第28話
「……なんか、悔しいです…」
「なにが……?」
莉緒は切なそうに呟いて私に強く抱きつく。
「私が幸せにしたかったのに……星とか、死ぬ事に負けたみたいで悔しいんです。私が一番愛してるのに、……私が一番景子さんの幸せを考えてるのに、……景子さんを愛していないものに負けました……」
星を見ながら聞いていた私は複雑だった。幸せを感じられなかったのは私に欠落しているものがありすぎたからだ。そして私は何よりも死にすがっていた。
その死がようやく間近に見えるからこんなにも幸せを感じているのだと思う。
「……ごめんね莉緒。分かってあげられなくてごめん。でも、愛したりする事は分かったよ。愛がどういう事か……、愛するってなんなのか……よく分かった気がする」
「景子さん…。……でも、やっぱり私がダメだったんです。私がダメだから景子さんに全部伝えられませんでした。幸せも感じさせられないなんて、私は恋人として失格でした」
悲しそうに呟く莉緒は私の首を舐めてきた。いつも食べると言いながらやる時のように。
「景子さん、まだ愛させてください。時間がくるまで……私に愛させてください……」
「好きにしたら…」
薄暗くて、私達以外の音がないこの場所で私はただ空を見つめた。莉緒は今までよくやってくれた。こんな私にここまで付き合ってくれたのは莉緒くらいだ。
私は莉緒の温もりを感じながら私を抱き締めてくれる莉緒の手に自分の手を重ねた。
この暖かさも、もう感じられなくなる。
「……ありがとうね莉緒。莉緒のおかげで私も人を愛したり幸せにする事ができたよ。…うまくはできなかったけど、全部莉緒のおかげだよ。一人じゃきっと無理だったから。一人じゃ、……もうとっくに死んでたと思うから。本当にありがとう」
最初は興味も何もなかったけれど、今は一番近い存在になった。私を唯一受け入れてくれて、本当に愛してくれた。莉緒を傷つける事ばかりしてしまったけど本当に感謝をしている。莉緒は私の頬にキスをした。
「私の台詞ですよ。愛してくれて、幸せにしてくれてありがとうございます」
「……うん。……そうだ、ゲーセンの景品の取り方教えるの忘れてた…」
私はふと前に莉緒と話していたのを思い出した。莉緒をゲーセンにあれから連れて行ってもいなかった。ゲーセンなんかどこにでもあるのに連れて行ってやればよかった。莉緒は小さく笑った。
「覚えててくれたんですね。そんなのいいですよ。私は景子さんとしかゲーセンに行きませんから」
「友達と行けば楽しいよ。取れたら盛り上がるんじゃない?」
「私は景子さん以上に一緒にいて楽しい人はいないからいいんです」
「……そう……」
ここでも莉緒は変わらない。
それから私は瞬きをする度に流れる涙をそのままに無言で空を見上げていた。莉緒はその間私に抱きつきながら首を舐めたり、キスをしたりして愛していると囁いてくれて切なかった。
やっと死ねるのにこの子はまだ私を離そうとしない。
そんな莉緒が健気で胸がざわつく。
それでも満足するまで星を眺めてから車に向かった。もう思い残す事はない。私はトランクを開けて七輪と練炭を用意すると火をつけてから後部座席の足元に置いた。それを黙って見ていた莉緒は私の服の袖を掴んで離さないがもう時間だ。
「死んだら警察に通報するなりなんなりして?車の中だからすぐに死ぬと思うから」
「私も一緒に死にます」
言うと思っていた私はすぐに拒否した。これだけは受け入れられない。
「ダメ。早く離して?」
「…嫌です。私、死ぬって決めてました」
「それでもダメ。莉緒はまだ若いんだからもっと幸せにならないとダメ」
この子は道連れにできない。
この子は幸せにならないといけない。
もう私はいなくなるけど、莉緒はきっと私よりいい人を見つけられる。
それなのに莉緒は頑なに言う事を聞かなかった。
「嫌です。私、景子さんがいないと幸せになれません。景子さんは私の全てです。いないなら……生きてたって意味がありません」
「なんで?幸せになれるかもしれないでしょ?皆恋人と別れても新しい恋人作って生きてるじゃん。私がいなくたって平気だよ」
