第26話



次の日の朝、莉緒はいなかったけど朝ご飯を作っておいてくれていた。携帯を見ると学校だから先に出たようだ。だけどあの顔じゃなにか言われてしまうんじゃないのか。きっとどんどんアザは濃くなる。莉緒が気がかりだがいないんじゃしょうがないので私は朝ごはんを食べて仕事に向かった。



今日も仕事は変わりない。いつもみたいに治療を進めていくだけだ。


「景子~、今日飲みに行こうよ?」


そして午後の診療の暇な時間に裕実が話しかけてきた。裕実は子供はいないけれど大丈夫だろうか。


「旦那は?」


「平気平気。うちはそこら辺適当だから。今日行こうよ?近場でいいお店見つけたよ私」


帰っても私は特にする事がないし、昨日の今日で莉緒とどう接したらいいか分からない。私は誘いに乗った。


「いいよ。どこ?」


「やった。こっからすぐだよ。イタリアンの生ハムが人気なお店」


「生ハムか。いいね」


「でしょ?絶対景子も気に入るよ。診療終わったら直行しよう」


「うん」


裕実とは職場が一緒だからよく飲みに行く仲だ。莉緒の事で沈んでいた私には丁度いい。私はその日の仕事を淡々と終わらすと裕実と一緒に近くのイタリアンバーに向かった。莉緒には一応待ってるかもしれないから引け目を感じながら連絡をしておいた。


「結構よくない?お洒落だよね」


店に入ってすぐに裕美は聞いてきた。


「うん、そうだね」


「人気なんだよここ。生ハムすっごい美味しいから」


裕美の言う通り女性が多い店内の雰囲気は綺麗でインテリアがお洒落だ。私達は早速生ハムと適当に食べ物を頼んでワインで乾杯した。

ワインはたまにしか飲まないが美味しかった。


「あぁー、疲れたね今日も」


「そうだね。裕実最後の小児に泣かれてたしね」


裕実の最後の患者さんは小児の歯科に慣れていない子だったから大泣きしていた。

裕実はげっそりした顔をする。


「本当だよ。何もしてないのに大泣きでさぁ、まだ治療続くから大変だよ。ていうか私なにも悪い事してないのに…」


「小児ってそんなもんでしょ。まだ泣いてるだけごねたりしないからいいじゃん」


「確かに。それよりさ、そろそろ子供欲しいって旦那にもお母さんにも言われて辛いんだけど」


いきなり変わる話はありがちな話だが裕美はあんまり子供に昔から興味がなかった。

裕美の気持ちは分かるが一般的な考えだと欲しくなるものではないのか。私はワインを飲みながら答えた。


「まぁ、子供に関しては言われるでしょ。裕美そんなに欲しくないの?」


「うん。私は別にいなくてもいいかな。自分の時間大事だし。ていうかいない方が楽だし、いたら簡単に離婚もできないでしょ何かあった時に」


「それは分かるには分かるけど。離婚する可能性あんの?」


裕美の旦那は医者だ。紹介で知り合って結婚したらしいが私はそれしか知らない。裕美は渋い顔をした。


「ないとは言えないかな。あいつ昔浮気した事あるから。しかもキャバクラも付き合いだからって行ってるみたいだし。……まぁ、医者だから仕方ないのかもしれないけどねぇ」


「ふーん。でも、妥協したから結婚したんでしょ」


結婚は一筋縄ではいかない。付き合うだけでも色々あるんだ、妥協は大事になる。何に目をつぶるかは人それぞれだが裕美はワインを飲んで頷いた。


「まぁね。生活と将来的な面を考えたら結婚は必須だと思うからね~、私は。実際自分のためならそれなりに割り切れるし、適当に合わせとけばいいから今すごい楽だよ生活。ストレスは少しあるけど景子も結婚したら?」


裕美は現実主義で抜け目ない。私達の年代は結婚や子供に重点を置いて幸せだと縛られている人が多いけど裕美の己を貫いている感じは正直で、変に理想を持たない分いいと思う。しかし私には真似できない。


