第53話




私を好きだなんて嘘だ。私は部屋に入ってから困惑していた。

怒りを感じているのにあんな言葉一つでどうしたと言うんだ。好きだなんて誰でも言えるのにあいつはいったいどういうつもりで言ったんだろう。いなくなってほしいくらい嫌いだったのに私は理解できなくて動揺していた。

あいつの真意が分からない。あいつは押し付けていたけど貴史みたいに私を考えていたのか?……でも、分からない。あいつといた時は嫌な事がありすぎた。いい時なんてなかったんだ。


あぁ、気色悪い。昔から嫌な気持ちに囚われて今でさえ嫌な気持ちになっているのにまだ私を苦しめたいのか?

分からない。この分からない感じが嫌だ。


私は莉緒を待ちながらどうにもならない気持ちに不快感を感じていた。宗教を押し付けられて嫌な思いをしていたのに、あんな事言われたからって許せない。好きだなんて言われても気持ち悪い。私は嫌いなのに、私を愛してくれていなかったはずなのになんなんだ。

今さら意味が分からない。気持ち悪くてたまらない。

胸がモヤモヤして、あの嫌な記憶がよみがえって苦しくて早くあの子に会いたかった。


莉緒が、私にはあの子が必要だった。

こんな気分になってるとまた死にたくなりそうで、それが一番嫌だった。死にすがったらあの子を裏切る事になる。莉緒が変わろうと頑張っているのに私だけ逃げるような事はしたくない。


もう私は充分逃げた。嫌なものから逃げて、生きる事からも逃げようとした。だからこれ以上逃げてみっともない事はしたくない。あの子をおいていきたくない。

私は莉緒を静かな部屋で待ち続けた。

私はあの子の光でいたいんだ。あの子を照らしてあげないと莉緒が壊れてしまう。

それは死ぬより嫌なんだ。


落ち着かない気持ちを落ち着けようとしていたら莉緒が帰ってきた。

私はいつものように迎えた。


「お帰り莉緒」


「はい。ただいまです景子さん」


莉緒は少し疲れたように笑った。


「具合悪くない?」


「はい。あともう少しで辞めれますから」


「そう。じゃあお風呂に入ってきな」


「はい」


莉緒の体調が今日も良さそうで安心した。莉緒を風呂に向かわせた私はほっとしていた。莉緒のおかげで気分が晴れて嫌なものが離れてくれた。やはり私には莉緒だけだ。莉緒だけが私の大切な光に見える。

莉緒が風呂から出てからも私は莉緒と少しだけ雑談した。私は私なりに頑張るからあいつの事は言わない。余計な負担はかけたくない。今まで沢山私のために自分を犠牲にしてくれたと思うからもういいんだ。


私は莉緒の前ではいつも通り普通にしていた。でも、心はあいつに蝕まれてきていてしんどかった。一人になるとあいつや家族の事を考えてしまう。外を歩くだけでも家族を見ると思い出してしまう。

こんな気持ち無くなってくれたらいいのに。


変われない現実にそれでも私は莉緒のために頑張ろうと思った。

この気持ちに囚われてはダメだ。私は莉緒のために変わりたいんだ。あんなやつを考えすぎてはダメだ。

そう自分に言い聞かせながら私は莉緒のために行動していた。


今はとにかく少しでも莉緒の気分がよくなるようにしないといけない。それからの私は必死だった。

仕事帰りに寄り道をしてお菓子やパンなどいろんな物を買って莉緒にあげた。莉緒はそれにいつも喜んでくれたが、莉緒のために話すのは全くうまくならなかった。私はやはり口下手だった。莉緒はいつもいろんな話をしてくれるけど私はあんまりうまく話せない。莉緒を考えれば考えるほど私の言葉は拙くなって最終的に困って黙ってしまう。