莉緒は壊れていないから絶対に平気だと思って言った。なのに莉緒は首を横に振って頷こうとしない。
「やです。景子さんがいないなら生きてたって幸せじゃないです。景子さんがいない世界に生きるなんて地獄と一緒です」
「……莉緒、言う事聞いて?」
「やです。景子さんと一緒じゃないと私は嫌です。…絶対…離しません……」
「……」
聞き分けのない莉緒は本当に嫌がっていた。それでも賛同できない。この子は汚れていないんだ。私に付き合う理由はない。
莉緒は泣きそうな顔で訊いてきた。
「なんでダメなんですか?私が一緒に死んだら何か困るんですか?」
「……私は莉緒に普通に幸せになってほしいの」
「私は景子さんといるのが幸せです……!」
私は必死に言う莉緒をただ見つめながら胸の内を話した。
「そういう事言わないで。私は、私は……もっと莉緒を大事にしてくれる人と幸せになってほしいんだよ。莉緒は絶対幸せになれるし、幸せにならないとダメだよ。世の中クズみたいなやつばっかりだけど、莉緒みたいな本当に人を愛してあげられる人もいるって分かったから……莉緒は本当に幸せになってほしい。莉緒は私なんかよりもっと莉緒を大事にしてくれる人と幸せになって?」
死ぬ前に少しだけ莉緒の事が心残りだ。私は莉緒の幸せを本当に願っているから、だからできたら見たかった。莉緒を幸せにしてくれる素敵な莉緒の相手を。そして莉緒が幸せそうに笑う姿を。
しかし、莉緒は涙を流した。
「そんなの嫌です…!私を幸せにしてくれて大事にしてくれるのは景子さんしかいません……!」
莉緒はまだ私に囚われている。
私は冷静に事実を述べた。
「私は莉緒を大事にできてなかったでしょ。首を絞めて殺そうとして、挙げ句の果てには暴力までして、……莉緒を大事になんてできてないじゃん。私はずっと莉緒を傷つけてたじゃん」
「違います!あれは全部私がしてほしいって言った事です!……景子さんの意思じゃない。私は大事にされてないなんて思ってません!」
「私の意思だよあれは。確かに莉緒が言い出したけど最終的に同意して行動したのは私だよ。莉緒を殴って、普通ならしないような怪我までさせられたのに大事にされてるって思うの?」
「それは…!…そうかもしれないけど、……それでも!私は、私は……」
まだ正当化させようとする莉緒は見ていて辛かった。私から解放してあげないと莉緒は勘違いして苦しみ続ける。
「宗教みたいに信じるのはやめて。私に付き合ったって、好きでいたって意味がなかったの分かるでしょ?私は人として欠陥があるの。そんなやつといたって幸せになんかなれないんだよ。一緒にいたって…傷つくだけ。だからもうやめて?今まで感じてきた幸せは信じこもうとしてただけなんだよきっと」
「違います!……そんなの、そんなの絶対違います!」
まだ言うのか。必死に否定する莉緒を私は離そうとした。私が死ねば終わる話だ。こうなったら強制的に莉緒が死なないようにすればいい。私は莉緒の手を掴んだ。
「莉緒…もう離して。ちゃんと幸せになるんだよ」
「嫌です!やだ!やだ!景子さん…!!」
「莉緒…我が儘言わないで……!」
私は抵抗する莉緒を車から距離を取るように強引に力強く押し退けた。すると莉緒はバランスを崩して地面に転ぶように倒れたのですぐに車に乗ってロックを掛ける。
これでもう入っては来れない。
私はひと安心しながら車の中に充満してきている煙を吸い込んだ。だが莉緒は車の窓を必死に叩いてドアを開けようとしてきた。
「景子さん!やだ!私も死ぬ!景子さん開けて!?開けてください!!」
私はもう目もくれなかった。相手にしてたらきっとさっきみたいになる。もうさっさと死んでしまおう。
私は生きているだけでこの子を汚染して見えない何かで捕らえてしまう。
私は黙って目線を下げた。もうこれで終わりなんだ。
しかし莉緒は激しく車の窓を叩くのをやめない。
「景子さん!景子さん開けて?やだ!嫌です!私一人じゃ嫌です!!景子さん!」
「……」
「景子さんなんで?!私も死にたい!!開けてください!」
