第54話
「嫌だったら離していいからね?」
「はい……」
最初に言っておけばこれがダメでも大丈夫だ。莉緒は握る瞬間に強く目をつぶって体を強張らせたが受け入れてくれた。この表情を見るだけで私は切なくて苦しくなるが莉緒のためなら受け入れる。これは莉緒が教えてくれた愛し方と似ている。だからこの痛みは悪くない。だって痛みがあると私達の気持ちが強くなるような気がする。莉緒は私を見て安心したように笑った。
「ありがとうございます。……少し、怖くなくなりました」
「そう」
これは安心を呼ぶけれど痛みも伴ってしまうから莉緒を見ていると変わるのがどれだけ大変なのか分かる。変わるには痛みは付き物なのかもしれない。
「…莉緒。もし遊園地に行ったら何したい?」
私は苦しみが紛れるように普段より明るく話した。この子に一人で頑張らせる気はない。私は支えられるだけ支えて一緒に変わっていきたいんだ。莉緒はいきなりの話に幾らか楽しそうに答えてくれた。
「それは、……そうですねぇ……いっぱい景子さんとアトラクション乗りたいです」
「そう。あとは?」
「あとは……あとは、パレードも一緒に見ていっぱい写真も撮りたいです。それと景子さんとお揃いで帽子とか被りたいです。……お揃いはさすがにダメですか?」
遠慮がちに訊かれた私はキャラに合わないしちょっと恥ずかしい思いがあるが否定はしなかった。
「別に。莉緒がしたいならいいよ」
「良かった。じゃあ眼鏡も売ってますからそれもお揃いにしましょう?景子さんは綺麗だから似合いますよ」
「……眼鏡なんか掛けた事ないけど私」
「サングラスみたいなのだから平気ですよ。ふふふ、なんか今から行くみたいで楽しみです」
少し手を握り返してきた莉緒に応えるように手を握り返した。
「行くのは遊園地でもいいんじゃない?莉緒が行きたいなら私はどこでも連れてってあげるし…」
「でも、景子さんとしたい事いっぱいあるんですよ私。遊園地は捨てがたいですけどもう少し悩みます」
「そう」
これを楽しみにしてくれるなら莉緒を悩ませるのも良いのかもしれない。私達はそれから二人でどこに行ったら楽しいか話した。莉緒は私と行きたい所が沢山あるみたいで楽しそうに話してくれたので幾らか気分は優れたと思う。
少し話をしてから落ち着いた莉緒とまた眠りについたが莉緒を心配する私の心の不安は増した。
もっと莉緒と一緒にいて癒してあげないと苦しみが離れてくれない。
不安に煽られた私は休みの日に莉緒のために料理をしていた。無難な料理しか作っていないが今日はデザートも買おうと思っているから甘い物が好きな莉緒は喜んでくれるだろう。
今日は莉緒は学校が終わったら予定がないからすぐに帰ってくるから早めに買っておこうと思った私は車を出して人気なお菓子屋さんに向かった。スイーツから焼き菓子まで何でも売っているお店はネットで調べて来たが人が並んでいる。これには味が期待できそうだ。私は莉緒の好きそうな物を選んで順番を待っていたので買うのに時間がかかってしまった。来たのが夕方だったから仕方ないがもう莉緒は家に帰ってきているかもしれない。
私は車を走らせながら莉緒が喜んでくれるかそわそわしていた。フルーツが乗ったタルトはお店で一番人気だったし莉緒はフルーツをよく食べるから笑ってくれるはずだ。そしたらきっと気分もよくなる。
少し莉緒の反応を楽しみにしていた私は駅近くの信号に捕まって車を止める。ここの信号は変わるのに時間がかかるからちょっと辺りを見ていたら駅の出入り口付近で莉緒を見かけた。
やはりもう帰ってきてしまったか。ついでに乗せていこうと思って車の窓を開けてクラクションを鳴らそうとした私は唖然としてしまって動けなかった。
一人で駅にいた莉緒に話しかけたやつは莉緒のお母さんだったからだ。
それだけであの日見た記憶がよみがえる。
なぜだ?会うのはいいと言ったが莉緒はお母さんに何か渡している。それは金としか考えられなかった。
あの日見たのと一緒だ。
私はもう頭が混乱していた。約束したのに莉緒はこうやって金を渡し続けていたのか?私の言った事を無視して、裏切っていたのか?なんで?私はあの子の親よりあの子を愛している自信があったのに、私よりもあの子は親を取っていたのか。
それがショックで私は帰ってから怒りと悲しみに支配されていた。莉緒は私の気持ちを分かってくれるからあの時頷いてくれたと思っていた。なのに、なのになんで?胸が苦しくてイライラしてどうにかなりそうだ。
莉緒に裏切られた事実を受け入れたくない。
私が帰ってきてすぐに莉緒は家に帰ってきた。
「景子さんただいま。今日は羊羮買ってきましたよ?ちょっと並ぶかなって思ったけど並ばないで買えたからラッキーでした。あとで一緒に食べましょう?」
笑う莉緒はいつもと変わらない。だけどそれも私を苛つかせる要素だ。今までこうやって私を騙していたのかと思うと私は冷静になれなかった。
「どういう事なの?」
私は感情のままに莉緒に訊いた。もう騙されたくない。莉緒は困惑したように聞き返してきた。
「えっと、どうしたんですか?」
「約束は忘れたの?」
「え?……あの、ごめんなさい。なんの話ですか?」
ここまで言ってとぼける莉緒のせいで眉間にシワが寄る。
「今日お母さんにお金渡してるの見たって言ってんの。ずっと渡してたの?約束したよね?」
莉緒はすぐに状況を理解したのか困ったような顔をして表情を歪めた。
