第23話
逃げた私を莉緒は切なそうな表情で見つめながら頭を優しく撫でてくれた。
私はそれがなんだか見ていられなくて目を逸らしてしまった。私は昔から出来損ないだった。なにもうまくできた試しがない。努力してもどうにもならなかった。
「酷いです。……景子さんはとっても魅力的で良いところがいっぱいあって優しいのに…。比べるにしたって限度があります」
比べられる事が日常だった私からすると限度が分からない。あの家から出ても外では比べたがるやつばかりだ。
「それでも皆比べるんだから比べるのは人間の性なんだよ」
「だからって家族なのに……悲しいです」
莉緒の純粋な気持ちは私を麻痺させるように疑問を浮かばせる。私も昔は悲しかったのだろうか?今じゃもう思い出せないが私は続けた。
「昔から何にもできないからしょうがないんだよ。お姉ちゃんは本当に何でもできてたのに私はその半分くらいしかできてなかったから。……私はなんかの病気なのかもね」
今でさえもダメだから最初からなにか病気でもおかしくない。私の皮肉に莉緒は真面目に否定してきた。
「病気じゃないですよ。景子さんは何にもできない訳じゃないし、病気なんかじゃないです」
「そうかな?」
「そうですよ。絶対に違います。景子さんはそんな風に見えません」
莉緒は私を全く否定しない。しかしそれは期待されてるみたいで苦しい。私は笑った。
「じゃあどう見える?嫌な事から逃げた私は。コンプレックスから逃げ続けてる私は莉緒にどう見える?みっともない?ダサい?」
私はずっと嫌な事から逃げ続けている。逃げても逃げても苦しいのに、逃げる事に必死になりながらずっと苦しんでいる。バカみたいな話だ。莉緒は私を見限るだろうか?莉緒はまた否定した。
「そんな事思いませんよ。私だって家が嫌だから逃げました。逃げる事が悪いだなんて思いません。嫌な事から逃げちゃいけない決まりはありません」
「……そうだね」
優しい莉緒の言い分は私を暗くする。この優しさは慣れていなくて怖く感じる。そのせいでなぜか胸が苦しい。莉緒は優しく私の顔に触れてきた。
「私が守ってあげますよ?景子さんはとっても純粋な綺麗な人だから……守りたいんです。本当に綺麗だから……絶対に汚したくないんです」
「そんなに綺麗に見える?私は」
莉緒は嘘をつかない。でも、私はもう壊れて汚い。治せないくらい壊れて歪んでいる。莉緒はそんな私に笑って話した。
「綺麗ですよ。景子さんは誰よりも綺麗です。純粋で……本当に輝いてて、私の宝物です。景子さんは特別なんですよ」
「……そう」
「景子さん、抱き締めていいですか?抱き締めながら寝たいです」
「いいよ」
私が莉緒には純粋で綺麗に見えている。自分から見てもそんな風には思えないのに莉緒は私のどこを見てそう思ったんだろう。莉緒といると分からない事が増えるばかりだ。
結局、私達はまだまだ理解しあえていないのだろう。それでも莉緒が私に幻想を抱いているようには見えないし、莉緒の言葉は本当に不可解で私は考えずにはいられない。
だけど今は莉緒の希望を叶えよう。莉緒は私を癒そうとしている。その厚意を無駄にしたくない。
私を大切そうに抱き締めてきた莉緒は本当に優しく私の体を撫でた。
その優しさに胸がつまりそうだった。
私はそれからも淡々と日々を過ごしていた。仕事をして休みはドライブに行ったり莉緒と出掛けたりして過ごす。それでも気分は少し暗かった。莉緒の言葉が心に引っ掛かっていたからだ。私の何が綺麗で純粋なのか悩んでも分からない。
私は仕事中もそれで頭がいっぱいだったけど、今日は久々にイライラしていた。目の前で泣きわめくガキのせいだ。
「やだやだやだやだぁ!もうやだぁ!できないー!やめるー!」
「本当にやめていいの?まだ虫歯あるけどやめていいならやめるよ」
今日は私の嫌いな小児の虫歯の治療の日だった。最近新患で来た小児の裕太君は五歳なのによく泣いてウザい。あんまり泣くから治療する手を止めたがどうしたものか。
「やだぁー!痛いのやだー!」
大きな声で嫌がりながら涙をぼろぼろ溢されても私の気持ちは変わらない。ガキはこれだから嫌いだ。だいたい怖いのもあるから泣いているのだろうが小児は嘘をつく生き物だ。私は小児だろうと対応を変えたりしないのでいつものトーンで話した。
