第52話
「莉緒、本当に嫌だったら言ってよ?」
「…はい」
私は莉緒に確認を取った。あまり近くに寄ると怖いかもしれないからこのままで少し手を伸ばす。私は柄にもなく緊張していた。莉緒の気持ちは最大限に汲み取りたいと思っているし、私はいつも味方で、いつもこの子を助けられるヒーローのようでありたい。
それなのに、あの嫌がる莉緒の顔が思い浮かんだ。
嫌がって怯える莉緒は本当に心から拒絶していたんだ。
そうだ。あの痛みを私は与えようとしている。
私は目を瞑る莉緒を見て握ろうとしていたのに躊躇してしまった。莉緒が怖がっているのが分かるから動けない。あと少しなのに握ってやれない。
一瞬やめようとしてしまった私は思い止まった。
ここでやめたら莉緒の勇気を踏みにじる事になる。莉緒が変わろうとしているのに莉緒を拒むのは莉緒のためになるのか?……それはきっとならないはずだ。
ここでやらないのはこの子の愛に応えないのと同じだ。
私は深呼吸をしてから本当に優しく莉緒の手に触れた。
莉緒は驚いたように少し体を震わせたがそれでも優しく握った。莉緒の柔くて暖かい手を握るのは久しぶりな気がする。手から伝わる温もりが儚くて苦しくなる。私は莉緒に優しく訊いた。
「大丈夫?」
莉緒に怖く感じてほしくない。莉緒に無理をしてほしくなくて、莉緒が苦しみを感じないようにただ優しく話した。
「莉緒が嫌だったらやめてもいいからね?無理しなくていいから。嫌だったらもうやめるから言って?」
莉緒は首を横に振って控え目に笑いかけてくれた。不安の滲む顔は今すぐ手を離してしまいたくなる。でも、莉緒を尊重してあげたいから離さなかった。
「……平気です。……景子さんだから……平気です」
僅かに私の手を握ってくる莉緒は前のような嫌がる素振りは見せなかった。それがただ嬉しくて愛しくて、私は笑い返した。
「じゃあ、このまま星を見てようか?流れ星が流れるまで」
「はい…」
「よく見ててよ?一瞬だから見逃さないで?」
「はい。任せてください」
私はそう言って空を見上げた。なんだか涙が出てきそうで莉緒がもう見れなかった。悲しくないのに目頭が熱くなるのは何なんだろう。莉緒には涙は見せたくなかった。莉緒の方が私より何倍もいろいろ思っているから私は泣きたくなかった。莉緒の前ではこの子が安心できるような人でいたいんだ。なにも不安に感じないように、莉緒の不安を拭えるような人になりたい。莉緒が変わる努力をしているなら私もそんな人に変わりたい。
私は考えながら莉緒が喜びそうな話をした。
「莉緒。流れ星が見えたら……その、なんかお願い聞いてあげる。莉緒のしたい事何でもしてあげるよ」
私の下手な唐突な話に莉緒は嬉しそうな顔をする。
「本当ですか?」
「うん。何かしたい事ある?」
「いっぱいあります!でも、ありすぎてどれにしたらいいか……」
「そう」
莉緒の嬉しそうな声にすら喜びを感じる。私の手を握ってくれる小さな手が暖かくて愛しい。
「でも、まずは探さないとですよね!景子さんもちゃんと探してくださいね?私はできるだけ瞬きしないように見てますね!」
「そう」
「絶対見逃さないようにします!景子さんより先に見つけますね!」
「うん。頑張ってね」
「はい!」
流れ星を探すのにやる気を出した莉緒をバレないように盗み見た。薄暗いけどライトの明かりで分かる表情はいつもの莉緒の表情だった。
あぁ、この顔だ。私はそれだけで愛しさが込み上げた。胸が暖かくなってどうしようもなく嬉しくなる。莉緒が教えてくれたこの気持ちに胸がいっぱいになった。
こうやって少しずつ莉緒を戻していこう。莉緒がこうやっていつも笑えるように私は莉緒を愛していこう。
この胸に募る愛を莉緒に伝えたい。
私はそれから空を見つめた。
莉緒のために流れ星を探しながら空を見つめるのは楽しく感じる。莉緒と話ながらしばらく空を見つめていたらようやく流れ星が流れた。
「あ、流れた」
思わず呟いた私に莉緒は大きな声を出す。
「え?どこですか?本当ですか?私ちょうど瞬きしちゃいました!」
「また流れるからよく見てなよ」
「だって景子さんと一緒に見てたのに私だけ見れませんでした!」
残念そうな声を出す莉緒を他所にまた流れ星が流れた。絵に書いたように綺麗な流れ星は何とも幻想的で美しかった。
「また流れた」
しかし莉緒はまた見逃していた。
「え?!景子さん本当ですか?私見えませんでした」
「本当だよ。二回も見えたから見えるよ」
「もー!私もう見るまで帰りません!」
「じゃあ、よく見てな」
「はい!」
熱心に空を眺めだした莉緒は流れ星を探すのに必死だった。莉緒が見てくれないと私も連れてきた意味がないから見せてあげたいが見られるだろうか?私も一緒になって空を見ていたらまた星が流れた。
「あ!!見えた!」
それに興奮したような嬉しそうな声を出した莉緒は今度は見えたようだ。
「景子さんすごい!見えました!!星がキラキラ流れていきました!!すごい!私初めて見ました!」
「そう。よかったね」
「はい!!あんなに綺麗なんですね?景子さんも今の見えました?」
「見えたよ」
「じゃあ一緒ですね?一緒に見れてすっごく嬉しいです!!」
「そうだね」
喜ぶ莉緒は流れ星に大興奮している。今日連れてきて見せてあげられてよかった。莉緒はそのあとも流れ星が見えると嬉しそうに喜んでいた。
