第24話


「でも、それしか考えられないよ。先生はいつも言ってるもの。私達以外は宗教でも何でもない偽りの存在だって。汚れた人が人を騙して集まる非人道的な集まりだって。だから景子も戻ってきなよ?お母さんもお父さんもちゃんと信仰していくならあの時の事許してくれるはずだから」



「私がおかしいって言いたいの?私にはあんたらの方がおかしく見えるから」



あの家にいておかしいのにはすぐに気づいた。外に出れば宗教なんかやっていない家の方が多くて、皆祈ったり宗教の訳分からない話を信じて喜んだりなんてしていない。ましてや布教なんていう押し売りみたいな事すらしていなかった。


「もう、なに言ってるの?どこもおかしくないよ私は」


しかし、こいつはまた私を狂わせようとしてくる。笑顔のまま私を見つめるこいつには寒気すら感じる。



「先生の教えを信じて徳を積めば幸せになれるんだよ?一番苦痛な死に際も信心を深めて徳を沢山積めば痛みを和らげられるのに何がおかしいの?だから皆にも広めて助けようとしてるのに。景子は昔から変な事を言うよね」


「……黙ってくれる?」



何でこんなに洗脳されてるんだよ。同じ人間なのにどうしてこうも違うんだ。もう冷静でなんかいられなかった。こいつの視野の狭さや幸せを履き違えているおかしな言動にあの頃みたいに流されたくない。


私は間違っていない。間違っていないんだ。 



「もうやめてよ。いつまでバカみたいな事言ってんの?短格的なのに気づきなよ。良い事があればもっと信じて良い事求めて、悪い事が起きたら信仰が足りないとか言って信仰してワンパターンな事をなにも考えないでやってるから洗脳されてるんでしょ。なんでそんなにリテラシーが無いの?普通分かるでしょ?」


「なぁに景子。また屁理屈?」


くすくす笑われて殴ってやりたくなる。それは私の台詞なのにこいつは全く他者を受け入れない。排他的な宗教をしているからこんな話の通じないやつになってしまっている。

誰が何を信じたっていいはずなのに尊重もしない姿勢を見ると宗教に拘束されて人生に影響を及ぼしているように思える。宗教は幸せが目的なのにこれは如何なものなんだ。


それに、こういうところが親によく似ていて本当に胸糞が悪い。





私は腐った家族だったやつらに心をゆっくりと殺されてしまった。

あの頃は抵抗は無意味だったら、強要された事を全てやっていた。祈る事さえも忌まわしい。

私は拳を握りしめながら言った。



「事実だから。あんたがしてるのは強要なんだよ?押し付けてるの。幸せのため幸せのためって、それはあなたの中での話であって他人は全く違うから」


理解をしてくれ。

自分の気持ちばかり通そうとしないでくれ。あの時の押さえ付けられて生きていた自分を思い出してしまう。もう忘れたいんだ。



「景子はなんでそこまで否定するの?私達家族でしょ?昔は景子も信じてたんだから、昔みたいに分かりあえるはずでしょ?」



「家族じゃないから」



私は学生の頃に我慢できなくなって家を出た。

もう宗教なんてやりたくないと。おかしくて気持ち悪いからもう二度と家族とも関わりたくないと言って親と喧嘩をして、あれから一度も帰っていない。文字通り断絶したのだ。

このカルト的ないかれたやつらと。



私は押さえ付けられていて言えなかった事を言ってやった。もう二度とこいつには会わない。


「あんたなんか嫌いだし家族だなんて今まで思った事ないから。バカみたいに宗教に勧誘して近所じゃ宗教にハマったヤバイやつって思われてただろうし、私もそうやって思ってたよ。祈ったからって気分がすっきりなんてしないし幸せを感じた事もない。訳の分からない幸せのために毎日強要されて、信じないなら後悔して不幸になるって、屈服できないと分かったら脅しまでして、……やってる事は犯罪と同じだよね?人とも思ってなかった訳?」