「それは、…それは違います。……確かに約束を破りましたけど、ずっと渡してた訳じゃないんです。…ごめんなさい」
「信用できないから」
言い訳みたいに聞こえて胡散臭い。莉緒は信じられる人だったのに素直に信じられない。莉緒に約束を破られたのが証明されて私の怒りをさらに煽った。
「どうせ私の言った事なんか何とも思ってなかったんでしょ。家族は大事だもんね?私には分からないけど莉緒は金せびられても大事だと思ってるんだもんね。だったらずっと金でも何でも渡してれば?」
「あの…!あの、違います!私、本当に景子さんに言われてからお金は渡してないし会ってもないです」
「約束破ったくせに何言ってんの?私に嘘ついて騙してたくせに。そんなに大事ならあの親とずっと一緒にいたらいいじゃん。私なんかよりあの人と一緒に暮らした方が楽しいんじゃない?私の言った事なんかどうでもいいんだからさ」
もう話したくもなかった。分かり合えたと思ったのに、信用できると思ったのに私達は分かり合えていなかった。私は莉緒を一番に考えて幸せにしたいとすら願っていたけど莉緒は私よりも親を取っていた。それがどうしても許せなくて受け入れられない。私と幸せになるよりも親との仲を望んでいるみたいで嫌だ。私はあんなやつに負けているなんて思いたくもなくて激しい嫉妬を感じた。
「違います!確かに、景子さんに黙ってました。でも、それは騙すためとかじゃなくて景子さんに言われたからどうにかしようと自分なりに考えてて…」
莉緒の言い分は全部胡散臭くて耳障りだった。金を渡していた事実は変わりない。私はもう顔も見たくなかった。
「もういいから。好きにしたら?別に私はもうどうでもいいから。金渡したいならずっと渡してたらいいじゃん。もう何も言わないよ。どうせ言ったって聞かないんでしょ」
「え?でも…」
私は言い淀んで困惑している莉緒を無視して鞄を持つと玄関に向かった。もう一緒の空間にもいたくない。どうせ私は家族より劣るんだ。私を愛してくれたけど私は家族には勝てない。例えあんな家族だったとしても私はあいつよりも価値が低い。
……それはそうだ。だって私は普通の人より劣っているんだからそうに決まっている。でも、惨めで悲しかった。
莉緒だけは違うと思っていたから。
「景子さん!どこに行くんですか?」
後ろから追いかけてきた莉緒はますます困惑して不安そうにしている。今はその顔を見てもイライラするだけだった。
「別にどこだっていいでしょ」
「よくないです!私の話聞いてくれませんか?黙ってたのは私が悪いですけどこれは違うんです!」
もううるさいし莉緒の声が耳障りだ。私は莉緒を睨んだ。
「うるさいんだけど。悪いけど私は話す事なんかないから」
「景子さん……」
表情をさらに歪めた莉緒を無視して私は部屋を出た。そしてすぐに車に乗って車を走らせる。
もうやだ。ショックと自己嫌悪で頭がいっぱいだ。
私は醜く嫉妬している。初めて感じたこの気持ちをうまくコントロールできなかった。
イライラして冷静になれない。
誰しも家族がいればそれを大事にして当たり前なのに、目の前であんな風に大事にされると普通じゃいられないんだ。あんなやつを好きだなんて受け入れたくない。
私は車を適当に走らせてビジネスホテルに泊まった。今日はもう帰りたくなかった。携帯を確認すると莉緒から沢山連絡が来ていたけど見たくもなかったからそのままにしといた。
言い訳なんか聞きたくない。これ以上嫌な気持ちになりたくないんだ。
私は一人になってベッドに横になっても怒りやいろんな気持ちが収まらなくて苦しかった。
私は、私はどうしようもなく家族が羨ましいんだ。家族を見せつけられて、私は持ち合わせなかった家族の繋がりが私達の関係を越えたように感じてしまって嫌なんだ。だって、私はそんなの一生作れないし感じられない。私は家族なんて幸せの象徴みたいなものに勝てないと思ってしまったから逃げたんだ。
私じゃきっと家族の繋がりには太刀打ちすらできない。どんなにあの子を愛してもあの子は金を渡すくらいあいつを愛している。酷いトラウマを植え付けられてもあの子は無償に愛しているんだ。
あぁ、そんなの耐え難かった。莉緒は私のものだったのに、あんなやつも愛しているのが受け入れたくなかった。私の言った事も聞いてくれないし、私よりあいつが大事なのかもしれない。
考えれば考えるほど嫌で嫌でたまらなかった。
家族が大事で家族が好きなのも普通な話だから頭では分かっているのにあの子の傷を見ているから受け入れられない。
私は、私だけ愛していてほしかった。子供を都合よく使って愛してやらないやつに家族だからって愛を与えないでほしかった。
あんなやつより莉緒を愛してやる自信も気持ちもあったのに、あれだけの事で全て証明された気がして心が軋む。
私は、私の愛はあいつより劣っていたんだ。
私は考えながら涙が出そうだった。
私も好きでいてくれたかもしれないけど私の言う事を聞かなかったのもそのせいだ。
自ずと導き出せた答えに自己嫌悪が増す。
激しく嫉妬するくせに満足に愛せもしない。それなのに求める私は無様で醜くてどうしようもない存在なんだ。嫉妬の心のせいで自分を改めて理解させられた私は情けない気持ちでいっぱいだった。
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