第40話

あれから莉緒の闇を一時的に拭えた私は決心していた。莉緒が次体調を悪そうにしていたらどうにか辞めさせようと思う。莉緒はまだ辞める気が無さそうだったけど辞めさせないと精神が不安定になって気分が優れなくなるのは目に見えている。



一時的とは言っていたけど、あれは何回もあるだろう。あの子はずっと笑って隠していたと思うから、私に隠せなくなっているのが証拠だ。だから根本的なものを無くしたい。私が癒してそばにいてあげたとしても、嫌なものの近くにいるから私は気休め程度にしかあの子にしてやれない。


それは嫌だ。莉緒は、莉緒は私が守る。

莉緒に辛い思いはさせない。あの子は私にとって無くしたくないものだ。莉緒は大切にして愛して幸せにしていかないといけない。だから莉緒にはいつも笑っていてほしい。




私はそうやって莉緒を考えているのに、それでも嫌なものに縛られていた。

今日も仕事が終わってポストを覗いたらまたあいつが無駄な物を入れていた。こないだと変わらないバカみたいな新聞と手紙とCDだ。それが胸糞悪くて仕方ない。

消えてほしいのに、消えろと言ったのになんで消えないんだ。


私はそれを全部捨てた。

私にはなにも必要ない。私に必要なのは莉緒だけだ。あの子以外はいらない。宗教なんてしなくたって私はやっと幸せになれそうなんだ。やっと大事なものが何か分かってきたんだ。

それなのに邪魔しないでほしかった。あの子は今苦しんでいるから助けないといけないのに、あいつのせいで嫌なものに囚われてしまう。


昔を思い出すと息苦しくて落ち着かなかった。



私はそれを拭いたくて最近はドライブに出掛けたり飲みに行っていた。こうやって外に出ていれば少しは気分が楽になる。私は以前会った果菜美と連絡を取ってご飯を食べて、幸せそうな話を聞いた。

果菜美は変わらずに子育てに奮闘していて子供の写真も見せてくれたが本当に幸せそうだった。

子供ができてから果菜美は大変そうだったが、それ以上に嬉しそうだからこうやって私も莉緒を幸せにしないといけないと改めて感じる。



幸せは人それぞれだけど皆幸せだと同じように嬉しそうにする。


私は果菜美から何かを得た気がした。

そして久々に水島にも会った。


「景子!私、ちゃんと彼氏と別れたよ!」


水島は居酒屋に入って早々に報告してきた。水島の中で蹴りがついたみたいだ。


「良かったね。新しい人はできた?」


「できないよそんな早く。絶賛募集中。でもね、もう一つ報告があります」


「ん?なに?」


なんかしたり顔をしているが想像もつかない。水島は携帯をいじると写真を見せてきた。


「フグ飼ったの!」


「……フグ?」


嬉しそうにする水島の言う通り携帯には綺麗な縞模様の魚がいた。だがなぜフグなんだろう。水島は嬉しそうだ。


「可愛いくない?」


「まぁ、可愛いとは思うけど」


「だよねだよね!なんか彼氏もいなくなってスッキリしたから何か欲しいなって思ってたらホームセンターで一目惚れしちゃって……。フグ美って言うの」


「へぇ。なんか、普通に可愛いね」


水島は緑っぽい色をしたフグの写真を色々見せてくれたが、それはとても可愛らしかった。小さなフグは目

がつぶらで小さなヒレがぴらぴらしていて泳いでいるのが愛らしい。なのに名前のセンスが可哀想だった。


「私さ、魚を飼った事ないから色々調べて水槽とか買って最初は大変だったけどフグ美本当に可愛いの。膨らむのも可愛いんだけど餌食べるのも可愛くてさぁ。最近ずっと水槽に張り付いてるんだ」


「それより名前ダサくない?」


「え?そう?」


水島は少し不安そうな顔をした。


「あ、やっぱフグ子の方が良かったかな?それか思いきってフグ鍋とかって名前の方が可愛い?」


「え?食べる気なの?」


これはペットじゃないのか?水島は笑った。


「食べる訳ないじゃん。愛称みたいなものだよ」


「愛称に聞こえないけど。フグ鍋よりはフグ美の方がいいんじゃない」


食べないのにフグ鍋なんて名前は気の毒だ。魚だけど。


「じゃあ、やっぱりフグ美でいく。最近飼い始めたから名前迷ってたんだよね。景子フグ美に会いに来ていいからね?」


「え、うん。フグ美殺さないようにね」


私は魚を飼った事がないがなんか色々大変そうなイメージがある。水島は何度か頷いた。


「本当にそれなんだよ。殺さないようにするのが飼い主の私の使命だけどフグ美フグのくせに私達よりデリケートだからね。水の温度とかやんなきゃならない事ありすぎて私も初心者だから不安あるけど今のとこフグ美は生き生きしてるから大丈夫だと思う」


「ふーん。なんか楽しそうで良かったわ」


「うん。フグ美来てから私も生き生きしてるよ。付き合ってた時より充実してる気がする」


「そう。じゃあ新しい彼氏は先だね」


結婚も子供もまだまだ見えてこないような話に水島は明るかった。


「まぁ、もう焦っても仕方ないし、とりあえずはフグ美と一緒に楽しんでいく予定。ていうか焦るとよくないよ。仕事もプライベートも焦ったらろくな事にならないから結婚も子供も焦らないようにする。それよりもっと飲もう?今日久々だし」