こいつは珍しく驚いたような顔をして表情を曇らせた。あんなに嫌がっていたのに今さら気づいたのか?本当に回りの見えていない頭の足らないやつだ。





「私はおまえらの所有物じゃないんだよ。次来たら警察呼ぶから。私につきまとわないで」




私は捨て台詞を吐いてエントランスを出た。



これでもう来ないはずだ。

あいつはもう追い払えた。あんな反応をしたんだ、間違いない。私はエレベーターに乗って自分に言い聞かせた。

もう大丈夫だ。逃げられた。


私が家に入ると莉緒は慌てて中からやってきた。


「景子さん、大丈夫ですか?」


心配したような顔をするが正直心がざわついて大丈夫ではない。


「……構わないで」



あいつと話してしまったせいで昔の記憶がよみがえる。いつも否定されて強要された忌々しい記憶が。あいつが消えたのにイライラしてしょうがない。


「景子さん……」


私はキッチンでコップに水を入れて飲み干した。気色悪い。あいつという存在に接触してしまったのに吐き気がする。



「景子さん、……触ってもいいですか?」


私のそばで不安そうな顔をする莉緒は私の様子を伺うように見つめてくる。


「……触って何したいの?」


「景子さんを抱き締めて気分を楽にしてあげたいです」


「私はずっと楽じゃないから」



私の心は常に死んでいる。暗い靄はなくならない。やはり死ぬしかないのか。愛や幸せについて知りたかったけどこんなに嫌な思いをして、あんなに嫌なやつに接して生きていく意味があるのか?拳を強く握りしめて莉緒から視線を外すと莉緒は私の拳に控えめに手を添えた。



「でも、触らせてください。景子さん辛そうだから抱き締めてあげたいんです」


「……好きにすれば」


心が落ち着かない。だけど怒りをぶつけるのはできない。私はいつもみたいにただ流した。すると莉緒は横から私に抱きついてきた。莉緒の柔らかさと温もりを感じる。しかし、それだけしか感じられない私はやはりあいつのように汚染されている。


「……景子さん愛してますよ。本当に、……愛してます」


「……」


今はなにも感じられない。人なんてあいつみたいなやつばかり。……あいつみたいな、おかしいやつばかりだ。



あぁ、なんでこんなに息苦しいんだ。


「……景子さん?私にならなんでも話してくれて大丈夫ですよ。私は誰にも言わないし景子さんを否定しません」


「そういうのやめて」


冷静じゃない私は強い口調で言ってしまった。


「話したって、相談したって何の役にも立たないでしょ。具体的に解決策を出せるの?」


「それは……分かりません。だけど話せば楽になったりするかもしれません」


この子の気持ちは分かるけど当たり前みたいにバカみたいな事を言ってイライラさせないでくれ。私は莉緒の気持ちを否定した。



「それで本当に助かるなら自殺する人なんか一人もいないよね?話す事なんか意味がないから結局苦しんで皆が言う最悪の結果を招いてるじゃん。ニュース見て分かるでしょ?無駄なんだよそんな事」



話したって何も意味がない。話しても辛いから、意味がないから人が死んでいる。だって話したところでどうせ他人事だからだ。そうやって世の中が証明しているのに相談だなんだって何なんだよ。


他人なんか考えてやれないやつしかいないのになんで知りたがるんだよ。何したいのか意味が分からない。


完全に分かりあうなんて不可能なんだ。それは間違ってはいないはずなのに莉緒は私に強く抱きついてきた。



「無駄じゃないですよ。少なくとも私は絶対に無駄にしません。辛い気持ちとか嫌な気持ちは分けあったり、代わってあげたりできないけど景子さんの人生に思いを馳せる事はできますよ。私は景子さんの人生を考えて寄り添います。景子さんをそのままの気持ちでなんていさせません。私は…」


「うるさい……!」


怒りが収まらない。私をこれ以上追い込むな。私は莉緒の肩を強く掴んで壁に押し付けた。



「気持ちなんか全部分かるはずないのに人生に寄り添うの?…家族が変な宗教に洗脳されて、その中で生きてきた私の気持ちなんか分かんないでしょ。物心ついた時から誰も味方なんかいないし、違うって言ったら怒られて否定されて脅されて強要されて、……どういう気持ちか分かる?」



頭に血が上りすぎた私は壁を拳で叩いた。理解なんか求めてないけれど寄り添うだなんてくだらない事を言うなよ。私は悲しげな顔をする莉緒をただ見つめた。



「自分が殺される気分なんだよ。嫌だって思っても逃げられないし、抵抗もできないとそうなるんだよ。自分を無くさないと生きていけないから。洗脳されたふりして、仲良しごっこして、変な家族の一員として生きるのは苦痛で地獄だったよ。嫌すぎたから全部捨ててきたのに、今さらまだ私を家族にしようとして……私がどれだけ嫌か分かる?あんなおかしいやつらと血が繋がってるだけで…、生きてるだけで頭がいかれそうなんだよ!」