正直これにはへこんでいた。莉緒を元気付けたいのに頑張っても空回りというか、最近では逆に莉緒に気を使わせているのではないかという気になってしまう。

それでも莉緒のために頑張りたい私は今日も帰ってから何を話せばいいのか悩んでいた。


莉緒と寝る前に一緒にソファに座ってゆっくりする時間は定番になっている。この時に私は話す努力をするのだがうまくいかない事が多かったから話題が全く思い付かない。


「莉緒」


「はい?なんですか?」


思い浮かばなくても私は考えながら話しかけていた。


「……学校はどう?」


「普通ですよ。授業聞いて勉強してテストしてます」


「……そう……」


学校の話なんて訊いても意味がなかったかもしれない。あとは何を話そう。私は少し黙ってからまた口を開いた。


「莉緒はなんか見たい映画とかある?あれば買ってきてあげるけど」


「うーん……あんまりないから景子さんが持ってるやつでいいですよ。前に見たやつも楽しかったので」


「そう……。面白いやつが好き?」


「はい。明るくなるので明るい話が好きです」


「そう」


莉緒は訊いても欲がないから何もできなくなってしまうが明るい話が好きなようだ。これはいい事を聞いた。欲しくないみたいだが今度それとなく買ってこよう。


「景子さんは寝不足になってないですか?」


頭で考えていたら莉緒が逆に訊いてきた。悩みは尽きないが寝不足は免れている。


「まぁまぁ」


「そうですか。そういえば新しい香りのアロマを買ったんです。置いておきましたから良かったら使ってみてください。フルーティーな感じで良かったですから」


「うん。ありがとう」


また莉緒に気を使われたようだ。この手もあったのに忘れていた。こういうところはいつも莉緒に先を越されてしまう。


「全然です。それより、こないだの流れ星綺麗でしたね?」


「そうだね」


「私友達に自慢しちゃいました。あんなに綺麗なの初めて見たから忘れられません」


「そう」


莉緒が笑うと私もなんだか嬉しくなる。流星群は確かに綺麗だったから私も忘れられない。


「それで、景子さん流れ星見えたらお願い聞いてくれるって言ってたじゃないですか……」


「うん」


「あの、……あれ、まだ考えててもいいですか?」


少し照れ臭そうな莉緒はあれをかなり考えているようだ。私はすぐに頷いた。


「いいよ。決まらないの?」


「はい。考えるといろんな事したくなっちゃって今悩んでるんです」


「……いろんな事って?」


私はいろんな事をしてもこの子を楽しませてあげられる自信がないから訊いていた。いろんな事をしてやりたい気持ちはあるが私じゃたぶんあまりうまくいかない気がする。莉緒は照れながら答えた。


「え?……それは、その、一緒に旅行したり、遊園地行ったり、綺麗な景色とか見たり……人気なデートスポットとか…行きたいなって……考えてます」


「……そう」


莉緒は若いから遊園地とか人気なデートスポットに行きたいのか。私は考えていなかったそれに納得していた。莉緒の年じゃ当たり前に好きだと思うが、私は遊園地なんて嫌いだった。遊園地は小児が多いし絶叫マシンやショーを見てもなにも思えなくて反応に困る。しかも歩くから疲れる。非現実的なのはいいがその雰囲気以外はつまらないと言うか、私には劇的に合わないんだと思う。それに今流行りのデートスポットも私はどうでもよかった。



「景子さんは私としたい事ありますか?」


「……」


莉緒は自分の事なのに唐突に私に尋ねてきた。ここで遊園地は嫌いとも言えないしどうでもいいとも言えない。というか言ったら傷つくと思うから言いたくない。私は少し黙ってから嘘をついた。


「……私は莉緒のしたい事でいい。遊園地も、人気なデートスポットも莉緒が行きたいなら何でもいいよ」


「そうですか。じゃあもう少し考えます」


「そう。ゆっくり考えな」


「はい」


私の嘘はバレていないだろうか?少し不安になるも莉緒は嬉しそうにしていたから大丈夫だろう。それにしても遊園地になったら莉緒を楽しませられない気がする。あそこは皆楽しそうにしているがどうやって楽しんだらいいのか私には分からない場所だ。

嘘をついてしまったがもしかしたら遊園地になる可能性があるから近いうちにネットで調べておこう。


なにか知っていれば喜ばせられるかもしれないし私も反応に困るのを避けられるはずだ。私は嬉しそうな莉緒とは反対にますます困った悩みができてしまっていた。

そして、その日はそのあとも少し雑談をしてからいつも通り眠りについた。



しかし、私は夜中に莉緒が呼ぶ声で目が覚めた。


「景子さん……、景子さん……」


小さな声は不安が入り交じっているようで弱々しく聞こえる。眠っていた私は何度か莉緒に呼ばれて体を揺すられるとすぐに眠気が飛んだ。


「莉緒?どうしたの?」


莉緒は体を起こして暗い表情をしている。私はそれだけで不安に駆られてしまう。莉緒は気分が悪そうだった。


「……なんか、不安で、怖くなっちゃって……」


「そう。気分悪い?吐き気する?」


「……少し気分が悪いですけど平気です」


腕を擦る莉緒は力なく笑う。私はどうにかしてあげたくて焦燥感に駆られた。


「なんか飲む?落ち着くまでテレビでも見ようか?」


「いいです。……でも、そばにいてくれませんか?……一緒にいてほしいです」


「いいよ。起きてるから」


「はい。……ありがとうございます」


頼ってくれた莉緒にはしっかり応えてやる。莉緒の気分が落ち着くようにするのが私が今しなきゃならない事だ。でも、どうしよう。何を話してあげればいいんだろう。不甲斐ない私に莉緒は小さな声で言った。


「景子さん。いきなり起こしてごめんなさい」


「別にいいよ。頼っていいって言ったでしょ」


私は何も迷惑だなんて思っていなかった。それよりも何か率先してできない自分が嫌だった。


「はい。……景子さん。いつもありがとうございます」


「お礼なんかいいから。……莉緒、なんか、してほしい事ある?」


莉緒の体には無闇に触れないからどうにかしたいが対応に困ってしまう。莉緒は小さく笑った。


「ないです。……いてくれるだけでいいです」


「莉緒…。…ねぇ、手握ってもいい?」


あの日と今は状況が似ている。咄嗟に思い付いたのはそれだけだったのに莉緒は否定しないでくれた。


「はい…。握ってください」


「うん」


不安はあるがあの日莉緒は笑ってくれたんだ。あの日嫌なものを払ってあげられたんだ。だから、心がざわつくけど良くなるはずだ。

怖じ気づいて何もしないよりはいい。


私は以前よりも確信を持ちながら優しく莉緒の手を握った。

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