第25話


「もうしないんですか?」


莉緒は叩かれていたのに笑って私に尋ねてきた。痛いくせにさっきから何を言ってるんだ。心が痛い。私はどっと押し寄せた後悔にただ謝った。


「ごめん。……痛かったでしょ」


膝をついてしゃがむと莉緒の赤くなってしまった頬を優しく撫でてやる。発散するどころか罪悪感を感じて自己嫌悪に陥るなんて分かっていたはずなのに。莉緒は笑顔だった。


「平気ですよ景子さん。嬉しかったです。景子さんの気持ちいっぱい貰いました」


「莉緒……」


「景子さん?」


私は莉緒を抱き締めていた。喜ばないでほしかった。私が悪いのに正当化されておかしいだろう。


「ごめんね莉緒。本当にごめん」


感情に流されて誘われた暴力に走っても何も解決しない。

無抵抗な莉緒を殴っても何もならない。

私は分かっていたはずなのに本当にどうしようもない。



「景子さん謝らないでください。本当に平気ですから。これは私が望んだ事です」


「よくないよ。莉緒が望んでもよくない。こんなの違う。おいで莉緒、手当てしよう」


私は立ち上がって莉緒を立たせようとしたら莉緒は首を傾げた。


「何でですか?手当てなんてそんな怪我してません」


頬は赤くなっているし体が痛いはずなのに莉緒は本当に分かっていないようだった。これも愛のせいなのか?さっきよりも胸の苦しさを感じる。私はもうそんな事を言われないようにした。


「いいから立って。命令してるんだから聞いて」


「…はい。分かりました…」


「ベッドに座ってて?」


「はい」


素直な莉緒は私の話をすぐに聞いてくれた。私は薬が入っている箱を持って、冷蔵庫から保冷剤を取り出すとタオルを巻いてベッドに向かう。


「横になって莉緒」


私を座って見つめる莉緒にまた命令すると莉緒は素直にベッドに横になってくれた。


「景子さん、私…役に立たなかったですか?」


仰向けの莉緒は不安そうな顔をする。

なんで献身的に考えてるんだ。胸が抉られる気分だった。


「そうじゃないよ」


役に立つ立たないなんて話じゃない。

それなのに莉緒はそのまま続ける。


「でも、景子さん苦しそうです。景子さんがきっと発散できると思ったのに、……ごめんなさい。私じゃ反応がつまらなかったですよね。もっと景子さんの役に立てるように考えます。私の考えが浅はかでした…」


「莉緒…」


私達の論点は全くずれている。莉緒が私を否定しないからだ。私はベッドに座りながら莉緒の頬に痛くないように優しく触れた。


「莉緒は悪くないよ。私が悪いから。何があっても暴力はよくないんだよ。莉緒が暴力を許しても何にもならない。だからそう言うのやめて。……私が悪いんだから」


「景子さん……」


言い聞かせるように目を見て話すと優しく保冷剤を頬に当ててやった。


「持ってて?腫れてるから冷やしといて」


「はい」


暗い表情の莉緒は私の話を理解したのか定かではないが私は立ち上がると莉緒の体に触れた。さっきどこに何をしたかは覚えている。服を捲ると莉緒の肌は色が変わってきていた。


「あんまり痛いなら骨に異常があるかもしれないけど痛い?」


少しだけ強く触って莉緒の様子を伺うが莉緒は小さく首を横に振る。


「じゃあ、湿布貼っとくよ」


私は打撲痕になるだろう箇所に湿布を貼って湿布が外れないように包帯を巻いといた。そして全てが終わると私はベッドに座りながら莉緒の頭を撫でてあげた。



この年になって人に暴力を振るうなんて、莉緒に本当に酷い事をしてしまった。自分がいっぱいいっぱいだからって見境無くなるなんてバカだ。頭がおかしいだけある。自分の機嫌は自分で取るものなのにそれすらもできないなんて、私はダメなやつだ。もう早く死んだ方がいい。頭の中は冷静だった。


「莉緒、悪いけど近いうちに死ぬよ。もう私の事は忘れてもっといい人探しなよ?」


早く消えたい。私はやっぱり人を愛したりするなんて無理なんだ。今日それが証明された。それにまたあんな嫌なやつに関わってしまって心がダメだ。逃げてダメなら死ぬしかない。


莉緒は私を見つめながら静かに涙をこぼした。










「……私じゃダメでしたか?」


「違うよ。莉緒はいいと思う。ダメなのは私だよ」



私は頭がおかしいから誰に対しても愛情とかの類いの気持ちを思えないんだ。だって私を愛すると言ってくれた莉緒をこんなに傷つけた。大切にすらできないなんて、人間としてダメなのを実感する。莉緒を守って幸せにしたかったのに全く逆の事をしてしまった。



「景子さんはダメじゃありません」



それでも莉緒は私を正当化しようとしてくれて、私を否定しないでいる。それが苦しかった。この子はまだ私を好きでいる。私は莉緒の気持ちに正しい事を口にした。もう私にそんな気持ちを抱かないように。



「ダメだよ私は。働くくらいしかうまくできないんだよ。莉緒が教えてくれた愛も、人を好きって気持ちもちゃんと理解できなかった。頭がおかしいから私はそういう事できないんだよ最初から。莉緒の気持ちを貰うだけ貰って私は何もあげられない。莉緒は愛を感じたかもしれないけど私は分かってないんだよ?それは愛じゃないよ」