「本当に痛いの?さっき先生何もやってないのに痛がってたよ?嘘つかないでよ」
「だって…!だって…!音が怖いから…!」
「でもこれでやらないと治らないよ。先生は困らないからもう終わりにしてもいいけど、そのままじゃもっと虫歯になるし痛くなってくると思うからもう少し頑張りなよ」
泣いてぐしゃぐしゃの顔の裕太君に時計を見ながら言った。次の患者さんもいるから早めに終わらせないと。裕太君はまだ泣いているが私は追い討ちをかけた。
「どうするの?やるの?やらないの?やらないと痛くなるよ?」
「やる!…頑張ってやるから!」
涙ながらに声を震わせてやる気を見せた裕太君にやっとかとため息をつく。
「じゃあ泣くのやめて大きく口開けててよ」
「…うん!」
「あと嘘つかないよ」
「…うん!」
言う事を聞きだした裕太君に私は疲れを感じながらも治療を再開したが、今度は泣かずにできたのですんなり終わった。
やはり初めてだから怖さが勝っていたようだ。小児は本当に無駄に大袈裟だ。
その日の診療は裕太君のせいもあって疲労をいつもより感じる。そして帰りに更衣室で着替えて帰る準備をしていたら裕実に笑いながら話しかけられた。
「景子小児本当に嫌いだよね。今日の小児の治療してる景子怖すぎてにやにやしちゃった」
「だって泣いて面倒くさいんだもん」
裕実は小児が得意だけど私は全く違う。裕実は私の真似をしてきた。
「やるの?やらないの?……とか普通に笑えたよ。脅しじゃんあれ。しかも真顔だし。あの子きっとメンタルやられたと思う景子に」
なんか鼻につく真似の仕方で呆れるが脅しなのはあながち間違っていない。私の方がメンタルやられたよと言ってやろうと思ったら伊藤ちゃんも笑いながら話に混じってきた。
「それ私も思いました。永井先生小児に容赦ないですよね。笑わないし淡々と話してるから遠くで見てても笑えます」
「伊藤ちゃんもそう思うよね~。私なんか隣のユニットでやってると景子がイラついてるの分かるからマスクの中で笑ってるよいつも。しかも景子泣いてても普通になんで泣いてんの?とか聞くから恐ろしいわ」
とても二人に笑われているが今後も対応を変えるつもりはない。というか変えられない。
「……小児は嫌いなの知ってるでしょ」
「知ってますけどあれは毎回私も笑ってますよ。脅しに従う子供が酷で…」
「分かる分かる!超泣いて嫌がっても景子が脅すと言う事聞いてるもんね泣きながら。頑張れって隣で思っちゃう私」
「だから裕実に回してるじゃん小児」
そんなに酷い事をしているつもりはないのだが少し居心地が悪い。私はその後も二人と話ながら笑われてしまった。もう小児は極力避けようと思う。疲れるし笑われる。
私は酷い疲労を感じながら家に帰るとお風呂に入ってすぐに寝てしまった。
そして翌日、キッチンに莉緒が立っていた。
「……おはよう…」
また勝手に来たらしい。もう何度もやられているから何も聞く気は起きない。莉緒は嬉しそうに笑った。
「先生おはようございます。今日はパンですよ?サラダとかフルーツもありますけど美味しいパン屋さんで買ってきたんです。すぐ焼きますね」
「……うん。ありがとう」
まだ眠いけどもうご飯のようだ。私は顔を洗ってからソファに座った。最近はほとんど莉緒が料理をしてくれるから私はあまりしなくなってしまった。
「今日はクッキーとかお菓子も買ってきたので置いとくから食べてくださいね?私が好きなやつだから絶対美味しいですよ」
「うん、分かった」
莉緒は本当に色々買ってきてくれる。しかも置いといてくれるから食事がどうでもいい私にはありがたい。
私はその後莉緒が用意してくれたご飯をいただいた。
いつも通り美味しいご飯を食べて後片付けをすると莉緒はソファに座っていた私の隣に座ると手を握ってきた。
「先生?キスしてくれませんか?」
「勝手にすればいいでしょ」
「先生からしてほしいです‥」
「……」
莉緒は自分からキスを恥ずかしげもなくするくせによく私にしてほしいと言ってくる。どっちからしても変わらないと思うのだがよく分からない。
「先生キス……」
私の手を強く握りながらねだる莉緒に私は仕方なく黙ってキスをした。莉緒はそれだけで嬉しそうだ。
「えへへ。先生にキスされちゃった。嬉しい」