「やだよ。浮気する時点で私はないし、そんなに人を好きになれない」


「もう、相変わらずだね景子。景子を射止めるやつ見てみたいわ」


「私も」


「え?景子も?」


笑う裕美に私は鼻で笑ってやった。裕実はそのあとも家のストレスやらを話してきたが明日も仕事があるので早めに解散する。

だいぶ気晴らしになったけど帰ったら莉緒がいる。携帯には莉緒から待っていると連絡がきていた。



私は思わずそれにため息をついて気まずく感じながら帰路についた。

最寄り駅について歩いてマンションに向かう。鍵を開けると部屋に明かりがついていて中に入ると莉緒が近寄ってきた。


頬はやはりアザになっている。それは白い肌にくっきりと浮かび上がっていてすぐに分かった。自分でした事だけど痛そうだ。



「おかえりなさい景子さん。今日は楽しかったですか?」


「……まぁまぁ」


荷物を置いてからそばにいる莉緒の腕を掴んだ。


「どうしたんですか?」


「痛くない?体」


頬がこれだけ痕になっているという事は体も一緒だ。莉緒は嬉しそうに私に抱きついてきた。


「痛くないです。これは私の大事なものだから平気ですよ」


「ちゃんと湿布貼ったりしたの?」


「してません。いいですよ湿布なんか。景子さんがつけてくれた痕が消えちゃいます」


心にさらに靄がかかる。放っといていいはずない。莉緒はこんなに細くて華奢なんだ。私は腰に腕を回した。


「ベッドに寝て。貼ってあげるから」


「……優しいですね景子さん。分かりました」


嬉しそうに従う莉緒はベッドに横になったので私は昨日のように湿布を貼ってやった。綺麗な足や背中にはアザが色濃くできている。本当に最低な事をしてしまった。


私が湿布を貼り終えると莉緒は私の手を掴んできた。


「景子さんまだ気にしてるんですか?」


気づかれているがあれを忘れるなんて不可能だ。


「当たり前でしょ」


「私は許してるからやめてください。景子さんを苦しめたくないんです」


「無理だよ。黒くなってるじゃん」


私は痛そうな莉緒の頬に優しく触れた。こんなに色が変わっているのに莉緒は笑いながら頬を触る手に自分の手を重ねる。



「気にするくらいならキスしてくれませんか?キスしてくれたらよくなると思います」


「…よくなる訳ないでしょ」


冗談なのかなんなのか分からないがこんな状態を目の当たりにして笑えない。



「……じゃあ、また食べさせてください。景子さんの事食べたいです…」


さっきまで笑顔だったのに莉緒はしゅんとする。負い目を感じる私はいつもなら流してしまうが莉緒の横に座ってやった。


「ちょっとだけだよ」


「はい!ありがとうございます」


あまり調子に乗らせたくないがこれはもうすぐしなくてよくなる。莉緒は嬉しそうに私の首に噛みついてきた。首の皮を引っ張って舐めたと思ったらまた噛みついてくる。莉緒は強く噛んでこないからくすぐったいくらいにしか感じられないがまるで犬のようだった。



「景子さん……美味しい。はぁ……んっ……景子さんの肉も、骨も……全部食べられたらいいのに……」


「死んだら食べていいよ」


首を舐めて噛みながら私にくっついてくる莉緒は唇にキスをして私の首を舐めると笑った。



「生きてるままじゃないと食べませんよ?死んでたら意味がありませんから」



「意味なんかあるの?」



「ありますよ」



食べるという発想をする莉緒の考えは読み取れない。莉緒は私の手を掴むと美味しそうに舐めだした。


「生きたままじゃないと……景子さんを感じ取れません。食べるのは……はぁ、景子さんが好きすぎるからですけど、…景子さんの体を食べて……ふふっ……景子さんを私の中に入れたいんです」


「……入れられないでしょ、こんなんじゃ」


なんとなく思った事を口にする。莉緒は嬉しそうに私の手に噛みついて指を口に含んだ。


「そうですけど、私はこれでも入れてるつもりですよ?景子さんに触れて…食べて…体から、気持ちを吸いとるんです。景子さんの気持ちは……食べたらきっと分かる気がするし、触れてるだけで景子さんを感じられます…。はぁ……、美味しい。…景子さんを私の中に本当に入れられたら良かったのに……」