「そうだね。フグ美が来た事だし飲もう」


フグ美のおかけで諦めというかそれなりに割り切れてきたんだろう。私達はまた酒を飲みながら色々話した。

水島は今までペットを飼った事がないみたいだからフグ美の話が多かったけどいつもみたいに仕事の話もした。

とても充実して楽しい時間はあっという間に終わって解散になってしまったが、一人になると暗い気分になる。私は家に向かいながら少しため息をついていた。

こうやって考えてしまう自分が嫌だけど変えられない。どうやったら私は変われるんだろう。

一人になると自己嫌悪までしてしまって嫌だ。


そう考えながら家に帰ったら莉緒がいた。



「お帰りなさい景子さん」


玄関で迎えてくれた莉緒は嬉しそうに抱きついてきた。


「…ただいま」


「今日は楽しかったですか?」


「まぁね」


「それは良かったです。じゃあお風呂入ってきてください。沸かしておきましたから」


「うん。ありがとう」


私から離れた莉緒に促されて私は素直に風呂に向かった。わざわざ沸かしといてくれたのはありがたい。私は風呂でゆっくり寛いでから上がると部屋にいい匂いが漂っていた。これはアロマだろうか?私は机で丸い何かをいじっている莉緒に聞いた。



「なんの匂い?」


「気づきましたか?アロマです。あんまり好きじゃないですか?この匂い」


「いや、好きだよ。なんか落ち着く」


いい花の香りは好きだった。甘すぎない匂いは万人受けするんじゃないだろうか。莉緒は笑った。


「良かった。今日は景子さんに見せたいものがあるんです。私の隣に来てください」


「うん」


まだ丸い何かをいじっている莉緒の隣に座る。なんか見た事もない球体にはボタンやらなんやらが色々ついているがこれはなんだ?私は黙って莉緒を見つめていたら莉緒はいじるのをやめた。


「よし!景子さんはそのままですからね」


「うん」


なんかするらしいが莉緒は立ち上がると窓に近づいてカーテンを引き直している。それがどういう意味なのかは謎だった。


「どうしたの?」


「今大事とこなんです。景子さんは待っててください」


「……うん」


カーテンはちゃんと引いてあるのに意味不明だが私は言われた通り待っていたら莉緒はテレビのコンセントも抜いた。不可解なそれはますます疑問にしか思えなかった。いったい何がしたいんだ…。そして莉緒は部屋を見回すと私の隣に来た。


「景子さんにプレゼントあげますね」


「……なにが?」


「すぐ分かりますよ。結構凄いんですよ?」


莉緒はそう言って唐突に部屋の電気を消した。真っ暗になってしまったが莉緒がいじっていた球体から上に向かって光が出ているのに気づいた私はそれを目で追うと天井には星空が広がっていた。


「すごい……」


綺麗な星々が輝いて天井を彩っている。それは見ているだけで癒される。これはプラネタリウムだったようだ。莉緒がアロマを炊いたのはあの日を再現してくれたのだろうか。莉緒は私の手を握りながらくっついてきた。


「どうですか?家庭用だから前に見たやつよりは劣りますけど綺麗じゃないですか?」


「うん。綺麗だよ。こんなのあるんだね」


「はい。景子さんのために見つけました。景子さんを癒してあげたいなって思ってアロマも焚いてみたんです。最近考え事してるから寝不足だって言ってたので」



どうやら莉緒は私を気にかけていたようだ。自分の事もあるのにこの子は本当に優しい子だ。


「ありがとう莉緒。癒されるよ」


私がこうやってしてあげたら良かったんだけど莉緒のようにうまくできない。私は莉緒の心遣いにお礼をした。今日も寝付けないと思っていたから心が落ち着いた。


「よかった。景子さんプラネタリウム喜んでくれたからきっと喜ぶかなって思ったんです。アロマもこれも置いていきますから寝付けない時は使ってみてください」


「うん。……いつもありがとう莉緒」


莉緒にはいつも助けられている。私はあまりしてあげられていないのに本当に貰ってばかりだ。莉緒は私の手を優しく両手で握った。


「いいんですよ。私は景子さんのためなら何でもしたいだけですから」


「うん……」


莉緒の優しさに私は手を握り返した。星を見ていると気分が癒されるのは綺麗だからなのか、星のおかげで暗くて嫌な気持ちが消えていく。私は星を見ながら莉緒に話した。


「最近、……あいつがまた来たの。会ってはないけどポストに宗教の物色々入れられててさ……。それで嫌になってた」


莉緒には話していなかった。私にとってあいつは恥ずかしくて嫌なやつだから。でも、莉緒の優しさに話さずにはいられなかった。


「そうですか……」


莉緒はそう言って私の手を少しだけ強く握る。


「でも、死にたくはなってないよ」


私は莉緒に応えた。莉緒だけのために。


「……死ぬ気は本当にない。……でも、頭から離れなくて考えてる。莉緒に頼っていいって言ったのに情けないよ」


「そんな事ないです。情けなくなんかないですよ?死ぬ気にならないだけでも私は嬉しいです」


莉緒は手を離すと私を優しく抱き締めてくれた。


「皆同じですよ。嫌な事は頭から離れなくて当たり前です。だから嫌な事があったら私に甘えてください。景子さんは私が守ってあげます」


莉緒の優しさに私は莉緒を抱き締め返した。

この温もりが私には必要なんだ。

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