「よかったね」
これで何も言われない。そう思っていた私は甘かった。
「先生?今日またデート行きませんか?ゲーセン行きたいです」
今日は休みだから言われるかもしれないと思っていたがやはりきた。私はとりあえず流してみた。
「今度ね」
「この子みたいなフィギュア欲しいです。この子可愛くないですか?」
莉緒は私の机に勝手に飾っていた美少女フィギュアを手に取って見せた。皆同じような顔をしているから何とも言えない。
「普通じゃない」
「えー?この子可愛いじゃないですか。クールで先生みたいで」
「莉緒の方が可愛いよ」
「…先生またそういう事言う。からかわないでください」
莉緒は言われ慣れているはずなのに照れている。ちょっと弄ってやろう。私は笑って顔を近づけた。
「可愛いよ?莉緒は綺麗だし」
「い、いきなり…なんですか?照れます‥」
「本当の事だよ。可愛いから見てたくなるし」
じっと至近距離で目を見つめると莉緒は目に見えて恥ずかしがりだした。
「あの、…そんないきなり言われると…嬉しくなっちゃうし、見つめられると…熱くなります…」
「なんで?」
「え?…それは、そんなの…景子さんが大好きだからです。私、景子さん大好きだから誉められると嬉しくなりすぎちゃうし、見つめられたり触られると嬉しくてドキドキし過ぎて…ば、爆発しそうなんですよ?」
「……爆発?」
莉緒は面白い事を言う。本人的には恥ずかしくていっぱいいっぱいだと思うが気になってしまう。莉緒は段々と顔を赤くしてきた。
「嬉しくて幸せな気分なのに胸が勝手にうるさくなるから……とにかく爆発しそうなんです。景子さんはいつも素敵だし、心臓がいくつあっても足りません。私いつかドキドキしすぎて死ぬかもしれないです…」
「……死なないでしょ普通に」
「景子さんは知らないからそんな風に言うんですよ!景子さんにはいつもドキドキさせられてるんですからね私!だいたい最初から…」
莉緒がいきなりむきになりだしたが唐突に部屋のインターフォンが鳴った。もう少し話したかったのに残念だ。
「ちょっと待って」
「はい」
莉緒をおいてインターフォンの画面を見に行ったら沸々と怒りが込み上げた。
画面に写っていたのはあの日追い払った私の元姉だった。
また来やがったのか。何しに来たんだ。探偵かなんかを使って調べただろうこいつには反吐がでる。もう二度と来ないように文句を言ってやろう。
「そこから動かないで」
私はそれだけ言ってインターフォンを切った。
また宗教の話だきっと。あいつも宗教も消えていなくなればいいのに。私にいつまでつきまとう気なんだ。私は玄関に向かった。
「景子さんどうしたんですか?どこ行くんですか?」
何かを感じ取った莉緒は玄関についてきたがあんなやつには絶対に会わせたくない。私の消えてなくなってくれない染みのような汚いやつだ。
「またあいつが来たから追い払ってくる。ここから出ないでよ」
「え?……はい。分かりました」
怒りが抑えられない私は莉緒をおいて玄関を出ると急いでエントランスに向かった。あんなクズの顔すら見たくないのにあいつが懲りずに来るなら言いのめしてやればいい。
頭のおかしいあいつには言葉が通じないけど少しは察する事ができるだろう。
エレベーターを降りてエントランスに来るとあいつは私に気づいてにっこり笑いやがった。私に似ている顔が気色悪い。
私は怒りを抑えながら冷静に話をした。
「顔も見たくないって言ったんだけど何しに来たの?迷惑なんだけど」
普通ならそれだけで理解するのにこいつは穏やかに笑っていた。
「景子、お姉ちゃんに何でそんな事言うの?景子が変なの信じちゃったかもしれないから心配してるんだよ私は。景子が私を拒絶するのは私達とは違う宗教まがいなもののせいかなって思ったんだけど当たってる?」
「意味分かんないから。宗教はしないって出て行く時に言ったよね?私は何も信じてないから」
おかしな理屈を述べて決めつけないでほしい。昔から思い込みを押し付けてくるこいつが本当に嫌いだ。
何を言い出すのか想像をはるかに越え過ぎている。自分と宗教を主軸に話すこいつは汚染されている。
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