私にできる事は仕事くらいであとは何もない。本当に何もなかった。長く生きていたくせに私は何も築けていない。


試した事は全部無駄だった。

付き合ってセックスしたって無駄。好きとか愛してるだなんて言ったって無駄。

楽しい事を探してやってみても無駄。



それは全部私に原因があるからだ。

答えなんて最初から出ていた。だから探しても意味がなかったんだ。



「……愛じゃないはずないです。私は景子さんに沢山貰いましたよ」



泣き続ける莉緒は泣いていても可愛らしくて綺麗に見えた。この子はもっと大事にされるべきだ。私以外に。


「私は何もあげてないよ」


「くれましたよ。私は貰いました」


言い張る莉緒は見ていて切なかった。なんで泣き止まないんだ。莉緒は私から目を逸らさなかった。


「景子さんの愛情沢山貰いました。私と話してくれて、私のお願い聞いてくれて、私に触ってくれましたよ。……いつも私に優しくしてくれました。景子さんは私のためにいろんな事をしてくれました。……全部私にとって嬉しい事です。私を見てくれるだけでも、私はいつも幸せでした」


「…勘違いしてるだけだよ。莉緒はそうやって信じ込もうとしてるだけ。今日私がした事なんてクズと一緒だよ」



「違います。そんな事ないです!そんなの絶対違います!」


「……」


泣きながら否定する莉緒を見ていたくなかった。もう触れている事にすら罪悪感を感じる。私は黙って手を離して莉緒に背中を向けた。目を合わせているだけで惨めになるからやめてくれ。私は莉緒を考えて違う話をした。


「大切にしてた物ってないから莉緒にはお金くらいしかあげられないけど全部あげるよ。なんか私の家にある物で欲しい物があれば何でも持って行っていいし好きにして。死んだ後の事はもう準備してあるから車とここだけ残っちゃうけど…」


「景子さん愛してますよ」



莉緒は後ろから私に抱きついてきた。その華奢な体は暖かくて心地いいのに胸の苦しみは酷くなる。


「好きです。本当に愛してますよ。私は絶対嫌いになんてなりません。私の大好きな景子さんは優しくて素敵な人です。私は景子さんが大好きだから、景子さんを悪くなんて思えません」



「莉緒……もうやめて」



込み上がる感情のせいで勝手に涙が溢れた。私はなんで好きとも愛してるとも言えないんだろう。私はなんでこんななんだろう。




欠陥がありすぎて純粋な莉緒の気持ちが私の心を締め付ける。


「無理ですよ。私は景子さんのために生きてるんですから。私の気持ちは無くなりませんよ。景子さんが死んでも無くなりません」


「……莉緒、怪我してるんだから横になってて」


「景子さんがつけてくれた痕だから怪我じゃないです。ねぇ景子さん、景子さんが死ぬまでそばにいさせてくれませんか?最後までそばにいたいです」



強く抱きついてきた莉緒の気持ちは固まっているようだ。死ぬのを止めない莉緒は私の気持ちを察している。きっと莉緒を否定しても私への気持ちは揺るがないだろう。これは拒絶しても無駄だ。


「十五日。その日の夜に死ぬよ」


私は予定を話してあげた。


「車に練炭と七輪が積んであるから星がよく見える山に来たら星を見てから死ぬ。車の中で」



これはあの日死のうとしていたプランだ。これなら車は密室だからすぐに死ねる。莉緒は私の頬にキスをした。


「あと三日ですね。分かりました。今日からずっと景子さんの家に来ていいですか?最後まで愛させてください」



「……好きにすれば」


「はい。好きにします」



あと三日のうちに何をしよう。したい事すら思いつかないが私は自分の誕生日の日付で死にたかった。誕生日は嬉しくて幸せな日だから最後に幻想を抱きたいんだ。実際の私の誕生日は元家族だったあいつらに嫌な日にされていた。誕生日だから宗教をさらに押し付けられて変な集まりに参加させられてあいつと比べられて嫌だった。だからあの家を出てから誕生日は誰にも教えていないし祝わないようにしていた。

思い出してしまいそうで嫌だから。




でも、いつも羨ましかった。

みんな当たり前に喜んでいるから本当は羨ましかったんだ。


やっと死ねるなら本当に喜べるだろうか?

私は莉緒に抱き締められながら考えていた。









莉緒はそのあと私からずっと離れなかった。痛め付けたのに莉緒はそれについて何も言わなかったし、言わないどころか私にずっと愛を囁いてくれた。


私を好きだと、愛していると、莉緒は返事もしない私に何度も囁いてくれた。

私はそれでも分からなかった。

莉緒がなぜそこまで私を想ってくれるのか。莉緒はなぜ私から離れないのか。


一緒にいるのに、すぐそばに莉緒を感じているのに理解してあげられない。

私のために生きてくれる莉緒は私の何が良いのか分からない。


悪いところだらけなのに、普通じゃないのに、どこが良いんだろう。


私はそんな莉緒に自分で触れる事すらできなかった。




「景子さん?私を見てください」


ベッドに横になって寝ようとした私に莉緒はいつもみたいに横から催促してきた。顔を向けると顔にアザの痕が出てきていて痛々しい。それなのに莉緒はいつもみたいに笑ってキスをしてきた。


「好きですよ。大好きです」


莉緒は私の頭を撫でて顔を寄せてくる。


「私を抱き締めてくれませんか?くっついていたいんです」


「……」


「景子さん抱き締めてくれないと寝ませんよ私。ずっと話しかけますよ?いいんですか?」


答えられない私に脅しのように莉緒は言った。ちょっとむっとした顔をしている莉緒は今日の事を忘れてしまったのだろうか?私は今日叩いてしまった手で触れるのを躊躇っていたら莉緒は痺れを切らしたように横から抱きついてきた。


「もう、景子さんがしてくれないなら自分でくっつきます。朝までくっついてますね」



莉緒は本当に嬉しそうな顔をしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る