「入れるって食べて入れるって意味でしょ?人を食べるのに抵抗ないの?」


莉緒は冗談で言っていない。私は莉緒の中の純粋な気持ちが知りたかった。この子は私の知らない事を知っている。莉緒はすぐに答えた。


「そんなのある訳ありません。愛してる人を食べられるなんて幸せそのものですよ。だって、何もかも理解してあげられて、体の全部を触って味わえるんですよ?きっと何よりも美味しく感じると思います。…美味しくて、一番近くに感じられて、…絶対に幸せですよ。私は景子さんを食べられたら誰にも負けないくらい幸せです」


「……そう。私も体験してみたいわ」


幸せの定義が根本的に普通ではないのだが莉緒らしくもある。それに莉緒が嬉しそうに話すから幸せになれそうな気もしてしまう。私が絡むこの子の幸せは歪んで見えるのに惹かれるものがある。



「ふふふ。景子さんには私の体をもうあげているのでいつでも食べさせてあげますよ?私みたいに食べてもいいですからね。……はぁ、んっ、景子さん?気分は悪くないですか?」


「……気分?」


「はい」


またよく分からない事をいう。莉緒は自分のためだけじゃなく私のためにもしているというのか?この食べる行為はされてる側からすると懐かれているような感じがするだけなのだがどういう意味だ?指を丁寧に舐めながら吸い付く莉緒は恍惚とした顔をした。


「一肌に触れるだけでも癒しになりますし、私の唾液で景子さんが汚れちゃいますけど……景子さんが少しでも嫌な気持ちから逃れられるように…私で気分を紛らわしてるんです。……こうやってしてれば、景子さんは私に注目してくれますから」


「……そう」



莉緒は自分の欲求に従っているくせに私を考えているらしい。どこまでも利他的な女だ。これは唯一莉緒が自分のためにしていると思ったのに違うなんて。莉緒は私の指を食べるのをやめると私の頬に愛おしそうに触れながら顔を近づけてきた。


「はぁ……景子さん、……景子さんから‥キス……してくれませんか?……景子さんを食べてたら、うずうずして……キス……したくなりました……」



「食べるだけじゃなかったの?」


莉緒は色っぽく吐息を漏らして笑う。



「……我慢できなくなりました」


「ヤりたいなら一人でしたら?」


「……一人じゃ無理です。……景子さんがいないと……本当に気持ちよくなれません」



性欲を私に示しながら莉緒はキスをしてきた。


「景子さん……キス……してください」


「今したでしょ」


「私からは意味がありません。……景子さん、……私、……」


「莉緒」


困ったガキだ。この子の年ならやりたい盛りなのは分かるが私に求められてもため息が出る。私は莉緒の腰に優しく腕を回して啄むようにキスをした。


昨日の今日だし、これは特別だ。



「もう寝て。体も心配だから…」


「……はい。景子さん大好きです」


体から手を離そうとしたら莉緒に強く抱きつかれてしまった。


「莉緒?」


「嬉しくて離れられません。もう少しだけこのままでいさせてください」


「……あと少しだけだからね」


たかがキスで喜んでいる莉緒をそのままにまたため息をついてしまった。



そのあと莉緒を離すのに駄々をこねて大変だった。でも、どうにか風呂に入って寝る準備はできた。


莉緒はずっと嬉しそうにしていたが莉緒と過ごすのもあと少しだ。

あと少しすればもう莉緒ともお別れだ。

あと二日、私は何をしよう。


私はベッドに入ってから悩んでいたら莉緒が話しかけてきた。



「明日はキャバがあるので夜遅いから寝てていいですからね。明後日はちゃんと家で待ってますから」


「そう。じゃあ、明日はゲーセンにでも行ってこようかな」


私にはそのくらいしかない。明日はゲーセンとバッティングセンターにしよう。莉緒が前に連れて行ってくれたプラネタリウムもいいがどうせ最終日に星は見れる。


「じゃあ可愛いぬいぐるみ取ってきてください」


莉緒はゲーセンに食いついてきた。相変わらずガキだ。


「こないだ取ったじゃん」


「こないだは別です!可愛いやつ欲しいんです!絶対取ってきてくださいね?」


「……一個だけね」


「はい!楽しみにしてますね!」


莉緒の迫力に負けた私は頷いた。仕方ないが取らないとたぶんうるさい。

莉緒はガキのようににこにこ笑っていた。


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