだけだもんね」
やっと納得したようだがこれは私も同意見だった。
「実際素直なやつはあんまりいないけどね」
「それね。いい年してはっきり好きともヤりたいとも言えないくせに人一倍ヤりたいみたいなね。猿かって話だよ。それでだいたいが女々しいし、段取りも踏めないし、……なんかもう結婚に絶望しかないんだけど」
いろいろやってきたからよく分かるが結局男女は別の生き物であるのだ。頭の作りも考えも全く違うんだからこういうズレが大きくできる。いい人を探しても実際は頭が幻想に溢れてて女より嫉妬深くて女々しいくせに性欲だけはあるやつしか転がっていないんじゃ絶望してもおかしくない。
それにちゃんとした人が一定数いるなら、よくある育児を女が一人でやるなんて事は起きない。
でも、ちゃんとした人はもう結婚済みの人が多いのだ…。
私は紗耶香の顔が死んでいたので笑いながら言った。
「もう何か妥協するしかないよ」
「素直さと優しさは妥協できなくない?これなかったらパワハラにあってる気分だよ。絶対こっちが半分以上我慢するだろうし」
「じゃあ直してもらうか」
「素直じゃない人が簡単に直ってたら私はもう結婚してました」
「そうだね」
それはそうだ。私も紗耶香も笑ってしまった。いい人がいたら最初から結果は出ていた。結果が出ないからもがいているのだ。
「気長に頑張るしかないんじゃない?」
こればかりは縁もあるのかもしれない。紗耶香は渋い顔をした。
「ねぇ~。それに尽きるよね~。数打って物色しないとなんだよ結局。はぁ~、景子羨ましいわ~。私も本気になれる人ほしい……」
「私は最初本気じゃなかったよ莉緒は」
「え?そうなの?……まぁでも、風俗だもんね出会い。ぶっちゃけ驚きすぎてちょっと引いたよ私。ていうか、景子と仲良くなるって難しいと思うのにどうしてそんなに発展したの?何が起こったの?」
本当に不思議そうにする紗耶香に私は昔を思い出した。
「まぁ、いろいろあったかな?最初は暇潰しとかその程度だったんだけど気づいたらいろいろ変わってた……って感じ」
「全然分かんないし。いろいろってなによ?」
「いろいろはいろいろだよ」
「はぁ、もういいです。よく分かりました。結局こういうのは運とタイミングって事なんでしょ」
呆れながら言われたそれに懐かしさを覚える。それは莉緒が前に言っていた気がする。
「タイミング?」
紗耶香はまたため息をついてから話した。
「はぁ、景子。何事にもタイミングが存在するんだよ。その時の自分に委ねられてるけどこのタイミングで幸せになるかどうか左右されるの。私は三十過ぎてから分かったけどこのタイミングでちゃんと決断できると幸せまっしぐらよ」
「…ふーん。そう」
タイミングなんて私は考えた事がなかった。しかも莉緒に言われた時も前向きな捉え方だなくらいにしか思ってなかった。それなのにその話は驚くくらい腑に落ちる。思い返せば様々なタイミングで決めなくちゃならない事は迫ってきていた。私はその都度諦めの気持ちを持ちながら決めていた事が多かったけど莉緒との出会いからしてあれはタイミングだったのかもしれない。
莉緒が幸せのタイミングは人それぞれだって言っていたのは本当な気がする。
私はあの子との出会いだけでこんなにも変わってしまった。私は小さく笑った。
「でも、大丈夫でしょ」
「なにが?私が大丈夫に見える?」
紗耶香は深刻そうだが私がタイミングを棒に振らなかったんだから平気だ。
「私が大丈夫なんだから紗耶香も大丈夫だよ。タイミングは絶対来るし選べるよきっと」
あの子のせいで私は昔に比べたら信じられないほど前向きになっている。その事実が内心から笑えてしまった。私はあんな年の離れたガキにどれだけ影響されているんだ。ちょっと癪だがあの子は本当に私の光だ。
「景子がそんな事言うなんて……なんか感激。とりあえず景子の幸せをこの場で吸収するわ。不幸な私に幸せ分けて」
「はぁ?なんなのそれ。不幸ではないでしょ」
「不幸だよ。最近酒飲みながら寝てるし。私の癒しアルコールだよ?自分で自分が怖いよ最近」
笑う紗耶香は酒を飲みながらいつもみたいに冗談を言ってきた。それに私も笑いかけながら心にゆとりができた気がした。あんなに醜い感情に苛まれていたのに、あの子が大切だと改めて実感すると嘘みたいに消えていた。やっぱりもう家に帰ろう。いつまでも考えていたって仕方ない。
紗耶香と話したおかげで私の中で踏ん切りがついた。
莉緒とは分かり合えないかもしれないけど認め合えばいい。あの親には許せない気持ちがあるが莉緒の気持ちも考えてあげないとダメだ。私にはないけどあの子には私以外にも大切なものがある。否定したい気持ちはあるがあの子が好きだから全て否定する事はしたくない。
私はその日紗耶香と飲み明かしてから次の日に帰る事にした。でも、手ぶらで帰るのは一週間近く家を開けた身として申し訳なくて、私は莉緒のために小さいカットされたケーキを買った。あの子が好きな物を選べるようにとりあえず三個買って全部違う種類にしたが好きな物は買えているだろうか。
私はマンションの駐車場に車を停めると自分の部屋に向かった。そして今更ながら莉緒からの連絡は全て無視してしまったし、怒ってしまったから傷つけたかもしれないと考えていた。
それに莉緒は私に対して怒ってるかもしれない。部屋に向かう少しの距離に不安が募る。
でも、莉緒はきっと日曜日だから今日は家にいるはずだ。だから不安だけどついたらすぐに謝ろう。謝ってあの事をもう一度話し合おう。今はあの時に比べたら気持ちに折り合いがついたからもう嫉妬もなにもしないはずだ。
私は自分の部屋につくと深呼吸をしてから鍵を開けて中に入った。玄関に莉緒の靴があるのを確認してリビングに向かうとすぐに莉緒がやって来た。
「景子さん……。帰ってきてくれたんですね」
「……莉緒」
少しの期間しか会っていないはずなのに莉緒はかなり憔悴していた。目の下には隈ができていて元気なんかなさそうで見た目からやつれている。その姿だけで気持ちに流された自分を責めずにはいられなかった。
「莉緒……私…」
ちゃんと謝ろう。謝ってから話をしよう。そう思っていたのに莉緒は急に泣き出した。
「景子さんごめんなさい。景子さんとの約束破ってごめんなさい。…まだ、怒ってますよね?本当にごめんなさい。もう絶対約束は破らないから許してください。……お願いします…」
「……莉緒」
泣いて謝る莉緒は痛々しくて私は拳を握りしめていた。
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