莉緒はもう泣いている。悲痛な声は静かなここではよく聞こえてしまう。私はそれでも反応を見せずにじっとしていた。
「私……!私……景子さんしか好きになれません!…景子さんしか愛せません!…他の誰かとなんて…絶対に幸せになれません!」
「……」
「前に言いましたよね?!景子さんを愛するために生きてるって!私の存在意義は景子さんだって!…だから!だから!……私も死なせてください!景子さん!!」
激しく窓を叩く莉緒を間近に感じて心が乱れてくる。
莉緒は死なせない。莉緒は死なせてはダメだ。死ぬのは私だけだ。私だけ……、私だけしか死んではいけない。
私は心を落ち着かせるように莉緒の気持ちを否定した。あと少しで死ねるんだ。動揺してはダメだ。
私はさっきよりも煙の臭いを強く感じながら死ぬのを焦っていた。
「景子さん開けて!開けてください景子さん!!やだ!……やだ!一人で死なないで!私も死にたい!!」
「……」
悲痛な叫びのように感じる莉緒の声は私を揺さぶる。莉緒が嫌がって泣いているのに無視を続けるのはいたたまれなかった。
早く死にたい。早く、早く急いでくれ。早く煙でいっぱいになってくれ。早く私の息を止めてくれ。
私は胸の苦しみと焦燥感に駆られていた。
最後にこの子が苦しむ姿を見たくないんだ。
莉緒は、莉緒はとても優しくて純粋で綺麗な子だ。私よりも素直に物事を捉えていて、幸せに近い場所にいる。だから莉緒を私から解き放って幸せにしてやりたいんだ。莉緒を守りたかったし愛したかったけど、私じゃ無理だったから早く消えたいんだ。
そして莉緒は窓を叩くのを泣きながらやめた。
やっと諦めたのか。それに安堵した私は少し莉緒の方に目線を向けてしまったが、悲しそうに呟いた莉緒から目が離せなかった。
「おいてかないで……。……私を、おいていかないで。……やだ……。やだよ……。景子さんやだ。……お母さんみたいに、私を一人にしないでください……」
言い様のない気持ちが込み上げて私の胸を締め付ける。
莉緒は涙を拭いながら悲しそうに泣き続けていた。
「……一人は嫌なんです……。一人じゃ、一人じゃ………生きていけません。……お母さんみたいに、誰も私を見てくれなくなる。……あんなの、……あんなのもうやだ……。やだよ……景子さん……やだよ……」
「……」
まるで子供みたいに泣きじゃくっている莉緒に胸が打たれてしまった。
この子はあんな親を好きでいるのに、その好きな親からトラウマを植え付けられている。
それだけで全部理解した私はとても悲しくなって涙が出そうだった。
莉緒は私が好きだったけど、相手にしてほしいという純粋な単純な思いに支配されていたんだ。だから私には顕著にそれが出ていて勝手に何かをしたり異常に尽くしていた。しかし、それは逆に言えば無視をされたくないからだ。
今までの莉緒の言動を思い出すと全て繋がる。
莉緒がよく自分を見てほしいと言って、嬉しいと言っていたのはこれだ。
莉緒はたぶん親の視界にも入れてもらえずに相手にされない日々を過ごしてきたんだろう。きっと無視同等の事をされて、いないかのように扱われたんだ。
そして長く続いたそれは莉緒の中で耐えがたいものになった。
相手にされずに一人にされた莉緒にとって一人になるのは恐怖にも似たとても嫌な事なんだ。
……あぁ、なんだよ。
この子は私みたいに嫌なものにずっと囚われていたのか。
血が繋がっているだけのやつに酷い仕打ちをされて心が蝕まれてしまったんだ。
莉緒は純粋に好きでいるだけなのに……なんでちゃんと愛してあげなかったんだ。
この子の異常な部分はきっとそこからできあがってしまったんだろう。
自分を見てほしいから。
自分を認識してほしいから。
そして自分を愛してほしいから。
私は酷く切なくて苦しかった。泣いている莉緒が哀れで胸が痛い。
どうしてこうも酷い事ばかりなんだ?
この子がいったい何をしたんだ?私は力強く拳を握りしめていた。
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