私はそんな莉緒の表情を見てほっとしていた。少し怖い思いをさせてしまったが莉緒の暗闇を払えたんだ。
それからの莉緒は前より落ち込んでいる様子はなかった。嬉しそうに笑ってくれて、暗い表情をするのが減って私は嬉しかった。莉緒の気持ちが明るくなってきているのを肌で感じるようだった。
そしてそんなある日、莉緒は全く出掛けようとすらしなかったのに友達と遊びに行った。
友達とご飯を食べに行ってくると言っていた莉緒は嬉しそうで私は楽しんでおいでと送り出してやった。
莉緒が自分から外に出るなんていい変化だ。
私は嬉しく思いながら今後莉緒をもっと外に連れ出してやろうと思っていたのに、私の家にまたあいつが現れた。
あれは莉緒がキャバクラのバイトに行っていた日だ。その日は莉緒のために帰ってくるまで待っていようと思っていたのにあいつがやってきたのだ。
私は家に入れたくないからわざわざエントランスまで出向いてやった。
あの日言った事は無駄だったようだが莉緒がいるこの家には近寄らせたくない。あいつに莉緒が何かされてしまったらと思うと逃げる訳にもいかない。
エントランスには変わらないあいつがいた。
「来ないでって言ったでしょ。なんなの?変な事言うなら警察呼ぶから」
姉は幾らか戸惑ったような表情をしていた。
「景子違うの。連絡を取りたかったからポストに手紙も入れてたのに返事がないから…」
「私は話す事なんかないから。こないだも言ったでしょ?もう本当に来ないでくれる?迷惑だから」
「でも、私は話したかったの。私は本当に景子のためを思って来てるし話したいと思ってるんだよ?うちの宗教の事だってそうだよ?」
「もうやめてよ。あんた達からしたら私はいない方がいいんでしょ?」
これは極めて的を射ている。こいつらが私にしていた事を思い出して言ったのに姉は訳が分からなそうだった。
「え?なに言ってるの?そんなはずないじゃない。お母さんもお父さんも言わないけど景子の事心配してるに決まってるでしょ?」
そんなの嘘だと思った。だって昔から私はずっと除け者でいつも怒られてこいつの影で生きていた。私は滲み出る怒りに拳を握る。
「そんな訳ないでしょ。私はいつもあんたに比べられて怒られて……私なんかできが悪くていらなかったでしょあいつらには。医学部の受験に失敗した時も怒ってたじゃん。落ちるなんて恥だって、なんで医学部に行けないんだって。レベルを落として歯学部に行っても誰も喜んでなかったし、お母さんもお父さんももう私に呆れて見向きもしなかったんだからそれが答えでしょ?私はあの家の恥さらしだって事なんでしょ。それに、あんたもそうやって思ってんじゃないの?何もできないみっともないやつだって思ってんなら放っておいてよ」
いつも私は文句を言われてきた。私を認めるやつなんて誰もいなくて私はいつも目障りかのように否定されていた。だからあんな所から逃げたんだ。もう嫌だった。頑張っても比べられて怒られて、私はいつも汚い物でも見るかのように見られていた。
だからもう答えなんか分かっていた。
こいつらに私はいらなくて、私は迷惑な存在なんだって。なのにこいつは否定してきた。
「そんなはずないじゃん。私は景子を大切な妹だって思ってるよ?お母さんもお父さんも怒ってたけど喜んではいたと思うし、私は景子が歯学部に入学したのは嬉しかった」
「だからなに?そう言われるのも気持ち悪いから」
不快感が酷くて顔を見ているのも苦痛だ。今さら家族のように振る舞わないでくれ。不快のあまり私は睨み付けた。
「私はあんたが一番嫌いだから。……あの家も、お母さんもお父さんも嫌いだけどあんたが一番嫌い。いつも比べられた私の気持ちなんか分からないだろうけど、私はずっと嫌だったから」
「……景子……」
傷ついたような顔をされても何も思えない。僻みかもしれないけどずっと続いたあれは私を変えた。私はあれのせいで自分を嫌いになってしまったし、劣等感がいつも付きまとってうまく生きていけなくなった。
あれはそれくらい私の人生に影響を及ぼしたんだ。お姉ちゃんを見習いなさい、お姉ちゃんみたいにしなさいという簡単でよく聞くような言葉に私は蝕まれて苦しかった。頑張ってもできない事は山ほどあるのを幼いながらに実感して、それでももがいていた私は今思うと憐れだ。
私は家族だから踊らされてしまったんだから。
これが他人だったら今の私はいなかったと思う。
「もう私はあんた達と関わりたくないから関わってこないで。私がいなくたって普通に生活できるんだから平気でしょ」
「……でも」
「もうやめて。話したくないから」
私はもう自分の部屋に帰ろうとした。これ以上話していたら嫌な気持ちに囚われてしまう。今は莉緒の事を考えてあげたいんだ。
ロックを解除して黙って帰ろうとしたらあいつは後ろから思わぬ事を言ってきた。
「景子ごめんね」
私はそれに足を止めてしまった。謝られたって許せないし憎らしいのに、今さら何を言っているんだ。強く拳を握りしめて歩みだしたらあいつは後ろからまた声をかけてきた。
「私はずっと景子の事好きだからね」
そんな偽りのような言葉に激しい怒りを感じるのに私の心は動揺していた。
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