何年も家族のように過ごして自分の意思を無視され続けたあの時からずっと死にたかった。私が私じゃなくなりそうで、皆が理解できる事が理解できなくて、止まらない息を止めてしまいたかった。


私はおかしくないはずなのに何度もおかしいと言われて違うと言われた。



でも、そんなやつらから生まれた私は最初からおかしかったんだ。

なぜだ?あぁ、もう嫌だ。もう早く死にたい。

虚しくなった私の怒りは消え失せた。あんなやつらに怒るなんてあいつらを意識しているみたいで気持ち悪い。

私が莉緒から手を離すと莉緒はいつもみたいに笑って口を開く。


「家族が違うものを見てるその気持ちは分かりますよ」


莉緒はさっき壁を叩いた私の手を優しく握った。


「家が嫌な所だった気持ちも分かります。……景子さんの苦しみは私に似たものを感じるから、なんとなく分かる気がします。愛を一心に受けるなんて、私達はした事ないですもんね?愛よりも…私達は嫌なものを貰いましたもんね。……私にも嫌な事はありますけど、景子さんが苦しんでる姿を見るのは本当に胸が痛いです」


「……」


本当に似ているのは家族だけだ。それはそれで不愉快でしかない。あんなの似ていてほしくないし共感を得られても嬉しくない。私はただ莉緒を黙って見つめていたら莉緒は私の手にキスをすると私の頬に両手を添えて切なそうな顔をした。


「愛してるのに代わってあげられなくてごめんなさい。辛いですよね?私の愛情表現も足りないから景子さんをもっと辛くさせて……本当にごめんなさい。私、私だけは景子さんを愛してますから。景子さんだけをいつまでも愛してます。だからさっきの怒りも苦しみも私にぶつけてください。景子さんの気が済むまで私を使ってください」


「……使う?」


莉緒はまた何か異質な事を言っている。莉緒は私にキスをすると少し私から離れた。


「壁を殴るくらいなら私を殴ってください。前に言いましたよね?私は景子さんの気持ちを感じると嬉しいんです。痛みも痛く感じません。だから気の済むままに私で発散してください。何でもしていいですから」


愛してるからそうやって私を救おうとしているのか?私は笑う莉緒にただ冷静にそう思っていた。私達の間では愛や幸せになる行為は怒りや苦しみでも成立する。


莉緒はそう言っているのだ。

…だったらやってみるか。死ぬ前のちょっとした気分転換だ。この気持ちが無くなるのなら死ぬ前に少しでも消えてほしいから今は何でもすがりたい。



私は莉緒を思いきり突き飛ばして床に倒してやった。勢いよく倒れた莉緒は私をうっとりと笑って見つめる。そんな莉緒に怒りのような込み上げる気持ちを感じながら足を蹴飛ばして踏みつけてやった。


「何でもしていいんでしょ?」


莉緒の髪を鷲掴みながら顔をこちらに向けさせる。莉緒の顔色は全く変わらない。


「…はい。もっとしてください。殺してもいいんですよ?」


「……黙って」


試しているのか?挑発するかのような言葉に私は頬を叩いた。強い力で思いきり叩いてやった。部屋には鈍い音が響いて私の手は熱を帯びる。だけど私は止まれなかった。無言のまま莉緒の背中を何度か蹴飛ばして腕を踏みにじって腹も蹴飛ばしてやった。



それなのに莉緒は笑いながら私を見つめて受け入れた。


莉緒は呻き声をあげながらも抵抗はしない。なぜだ?痛くなるようにしている。痛くないはずがない。私は力を込めて虐げているのに、なんで私を愛しそうに見つめるんだ。


私は焦りのような不安のような気持ちを感じながら莉緒の髪を掴むとまた顔を叩いた。そして思いきり床に押し付ける。



「……こんな事しても私を愛せるの?」



おかしい、これは違うのに、違うのに分からない。これもやはり愛なのか?愛に繋がるのか?私は上からじっと莉緒を見つめた。


すると莉緒は私を見つめながらうっとりとした表情で口を開いた。



「愛せますよ?愛してます。景子さんの気持ちが私の体に刻まれて、景子さんの気持ちが理解できるみたいで嬉しいです。景子さん大好きですよ?本当に、誰よりも好きです」


「……」


ああ、意味が分からない。

心が動揺を隠せなくて、頭の理解が追い付かない。

なんで私にそんな言葉をかけるんだ?

私は思わず莉緒から手を離していた。

暴力を振るってもなにも変わらない。


ただ息苦しくて胸が痛い。

この行為さえも正当化されたら私は本当に狂ってしまいそうだった。


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